マルコ10:46-52「信仰」

◇2014年7月31日(水)
●マルコ10:46-52「信仰」
●御言葉
ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。(10:47-48)
●黙想
何を願うかよりも誰に願うかが重要です。

ダビデの子とは、救い主を指す称号です。

盲人は、イエスを救い主と信じ、憐れみを求めて叫び続けました。

主は彼の願いを聞き、

「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と語り、彼の目は癒されました。

癒しを求める信仰ではなく、

造り主であり、救い主であり、癒し主である主を求める信仰。こ

れがキリスト教の信仰です。

主を慕い求め続ける人は神の御業を見ます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ
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マルコ10:32-45「仕える」

◇2014年7月30日(水)
●マルコ10:32-45「仕える」
●御言葉
しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、すべての人の僕になりなさい。いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来たのである。」(10:43-45)
●黙想
価値観が変わると生き方が変わります。

神の国とこの世の価値観は異なります。

神の国では、僕のように生きる人、仕える人が、高い地位にあります。

仕えることで、変化する世界があります。

イエス様は仕えることで、この世に救いの道を開かれました。

キリストに仕える人は、価値観が変わり、生き方が変わり、

仕えていく世界に変化をもたらします。

今日もキリストの心を持って、世に仕えていきましょう。

御名によって祝福します。byバルナバ

マルコ10:17-31「天国」

◇2014年7月29日(火)
●マルコ10:17-31「天国」
●御言葉
イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」(10:17)
●黙想
今、召されても、天国に行ける確信がありますか。

どんなに良い行いをしても、お金を積んでも、神の国に入ることはできません。

罪ある人間には入れない世界だからです。

神の国にはビザはなく、神の国の住人しか入れないからです。

神様は独り子なるイエス様の命と引き替えに、

罪を赦し、神の子となり、神の国の市民権を与える道を用意されました。

だれでもイエス・キリストを信じるならば、

神の国のパスポートが与えられています。

天国を確信して生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ10:1-16「神の国」

◇2014年7月28日(月)
●マルコ10:1-16「神の国」
●御言葉
はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(10:15)
●黙想
イエス様は、

当時、社会から蔑まれ、拒絶され、疎外されていた人々や、

数にも入らなかった女性や子どもたちを受け入れ、大切にされました。

子どもたちは、イエス様に抱かれ、触れられ、祝福に与ります。

あなたは愛されています。

幼子が母に抱かれるように、

イエス様の胸に飛び込む人は、神の祝福に与ります。

今日も御名が崇められ、御国が来ますように。

御心があなたの上に行われますように。

御名によって祈ります。byバルナバ

マルコ9:38-50「塩」

◇2014年7月27日(日)
●マルコ9:38-50「塩」
●御言葉
塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。(9:50)
●黙想
塩のように生きていますか。光

は存在することに意味がありますが、

塩はかかわらなければ、使命を果たせません。

塩は隠し味です。

自己主張をすると調和を失います。

塩はきよさをもたらし、腐敗を防ぎます。

今日は日曜日です。

主を崇め、塩気(愛)に満たされ、

新しい一週間も、地の塩として世に仕えていきましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ9:30-37「仕える」

◇2014年7月26日(土)
●マルコ9:30-37「仕える」
●御言葉
イエスは座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」(9:35)
●黙想
キリストの奴隷(クリスチャン)は家庭や社会を変革するキーパーソンです。

仕事に報酬があるように、神に仕える人には報い(祝福)があります。

仕事や奉仕の基本は仕えることです。

神に仕えるように、人に仕える人は、神の報いがあります。

パウロは言っています。

「奴隷たち、キリストに従うように、恐れおおのき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。

人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、

キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、

人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。

あなたがたも知っているとおり、

奴隷であっても自由な身分のものであっても、

善いことを行えば、誰でも主から報いを受けるのです。」(エフェソ6:5-8)。


あなたの存在が祝福の源となりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

マルコ9:14-29「祈り」

◇2014年7月25日(金)
●マルコ9:14-29「祈り」
●御言葉
イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」そのこの父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」(9:23-24)
●黙想
イエス様にはできないことはありません。

