イザヤ29:15-24「造り主」

◇2017年9月30日(土)
●イザヤ29:15-24「造り主」

29:16 お前たちはなんとゆがんでいることか。陶工が粘土と同じに見なされうるのか。造られた者が、造った者に言いうるのか/「彼がわたしを造ったのではない」と。陶器が、陶工に言いうるのか/「彼には分別がない」と。

●黙想
まことの信仰は造り主を知ることから始まります。

神は造り主です。

私たちは神の作品です。

作品(陶器)は作者(陶工)のものであり、良い作者は作品を大切にします。

造り主なる神様は私たちを歪み(罪)から救うために救い主を遣わしました。

さらに、私たちを助けるために助け主をも遣わされたのです。

造り主を覚える事は、信仰の一丁目一番地です。

造り主を知らなければ、

救い主(イエス・キリスト)も、

助け主(聖霊)も理解することはできません。

「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」(エペソ2:10)。

キリストにあって新しく作り直され、

神の作品にふさわしく、神の栄光を現す者となりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

Next:イザヤ30:1-17
スポンサーサイト

イザヤ29:9-14「心」

◇2017年9月29日(金)
●イザヤ29:9-14「心」

29:13 主は言われた。「この民は、口でわたしに近づき/唇でわたしを敬うが/心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしても/それは人間の戒めを覚え込んだからだ。

●黙想
あなたの心はどこに向いていますか。

神様は心を見られます。

「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」(サム上16:7)。

イスラエルの民は、先祖代々教えられた言葉を唱え、神殿で犠牲を捧げました。

しかし、「心ここにあらず」。

彼らの心は神から離れていたのです。

心は言葉より大切です。

言葉を変えても、心が変わらなければ、生き方は変わりません。

信仰は心の変革です。

御言葉には心を変える力があります。

心を主に向け、主の言葉に耳を傾けてください。

心が変われば言葉が変わり、生き方が変わり、周りも変わり、人生が変わります。

心が主のもとにある人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:イザヤ29:15-24

イザヤ29:1-8「苦しみ」

◇2017年9月28日(木)
●イザヤ29:1-8「苦しみ」

29:2 そのとき、わたしはアリエルを苦しめる。アリエルには嘆きと、ため息が臨み/祭壇の炉(アリエル)のようになる。

●黙想
アリエルとは祭壇の炉であり、火で裁かれるエルサレムを象徴しています。

エルサレムの町はアッシリアに包囲され、危機的状況にありました。

彼らは主に頼らず、エジプト(世にあるもの)に頼り、主から離れていったのです。

痛みは心と体を守るシグナルです。

苦しみは魂を守るシグナルです。

大切なのは、シグナルに気づき、主に立ち帰ることです。

主に立ち帰り、主に依り頼んで下さい。

そうすれば、痛みも苦しみも嘆きも、やがて恵みであったことに気づくでしょう。

「苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」(新改訳・詩篇119篇71節)

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:イザヤ29:9-14

イザヤ28:23-29「計らい」

◇2017年9月27日(水)
●イザヤ28:23-29「計らい」

28:29b 主の計らいは驚くべきもので/大いなることを成し遂げられる。

●黙想
地の産物は偶然に存在するものではなく、

主の計らいによって存在しています。

農夫たちは、主の計らいにふさわしい作業をし、豊かな実を結びます。

人生も同じです。

私たちは偶然に存在するものではなく、

主の計らいによって存在しています。

あなたに対する主の計らいは驚くべきものです。

大切なことは、主の計らい(御心)にふさわしい生き方をすることです。

「神はふさわしい仕方を彼に示し、教えられる」(26節)。

主の言うことに耳を傾け、

主の計らいを認め、主が示されたふさわしい生き方をする。

ここに祝福された人生の秘訣があります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:イザヤ29:1-8

イザヤ28:9-22「安息」

◇2017年9月26日(火)
●イザヤ28:9-22「安息」

28:12 主が彼らに言っておかれたことはこうだ。「これこそが安息である。疲れた者に安息を与えよ。これこそ憩いの場だ」と。しかし、彼らは聞こうとはしなかった。

●黙想
人は神に命の息(霊)を吹き入れられ、生きた者となりました。(創2:7)。

安息とは、息(霊)が安らぐことです。

主は「安息日を心に留め、これを聖別せよ」(出エ20:8)と命じました。

疲れた者に安息を与えるためです。

神の家(教会)は憩いの場であり、疲れた者が安息する場所です。

イエス様は言いました。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。(マタイ11:28-29)。

主が言われたことを大切に守り、

主のもとに来て、礼拝を聖別し、安息する人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:28:23-29

