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説教 「愛は血よりも濃い」

『愛は血よりも濃い』
(ルカ8:19−21)
(2008年・7月13日・ベテル清水教会 聖日礼拝)

ある先生が説教の前に、「みなさん。今日はとっておきのジョークを言います」と言いました。
「ひょっとしたら、前にも話したことがあるかもしれませんが」と前置きをしたところ、すぐに信徒が合いの手を入れました。
教会学校の説教には良くある光景ですが、礼拝では珍しいですね。
「先生、そのジョークって笑えるジョークですか」
「もちろん、ジョークですから、笑えますよ」
すると、信徒は答えました。
「じゃ、私たちはまだそのジョークを聞いていませんね。だって先生のジョークでまだ笑ったことがないですから」。

日曜日の夜、ビデオ礼拝でCGNTVを通して大和の大川先生の説教を聞いていますが、大川先生のジョークにいつも笑わされています。
どんなにおもしろい話でも、話し方が下手だと笑いが起こりません。
どんなに良いメッセージであっても、伝え方が悪いと、相手に届かないのです。

礼拝は、教会の命であり、説教は礼拝の命であると言われます。
説教が生きると礼拝が生き、礼拝が生きると教会が生きると言われます。
どうか、わたしがいつも心に響く説教を語ることができるように。
私のためにもお祈りください。

さて、ルカによる福音書の学びを続けておりますが、今日は8章19節からの短いテキストです。
もう一度、19節をご覧ください。

8:19 さて、イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群衆のために近づくことができなかった。

ここにイエス様の家族が登場します。
聖書はイエス様のプライベートにはほとんど興味がありません。
しかし、イエス様にも家族がいたのです。
マルコ6章3節を見ますと、そこには弟の名前が記されています。
ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの四人の弟がいたようです。
彼らは母と一緒にイエス様のところにやってきました。
彼らが来たとき、イエス様の周りには大勢の群衆がいました。
群衆は、イエス様の話を聞こうとして集まっていたのです。
それに対して、イエス様の家族は、どうもイエス様の話を聞くために来たのではなさそうです。
それは、イエス様のこの後の答えから読み取ることができます。
では、彼らは、何をしにイエス様のところに来たのでしょうか。
マルコ3章をお開きください。
3:31 イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。

少し前の3章の20節からご覧ください。

3:20 イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。
3:21 身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。


この21節の身内の者たちとは、31節に出て来る「イエスの母と兄弟たち」のことでしょう。
彼らは、イエスのことを聞いて、取り押さえに来たのです。

私の父は、私が4歳の時に、突然、家を出て行きました。
私は幼かったので、父が家を出た理由を知りませんでした。
7年後、父が新潟で亡くなったという連絡を受け、そこではじめて、私は父が家を出た理由を知りました。

それは、普通ではあり得ないことでした。
父は大酒飲みでキリスト教には反対していました。
しかし、肝硬変になったり、建築現場で働いているときに、高いところから転落して大けがをしたことがきっかけとなり、変化が起こりました。
ある日、魚釣りをしている時に、主が現れ、ペトロのように「私に従いなさい。あなたを人間を獲る漁師にしよう」という招きを受けたそうです。
母も、その時に、主からの語りかけを聞いて、父は、残された命を主のために捧げる決心をして、家を出ました。

しかし、この出来事は、当時、母が通っていた教会の先生たちには受けとめてもらえなかったようです。
母は私たち家族にも、このことは全く話さなかったので、私は父がどこで何をしているのか、全く知らないまま7年間を過ごしたのです。
母は、父が体が悪かったので、途中で病気で亡くなったのではないかとも思っていたようです。


もし、あの時、途中で、どこかから連絡が入って、父が野宿をしながら、トラクトを配り歩いているということを聞いたら、おそらく私たち家族は、父のいるところに飛んでいったと思います。

もし、その父の行為を見て、「あれは気が狂っているぞ」とか「頭がおかしいんじゃない」という噂が私たちの耳に届いていたら、きっと、私たちは、父がいるところに言って、「お父ちゃん、お願いだから、そんなことはやめて」と止めに言ったかもしれません。

たとえ母には理解できても、まだ信仰がよく分かっていなかった私にはとても理解できなかっただろうと思います。
ですから、私にはイエス様の兄弟たちが、マリアと共に、イエス様に会いに行った気持ちがよくわかるのです。

母マリアはイエス様が生まれたときに、天使のお告げを聞いています。
聖霊によって身ごもったのですから、この子が特別な使命を持っていることは分かっていたのです。

ですから、イエス様が30歳になって、家を出て、神の国を伝え始めた時には、ついにこの時が来たと思っていたことでしょう。
マリアはイエス様が家を出て行ったことを受けとめていました。
しかし、弟たちには理解できなかっただろうと思うのです。
しかも、家族に聞こえてくる声は、いいものもあれば悪いものもあります。
特に、長老や聖書学者たちの間では評判が悪いのです。
悪霊につかれていると言われ、このままでは、大変なことになると思ったのでしょう。

「お母さん。お兄さんを連れて帰りましょう。みんなから変な噂を立てられているよ。役人たちからも目を付けられていて、このままでは大変なことになるよ。早く、取り押さえに行こう」
そして、マリアとその息子たちは、イエス様を家に連れ帰ろうとやって来たのです。

8:20 そこでイエスに、「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」との知らせがあった。
8:21 するとイエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とお答えになった。


今日の説教のテーマは「愛は血よりも濃い」です。
神の言葉を聞いて行う人とは、私たちクリスチャンのことです。
私たちクリスチャンは、主にあって神の家族です。

先週、尾上聖愛教会で「イエスの弟子たち」という韓国からの宣教チームが来て、ゴスペルコンサートが行われました。
急遽、祈祷会を変更して、参加しました。
そこで「リナとカナ」という二人の姉妹が証しされました。
彼女たちは、在日三世の双子です。

日本で育ちながらも、血は韓国人です。
しかし、言葉は日本語しか話せず、顔も韓国に行っても、日本人と間違えられるそうです。
4年間、韓国に留学し、この度、二人はゴスペルシンガーとして、ディオを組んでデビューすることになったそうです。

彼女たちは悩みました。
血は韓国人。故郷は日本。
彼女たちは、日本と韓国を愛しているそうです。
しかし、彼女たちの悩みは、自分の祖国はいったいどっちなのか。
韓国にいると、日本人に間違われ、
日本にいると、韓国人として扱われる。
ずいぶんと悩んだそうです。

しかし、ある時、神様が語ってくれたそうです。
「あなたの国籍は天にある」と。

まさに彼女たちは、血の絆を越える世界を発見したのです。
愛の絆によれば、日本も韓国もない。
神の家族だ。
自分たちは、両方の国を愛せることができて感謝だと。

「愛は血よりも濃い」
今日の説教のテーマです。
神の家族には、血の絆はありません。
もちろん、血の絆のある人もいます。
しかし、血の絆のない人もいるのです。
神の家族には、国籍の違いもありません。
神の家族には、身分の違いもありません。
神の家族は、愛の絆によって結ばれているのです。

みなさん。家族のない人は一人もいません。
家族なしにこの世に存在した人は一人もいません。
今、私が生きていることは、血の絆によるのです。
血の絆なしに、私たちの存在はないのです。

血の絆は大切です。
血の中に命がありますから、血の絆は命の絆です。

しかし、家族には、血の絆だけでは不十分です。
神の家族が愛の絆によって一つにされているように、
家族には愛の絆が必要です。

「血は水よりも濃い」と言われます。
これは「親子・兄弟など血筋を引いたつながりは他人との関係より緊密である」という意味です。
「家族の絆は、世間の絆よりも強い」

みなさん。家族の絆の本質は何でしょうか。
家族は何によって結びついているのでしょうか。

家族の絆の本質は「血」ではありません。
家族の絆は、血によるのではありません。
なぜなら、家族を形成する夫婦関係には「血」のつながりがないからです。

神様が人間を造られた時、アダムとエバを造られました。
アダムとエバは家族の原型です。
神様はアダムにエバを与えて、家族を形成させられたのです。

神様は親子という血筋から家族を造られたのではありません。
神様は夫と妻という愛の関係から家族を造られたのです。
ですから、夫婦関係には「血」の結びつきはありません。
しかし、この二人が「愛の絆」に結ばれることによって、血のつながった子どもが生まれたのです。

みなさん。家族の絆の本質は「愛」です。
家族は「血」によって一つなのではなく、「愛」によって一つなのです。
家族の絆に愛は欠かせないのです。
たとえ、血のつながりがなくても、そこに愛があれば家族が生まれます。
たとえ、血のつながりがあっても、愛がなければ家族関係は壊れます。
我が家には犬と猫の二匹のペットがいます。
私は本来、動物が苦手です。
猫はひっかくし、犬はかみつくというイメージがありました。

今から9年前に、長女が捨て猫を拾ってきました。
ちょうど、その日、私は旅先で、捨て猫のドキュメンタリーを見た後だったので、ダメだと言えませんでした。
来年で10年になります。
ミーナは、今ではなくてはならない家族の一員です。
当然、猫には血のつながりはありませんが、愛があります。
愛することによって猫も我が家の一員となりました。

また、3月には、次女が中学を卒業したら犬を飼いたいと言いました。
私自身、犬を飼うことで、近所を一人で歩くよりは、犬と歩く方がいいとは思っていましたが、誰か譲ってくれる人があれば考えてもいいかなという程度で、わざわざ買ってまで飼おうとは思っていませんでした。
す。
しかし、娘の卒業式の日に、私の携帯に重延先生から電話がなって、「先生、犬要りませんか」というのです。
これは、神様の導きだと信じて、すぐに行って、もらってきたのが、ベルです。

我が家にきてまだ4ヶ月にしかなりませんが、今では、すっかり家族の一員となりました。

ミーナも来年で10年になりますが、人間の年齢で言えば50歳を越えました。
いつの間にか私の年齢を超えているのです。
もし、あの時、娘が拾わなかったら、どうなっていたんだろうと思います。
猫は、捕獲されてから4日、犬は5日で、処分されるそうです。
しかも、娘が猫を拾った公園のすぐ裏が保健所です。
最初は、何で拾ってきたんだ、と思いましたが、家族となった今は、よくぞ拾ってくれた、という思いです。

今、世の中では、家族関係が壊れています。
血は水よりも濃いと言われますが、
実際は、血は水よりも薄いという現実があるのです。


先月、教会の側壁に十字架が取り付けられましたが、これを取り付けてくださった方は、大阪にある堺キリスト教会の教会員の方でした。
実は、わたしの母の姉、わたしの叔母が通っている教会の方でした。

何度もお話していますように、わたしの祖父は、お坊さんでした。
祖父は母が生まれてすぐに、30歳という若さで亡くなります。
祖母は、わたしの母を養女に出しました。
母は、養女として育てられ、20歳の時に、自分が養女であることを知り、ショックを受けます。
そして、友達に誘われて教会に行くようになり、洗礼を決心します。

当時は、キリスト教は「耶蘇教」と言われ、迫害されていた時代です。
家族は大反対です。
しかし、母はその反対を押し切り、洗礼を受けました。
その結果、家を追い出されました。
親戚筋に耶蘇教はいない。
耶蘇になるなら、出て行けということです。

母がキリスト教になったことで、生みの母からも絶縁されました。
一切のつきあいがなくなりました。
「血は水よりも濃い」といいますが、母にとって、血は水よりも薄くなりました。
しかし、水よりも、血よりも濃いものがありました。
それは神の愛です。
神の愛は、水より、血よりも濃い。

母は、どこに行っても、まず教会を探し、教会に通います。
そこで多くの信仰の友に出会います。
血の絆にまさる愛の絆をたくさん持ちました。
それは今では母の財産であり、まだ生きていますが、母の最大の遺産でもあります。
愛の絆は、奇跡を起こしました。

祖母が亡くなる前、母は、今、大阪にいる母の姉、わたしの叔母から連絡があり、祖母の看病をするようになりました。
母にとっては、自分を捨てて母親です。
しかし、愛の絆によって、母を赦し、祖母の最後の世話をしました。

意識がもうろうとし、もはや母に対して、何も言いません。
母は、ただ祖母のために祈り続けました。
そして、わたしを呼んで、わたしもはじめて、祖母にあって、祖母のためにはじめて祈ることができました。

その帰り道、叔母の家に行って、叔母のためにも祈りました。
叔母は、わたしの祈りを涙を流しながら受けとめてくれました。
それから間もなく、祖母は亡くなりました。

叔母は、その年のクリスマスに、イエス様を信じて洗礼を受け、今では、毎週、教会に通っています。

今、私は叔母が同じ神の家族の一員となったことを喜んでいます。
血筋の絆ではなく、信仰の絆によって結ばれたことを喜んでいます。

愛は血よりも濃い。
神の愛は、家族を回復させます。

みなさん。私たちは神の家族です。
愛の絆によって一つの家族なのです。

この愛の絆によって、血の絆である家族を愛し、家族の絆を強めていきましょう。
愛することは祈ることです。
家族の絆が強められるように祈りましょう。

この愛の絆によって、神の家族を愛し、絆を強めていきましょう。
互いに愛し合い、愛を実践する者となりましょう。
互いの違いを認め合い、助け合い、補い合っていきましょう。
愛することは祈ることです。
互いに愛し合い、祈り合って、愛の絆を深めていきましょう。
お祈り致します。