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ヨハネ14:25-31「平和」

◇2015年2月28日(土)
●ヨハネ14:25-31「平和」
●御言葉
わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるようには与えない。心を騒がせるな。おびえるな。(14:27)
●黙想
家庭に平和(平安)がありますか。

イエス様は弟子たちに平和を残し、平和を与えました。

平和は愛の実です。

愛あるところに平和があります。

互いに愛し合う世界に平和が生まれるのです。

「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)。

あなたはピースメーカーとなるために神の子とされたのです。

今日も平和の実を結ぶ一日となりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ
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ヨハネ14:15-24「愛」

◇2015年2月27日(金)
●ヨハネ14:15-24「愛」
●御言葉
わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。(14:18)
●黙想
愛は見捨てません。

神は愛です。

たとえ、あなたが神様を忘れ、見捨てようとも、

神様はあなたを忘れず、見捨てず、孤児にはしません。

イエス様はやがて帰って来られ、天に迎えてくださいます。

その日(再臨の時)が来るまで、

別の弁護者(助け主なる聖霊)が遣わされています。

聖霊を求め、受け入れてください。

聖霊なる神様は、

あなたの傍らにいて、

あなたを守り、助け、導いてくださるお方です。

神に愛され、見捨てられない人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ14-1-14「祈り」

◇2015年2月26日(木)
●ヨハネ14-1-14「祈り」
●御言葉
わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。(14:13-14)
●黙想
今、あなたは何を願っていますか。

神様の願いは、

あなたが御名を崇め、神に栄光を帰する者となることです。

「御名を崇めさせてください」と、

主の御名によって、祈るならば、

主はあなたの願いをかなえ、

御名を崇めさせてくださるのです。

御名を信じ、御名によって祈り、御名を崇める人。

これがクリスチャンです。

今日も神の栄光が現されますように。

御名によって祈ります。byバルナバ

ヨハネ13:31-38「愛」

◇2015年2月25日(水)
●ヨハネ13:31-38「愛」
●御言葉
あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。(13:34-35)
●黙想
愛は赦すことです。

愛は祈ることです。

愛は仕えることです。

互いに愛し合うとは、

互いに赦し合い、祈り合い、仕え合うことです。

互いに愛し合いましょう。

愛のあるところに、神が明らかになります。

神は愛だからです。

神の体質(愛の本質)が、あなたの体質となりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

ヨハネ13:13-30「行動」

◇2015年2月24日(火)
●ヨハネ13:13-30「行動」
●御言葉
ユダがパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった。(13:30)
●黙想
何に動かされていますか。

ユダの心には、イエスを裏切ろうとする考えが生じ、その心にサタンが入り、行動に移します。

誰の思いに従って行動するかが、明暗を分けます。

神の思い(御心)に従おうと、御言葉を黙想する人には、聖霊が働きます。

御心に従って、行動する人は、神の御業を見るのです。

神の思いに動かされて生きる人は、昼(光の中)を歩みます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ13:12-20「イエスの愛」

◇2015年2月23日(月)
●ヨハネ13:12-20「イエスの愛」
●御言葉
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。(13:15)
●黙想
イエスの愛に倣っていますか。

イエス様は弟子たちの足を現れました。

互いに足を洗い合う。

それが愛の共同体(教会)の姿です。

♪イエスが愛したように 私たちも愛し合う

その愛の中で 枝となる時 多くの実を結ぶ

イエス様が愛したように 私たちも愛し合う

人が友ため、命を捨てる ほどの愛はない

共に支え合い 共に助け合う イエスの愛で

共に祈り合い 共に笑い合う イエスの愛の中♪(作詞・作曲:長沢崇史)。

イエスの愛があなたの人生に満ち溢れますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

ヨハネ13:1-11「神の愛」

◇2015年2月22日(日)
●ヨハネ13:1-11「神の愛」
●御言葉
イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。(13:7)
●黙想
神様のなされたこと、なされることは、後で分かるようになります。