息子が汚れた霊に苦しめられた人がいました。

父親は「おできになるなら」とイエス様に助けを求めました。

イエス様は彼の不信仰を叱責されました。

弟子たちが霊を追い出せなかったのも不信仰によるものでした。

自分にはできないが、イエス様にはできると信じて祈る。

これが御名による祈りです。

御名によって祈れる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ9:1-13「主の言葉」

◇2014年7月24日(木)
●マルコ9:1-13「主の言葉」
●御言葉
すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」(9:7)
●黙想
信仰は聞くことから始まり、聞き従うことで実を結びます。

ペトロたちは、イエスがエリヤとモーセが語り合う光景を見て、非常に恐れました。

イエス様は神の子であり、

イエス様の語られる言葉(福音)は、

モーセの言葉(律法)とエリヤの言葉(預言)の成就であり、完成です。

主の言葉に聞き従って生きる世界に神の国(支配)が現れます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ8:27-38「命」

◇2014年7月23日(水)
●マルコ8:27-38「命」
●御言葉
人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。(8:36)
●黙想
命は時間であり、時間の使い方は命の使い方です。

イエス様に従う人は、自分の命(時間)を神に捧げます。

三浦綾子さんは小説『氷点』の中で、

「一生を終えてのちに残るものは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」

という言葉を紹介しています。

神は愛です。

愛のために時間を使う人は、

この地に多くの種を残す人であり、

天に宝を積む人です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ8:14-26「家に帰れ」

◇2014年7月22日(火)
●マルコ8:14-26「家に帰れ」
●御言葉
イエスは、「この村に入ってはいけない」と言って、その人を家に帰された。(8:26)
●黙想
癒された後、救われた後が大切です。

盲人はイエス様に触れられ、見えるようになりました。

イエス様は彼に新しい生き方を提示します。

「この村」とは、目が見えずに暮らしていた世界です。

「家」とは、キリストに出会い、目が開かれた者たちが生きていく世界です。

古い自分、古い生き方、古い考えから脱却し、

新しい自分、新しい生き方、新しい考えを持って、家に帰っていく。

それがクリスチャンライフです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ8:1-13「御業」

◇2014年7月21日(月)
●マルコ8:1-13「御業」
●御言葉
「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいのるに、食べ物がない。(8:2)
●黙想
神の御業の本質は愛です。

ファリサイ派の人々はイエスを試そうと、

天からのしるしを求めましたが、与えられませんでした。

愛のないところにしるしは与えられません。

群衆は主を慕い求めました。

主は彼らを憐れみ、

パンと魚の奇跡をもって、彼らを満たされます。

主を愛し、主に愛される人は、神の御業を見るのです。

神の愛(十字架)にまさるしるしはありません。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ7:24-37「世の光、地の塩」

◇2014年7月20日(日)
●マルコ7:24-37「世の光、地の塩」
●御言葉
イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。(7:24)
●黙想
世の光。地の塩として生きていますか。

光は暗闇の中に輝きます。

暗くなればなるほど、存在が際立ちます。

塩は隠れたところで力を発揮します。

クリスチャンであることをカミングアウトする前に、

気づかれるような存在になることの方が大切です。

イエス様もそうでした。

今日は日曜日です。

御名を崇め、御言葉に従い、

世の光として輝き、地の塩として影響を及ぼし、

クリスチャンと気づかれる人になりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

マルコ7:14-23「御言葉」

◇2014年7月19日(土)
●マルコ7:14-23「御言葉」
●御言葉
外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」(7:15)
●黙想
何を食べるかよりも、何を聞くかが重要です。