イザヤ28:1-8「御力」

◇2017年9月25日(月)
●イザヤ28:1-8「御力」

28:2 見よ、主は強く激しい力を持っておられる。

●黙想
北イスラエル(エフライム)の滅亡が預言さます。

彼らは偶像や他国の軍事力を頼り、主と主の力を侮り、主の怒りを招いたのです。

信仰とは、主と主の御力(御名の力)を信じることです。

主は無から有を生み出し、不可能を可能にし、死人を復活させることのできるお方です。

パウロは「わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせて下さるように」(エフェソ1:19)と祈り、

「主に依り頼み、その偉大なる力によって強くなりなさい」(エフェソ6:10)と命じています。

主と主の力に依り頼む人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:イザヤ28:9-22

イザヤ27:1-13「和解」

◇2017年9月24日(日)
●イザヤ27:1-13「和解」

27:5 そうではなく、わたしを砦と頼む者は/わたしと和解するがよい。和解をわたしとするがよい。

●黙想
和解には赦しが不可欠です。

神は先に赦し、手を差し伸べています。

和解はキリストの願いです。

パウロはキリストに代わって懇願しました。

「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。」(Ⅱコリント5:18-20)。

神と和解し、和解の使者となり、キリストに代わって懇願する。

これがクリスチャンの任務です。

今日は日曜日です。

砦なる主を礼拝し、新しい一週間をスタートしましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:イザヤ28:1-8

イザヤ26:8-21「礼拝」

◇2017年9月23日(土)
●イザヤ26:8-21「礼拝」

26:9a わたしの魂は夜あなたを捜し/わたしの中で霊はあなたを捜し求めます。

●黙想
飢え渇いていませんか。

主を慕い求めること(礼拝)は、人間の根源的な欲求です。

人は神によって造られ、霊と魂とは、主を捜し求めているからです。

神学者アウグスチヌスは神に告白しました。

「あなたは、ご自分に向けて私たちをお造りくださった、それゆえ私たちの心があなたのうちに憩うまでは、私たちの心が安らぐことはない。」と。

この告白は真実であり、主を慕い求める者によって証明されてきました。

礼拝とは、主を慕い求めることです。

霊魂は飢え渇いています。

明日は日曜日。主のもとで憩う日です。

鹿が谷川を慕い求めるように、主を切に慕い求めて、教会に行きましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:イザヤ27:1-13

イザヤ26:1-7「信頼」

◇2017年9月22日(金)
●イザヤ26:1-7「信頼」

26:4 どこまでも主に信頼せよ、主こそはとこしえの岩。

●黙想
信仰とは、信頼です。

どこまでも主に信頼することです。

主に信頼する者は、見捨てられることも、見離されることも、裏切られることもありません。

♪主と私で歩いてきたこの道/あしあとは二人分/でもいつの間にか一人分だけ/消えて無くなっていた/主よ/あなたはどこへ/行ってしまったのですか/わたしはここにいる/あなたを負ぶって/歩いて来たのだ/あなたは何も恐れなくて良い/わたしが共にいるから(Footprintsより)。

いつまでも、どこまでも主に信頼する人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

:Next:イザヤ26:8-21

イザヤ25:1-12「天国」

◇2017年9月21日(木)
●イザヤ25:1-12「天国」

25:8 死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい/御自分の民の恥を/地上からぬぐい去ってくださる。これは主が語られたことである。

●黙想
主が語られたことを信じる、これが信仰です。

世の終わりには、新しい天と新しい地が完成します。

これはヨハネも預言しています。

「そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」(黙示録21:1-4)。

主を待ち望む者には、死も悲しみも嘆きも労苦もない世界(天国)が用意されています。

主が語られたことを信じる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

:Next:イザヤ25:1-12

イザヤ24:14-23「勝利」

◇2017年9月20日(水)
●イザヤ24:14-23「勝利」

24:14 彼らは声をあげ、主の威光を喜び歌い/海から叫び声をあげる。

●黙想
広島が優勝し、選手もファンも地元も大歓声に包まれました。

勝者と敗者とは明暗が分かれます。

ハルマゲドンの戦い(世界最終戦争)も同じです。

その日(終末)には、主は勝利し、主の民は讃美し、大歓声に包まれます。

天でも「ハレルヤ、救いと栄光と力とはわたしたちの神のもの」(黙示録19:1)と讃美が湧き上がります。

最後はキリストが勝利するのです。

主を信じる者は、勝利の列に加えられ、

救いの道をパレードをし、御国へと凱旋していきます。

パウロは告白します。

「神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。」(二コリント2:14-15)。

今も後も永遠に、主を信じ、主を讃美し、キリストの香りを放つ人となりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