イエス様は弟子たちをこの上なく愛し、愛し抜かれました。

神様のなされたこと、なされることは、すべて愛です。

キリストの愛、十字架の愛は、今は分からなくても、後で分かるようになります。後

になればなるほど深まる愛。

これが神の愛です。

この愛を知り、この愛でもって、互いに愛し合う者となりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

ヨハネ12:37-50「光」

◇2015年2月21日(土)
●ヨハネ12:37-50「光」
●御言葉
イエスは叫んで、こう言われた。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。(12:44-46)
●黙想
イエス様が分かれば、神様が分かります。

イエス様は神様だからです。

イエス様は世の光であり、

イエス様を信じる人は、暗闇の中に留まることはありません。

命の光を持つからです。

「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネ8:12)。

光に導かれて生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ12:0-36「実を結ぶ」

◇2015年2月20日(金)
●ヨハネ12:0-36「実を結ぶ」
●御言葉
はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。(12:24)
●黙想
愛すれば実を結びます。

その実は種を宿し、

一つ一つの種から、さらに多くの実がなります。

キリストは一粒の麦となり、十字架の上で死なれ、

愛の実を結び、今や世界中に愛の種が蒔かれています。

主を信じる人は、愛の実を結び、愛の種を抱く人です。

愛する人は、実を結び、種を残します。

愛さない人は、死んで無になる人生ですが、

愛する人は、死んで実を残す人生です。

愛の実を残す人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ12:12-19「後で分かる」

◇2015年2月19日(木)
●ヨハネ12:12-19「後で分かる」
●御言葉
弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、人々がそのとおりにイエスにしたということを思い出した。(12:16)
●黙想
聖書を毎日読んでいますか。

御言葉は、今は分からなくても、後で分かる時が来ます。

弟子たちは、聖書の預言と、目の前の出来事が結びつきませんでした。

しかし、後になって、

イエス様がロバの子に乗られたのは、

聖書の預言の成就であり、

イエス様こそ、約束されたメシア(救い主)であると分かったのです。

御言葉を黙想する人は、

神の約束が真実であり、

御言葉が人生に実を結ぶ日を見るようになります。

後になるほどよく分かる。

それがQTライフです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ12:1-11「愛」

◇2015年2月18日(水)
●ヨハネ12:1-11「愛」
●御言葉
そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。(12:3)
●黙想
愛は常識を超えます。

弟子たちには、マリアの行為は浪費であり、もったいないと思ったのです。

マリアの行為は、常識を超えた神の愛への応答だったのです。

主に愛された人は、惜しみなく捧げる人に変えられていきます。

常識を超える愛が人を変え、世界を変えるのです。

この愛の香りが、あなたの家にも、あなたの周りにもいっぱいになりますように。

御名によって祝福します。今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ11:47-57「十字架」

◇2015年2月17日(火)
●ヨハネ11:47-57「十字架」
●御言葉
彼らの中の一人で、その年の大祭司であったカイアファが言った。「あなたがたは何も分かっていない。一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか。」これは、カイアファが自分の考えから話したのではない。その年の大祭司であったので預言して、イエスが国民のために死ぬ、と言ったのである。(11:49-51)

●黙想
なぜ、キリストが死んだのか。分かっていますか。

あなたが滅びないで、救われるためです。

キリストがあなたの罪の身代わりに十字架で死なれた。

罪が分かれば、この真理が分かるようになります。

ユダヤ人たちは、キリストを十字架に付けて殺すことによって、

この真理が分かるようになるのです。

己の罪を知り、キリストにより罪の赦しを得た人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ11:38-46「栄光」

◇2015年2月16日(月)
●ヨハネ11:38-46「栄光」
●御言葉
マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人たちの多くは、イエスを信じた」(11:45)
●黙想
主を信じる人は、神の栄光を見ます。