ファリサイ派の人々は、昔の言い伝えに従って、食べ物を規定していました。

イエス様は食べ物が人を汚すことはなく、

間違った教えや考えが人を汚すと諭されました。

御言葉は神の教えであり、

神の考えが心を清めていくのです。

朝ごとに御言葉を食する人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ7:1-13「愛の教え」

◇2014年7月18日(金)
●マルコ7:1-13「愛の教え」
●御言葉
イエスは言われた。「イザヤは、あなたがたのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ、むなしくわたしをあがめている。』あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」(7:6-8)
●黙想
神の教え(律法)の本質は愛です。

どんなに良い教えでも、

心に愛がなければ、

その教えはむなしく、人を生かしません。

ファリサイ派の人々は、形式的や伝統に囚われ、本質を失っていました。

口先ではなく、心から主を愛し、敬う者となりますように。

主の愛で心が満たされ、

神の教えを守り、御名を崇め、讃美する者となりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

マルコ6:45-56「癒し」

◇2014年7月17日(木)
●マルコ6:45-56「癒し」
●御言葉
一行が舟から上がると、すぐに人々はイエスと知って、その地方をくまなく走り回り、どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人を床に乗せて運び始めた。村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、病人を広場に置き、せめてその服のすそにでも触れさせて欲しいと願った。触れた者は皆いやされた。(6:54-56)
●黙想
イエス様がおられるところには、奇跡があります。

舟に乗り込まれると、嵐は静まりました。

舟から上がると、イエス様に触れた者は皆癒されました。

イエス様はどこにいますか。

主はあなたに語られます。

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と。

主の声を聞いて、主に従って生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ6:30-44「飢え渇き」

◇2014年7月16日(水)
●マルコ6:30-44「飢え渇き」
●御言葉
すべての人が食べて満腹した。(6:42)
●黙想
飢え渇いていますか。

なぜ、大勢の群衆はイエス様と弟子たちを追いかけ、先回りしたのでしょうか。

魂が飢え渇いていたからです。

彼らは飼い主のいない羊のようでした。

イエス様は彼らを憐れみ、

魂の渇きを癒し、

必要なパンを与え、

彼らは霊肉共に満たされました。

「今飢えている人々は幸いである。あなたがたは満たされる。」(ルカ6:21)。

あなたの魂が満腹すれば、

あなたの周りにいる人々も、満たされます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ6:7-29「悔い改め」

◇2014年7月15日(火)
●マルコ6:7-29「悔い改め」
●御言葉
十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。(6:12)
●黙想
宣教の目的は悔い改めです。

悔い改め(ギリシャ語でメタノイア)とは、

「視点を変える」「心を入れ替える」という意味です。

キリストの福音を聞き、神を信じ、

その教えに従って歩む人は、視点が変わります。

神の視点で人や物事を見て、考え、行動するようになります。

視点が変われば、

世界観が変わり、

価値観が変わり、

心が変わり、

行動が変わり、

人生が変わるのです。

人生の変化は御言葉を聞くことから始まります。

今日も神の視点(御心)に従って歩む者でありますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

マルコ5:35-6:6「ただ信じなさい」

◇2014年7月14日(月)
●マルコ5:35-6:6「ただ信じなさい」
●御言葉
イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。(5:36)
●黙想
恐れていることがありますか。

会堂司は、恐れていたことが現実になりました。

イエス様に手を置いていただく前に、娘は亡くなってしまったのです。

主を信じるならば、恐れは畏れに変わります。

主が「少女、わたしはああなたに言う。起きなさい」と命じると、

娘は起き上がり、歩き出したのです。

これを見た人々は我を忘れるほど驚きました。

主を畏れたのです。

今朝も、主の言葉を黙想しましょう。

「恐れることはない。ただ信じなさい」。

あなたの恐れが畏れに変わり、御名を崇める者となりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

マルコ5:21-34「礼拝」

◇2014年7月13日(日)
●マルコ5:21-34「礼拝」
●御言葉
「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。(5:28)
●黙想
主は癒し主であり、救い主です。