Next:イザヤ25:1-12

イザヤ24:1-13「終末」

◇2017年9月19日(火)
●イザヤ24:1-13「終末」

24:1 見よ、主は地を裸にして、荒廃させ/地の面をゆがめて住民を散らされる。

●黙想
備えあれば憂いなし。

人の歴史(人生)には必ず終末(死)が訪れるように、

人類の歴史にも必ず終末(裁き)が訪れます。

これが最後の審判(キリストの再臨)です。

大切なことは、終末(死と裁き)への備えです。

聖書は、だれでも、神を信じ、

神が遣わした救い主(イエス)を信じ、

新しく生まれ変わる(洗礼)ならば、

全ての罪が赦され、神の子とされ、

永遠の命が与えられ、御国が保障されると教えます。

これがキリストの福音です。

人生のゴール(行き先)が変わると、生き方も変わります。

キリストを信じ、御国を目指して歩む人。

それがクリスチャンです。

終末の備えができている人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:イザヤ24:14-23

イザヤ23:1-18「信仰」

◇2017年9月18日(月)
●イザヤ23:1-18「信仰」

23:1 ティルスについての託宣。泣き叫べ、タルシシュの船よ。ティルスは破壊され、住む家もなくなった。キティムの地から帰るやいなや/彼らはそのことを知らされた。


●黙想
ティルス対する裁きが語られます。

ティルスは貿易により富み栄えた町です。

町には偶像が蔓延り、不品行な町の代名詞となりました。

豊かさの中で失われていくものがあります。

見失ってしまうものがあります。

それは信仰心であり、神の存在です。

信仰心が豊かで、神の存在をどの民族よりも知っていたはずのユダの民でも同じです。

貧しくとも、豊かであっても、失ってはいけないものは信仰心であり、神の存在です。

パウロのように、貧しくとも、豊かであっても、変わることなく、主を信じて歩む人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:イザヤ24:1-13

イザヤ22:15-25「仕える」

◇2017年9月17日(日)
●イザヤ22:15-25「仕える」

22:19 わたしは、お前をその地位から追う。お前はその職務から退けられる。

●黙想
自分中心は平和の敵です。

シェブナは宮廷の総責任者でした。

彼は身分と地位と特権を利用し、私服を肥やし、主から退けられます。

エルヤキムは忠実な僕でした。

主は彼を選び、ダビデの家を建て直されます。

家庭も社会も教会も同じです。

自分ファーストが支配すると、平和と一致が失われます。

御心ファーストこそが、平和と和解の鍵です。

御心とは、キリストの心です。

御心は、仕える心、与える心、身を切る(犠牲)心です。

今日はサンデーサービス(礼拝)です。

まず、主に仕え、キリストの心があなたの心となりますように。

主に仕えるように、人に仕え、平和を作りだす者となりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

Next:イザヤ23:1-18

イザヤ22:1-11「布告」

◇2017年9月16日(土)
●イザヤ22:1-14「布告」

22:12 その日には、万軍の主なる神が布告された。嘆くこと、泣くこと/髪をそり、粗布をまとうことを。
22:13 しかし、見よ、彼らは喜び祝い/牛を殺し、羊を屠り/肉を食らい、酒を飲んで言った。「食らえ、飲め、明日は死ぬのだから」と。

●黙想
ユダはアッシリアに包囲され、滅亡の危機を迎えます。

主はアッシリアを退け、彼らに呼びかけ、悔い改めのチャンスを与えます。

しかし、彼らは主の恵みに与りながらも、主の招きを拒むのです。

人はだれもが罪に包囲され、死の危機を迎えます。

主は私たちに呼びかけ、救いのチャンスが与えられています。

主の呼びかけ(招き)に答え、主の食卓(聖餐)に与る人は

、罪の赦しと永遠の命が与えられるのです。

主の布告(福音)を聞いて、主に立ち帰る人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:イザヤ22:15-25

イザヤ21:11-17「夜明け」

◇2017年9月15日(金)
●イザヤ21:11-17「夜明け」

21:12 見張りの者は言った。「夜明けは近づいている、しかしまだ夜なのだ。どうしても尋ねたいならば、尋ねよ/もう一度来るがよい。」

●黙想
ドマ(エドム)の滅亡が預言されます。

見張りの者(預言者イザヤ)は、「夜明けは近づいている」と語ります。

夜明けは、ある者には救い、ある者には裁きとなります。

今は夜明け前です。

主を尋ねる時です。

今朝も、再びミサイルが発射され、日本上空を通過し、Jアラートが鳴り響きました。

終末の徴である戦争の噂、地震や天変地異が起こるなど、

夜明け(終末)は近づいています。

しかし、今はまだ夜です。

大切なことは、目を覚まし、主を尋ね、朝を迎えることです。

「だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。」(マタイ24:42)。

主に立ち帰り、夜明けを迎える人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:イザヤ22:1-11

イザヤ21:1-10「終末」

◇2017年9月14日(木)
●イザヤ21:1-10「終末」

21:2 厳しい幻が、わたしに示された。「欺く者は欺き続け/荒らす者は荒らし続けている。上れ、エラムよ/包囲せよ、メディアよ/わたしは呻きをすべて終わらせる。」

●黙想
バビロンの滅亡が示されます。

呻きが終わることは喜びです。

しかし、イザヤの心は嘆き悲しみました。

裁くことは、神の痛みであり、

神の願いは、彼らが主を知り、主に立ち帰ることだと知っていたからです。

終末はあなたにも示されています。

その日には救いと同時に、裁きも訪れます。

神の痛みがあなたの痛みとなり、

イザヤの嘆きがあなたの嘆きとなり、

あなたの周りにいる家族や友人に福音を伝えましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:イザヤ21:1-10

