FC2ブログ

マルコ10:46-52「あなたの信仰」

◇2019年1月31日(木)
●マルコ10:46-52「あなたの信仰」
●御言葉
10:51 イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。
10:52 そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

●黙想
何を願うかよりも誰に願うかが重要です。

物乞いの盲人はイエス様に向かって「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫びました。

ダビデの子とは、救い主を表す称号です。

彼はイエスをキリスト(メシア)と信じ、主を求めたのです。

すると、主から「何をしてほしいのか」と言われ、彼の願いは適えられました。

「あなたの信仰」とは、主を求める信仰です。

主は救い主であり、癒し主であり、助け主です。

主を求める信仰があなたを救い、あなたを癒し、あなたを助けます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:マルコ11:1-10
スポンサーサイト



マルコ10:32-45「仕える」

◇2019年1月30日(水)
●マルコ10:32-45「仕える」

●御言葉

10:43 しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、
10:44 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。
10:45 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

●黙想
価値観は大切です。

何に価値を置くかが人生を決めるからです。

価値観が変わると考え方が変わり、生き方が変わります。

神の国とこの世の価値観は異なります。

神の国(教会)では、僕のように生きる人、仕える人が、高い地位にあります。

仕える人は周りを変化させます。

イエス様は仕えるために来られ、救いをもたらしました。

仕えることに価値を置いてください。

ここに神の国があります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:マルコ10:46-52

マルコ10:17-31「永遠の命」

◇2019年1月29日(火)
●マルコ10:17-31「永遠の命」

●御言葉

10:17 イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」

●黙想
永遠の命とは、イエス様(神)から与えられる命です。

この命を内に宿す人は、神の国を受け継ぎ、永遠に神と共に生きる者となります。

神の国(天国)は、功徳やお金を積んで入れる世界ではありません。

罪の赦しという命のビザが必要です。

キリストは私たちのために十字架にかかり、命のビザを備えてくださいました。

だれでもイエスをキリスト(救い主)と信じるならば、御子と結ばれ、永遠の命が与えられます。

ヨハネも言いました。

「その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。

御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。」(一ヨハネ5:11-12)。

永遠に神と共に生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:マルコ10:32-45

マルコ10:1-16「神の国」

◇2019年1月28日(月)
●マルコ10:1-16「神の国」

●御言葉

10:15 はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
10:16 そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。


●黙想
子供(幼子)は弱い存在です。

一人では生きられません。

親のサポートが必要です。

親が備え、与えてくれるものをいただきながら、成長し、成熟していきます。

神の国も同じです。

神様が備え、与えてくれるものをいただきながら、成長し、成熟していきます。

大切なことは、心を頑なにせず、素直に感謝して受け取ることです。

イエス様が子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福されたように、

神様の呼びかけに応え、主に抱かれ、祝福を受ける。

これが神の国です。

神の子として生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:マルコ10:17-31

マルコ9:38-50「塩」

◇2019年1月27日(日)

●御言葉

9:50 塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」

●黙想
本質を失うと、役に立たなくなります。

神さまの御心は私たちが世の光として、地の塩として生き、互いに平和に過ごすことです。

光が光を失い、塩が塩気を失ったら存在意義を失います。

塩とは、愛です。

たとえコップ一杯の水であっても、

そこに愛があれば、人を助け、神様の報いを受けます。

塩(愛)は隠し味です。

自らを誇らず、人を生かし、人を清め、腐敗を防ぎます。

今日は日曜日です。

主を愛し、互いに愛し合い、平和な一週間を過ごすことができますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

Next:マルコ10:1-16

マルコ9:30-37「仕える」

◇2019年1月26日(土)
●マルコ9:30-37「仕える」
●御言葉

9:35 イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」

●黙想
クリスチャンは家庭や社会に祝福をもたらすキーパーソンです。

仕事や奉仕の基本は「仕えること」です。

仕える人には報いがあります。

会社で働く人には報い(報酬)があるように、主に仕える人にも報い(祝福)があります。

主に仕えるように、人に仕える人は、報酬に加え、神の祝福が伴います。

パウロは言いました。

「奴隷たち、キリストに従うように、恐れおおのき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。あなたがたも知っているとおり、奴隷であっても自由な身分のものであっても、善いことを行えば、誰でも主から報いを受けるのです。」(エフェソ6:5-8)。