主が「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれると、

神の御業(ラザロの復活)が起こり、神の栄光が現れたのです。

主は今も生きて働いています。

神の栄光があなたの上に現され、

あなたの周りにいる人々が、

イエス様のなさったことを見て、

御名を崇め、信じる者になりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

ヨハネ11:17-37「復活」

◇2015年2月15日(日)
●ヨハネ11:17-37「復活」
●御言葉
イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(11:25-26
●黙想
永遠に生きる確信、保証がありますか。

この確信と保証は、主と主の言葉を信じる者に与えられる恵みです。

愛する兄弟を失い、悲嘆の中にあったマルタは、

主を慕い求め、主の言葉を聞き、

「はい、主よ」と告白し、

死んでも生きる、決して死ぬことのない世界をリアルに体験するのです。

主を慕い求めていますか。

今日は日曜日です。

主を慕い求める日です。

永遠に生きる確信が与えられますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

ヨハネ11:1-16「栄光」

◇2015年2月14日(土)
●ヨハネ11:1-16「栄光」
●御言葉
イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」(11:4)
●黙想
主を愛していますか。

主を愛する人は、御名を崇め、神に栄光を帰するようになります。

主を愛していたラザロの病気は死で終わらず、主は彼を蘇らせました。

主を愛する人たちは、

人生にどんなマイナス的な出来事が襲っても、

万事は益に変えら、御名を崇め、神に栄光を帰するようになるのです。

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしは知っています。」(ローマ8:11)。

主を愛する者は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ10:31-42「信仰」

◇2015年2月13日(金)
●ヨハネ10:31-42「信仰」
●御言葉
もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」(10:37-38)
●黙想
人は言うことよりも、していることに説得力があります。イ

エス様の教えには、神の御業が伴いました。

人々は、イエス様がメシアであると信じられなくても、

イエス様の教えとその業に驚き、御名を崇めていたのです。

主の御業を見て、信じる人は、イエスがメシアであると悟るようになるのです。

今日も、主の御業があなたの生活の中に起こりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

ヨハネ10:19-30「QT」

◇2015年2月12日(木)
●ヨハネ10:19-30「QT」
●御言葉
わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。(10:27-28)
●黙想
毎日、聖書を読んでいますか。

御言葉を黙想(QT)する人は、主の声を聞き分けられるようになります。

主に知られていることを知り、主の声に聞き従う者となります。

主の羊(クリスチャン)は、永遠の命が与えられ、

滅びることなく、永遠に主と共に生きる人です。

主の声を聞き分けられる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ10:11-18「イエス様

◇2015年2月11日(水)
●ヨハネ10:11-18「イエス様」
●御言葉
わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。(10:11)
●黙想
イエス様は良い羊飼いです。

イエス様はあなたを愛し、あなたを守るためなら、命を惜しみません。

イエス様はあなたのことを心にかけ、置き去りにすることもありません。

イエス様はあなたの弱さを知っており、迷えば捜し出し、

倒れれば起こし、

助け導いてくださいます。

イエス様と共に生きる人は、暗闇を歩むことはありません。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ10:1-10「羊飼い」

◇2015年2月10日(火)
●ヨハネ10:1-10「羊飼い」
●御言葉
わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。(10:9)
●黙想
イエス様は良い羊飼いであり、救いの門です。

羊たちは、羊飼いの声に聞き従い、門を出入りし、命が守られます。

同じように、主の声を聞き、その声に従う人は、永遠の命を得ます。

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

主はわたしを青草の原に休ませ、

憩いの水のほとりに伴い、

魂を生き返らせてくださる。(詩編23:1-3)。

主の声を聞き分ける人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ9:35-41「出会い」

◇2015年2月9日(月)
●ヨハネ9:35-41「出会い」
●御言葉
イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。彼は答えていった。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」(9:35-36)
●黙想
心を開けば、イエス様に出会います。