イザヤ20:1-6「信頼」

◇2017年9月13日(水)
●イザヤ20:1-6「信頼」

20:5 彼らは自分たちの望みをかけていたクシュのゆえに、誇りとしていたエジプトのゆえに、恐れと恥をこうむるであろう。」

●黙想
何に望みをかけ、何を誇りに生きていますか。

ユダの民はアッシリアの攻撃を恐れ、クシュとエジプトに頼ろうとします。

主はイザヤに奴隷のように惨めな姿で歩かせ、

それがユダが頼りとするクシュとエジプトの後の姿であることを示します。

主に望みをかけ、主を誇りとする。

これが神の民のあるべき姿です。

時代が変わっても主の言葉は変わりません。

イザヤの預言は、現代の私たちにも語られています。

主を信頼し、主に望みをかけ、主を誇りとする者でありますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

Next:イザヤ21:1-10

イザヤ19:16-25「願い」

◇2017年9月12日(火)
●イザヤ19:16-25「願い」

19:22 主は、必ずエジプトを撃たれる。しかしまた、いやされる。彼らは主に立ち帰り、主は彼らの願いを聞き、彼らをいやされる。

●黙想
主に立ち帰る者は癒されます。

イスラエルのみならず、どの民族でも、

主に立ち帰るならば、癒しと救いがもたらされます。

「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。神に逆らう者はその道を離れ/悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば/豊かに赦してくださる。」(イザヤ55:6-7)。

主はあなたの近くにおられます。

主を呼び求め、御名によって祈るならば、

主はあなたの願いを聞いてくださるでしょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:イザヤ20:1-6

イザヤ19:1-15「信頼」

◇2017年9月11日(月)
●イザヤ19:1-15「信頼」

19:1 エジプトについての託宣。見よ、主は速い雲を駆って/エジプトに来られる。主の御前に、エジプトの偶像はよろめき/エジプト人の勇気は、全く失われる。

●黙想
人は常に何かを頼って生きています。

イスラエルの民は主なる神を頼らず、

偶像の神々を頼りとし、主の怒りを招きます。

彼らは危機になるとエジプトの力を頼り、助けを求めたのです。

主はエジプトの偶像をよろめかせ、エジプトに頼るむなしさを悟らせるのです。

「災いだ、助けを求めてエジプトに下り/馬を支えとする者は。彼らは戦車の数が多く/騎兵の数がおびただしいことを頼りとし/イスラエルの聖なる方を仰がず/主を尋ね求めようとしない。」(イザヤ31:1)。

「イスラエルの人々よ、あなたたちが背き続けてきた方に立ち帰れ。」(同31:6)。

「どこまでも主に信頼せよ、主こそはとこしえの岩」(同26:4)。

よろめくことのない主に頼って生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:イザヤ19:16-25

『捧げることの祝福』

『捧げることの祝福』
(ヨハネによる福音書6章5節~13節)
(2017年9月10日 ベテル清水教会 聖日礼拝説教)

今、日本のクリスチャン人口は僅か1%にも満たない現状です。
毎週、礼拝を守るクリスチャンは0.2%と言われます。
絶滅危惧種のようです。
しかし、ここにも希望があります。
それは、神様は小さな者、弱き者、わずかなものを用いて、御自分の御業を行われるからです。

大切なことは、その小さなものが、主に捧げられ、祝福されることです。
主は捧げられたものを、御自分の御業のために用いられる。
それは古今東西、キリスト教の歴史が証明するところです。

日本ではキリスト教はマイノリティです。
しかし、不思議なことにキリスト教文化は浸透しています。

今、全国にある大学の10%はミッションスクールです。
全国には、宗教を背景にした私立の学校が849校あるそうです。
そのうち565校。全体の三分の二がキリスト教系の学校です。

なぜ、キリスト教マイノリティの国で、これほどキリスト教主義の学校が多いのでしょうか。
それは、日本のために多くの献げ物がなされ、祝福されたからです。
そういう意味で、日本は神の祝福を受けた国であると言えます。

以前、NHKで放送された「八重の桜」では、新島襄が同志社大学を設立する時の様子が描かれていました。
この設立には、アメリカンボードという米国の伝道団体が支援しました。

関学の設立には、ランバス宣教師の働きがあり、それをアメリカのメソジスト教会、さらには、カナダのメソジスト教会も支援していました。

日本で歴史と伝統を誇る大きな教会も、そこには多くの宣教師や宣教団体の祈りと献金が捧げられ、教会は神の祝福によって誕生したのです。
宣教師は、キリスト教を伝えるためにだけ働いたのではなく、ある人は医療、ある人は教育という形で、日本人に仕え、自らの生き方を通して、福音を伝えていきました。

かつて、イギリスで、アフリカに福音を伝えようという動きがありました。
まず、医療支援をしようと、教会では献金が集められました。
ある田舎町の教会に一人の少年がいました。
彼は、献金係が近づくと、「もっと下げて」と言いました。
当時は献金をお盆で集めていたのです。

献金係が、お盆を低くすると、その少年はお盆の上に飛び乗ったのです。
かい君ならしそうですね。

彼はふざけて乗ったわけではありません。
「僕にはお金はないけど、僕を捧げます」
有名なエピソードです。
彼の名は、デビット・リビングストンです。

やがてアフリカの探検家となり、三度、アフリカに渡り、医療活動をしながら、アフリカの地で生涯を終えました。
彼はイギリスにアフリカの現状と必要をレポートし、アフリカ宣教の道を切り開いたのです。

一人の貧しい少年が「僕を捧げます」と言って、献金台に乗りました。
その時、だれが彼の生涯を予想することができたでしょうか。

もし彼が今、天国で、今のアフリカの様子、今や大リバイバルが起こり、爆発的にキリスト教が成長している姿を見たら、驚くに違いありません。

今朝、取りあげました聖書の個所にも、一人の少年が登場します。
彼も同じです。
彼も、自分のしたことが、まさか聖書に記され、全世界の人々に知れ渡るような奇蹟になるとは、思っても見なかったでしょう。

今朝は、「五つのパンと二匹の魚」の物語を学びます。
ヨハネによる福音書6章5節、6節を一緒に読みましょう。

6:5 イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、
6:6 こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。

イエスは目を上げ、大勢の群衆を御覧になりました。
その時のイエス様の思いをマルコの福音書ではこう記しています。

6:34 イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた。

なぜ、イエス様は憐れまれたのでしょうか。
それは、彼らが飼う者のない羊のように、飢え渇いていたからです。
何かが足りない。満たされない。喜びがない。霊的に渇いていたのです。

これは今の時代も同じです。
ものがあっても物足りない。
飲んで食べて騒いでも、何かが足りない。飢え渇いています。

人はパンだけで生きるものではなく、神の言葉が必要です。
イエス様は、群衆に生きる力を与える言葉を語りました。
そして、彼らの心の飢え渇きを満たしました。
さらに、イエス様は彼らの空腹までも満たそうとされたのです。

イエス様はフィリポに言いました。
この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか

「この人たち」とは、群衆のことです。
男だけで約5千人。女、子どもを入れると2万人はいたと考えられます。

私たちの教会は子供を含めると40名ぐらい集まっています。
今、同じ質問をされたら、わたしは答えます。
「ジャパンに行けばいいです」「イオンに行けばいいです」と。

しかし、これが40人ではなく2万なら話は別です。
「イオン、コンビニ、あっちこっちをかけずり回ったら、なんとか買えるかも知れません」というかもしれません。

イエス様の時代には、スーパーもコンビニもありません。
しかも人里離れた場所。無茶な相談です。

フィリポは真面目に答えます。
6:7 フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。

フィリポは計算のできる人でした。すぐにそろばんをはじきます。
群衆を見渡し、二百デナリオン分のパンでも足りない、と答えたのです。

一デナリオンは、当時の一日分の日当にあたります。
たとえば日当一万円で計算すると、約200万円です。

一個100円のパンを2万個買って、ちょうど200万円ですから、フィリポの計算は正確です。

そもそも論として、2万個のパンを売っている店などありません。
たとえ、売っていても、200万もの大金はないでしょう。

結論として、イエス様がしようとしていることは、無茶なことです。
できっこないのです。無理な相談です。
どんなにイエス様がお願いだ。「フィリポ、何とかしてくれ」と言われても、「お気持ちは分かりますが。できません」と言うしかありません。

神様のなさることは、わたしたちの計算とは異なります。
神様は、御自分の計算式を持っています。
わたしたちにはできないことでも、神様にはできる。
そこには神様の方程式があるのです。

それが「信仰」です。
神様は「信仰」という方程式を通し、私たちにはできないことを、可能にすることができるお方です。
ここに私たちの希望があります。
人にはできないが、神にはできる。これが私たちの信仰であり、希望です。
私たちからすれば、こんな小さなものが何の役に立つのか、というようなものであっても、それを用いて、それを突破口にして、御業をなさるのです。

6:8 弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。
6:9 「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」

ここに一人の少年が登場します。
彼は自分のお弁当を持っていました。
母親が用意してくれたのでしょう。

普通、パンは小麦粉で作ります。
大麦は、家畜の餌になるケースが多いのです。
おそらく、この少年の家庭は貧しかったと思われます。

少年は、イエス様とフィリポのやりとりを聞いていたのかもしれません。
イエス様がパンを必要とされている。
僕が持っているパンを使ってください、と申し出たのです。

困ったのはアンデレです。
少年の気持ちは有り難いけど、これだけでは、何の足しにもならない。
ただ、純粋な少年の心に動かされ、イエス様のところに持って来たのです。
6:10 イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。
6:11 さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。

イエス様は少年の弁当を手にしました。
パンと魚を取り、感謝の祈りを唱えます。
他の福音書では「天を仰いで、讃美の祈りを唱え」となっています。
他の訳では、「祝福して」ともなっています。

少年が捧げたものを、イエス様が感謝し、祝福されたのです。
そして、そのパンを分けると、まるでマジックを見ているように、配っても、配ってもパンは無くならず、みんなが食べて満腹したというのです。
これは理性では理解できない光景です。

だから、ある神学者は、無理矢理、理性で解釈し、少年がパンを出したので、他の人も弁当を出してきて、それでみんな満腹した、と理解します。
合理的な解釈であり、確かに、少年が捧げたことで、みんなも捧げるようになった、という風に理解することも可能です。

この少年の行為が起点となり、みんなが満腹するに至ったのです。
6:12 人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。
6:13 集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。

教会の働きは、すべてこの少年の姿から始まります。
五つのパンと二匹の魚を捧げ、主が祝福されるのです。

私たちの教会も、前に献金台を置いています。
それぞれが主の御前に出て、少年のように献げ物をします。
私が献金の祝福を祈るときには、いつも今日の物語が心にあります。

天を仰ぎ、主に感謝し、祝福して祈る。
そして、捧げた人も、捧げられた献金も祝福され、主に用いられ、主の御業が進められていく。
そう信じて、毎週、祈っています。

私たちの教会は今月で、この清水の地に移転して10周年を迎えます。
神様は、御自分でしようと思うことをご存じだったと思います。

私はフィリポのように計算しました。
借家でのスタートでしたので、早く教会が欲しいと願い、みんなで会堂献金を始めました。
毎月、積立ながら、プランを検討しました。

ある時、二見に土地を見つけ、不動産会社に設計図を書いてもらい、具体的に話を進めました。
しかし、うまく行かなかったのです。

その頃、母に「ここが教会の予定地だ」と連れて行ったことがあります。
すると、母は「この場所はダメ」と猛反対したんですね。
理由は分かりませんが、母があれほど怒ったのは初めて見ました。
「もし、ここに教会を建てるならば、親子の縁を切る」という捨て台詞まで吐いて、帰っていきました。

それでも、そのまま準備し、設計を書いてもらい、話を進めました。
結局、資金面で困難なことが分かり、プランは白紙になりました。
そして、半年後に、この場所が見つかったのです。
礼拝後、みんなで見学に来た時には、今ひとつの反応でした。

私も新会堂を目指していたので、中古は無理か、あきらめかかりました。
その時、一人の兄弟が、「せっかく見たのに、話し合わないで帰るんですか」と言われ、会堂担当者で集まって話しました。

その席で、ある姉妹から「先生が自分で買ったら」と言われ、固まりました。
自分で買うという発想がなかったからです。
いくら何でも無理だろう、と思ったのです。
すると、家内も「それがいいかも」と言ったのです。

私は少年のように、進んで弁当を差し出したのなら、格好がいいのですが、強いられるように、「そうしよう」と決心したのです。
持っているお金を全部捧げ、それでも足りず、家内の両親に援助してもらい、何とかこの家を買うことができたのです。

「御自分では何をしようとしているか知っておられた」

ほんとうにそうでした。
神様は何もかも知っていて、私を試されたのだ、と思いました。
捧げたことで、祝福されました。

三年後、みんなで献金を捧げ、この家を私から買い戻し、今の教会が誕生したのです。

みなさん。捧げることは祝福です。
献げ物を通して、神様は御自分の御業をなさるのです。

主に捧げるならば、捧げられたものが祝福され、用いられます。
捧げた人も、祝福され、用いられるのです。

先週、会堂の借入金は、すべて返済が終わりました。
予定よりも、三年早く、返し終わることができました。
それは、会堂のためにと、特別に捧げてくれたがいたからです。

納骨堂もそうです。
納骨堂のためにと言って、特別に捧げてくれた方がいて、早期に納骨堂も取得することができました。

捧げることは祝福です。

かつてアメリカの教会の日本のために献金を捧げたように、
イギリスの教会がアフリカのために献金を捧げたように、
わたしたちの教会も、神の働きのために、もっともっと五つのパンと二匹の魚を捧げ、主の御業を体験していく教会へと成長したいと願います。