主に仕え、祝福を受け、祝福を流し出して生きる者でありますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

Next:マルコ9:38-50

マルコ9:14-29「信仰」

◇2019年1月25日(金)
●マルコ9:14-29「信仰」

●御言葉

9:23 イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」
9:24 その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」

●黙想
神様に不可能はありません。

人にはできないことも神にはできます。

息子が汚れた霊に苦しめられた人がいました。

彼は、イエス様の噂を聞いて、イエス様に助けを求めました。

父親は、イエス様から「信じる者には何でもできる」と言われると、

慌てて「信じます」と言って、自らの不信仰を悔い改め、イエス様に助けを求めました。4

すると、奇蹟が起こりました。

彼の願いどおり、息子は助かったのです。

大切なことは、主と主の言葉を信じる信仰です。

この信仰が彼の息子を救ったのです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:マルコ9:30-37

マルコ9:2-13「礼拝」

◇2019年1月24日(木)
●マルコ9:2-13「礼拝」

●御言葉

9:6 ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。
9:7 すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」

●黙想
ペトロとヤコブとヨハネは山頂でイエス様の姿が変貌し、

モーセとエリヤと語り合う姿を目撃し、非常に恐れました。

その直後、雲に覆われ、

雲の中から「これはわたしの愛する子、これに聞け」という神の声が聞こえたのです。

主の臨在のあるところに恐れが生じます。

この畏れは「畏怖」であり、主を畏れる心です。

礼拝の本質は、主を畏れることにあります。

主の山に登り、主の臨在に包まれ、主を畏れ、主の言葉に耳を傾ける。

これが礼拝です。

礼拝が人生の中心となり、神を崇めて生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:マルコ9:14-29

マルコ8:27-9:1「命」

◇2019年1月23日(水)
●マルコ8:27-9:1「命」

●御言葉

8:36 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。
8:37 自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。

●黙想
命は神から与えられた時間です。

命を失うと時間は止まり、時間は取り戻すことはできません。

限られた時間をどのように使うか。

それが命の使い方であり、使命につながります。

時間を自分のために浪費するのではなく、主のため、人のために消費する人は、

生きがいが生まれ、命輝き、命尽きても良い実が残ります。

「一生を終えてのちに残るものは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」(ジェラール・シャンドリ)。

受けるよりは与える方が幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:マルコ 9:2-13

マルコ8:1-13「愛」

◇2019年1月21日(月)
●マルコ8:1-13「愛」

●御言葉

8:2 「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。
8:3 空腹のまま家に帰らせると、途中で疲れきってしまうだろう。中には遠くから来ている者もいる。」

●黙想
神に愛され、神を愛し、自分を愛し、隣人を愛し、互いに愛し合う世界。

これが神の国であり、教会です。

神は愛です。

イエス様は群衆を憐れみ、パンと魚の奇跡をもって、彼らの空腹を満し、愛を示されました。

憐れみのあるところに、しるしと不思議があります。

一方、イエスを試そうとしたファリサイ派の人々には、天からのしるしは与えられませんでした。

愛のないところにしるしは与えられず、

たとえ、しるしを見ても、愛がなければ悟れないのです。

主の家に集まり、愛に満たされて、家に帰る人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

明日は御言葉メールはお休みします。

Next:マルコ8:14-26

マルコ7:24-37「祈り」

◇2019年1月20日(日)
●マルコ7:24-37「祈り」

●御言葉

7:29 そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」

●黙想
耐え難い苦しみを抱えた女性がいました。

娘が悪霊に取り憑かれ、苦しんでいたのです。

マルコ5章を見ると、その状態がどれほど悲惨な状態であるかが分かります。

彼女は異邦人です。

ユダヤ人が待ち望んでいた救い主の噂を聞き、イエス様にひれ伏し願ったのです。

しかし、イエス様は彼女の願いを退け、彼女の信仰を試されました。

彼女はあきらめることなく、ひれ伏し求め続けたのです。

すると主は「それほど言うなら、よろしい」と、彼女の娘を解放されたのです。

今日は日曜日です。

イエス様から「それほど祈るなら、よろしい」と言われるほど、

主の前にひれ伏し、あきらめずに祈り求める者でありますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

Next:マルコ8:1-13

マルコ7:14-23「QT」

◇2019年1月19日(土)
●マルコ7:14-23「QT」

●御言葉

7:14 それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。
7:15 外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」