主の臨在のあるところに癒しがあり、救いがあります。

12年。病気で苦しんでいた女性は、

イエス様の服に触っただけで癒されました。

イエスの服(聖衣)に癒しの力があるのではありません。

主への信仰。

主を慕い求めれば、主は癒していただける、

と信じた女性の信仰が、彼女を癒し、

救いに導いたのです。

今日は日曜日です。

礼拝は主を慕い求める時間です。

主を慕い求める心に、主の憐れみは注がれ、

癒しと救いの御業が起こります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ5:1-20「証し」

◇2014年7月12日(土)
●マルコ5:1-20「証し」
●御言葉
イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」(5:19)
●黙想
主の憐れみは家族に及びます。

墓場を住処とし、自傷し、生きる意味を見失っていた人が、

イエス様と出会い、神の憐れみを受け、正気に戻りました。

イエス様は同行を願う彼を家に帰らせ、

主の憐れみによって癒され、

救われたことを証しするように命じます。

福音の証しが語られるところに、

主の憐れみは届けられ、

癒しと救いの御業は広がっていくのです。

主の憐れみがあなたの家に到来しますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

マルコ4:30-41「信仰」

◇2014年7月11日(金)
●マルコ4:30-41「信仰」
●御言葉
イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」(4:40)
●黙想
主に委ねていますか。

舟の中には、イエス様が共にいました。

突風に襲われた時、

弟子たちは揺るれる舟、波風を見て、

恐れと不安を持ち、慌ててイエス様を起こします。

すると、主は波風を叱り、嵐は収まったのです。

生きている限り、恐れと不安をもたらす出来事は襲ってきます。

その一つ一つの出来事の中にも、主が共におられるのです。

状況を見て恐れる人から、

主と主の言葉を信頼し、

主の御業を見て畏れる人になりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

マルコ4:21-29「収穫の時」

◇2014年7月10日(木)
●マルコ4:21-29「収穫の時」
●御言葉
また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」(4:26-29)
●黙想
神の御業を信じて生きる。

それが神の国に生きる人です。

祈りと御言葉(QT)は、人生の種蒔きです。

祈り続ける人、御言葉に従い続ける人は、必ず収穫の時が訪れます。

主と主の言葉を信じ、神の御業を待ち望む人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ4:1-20「御言葉」

◇2014年7月9日(水)
●マルコ4:1-20「御言葉」
●御言葉
良い地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」(4:20)

●黙想
毎日、QTタイムを持っていますか。

QTは種蒔きに似ています。

種蒔きをしなければ、実を結ぶことはありません。

畑を整えることも大切です。

御名を崇め、祈る人は、心が耕され、良い地に整えられます。

讃美し、祈り、御言葉を聞いて行う。

これがQTであり、QTをする人は、豊かな実を結びます。

御言葉の種を蒔き続ける人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ3:20-35「神の御心」

◇2014年7月8日(火)
●マルコ3:20-35「神の御心」
●御言葉
神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、母なのだ。」(3:35)
●黙想
神の御心は愛です。

愛は血よりも濃く、愛は命にまさります。

教会は神の愛で結ばれた神の家族であり、クリスチャンは兄弟姉妹です。

神の御心を行う人とは、

神を愛し、自分を愛し、隣人を愛する人です。

♪イエスが愛したように わたしたちも愛し合う

その愛の中で 枝となるとき 多くの実を結ぶ

イエスが愛したように わたしたちも愛し合う

人が友ため 命を捨てるほどの愛はない

共に支え合い、共に助け合う、

イエスの愛で 共に祈りあい、

共に笑い合う イエスの愛の中♪(作詞/作曲:長沢崇史)。


イエスの愛が全世界に遺伝されますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

マルコ3:7-19「弟子」

◇2014年7月7日(月)
●マルコ3:7-19「弟子」
●御言葉
イエスが山に上って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。(3:13)
●黙想
群衆から信者へ。