盲人は、神の御業(目が見えるようになった)を見て、心が開かれていきました。

イエス様は、彼を放置せず、見つけ出し、御自分が人の子(救い主)であることを明かしました。

彼は、「主よ、信じます」と告白し、主を崇めたのです。

心を開けば、イエス様が分かり、礼拝が生まれるのです。

毎日、礼拝(QT)する人は、心が変えられ、人生が変わります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ9:24-34「今は見える」

◇2015年2月8日(日)
●ヨハネ9:24-34「今は見える」
●御言葉
彼は答えた。「あの方が罪人かどうか。わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」(9:25)
●黙想
イエス様と出会えば、目が見えるようになります。

見えなかった世界が見えるようになります。

気づかなかった恵みに気づくようになります。

生まれつきの盲人の上に現された神の業とは、人生の変化です。

あなたは人生の変化を体験しましたか。

QTや礼拝を通して、変化していく人生。

それがクリスチャンライフです。

今日は日曜日です。

ハレルヤ!と主の御名を崇め、礼拝を捧げましょう。

今週も祝福に満ちた一週間となりますように。

御名によって祈ります。byバルナバ

ヨハネ9:13-23「信仰」

◇2015年2月7日(土)
●ヨハネ9:13-23「信仰」
●御言葉
それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。(9:18a)
●黙想
信じたくても、信じることができない人と、

信じたくなくて、信じない人がいます。

前者は弟子たちの姿であり、後者はファリサイ派の人々の姿でした。

あなたは、どちらのタイプですか。

イエス様がトマスに言われた言葉を黙想しましょう。

「信じない者ではなく、信じる者になりなさい・・・わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである」(ヨハネ20:27b,29b)。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ9:1-12「神の業」

◇2015年2月6日(金)
●ヨハネ9:1-12「神の業」
●御言葉
イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」(9:3)
●黙想
イエス様は人生の答えです。

弟子たちは、「彼の目が見えないのは、誰のせいなのか」と尋ねました。

イエス様は、誰のせいでもなく、

神の業が現れるためだ、と言って、

彼の目を開かれました。

過去に囚われていませんか。

イエス様に出会うと、神の業が現れ、

過去の束縛から解放されます。

「なぜ」と問う心から、「何のために」と問う心に変わるのです。

あなたの上にも神の業が現れ、

御名を崇める者となりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

ヨハネ8:48-59「永遠の命」

◇2015年2月5日(木)
●ヨハネ8:48-59「永遠の命」
●御言葉
はっきり言っておく。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない。(8:51)
●黙想
主の言葉を守る人は、主の命(永遠の命)によって命が守られます。

この「死」とは、肉体の死ではなく、霊的な死です。永

遠の命を持つ人は、霊的な死を味わうことがありません。

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ11:25-26)。

主の命に生かされて生きる。

これが新しく生まれた人(クリスチャン)の生き方です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ8:31-47「弟子」

◇2015年2月4日(水)
●ヨハネ8:31-47「弟子」
●御言葉
イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(8:31-32)
●黙想
イエスを知れば知るほど、自由になります。

イエスを信じても、すぐに自由にはなれません。

信者から弟子へと変えられていくプロセスが必要です。

第一のプロセスは、御言葉にとどまることです。

御言葉を黙想すれば、聖霊が臨み、真理(御心)が分かるようになります。

第二のプロセスは、御言葉に従うことです。

御言葉を生活に適用すれば、聖霊が働き、

主の御業を体験し、御名を崇める者になります。

キリスト(真理)の言葉によって自由を得る人は幸いです。

信者から弟子へと変えられますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

ヨハネ8:21-30「存在」

◇2015年2月3日(火)
●ヨハネ8:21-30「存在」
●御言葉
だから、あなたたちは自分の罪の内に死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」(8:24)
●黙想
神様は、有りてある者です。