●黙想
毎日、主の言葉を聞く習慣を持っていますか。

何を食べ、何を着るかよりも、何を聞くかが重要です。

人生は心で決まりです。

心の中に入る情報が人を動かすからです。

御言葉には魂を救う力があります。

御言葉を黙想すれば、御心を悟り、心が清められます。

QTを生活の基本とする人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:マルコ7:24-37

マルコ7:1-13「心」

◇2019年1月18日(金)
●マルコ7:1-13「心」

●御言葉

7:6 イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、/その心はわたしから遠く離れている。
7:7 人間の戒めを教えとしておしえ、/むなしくわたしをあがめている。』
7:8 あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」


●黙想
主から心が離れていませんか。

神様は心を見られます。

ファリサイ派の人々は、表面的には主の教えと戒めを守り、人の目をごまかすことはできました。

人は外見で判断しますが、主は心を見られます。

イエス様は彼らの心が離れていることをご存じでした。

主から目を離さず、心を主に向け、主を愛し、主を敬う人でありますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

Next:マルコ7:14-23

マルコ6:45-56「主と共に」

◇2019年1月17日(木)
●マルコ6:45-56「主と共に」

●御言葉

6:54 一行が舟から上がると、すぐに人々はイエスと知って、
6:55 その地方をくまなく走り回り、どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人を床に乗せて運び始めた。
6:56 村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、病人を広場に置き、せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた。

●黙想
イエス様がおられるところには、不思議な御業が起こりました。

舟の上では、嵐が静まり、舟から上がると、主に触れた者は皆癒されました。

主は共におられ、生きておられ、今も働いておられます。

イエス様と共に生き、共に働く。

これがクリスチャンライフです。

今日も主はあなたに語ります。

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と。

主の声を聞き、主と共に歩む人は、主の不思議な御業を体験します。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:マルコ7:1-13

マルコ6:30-44「満たし」

◇2019年1月16日(水)
●マルコ6:30-44「満たし」

●御言葉

6:41 イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。
6:42 すべての人が食べて満腹した。
6:43 そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。

●黙想
あなたの心は満たされていますか。

群衆はイエス様と弟子たちを追いかけ、先回りして集まって来ました。

彼らの魂は飢え渇き、飼い主のいない羊のようでした。

イエス様は彼らを憐れみ、御言葉によって魂の渇きを癒し、

さらに必要なパンを与え、群衆は霊肉共に満たされました。

「今飢えている人々は幸いである。あなたがたは満たされる。」(ルカ6:21)。

主を慕い求めて集まる世界に、五つのパンと二匹の魚の奇跡は、今も起こります。

鹿が谷川を慕い求めるように、主を慕い求める人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:マルコ6:45-56

マルコ6:14-29「機会」

◇2019年1月15日(火)
●マルコ6:14-29「機会」

●御言葉

6:19 そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。
6:20 なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。
6:21 ところが、良い機会が訪れた。


●黙想
ヘロデはヨハネを恨み、殺意を抱きながらも、手を下せずにいました。

ヨハネの教えを喜んで聞いていたからです。

彼は、教えを聞くだけで、守ることのできない人でした。

彼の妻が娘を用い、ヨハネの首を求めた時、

それを良い機会と捉え、恨みを晴らしてしまったのです。

その後、ヘロデはヨハネのことで心悩まされ続けることになります。

恨みや怒りを抱き続けると、悪魔に機会を与え、悲惨な結果をもたらします。

「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。」(エフェソ4:26-27)。

主の教えを聞くだけではなく、守り行う人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:マルコ6:30-44

マルコ6:1-13「悔い改め」

◇2019年1月14日(月)
●マルコ6:1-13「悔い改め」
●御言葉

6:12 十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。

●黙想
宣教の目的は悔い改めです。

悔い改め(ギリシャ語でメタノイア)とは、「方向転換する」「心を入れ替える」「視点を変える」という意味があります。

キリストの福音を聞いて、方向転換し、神に立ち帰る。

心を入れ替え、視点を変える。

これが宣教の目的です。

心が変われば、視点が変わり、価値観が変わり、世界観が変わり、生き方が変わります。

御言葉を黙想し、神の視点から人や物事を見て、考え、行動できる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ
Next:マルコ6:14-29