信者から弟子へ。

弟子から使徒へ。

イエス様の噂を聞いて、癒しを求めておびただしい群衆がイエス様の側に近づきます。

神の御業を見て、主の言葉に従う人々は、信者から弟子に変わります。

さらに、弟子の中から、使徒を選び、宣教に遣わされるのです。

自分のことを考える人から、

神の心を黙想する人、

人の苦しみに寄り添い、

福音を届ける人に変えられていきますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

マルコ2:23-3:6「安息日」

◇2014年7月6日(日)
●マルコ2:23-3:6「安息日」
●御言葉
そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。」(2:27)
●黙想
礼拝は守るものではなく、捧げるものです。

ファリサイ派の人々は、安息日(礼拝)の本質を見失っていました。

礼拝を捧げることは、わたしたち自身が守られることであり、

安息日は、わたしたちの全存在(心と体と魂)を守るために、

神様が定められた特別な日です。

今日は日曜日です。

共に主に礼拝を捧げ、主の言葉を聞いて立ち上がる日です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ2:13-22「恵み」

◇2014年7月5日(土)
●マルコ2:13-22「恵み」
●御言葉
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(2:17)
●黙想
神の国は恵みの国です。

徴税人レビは、イエスの招きに応えました。

一方、ファリサイ派の人々は、イエスが徴税人や罪人たちと食事をするのが許せませんでした。

彼らは自分たちこそ、招かれるにふさわしい人だと思っていたからです。

彼らは人を罪に定めながらも、自分の罪には無頓着でした。

罪が分からなければ、神の恵みによる救いも理解できません。

人は自分の罪深さに気づけば気づくほど、

神の恵み深さに気づき、救い主を必要とするのです。

恵みの外に生きる人ではなく、恵みの内に生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ2:1-12「讃美」

◇2014年7月4日(金)
●マルコ2:1-12「讃美」
●御言葉
「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を讃美した。(2:11-12)
●黙想
主が言葉を発すると奇跡が起こります。

四人の男性が中風で苦しむ人をイエス様の元に連れて行きます。

イエス様は、彼らの信仰を見て、中風の人の罪を赦し、病を癒し、回復を与えます。

しるしと不思議を見て、人々は神を讃美し(崇め)ます。

主よ、もっともっと御名を崇めさせてください。

主と主の言葉を信じ、

今も生きておられる主の御力に触れ、

癒しと救いの御業が起こされますように。

御名によって祈ります。アーメン。byバルナバ

マルコ1:35-45「御心」

◇2014年7月3日(木)
●マルコ1:35-45「御心」
●御言葉
さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。(1:40-42)
●黙想
主を慕い求め、主を礼拝する者に、主の御心(憐れみ)が現れます。

イエス様を慕い求め、ひれ伏し、癒しを求めた人に対して、

イエス様は彼の体に触れ、癒されたのです。

主に触れられる時、主の御心は現実になります。

神様はあなたを愛しています。

神様の愛を信じ、慕い求めて祈る者に、神の御業が現れます。

朝ごとに、主を慕い求めて祈る者でありますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

マルコ1:16-34「礼拝」

◇2014年7月2日(水)
●マルコ1:16-34「礼拝」
●御言葉
イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。(1:31)
●黙想
イエス様の側に癒しがあり、救いがあります。

イエス様がシモンの姑を癒された後、

人々は、主に触れてもらうために多くの病人をイエス様の側に連れて来ました。

主に触れられた人は、みな癒されました。

大切なことは、救いを求め、主に近づき、主に触れていただくことです。

何となく礼拝する人ではなく、主の御顔を慕い求めて礼拝する人になりますように。

御名によって祈ります。byバルナバ
追伸:ベテルブログ「ハレルヤ!祝福の6月 洗礼式」が更新されました。
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