無限の存在であり、

あらゆる存在をあらしめた存在の根拠であり、源です。

このお方と分離している状態が「罪」であり、

やがて「死」に至るのです。

神から遣わされた救い主を信じる人は、

誰でも罪が赦され、神との関係が回復し、

永遠に生きる者となります。

たとえ死んでも生きる。

これがクリスチャンの希望なのです。

神に造られた存在であることを自覚し、

神と共に生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ8:12-20「道」

◇2015年2月2日(月)
●ヨハネ8:12-20「道」
●御言葉
イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。(8:13)
●黙想
人はどこから来て、どこに行くのでしょうか。

イエス様を知れば、答えが分かります。

イエス様は父の元(天)から来られ、天へと帰られました。

イエス様は天に至る道です。

「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14:6)。

主のナビ(御言葉)に従って、主と共に生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

今週の説教 『祈りと憐れみの力』

『祈りと憐れみの力』
(ヨハネによる福音書7章53節~8章11節)
(2015年2月1日 ベテル清水教会 聖日礼拝)

新しい年が始まり、元旦の朝から、毎朝、いつもの祈りに加えて、ヤベツの祈りをするようになりました。

どうか、わたしを祝福して、わたしの領土を広げてください、という祈りです。
領土とは、わたしの器であり、キャパシティです。
主よ、わたしをあなたの器として、大いに用いてください、という祈りです。

主に用いられるために、祝福を流し出すために、わたしの器、キャパを広げてください、教会の器、キャパを広げてください、と祈っています。

昨日、母校の日本聖書神学校から手紙が届きました。
11月にゼミの講師に来て欲しいという依頼でした。
テーマは「インターネットと伝道」です。
オープン講座なので、外部にも呼びかけて宣伝するというのです。

わたしは、こう見えても人見知りです。
知っている人に伝えるのは得意ですが、初対面は弱いのです。
しかも、わたしよりももっと専門的にされている方がたくさんいます。
戸惑いました。

しかし、思ったのです。
これは神様がわたしの器を広げようとされていることかもしれない、と。
そう思って、引き受けることにしました。

みなさん。祈ると、何かが起こります。
祈ると、背中を押されるような体験を経験します。

祈りは、変化をもたらします。
神様は、祈ることを通して、私たちを変えたいと願っておられるのです。
御心に適う者へと変えていかれるのです。

今朝は、「祈りと憐れみの力」と題して御言葉を分かちあいたいと思います。
今朝は、今日の聖書日課の個所です。
もう一度、聖書をご覧ください。
中途半端ですが、7章の最後の節からです。
7:53 〔人々はおのおの家へ帰って行った。
8:1 イエスはオリーブ山へ行かれた。

今日の個所は、カッコでくくられています。
古い写本にはなかった、という意味です。
後から、付け加えられた部分です。
それだけ、発展していった教会には必要な内容だったということです。

53節と1節は、つながりがあるのです。

人々はおのおの家に帰って行った。
しかし、イエスはオリーブ山へ行かれた、となります。
最初に黙想したい個所です。

聖書を見ると、イエス様がオリーブ山に行かれるのは、祈る時です。
この山の麓にはゲッセマネの園があり、十字架にかかられる前も、そこで夜を徹して祈られました。
ルカ22章39節以下をご覧ください。
22:39 イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。
22:40 いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。
22:41 そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。
22:42 「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」

「いつものように」祈られたのです。
「いつもの場所」で祈られたのです。

8:1 イエスはオリーブ山へ行かれた。

この言葉には「いつものように」という言葉が隠れているのです。
イエス様はいつものようにオリーブ山に行かれたのです。
人々がおのおの家に帰るように、イエス様はいつもの場所に行かれたのです。

みなさんは、いつものように祈る場所がありますか。
今日、礼拝が終わると、おのおの家に帰ります。
家に帰ってからも、祈っておられますか。

8:1 イエスはオリーブ山へ行かれた。

オリーブ山は、祈りの家です。一対一で神と交わる場所です。
QTをする場所です。

いつものように祈るところに、イエス様がおられるのです。
いつものようにQTをすれば、そこにイエス様がおられるのです。

みなさん。祈りには、力があります。
祈りには、人を変える力があります。
いつものように祈り、いつものように御言葉を黙想する時、
主は私たちを御心に適う者へと変えてくださるのです。

いつものように、祈り、器を広げていただき、御心に適う者へと、御心を行う者へと変えられていきましょう。

第二番目
8:2 朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。
8:3 そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、
8:4 イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。
8:5 こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」

律法学者やファリサイ派の人々は、律法の専門家でした。
彼らは律法を守り、教え、正しく生きてきました。

正しく生きると、正しく生きない人を裁く傾向が強くなります。
ルールを厳格に守る人は、ルールを破る人を許せなくなります。
几帳面な人は、几帳面でない人が許せないものです。

ユダヤ人たちは、律法を知らない異邦人たちを見下していました。
ファリサイ派の人々は、律法を守らない罪人や遊女たちを、異邦人と同じように汚れた人だとレッテルを貼り、交わろうとはしませんでした。

しかし、イエス様は違ったのです。
イエス様は、罪人や遊女たちを憐れみました。
彼らを招き、彼らと食事を共にされたのです。
異邦人にも、救いの手を差し伸べました。

イエス様の姿は、彼らにとっては、許し難い行為だったのです。
カチンと来たのです。

放蕩息子の話で、放蕩三昧の息子が帰ってきた時、父親は喜んで息子を迎え入れました。汚れた息子、間違いを犯した息子を受け入れたのです。
その時、まじめに働いていたお兄さんは、カチンと来たのと同じです。

ぶどう園の労働の話もそうです。
ぶどう園の主人は、一時間しか働かなかった人にも、一日働いた人と同じ賃金を与えました。
この時も、まじめに働い人がカチンと来たのと同じです。

まじめな人は、不真面目な人が受け入れられるとカチンと来るのです。
正しい人は、正しくない人が受け入れられるとカチンと来るのです。
清い人は、汚れた人が受け入れられると、カチンと来るのです。

日本基督教団の総会議長された山北先生が「天笑人語」という本を出されました。
天笑とは、天の笑いと書きます。
山北先生は、わたしのダジャレの師匠です。本人は知りませんが。

この書物の中で「三み一体」について書いています。
この三位とは、父・子・聖霊なる三位一体ではなく、ひらがなの「み」です。

山北先生は、地獄の三み一体として、「ねたみ」と「そねみ」と「ひがみ」をあげています。
妬みとそねみ。
他人の幸せや長所をうらやみ、嫉妬する心です。
ここから憎しみが生じます。
ひがみ、歪んだ思い、ひねくれた心ですね。
素直に喜べない心です。

イエス様の戦いは、この地獄の三み一体との戦いでした。
この地獄の三み一体が、イエス様に石を投げ、十字架の死に至らせたのです。
山北先生はこう述べています。
「ねたみ、そねみ、ひがみ」は、地獄の三み一体となります。
この地獄の三み一体は、人と人とを切り、神と人の間を切り、さらには、自分と内なる自分を切り、自己分離・自己分裂をもたらし、人間の尊厳を失わしめます。この切れ切れに切っていくことが「罪」ということの内実なのでしょう。
さらに、「ゆるみ、りきみ、たるみ、いやみ」が加わると、七味唐辛子ならぬ七み一体となるのかなあ~
この問題性を超えさせるのが、天国の三み一体です。
つまり、神の「恵み、憐れみ、慈しみ」といった上から与えられるもので、これが人間性回復の基となることは、昔も今も変わりません。

まさに、イエス様とファリサイ派の人々の戦いは、
地獄の三み一体と天国の三み一体の戦いですね。

彼らはイエス様を陥れるために、罪を犯した女性を連れて来ました。
彼女の犯した罪は、律法では「死罪」に値するものでした。

残酷ですが、石を投げて殺されるのです。
ステパノは、迫害によって石打の刑に処せられましたね。

この女性に対して、イエス様はどう対処されるのか。
律法を破り、愛を貫き、彼女を赦すのか。
律法を守り、義を貫き、彼女を裁くのか。

愛を取るか。義を取るか。
究極の選択です。

彼女を赦せば、律法を破ったと言って告発できるのです。
彼女を裁けば、愛と赦しの教えに反することになるのです。

あなたはどうお考えになりますか。
彼らは強く迫ったのです。

8:6 イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。
8:7 しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
8:8 そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
「罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」

イエス様が黙って地面に文字を書かれている間、人々は黙想しました。
胸に手を当てて考えたのです。

彼らの目線は、彼女から自分に変わりました。
彼らの目線は、彼女の罪から、自分の罪に変わったのです。

みなさん。いつものように祈る。
いつものようにQTをするならば、目線が変わります。
視点が変わります。
自分を見つめるようになります。
御心が分かるようになります。
自分の生き方が変化するようになります。

主が沈黙し、主が言葉を発せられた時、彼らの中に変化が起こります。
御言葉を黙想すれば、罪が分かります。
罪が分かれば、石を手放すことができるのです。

彼らは、一人、また二人とその場を去っていきました。
誰も彼女を裁くことができなかったのです。

イエス様が「出て行け」と蹴散らしたのではありません。
彼らは、自ら離れていったのです。

8:9 これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。
8:10 イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」
8:11 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」〕

みなさん。祈りと御言葉の黙想、QTには人を変える力があります。
主の憐れみ、主の恵みには、人を変える力があります。

イエス様は言いました。
「わたしもあなたを罪に定めない。
行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。

主の憐れみを受け、彼女は赦されたのです。
この愛が、私たちにも注がれたのです。
この愛が、私たちを造り変えていくのです。
この愛の背後には、イエス様の祈りがあったのです。
罪人を赦すために、御心を成し遂げようとする祈りがあったのです。

先日、CGNTVで、ハ・ヨンジョ先生が書かれた「愛するあなたに」という書物の一文が流れていました。
こんな言葉でした。

私たちは知識がないからではなく、批判的で否定的な考えのゆえに大きな苦しみを受けるようになります。
サタンは批判と憎しみ、怒り、赦せない心を食べて育つということを考えておいてください。
競争心と嫉妬から抜け出してください。
弱点、失敗、咎に対しても寛容になってください。
何事にも批判したり、否定的な態度を示さないでください。
このような態度は教会の共同体に傷を与え、分裂をもたらします。
共同体は批判によってでなく、愛と励ましによって立てられます。
人間は忠告によってではなく、祈りによって変わります。
過ちと咎は叱って直るものではありません。
励まし、愛することによっていやされ、回復されます。
間違ったことや失敗も、愛と赦しと忍耐によって受け止めてください。しばらくすると、奇蹟が起こります。

人間は忠告によってではなく、祈りによって変わる。
アーメンです。

過ちと咎は叱って直るものではない。
励まし、愛することによっていやされ、回復される。
アーメン。

これが神様の方法です。
これがイエス様の方法です。
祈りと憐れみによって、私たちを変えてくださるのです。

私たちも、神様の方法でもって、変えられていきましょう。
心の器が広げられ、大いに祝福され、その祝福が周りに流れ出て、周りに変化をもたらす者になりますように。
御名によって、祝福します。お祈り致します。

ヨハネ7:53-8:11「罪」

◇2015年2月1日(日)
●ヨハネ7:53-8:11「罪」
●御言葉
しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」(8:7)
●黙想
罪を知れば、恵みが分かります。

己の罪を知らないことが最大の罪です。

主に出会い、自らの罪に気づいた人は、

石を捨て、裁きの座から去っていきました。

心の中に、怒り、憎しみ、妬みなどの石を握りしめていませんか。

主は、その石を受け止め、犠牲となり、

あなたに赦しと救いをもたらしました。

これが十字架の恵みです。

主と出会い、内在する罪を知れば、主の憐れみが分かるのです。

今日は日曜日です。

共に御名を崇め、礼拝を捧げましょう。byバルナバ
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