マルコ5:21-43「信仰」

◇2019年1月13日(日)
●マルコ5:21-43「信仰」

●御言葉

5:27 イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。
5:28 「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。
5:29 すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。


●黙想
イエス様は癒し主であり、救い主です。

12年。病気で苦しんでいた女性は、イエス様の服に触っただけで癒されました。

主を求める信仰が彼女を癒し、彼女を救ったのです。

主に近づき、主に触れる人は、癒しを受け、救いを体験します。

今日は日曜日です。

主を慕い求め、主に近づき、主の前にひれ伏し、礼拝を捧げる人は幸いです。

今週も祝福に満ちた一週間となりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

Next:マルコ6:1-13

マルコ5:1-20「証し」

◇2019年1月12日(土)
●マルコ5:1-20「証し」

●御言葉

5:18 イエスが舟に乗られると、悪霊に取りつかれていた人が、一緒に行きたいと願った。
5:19 イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」

●黙想
主の憐れみは家族にも及びます。

生きる望みを失い、自傷行為を繰り返し、墓場を住処としていた人が、

イエス様と出会い、悪霊から解放され、正気に戻ります。

イエス様は、彼に家族の元に帰し、主の憐れみと主の御業を証しするように命じたのです。

イエス・キリストの福音は証しを伴って広がっていきます。

主の憐れみがあなたと家族に注がれ、

さらにあなたの周りにも及びますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

Next:マルコ5:21-43

マルコ4:30-41「共におられる主」

◇2019年1月11日(金)
●マルコ4:30-41「共におられる主」
●御言葉

4:40 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」

●黙想
主が共におられる。これにまさる恵みはありません。

弟子たちは嵐に遭遇し、舟が沈みそうになり、イエスに助けを求めます。

イエスが起き上がって、風を叱り、湖に「黙れ、静まれ」と命じられると、風はやみ、凪ぎになりました。

教会は舟に例えられます。

マルコが福音書を書いた時代、教会には迫害の嵐が吹き荒れていたのです。

人生には嵐や突風が襲い、溺れそうになります。

そのとき、主は嵐を静め、私たちに語ります。

「なぜ、怖がるのか。まだ信じないのか」と。

主が共におられる。

ここに救いがあり、助けがあります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:マルコ5:1-20

マルコ4:21-29「神の国」

◇2019年1月10日(金)
●マルコ4:21-29「神の国」
●御言葉

4:26 また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、
4:27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
4:28 土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。
4:29 実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」


●黙想
神の国は小さな種から始まります。

種は蒔かなければ実を結びません。

種は福音の種であり、御言葉の種です。

福音の種は神の国への招きであり、

御言葉の種は、人生に神の国が実を結びます。

御言葉は持っているだけでは宝の持ち腐れです。

御言葉を心の畑に蒔き、黙想し、生活に適用する。

これが神の国を生きる人の生活習慣です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:マルコ4:30-41

マルコ4:1-20「御言葉」

◇2019年1月9日(水)
●マルコ4:1-20「御言葉」
●御言葉

4:20 良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」

●黙想
種は神の恵みであり、実は神の祝福です。

種を蒔くこと(恵みを受け入れること)なしに実を結ぶことはありません。

主と主の言葉は神の恵みです。

主と主の言葉を聞いて、受け入れる人は、30倍、60倍、100倍の祝福を受けます。

毎日、祈りによって心を耕し、御言葉の種を蒔く人は、豊かな実を結びます。

これがQTです。

QTを生活の基本となり、種を蒔き、豊かな実を結ぶ人となりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

Next:マルコ4:21-29

マルコ2:23-3:6「安息」

◇2019年1月6日(日)
●マルコ2:23-3:6「安息」
●御言葉

2:27 そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。

●黙想
安息とは、息が安らぐと書きます。

息はヘブライ語でルーアッハ(霊)です。

安息とは自分の霊(魂)がホッと安らぐことを意味します。

あなたの魂は疲れていませんか。

イエス様は言いました。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。

そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」(マタイ11:28-29)。

今日は日曜日です。

主の家でホッと安らぎ、新しい力をいただいて、一週間をスタートしましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:マルコ3:7-19