まだまだ小さな教会です。僅かな献げ物しかできません。
しかし、そこに希望があります。
主は、少年の献げ物を用いられように、私たちの献げ物を用いて、素晴らしい御業をなしてくださり、私たちが満たされるだけではなく、周りの人々をも満たすほどに、祝福されると信じます。

少年の身に起こった奇跡が、私たちの教会にも起こるようにと願います。
お祈り致します。

イザヤ17:12-18:7「信頼」

◇2017年9月10日(日)
●イザヤ17:12-18:7「信頼」

18:4 主はわたしにこう言われた。「わたしは黙して/わたしの住む所から、目を注ごう。

●黙想
国々が騒ぎ立ち、国民が不安と恐れを感じる。

これは今も昔も同じです。

Jアラートが鳴り響き、ミサイルから身を守る訓練が実施され、

国防を巡る議論が活発になり、国民は不安と恐れを感じています。

主が語られる言葉は、今も昔も同じです。

預言者たちは、主の言葉を語り、主を信頼し、主に立ち帰るように語るのです。

主があなたに言われる言葉に耳を傾けてください。

ここに平安と救いがあります。

今日は日曜日です。

主の家に行き、主が語られる言葉を待ち望みましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:イザヤ19:1-15

イザヤ17:1-11「その日」

◇2017年9月9日(土)
●イザヤ17:1-11「その日」

17:7 その日には、人は造り主を仰ぎ、その目をイスラエルの聖なる方に注ぐ。

●黙想
その日とは、ヤコブ(イスラエル)の力が弱まり、やせ衰える日(4節)です。

その日には、民は二つに分かれます。

残りの者は、造り主を仰ぎ、イスラエルの聖なる方に目を注ぎます。

しかし、多くの民は、救い主である神を忘れ去り、異教の神々を求めます(10節)。

危機を迎えた時、何を信頼しているか。

一人一人の信仰が試されます。

造り主(父なる神)を仰ぎ、救い主(キリスト)を信じ、助け主(聖霊)と共に生きる。

これがクリスチャンの信仰です。

その日を迎える時、残りの者でありますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

Next:イザヤ17:12-18:7

イザヤ16:1-14「傲慢」

◇2017年9月8日(金)
●イザヤ16:1-14「傲慢」

16:6 我々はモアブが傲慢に語るのを聞いた。甚だしく高ぶり、誇り/傲慢で驕っていた。その自慢話はでたらめであった。

●黙想
モアブへの裁きが続きます。

主の怒りを招き、裁かれる民や国には共通点があります。

それは傲慢であり、おごり高ぶりです。

「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。へりくだって貧しい者とともにいるのは、高ぶる者とともにいて、分捕り物を分けるのにまさる。」(箴言16:18-19)

主の恵みに与り、祝福を受ける人にも共通点があります。

それは謙遜であり、へりくだりです。

「同じように、若い人たち、長老に従いなさい。皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、/「神は、高慢な者を敵とし、/謙遜な者には恵みをお与えになる」からです。(一ペトロ5:5)。

倒れても、砕かれても、そこで謙遜さを身に着けるならば、

神の恵みと祝福は再び流れ始めます。

一に謙遜、二に謙遜。

主の前にへりくだって生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:イザヤ17:1-11

イザヤ15:1-9「一夜」

◇2017年9月7日(木)
●イザヤ15:1-9「一夜」

15:1 モアブについての託宣。一夜のうちに、アルは略奪され、モアブは滅びた。一夜のうちに、キルは略奪され、モアブは滅びた。

●黙想
一夜で滅び、一夜で救われる世界があります。

モアブはロトの子孫であり、ロトはアブラハムの甥です。

ロトはソドムとゴモラの町が一夜のうちに滅びる時、

アブラハムの執り成しの祈りによって、一夜で救い出されました。

そのロトの子孫は、アブラハムの子孫と対立し、神に敵対し、

一夜のうちに滅びると預言されたのです。

終末は近づいています。

一夜が来る前に、執り成し祈り、福音を伝え、救いへと導くことはクリスチャンの使命です。

あなたの祈りが必要です。

福音が届けられるのを待っている人がいます。

アブラハムの祈りがあなたの祈りとなり、

弟子たちの姿があなたの姿となりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

Next:イザヤ16:1-14

イザヤ14:24-32「計らい」

◇2017年9月6日(水)
●イザヤ14:24-32「計らい」

14:24 万軍の主は誓って言われる。「わたしが計ることは必ず成り/わたしが定めることは必ず実現する。

●黙想
神様の計画は必ず成就します。

イザヤはアッシリアの滅亡を預言します。

主が計り、定められたことは、実現していきます。

イスラエルは主の計らいに逆らい、滅びに向かいました。

主は彼らば滅ぶことを願わず、救いの道を備えられたのです。

神様の計らいは、御旨にかなう良い計らいです。

主の計らいに身を任せてください。

「主は人の一歩一歩を定め/御旨にかなう道を備えてくださる。」(詩編37:23)からです。

主の計らわれた道を歩んで行く人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:イザヤ15:1-9

イザヤ14:12-23「栄光」

◇2017年9月5日(火)
●イザヤ14:12-23「栄光」

14:12 ああ、お前は天から落ちた/明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた/もろもろの国を倒した者よ。

●黙想
主の栄光にまさる輝きはありません。

バビロンは明けの明星(金星)に例えられます。

乱世の世を収め、神の民を滅ぼし、世界に君臨しました。

しかし、その輝き(支配)は夜明け前の輝きに過ぎません。

義の太陽が昇り、主の裁きが行われるからです。

イエス・キリストは神の栄光です。

世を照らす光、あなたの人生に昇り、輝く太陽です。

「しかし、わが名を畏れるあなたのうちには/義の太陽がある。その翼にはいやす力がある。あなたたちは牛舎の子牛のように/躍り出て跳び回る」(マラキ3:20)。

義の太陽(救い主)は昇りました。

主の栄光があなたを照らし、世の光となり、神の栄光を現す者となりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

Next:イザヤ14:24-32

イザヤ14:1-11「再起」

◇2017年9月4日(月)
●イザヤ14:1-11「再起」

14:1 まことに、主はヤコブを憐れみ/再びイスラエルを選び/彼らの土地に置いてくださる。寄留の民は彼らに加わり/ヤコブの家に結び付く。

●黙想
人生は再起可能です。

イザヤの預言が語られた時、

ヤコブ(イスラエル)は再起不能に陥っていました。

民の心は主から離れ、神殿は汚され、滅びに向かっていました。

この後、ユダはバビロンに滅ぼされ、

ヤコブの家は何もかも喪失し、捕囚の民となります。

しかし、主の言葉は先に語られていました。

彼らが滅びる前、

主はイザヤを通し、ヤコブを憐れみ、

イスラエルを再起させる、と約束されていたのです。

主の約束を信じ、主を待ち望む者には再起があります。

だれでもキリストにあるならば新しく生まれ変わることができます。

倒れても、叩かれても、立ち上がり、人生をやり直すことができます。

御言葉によって再起する人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:イザヤ14:12-23

イザヤ13:1-22「主の日」

◇2017年9月3日(日)
●イザヤ13:1-22「主の日」

13:11 わたしは、世界をその悪のゆえに/逆らう者をその罪のゆえに罰する。また、傲慢な者の驕りを砕き/横暴な者の高ぶりを挫く。

●黙想
悪は必ず罰せられます。

イザヤの時代は戦乱、激動の時代でした。

バビロンはアッシリアを破り、ユダをも滅ぼし、巨大帝国となります。

このバビロンが台頭してくる前から、イザヤはバビロンの滅亡を預言していました。

主は生きておられます。

悪は栄えても、必ず滅びるのです。

今、あなたを抑圧し、苦しめるバビロンは何ですか。

主の日は必ず到来します。

バビロンは滅び、救いと解放が訪れます。

大切なことは、主と主の言葉を信じて待つことです。

今日は日曜日です。

主を崇め、礼拝を捧げる日です。

主に望みを置く人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:イザヤ14:1-11

イザヤ12:1-6「その日」

◇2017年9月2日(土)
●イザヤ12:1-6「その日」

12:1 その日には、あなたは言うであろう。「主よ、わたしはあなたに感謝します。あなたはわたしに向かって怒りを燃やされたが/その怒りを翻し、わたしを慰められたからです。

●黙想
ドラマはラストが重要です。

イスラエルの歴史は信仰者のドラマです。

紆余曲折しつつも、神のストーリーはハッピーエンドで終わります。

このドラマに欠かせない存在。

それが救い主です。

「その日」とは、救い主が現れる日です。

その日、彼らは主に感謝と讃美を捧げ、告白します。

「見よ、わたしを救われる神。わたしは信頼して、恐れない。主こそわたしの力、わたしの歌/わたしの救いとなってくださった。」(2節)と。

人生のフィナーレは必ず訪れます。突然訪れます。

その時、主に感謝と讃美を捧げ、御国へと凱旋していく。

これが信仰者のエンディングです。

その日に備え、いつも主に感謝と讃美を捧げ、

主を待ち待ち望んで生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:イザヤ13:1-11
プロフィール

バルナバ

Author:バルナバ
バルナバ牧師の部屋へようこそ!

カテゴリー

無料カウンター 現在の閲覧者数:
無料カウンター
最近の記事
リンク
月別アーカイブ
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30