追伸:明日から二日間、御言葉メールはお休みします。

マルコ2:13-22「恵み」

◇2019年1月5日(土)
●マルコ2:13-22「恵み」

●御言葉

2:16 ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。

2:17 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」


●黙想
罪が分からなければ恵みが分からず、救い主を必要としません。

徴税人や罪人は、救い主が必要でした。

そこにイエス様が現れ、彼らを招き、食事を共にされたのです。

これを見て、ファリサイ派の人々は激怒します。

彼らは自分たちこそ、招かれるにふさわしい人だと思っていたのです。

彼らは人を罪人と定めながらも、自らの罪に気づかずにいたのです。

罪に気付き、恵みに気付き、イエス様の招きに気付き、イエス様と食事を共にする人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:マルコ2:23-3:6

マルコ2:1-12「驚きと讃美」

◇2019年1月4日(金)
●マルコ2:1-12「驚きと讃美」

●御言葉

2:11 「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」

2:12 その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。


●黙想
聖書の世界、信仰生活には驚きがあります。

四人の人は、中風の人を運んで来ます。

彼らの行動にも驚きはありますが、これは人間にできるレベルの驚きです。

イエス様の行動は、人間にはできないレベルの驚きをもたらしました。

それは赦しと癒しの御業です。

人々は「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、驚き、讃美が生まれました。

イエス様は罪を赦す権威と病を癒す力を持っておられます。

大切なことは、この権威を認め、主に近づくことです。

主に近づくことなしに、信仰生活に驚きはありません。

主に近づき、御名を崇めさせていただける人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:マルコ2:13-22

マルコ1:35-45「QTを生活の基本に」

◇2019年1月3日(木)
●マルコ1:35-45「QTを生活の基本に」

●御言葉

1:35 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。

●黙想
イエス様の一日は祈りから始まりました。

祈りは人間の本質であり、人間は祈る存在として造られています。

朝、15分の祈りがあなたの人生(運命)を変えます。

祈りは自分を変えます。

自分が変われば、周りが変わります。

環境が変わり、運命が変わり、人生が変わるのです。

神様の御心は、祈りと御言葉によって、私たちが変化することです。

QT(祈りと御言葉の黙想)が生活の基本となりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

Next:マルコ2:1-12

マルコ1:16-34「伏線」

◇2019年1月2日(水)
●マルコ1:16-34「伏線」

●御言葉

1:17 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
1:18 二人はすぐに網を捨てて従った。


●黙想
神様は伏線を敷かれるお方です。

事前に準備されるお方です。

弟子たちは、イエス様と初対面で、何も知らず、盲目的に従ったのではありません。

アンデレはヨハネの弟子です。

事前にヨハネから聞いていました。

シモンもアンデレから聞いて、イエス様に出会ったことがヨハネ福音書では記されています。

他の弟子たちも同様です。

先に伝えてくれていた人がいたことでしょう。

主の道を備えることは、預言者の使命であり、バプテスマのヨハネの使命、先に救われた者の使命です。

神様はあらかじめ伏線を敷き、準備され、招かれるのです。

大切なことは、時が満ち、主が来られ、招かれた時に、すぐに従うことです。

その決断が人生を変えます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ
Next:マルコ1:35-45

https://www.youtube.com/watch?v=cY0GA3PJpIM

マルコ1:1-15「主の道を整える」

◇2019年1月1日(火)
●マルコ1:1-15「主の道を整える」

●御言葉

1:3 荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、

1:4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

●黙想
新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

今日からマルコによる福音書です。

主の道とは、救い主をお迎えする道です。

「主の道を整える」とは、二つの意味があります。

一つは、自分のために、主の道を整えるることです。

クリスチャンはファーストカミング、すでに主をお迎えし、クリスマスを経験し、

セカンドカミング、主の再臨を待ち望んでいます。

いつ主が来られてもいいように、目を覚まして、自らを整えていく必要があります。

もう一つは、誰かのために、主の道を整えることです。

これがヨハネの使命であり、クリスチャンの使命です。

主の道を整え、

かつて来られ、やがて来られ、今も来て下さる主をお迎えする人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:マルコ1:16-34
プロフィール

バルナバ

Author:バルナバ
バルナバ牧師の部屋へようこそ!

カテゴリー

無料カウンター 現在の閲覧者数:
無料カウンター
最近の記事
リンク
月別アーカイブ
カレンダー
12 | 2019/01 | 02
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -