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ガラテヤ611-18「イエスの焼き印」

◇2014年4月30日(水)
●ガラテヤ611-18「イエスの焼き印」
●御言葉
わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。(6:17)
●黙想
あなたは誰のものですか。

当時、奴隷や家畜の所有者が誰であるかを明らかにするために焼印が押されました。

パウロは迫害によって受けた傷をイエスの焼き印として見なしたのです。

クリスチャンはキリストの奴隷(僕)という意味です。

誰でもイエスをキリストと信じ、新しく生まれ変わった人は、

イエスの焼き印が押されるのです。

愛と慈しみに満ち溢れたお方に所有された人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ
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ガラテヤ6:1-10「種蒔きの法則」

◇2014年4月29日(火)
●ガラテヤ6:1-10「種蒔きの法則」
●御言葉
思い違いをしてはいけません。神は、人から侮られることはありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。。(6:7)
●黙想
種蒔きの法則は、人生の法則です。

良い言葉を語り、良い行いをする人は、

人生で良きものを刈り取ります。

御言葉を黙想し、主の御心に適う歩みをする人は、

良い地に蒔かれた種のように、

30倍、60倍、100倍の実を結びます。

今日、蒔く種が、明日の希望となります。

一日一粒でも構いません。

主の御心に適う種を蒔いて歩みましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ガラテヤ5:13-26「御霊の実」

◇2014年4月28日(月)
●ガラテヤ5:13-26「御霊の実」
●御言葉
これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。(5:22-23)
●黙想
霊と肉。

どちらの実を結んでいますか。

肉に従う者は、欲望に導かれ、悪い実を結びます。

霊に導かれる者は、御霊に導かれ、御霊の実を結びます。

肉の欲を十字架につけ、御言葉を心に種蒔き、御霊に導かれ、

御霊の実を結ぶ人生を歩む者となりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

ガラテヤ5:1-12「愛の実践」

◇2014年4月27日(日)
●ガラテヤ5:1-12「愛の実践」
●御言葉
キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。(5:6)
●黙想
信仰は愛の実践を伴います。

神様の御心は「互いに愛し合うこと」だからです。

愛を実践する人が、キリストに結ばれ、

救われるのではなく、キリストを信じ、

キリストに結ばれた人が、恵みによって救われ、

愛の実践を果たしていくのです。

今日は日曜日です。

共に主を礼拝し、交わり、愛しあいましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ガラテヤ4:21-31「自尊心」

◇2014年4月26日(土)
●ガラテヤ4:21-31「自尊心」
●御言葉
ところで、兄弟たち、あなたがたは、イサクの場合のように、約束の子です。(4:28)
●黙想
自分をどう見るかが人生の分かれ道です。

パウロはガラテヤの人々が約束の子であり、

自由の身とされていると語ります。

自分をどのように見ていますか。

イエス・キリストを信じる者は、

神に愛される約束の子であり、

神の目には高価で尊い存在です。

御言葉を通して自尊心(自分の人格を大切にする心)を身に着ける人は、

自由で幸いな人生に至ります。

神の約束によって生まれた人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ガラテヤ4:12-20「幸福」

◇2014年4月25日(金)
●ガラテヤ4:12-20「幸福」
●御言葉
あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのですか。あなたがたのために証言しますが、あなたがたは、できることなら自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです。(4:15)
●黙想
与える愛は幸福のバロメータです。

ガラテヤの人々はパウロを通し、

惜しみなく与えて下さる神の愛を知り、

惜しみなく与え、幸福でした。

しかし、今、初めの愛から離れ、パウロを悲しませていたのです。

人は愛されて安息し、愛して満足を得ます。

安息と満足によって幸福を味わいます。

独り子を惜しまずに与えて下さった神の愛によって安息し、

与える愛によって、幸福を味わいますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

ガラテヤ4:1-11「造り主を知る」

◇2014年4月24日(木)
●ガラテヤ4:1-11「造り主を知る」
●御言葉
ところで、あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。(4:8-9)
●黙想
人生で最も大切なことは、造り主を知ることです。

造り主を知れば、自分が神に造られた大切な存在であること、

自分の存在を神様が知っておられることを知るようになります。

パウロは、ガラテヤの人々が、神を知りながらも、

知らなかった時代に戻っていく姿を憂い、心配したのです。

造り主を頼る人には、救い主、助け主がいます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ガラテヤ3:19-29「洗礼」

◇2014年4月23日(水)
●ガラテヤ3:19-29「洗礼」
●御言葉
あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。(3:26-27)
●黙想
キリストと結ばれていますか。

だれでも信仰によってキリストに結ばれ、神の子となることができます。

洗礼を受けるとは、

イエスに出会い、イエスを信頼し、

委ねて生きることを決断することです。

主を慕い求め、すべてを委ねて従う。

これがキリストに結ばれた人の生き方です。

キリストを着ている人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ガラテヤ3:10-18「神の約束」

◇2014年4月22日(火)
●ガラテヤ3:10-18「神の約束」
●御言葉
相続が律法に由来するものなら、もはや、それは約束に由来するものではありません。しかし神は、約束によってアブラハムにその恵みをお与えになったのです。(3:18)
●黙想
神の約束は変わりません。

神様はアブラハムを選び、アブラハムとその子孫を祝福すると約束しました。

この約束は律法が制定される前になされ、この約束は無効になることはありません。

私たちが救われるのは、神様の御心(律法)に適う者だからではなく、

適わぬ者であるにもかかわらず、神が選んでくださったからです。

主イエス・キリストを信じる者は、

神の約束に由来して生きる人です。

恵みによって生きる人は、

御霊を受け、御心に適う者へと変えられていくのです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ガラテヤ3:4「恵み」

◇2014年4月21日(月)
●ガラテヤ3:4「恵み」
●御言葉
あれほどのことを体験したのは、無駄だったのですか。無駄であったはずはないでしょうに……。(3:4)
●黙想
恵みの歩みをしていますか。

ガラテヤの教会は、驚くべき奇跡を体験しながらも、

律法主義者の影響を受け、互いに裁き合うようになっていきました。

信仰によって生きる。

これがアブラハムの信仰であり、祝福を受け、流し出す生き方です。

神の御業を思い起こし、恵みによって歩みましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ24:1-12「復活」

◇2014年4月20日(日)
●ルカ24:1-12「復活」
●御言葉
あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。(24:6)
●黙想
命ある神様に礼拝を捧げていますか。

婦人たちは葬られたイエス様に香料を塗るために墓に向かいました。

しかし、墓の中は空っぽで、

天使からイエス様が復活し、

生きておられることを告げられました。

今も生きて働かれる神様を慕い求める。

これが真の礼拝であり、祈りです。

今日は復活祭(イースター)です。

復活の主を喜び、共に礼拝を捧げましょう。

ハッピー・イースター。byバルナバ

マタイ27:51-66「不思議」

◇2014年4月19日(土)
●マタイ27:51-66「不思議」
●御言葉
百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。(27:54)
●黙想
神様が働かれる時、不思議なことが起こります。

イエス様が十字架の上で死なれた時、

不思議な現象が次々と起こりました。

これを見た人々は、神を恐れ、

イエス様が神の子だと告白しました。

イエス様に出会った人は、

神様の不思議な御業を体験し、

「イエスはキリスト、神の子」と告白し、

御名を崇めるように変えられます。

明日はイースターです。

主は今も生きておられます。

主を信じる者は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マタイ27:35-50「十字架の愛」

◇2014年4月18日(金)
●マタイ27:35-50「十字架の愛」
●御言葉
一緒に十字架につけられた強盗たちも同じようにイエスをののしった。(27:44)
●黙想
侮辱され、ののしられても、神の愛は変わりません。

キリストに浴びせられた暴言の数々。

もし、あなたなら彼らのために命を捨てられますか。

イエス様は彼らのために十字架にかかり、救いの道を用意されたのです。

この十字架の愛に気づき、悔い改め、神に立ち帰る人は誰でも救われます。

強盗の一人は、死に直前に、この愛に気づいて救われるのです(ルカ23章32節以下)。

今日は受難日です。

主の十字架に秘められた神の愛を黙想しましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ19:1-16「王」

◇2014年4月17日(木)
●ヨハネ19:1-16「王」
●御言葉
彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。(19:5)
●黙想
罪の本質は、己を王とすることにあります。

祭司長たちは、イエスを殺害するために、

ピラトをも脅し、ついにイエスを十字架につけさせていきました。

神が遣わしたメシアを王と認めず、神を王ともしない。

ここに罪の本質があるのです。

「十字架に付けろ」と叫んだ人々の中に、わたしたちもいます。

キリストと共に死に、キリスト共に生きる。

これが洗礼による新しい生き方です。

イエスをメシアと認め、神を王として生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ18:28-40「恩赦」

◇2014年4月16日(水)
●ヨハネ18:28-40「恩赦」
●御言葉
ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」すると、彼らは、「その男ではない。バラバを」と大声で言い返した。バラバは強盗であった。(18:39-40)
●黙想
罪なき者が罪ある者の身代わりに死なれた。

これが十字架です。

過越の日に、恩赦されたバラバの姿は、

キリストの死によって恩赦されたクリスチャンの姿を彷彿させます。

十字架は神が定めた救いのルールです。

主を信じ、神の国に属する者になった人は、

このルールを理解し、主の御名を崇めるようになるのです。

主の恩赦に与って生きる者は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ18:15-27「失敗」

◇2014年4月15日(火)
●ヨハネ18:15-27「失敗」
●御言葉
ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。(18:27)
●黙想
イエスに出会うと過去の傷が癒されます。

ペトロは一番弟子であり、後に教会の指導者になった人物です。

三度もイエス様を知らないと言ったことは恥ずべき過去の傷です。

なぜ、この話が有名になったのでしょうか。

それはペトロ自身が告白し、証ししたからです。

自分の罪を告白できるのは、赦され、癒されたからです。

十字架には過去の傷を癒す力があります。

愛と赦しと癒しを与えるお方。

これが私たちが信じる父・子・聖霊なる神様です。

主に出会う人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ18:1-14「十字架の道」

◇2014年4月14日(月)
●ヨハネ18:1-14「十字架の道」
●御言葉
イエスはご自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。(18:4)
●黙想
御心を知り、御心を行う。

これがイエス様に従う十字架の道です。

受難週に入りました。

イエス様は知らずに十字架の道を歩まれたのではなく、

何もかも知った上で、あえて自から進み出られました。

十字架の死によって、罪を贖うというご自分の使命を知っておられたのです。

あなたに与えられている使命は何ですか。

主の御心に適う道は険しい道です。

その行き着く先は死を越えた命であり、

闇を打ち破る光です。

御心に従う者となりますように。

御名によって祝福します。アーメン。byバルナバ

「御名を崇めます②」

『御名を崇めます②』
(ガラテヤ2:11-14)
(2014年4月13日 ベテル清水教会・棕櫚の主日礼拝)

今日は教会暦では、「棕櫚の主日」(パームサンデー)と呼びます。
これは、イエス様がエルサレムに入城された時、群衆が棕櫚の枝を振って、「ホザナ、ホザナ」と出迎えたことに由来しています。

先ほども「ホザナ」と讃美しました。
この「ホザナ」というのは、ヘブライ語で「救い給え」「主よ、救ってください」という意味であり、主を慕い求める祈りであり、讃美です。

主を慕い求めるならば、主の御名を崇める御業が起こります。
イスラエルの民は、ホザナ、ホザナと讃美し、救いを待ち望みました。
この直後、神様は十字架という「しるしと不思議な業」によって、救いを実現されました。
今週から受難週でありますが、十字架と復活は、主を慕い求める者に与えられる神のしるしと不思議の業です。
わたしたちは十字架と復活の恵みに与り、御名を崇めるようになったのです。

今年度の標語は「御名を崇めます」です。
弟子たちはイエス様に「どのように祈ればいいですか」と祈りについての質問をしました。
その時、教えられたのが「主の祈り」です。
主の祈りの冒頭の言葉が、今年度の御言葉です。
「父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。」

先ほども、「天にまします我らの父よ、願わくは御名を崇めさせ給え。御国を来たらせ給え」と祈りました。
願わくは、とありますが、私たちは本気で、真剣に願って祈っているでしょうか。
昨年、私は長い間、主の祈りを唱えるように祈っていた、ということに気がつかされ、本気で、真剣に、このことを求めて祈るようになりました。

御名が崇められるとは、神様がほめたたえられますように、ということです。
「神様は素晴らしい!」と心から喜び、讃美するようになることです。
思わず拍手をして、神様を喜ぶこと。これが礼拝の本質でもあります。
昨晩、ゴスペルの練習が行われていました。
昨年の9月頃から数名の方が集まって、ゴスペルを歌い始めました。
10周年パーティでも歌いました。
新年度からは教会の活動となり、「ハーベストゴスペルクワイヤー」と名付けられました。
ハーベストとは、「収穫」「刈り入れ」という意味です。

ゴスペルとは、福音、良い知らせです。
ゴスペルを歌う者の上にも、聞く者の上にも、良い知らせが実を結ぶ時、収穫の時、刈り入れの時が訪れ、みんなで御名を崇めるようになりたい。そんな願いが込められています。

ゴスペルの本質は、御名を崇めること、神様をほめたたえることです。
英語のゴスペルなどは、ストレートに神様を讃美していますね。

日本にもゴスペルブームが起こって以来、教会のみならず、カルチャーセンターでもゴスペル教室が盛んに行われています。
交友誌にも書かれていましたが、櫛谷姉もカルチャーセンターで行われていたゴスペル教室に行って、そこでゴスペルのルーツ、歴史を知り、このゴスペルとの出会いによって、魂が復活したと証しされてました。
まさに、ゴスペルによって、御名を崇めるようになったのです。

聖書には、人は神を讃美するために創造された、とあります。
神様を讃えること。御名を崇めることは、人間の本分であり、本質です。

千晶姉は、大学生時代からゴスペルに出会い、ずっとゴスペルを歌い続け、ゴスペルによって御名を崇めるようになり、イエス様を信じました。

わたしはユダヤ人たちが、まず神を崇めてからイエス様を信じたように、
ゴスペルや不思議としるしの業を見ることによって、神を崇め、イエス様を信じるようになる。
ここに日本宣教の鍵があるように思います。

来週のイースター礼拝では、ゴスペルが特別讃美する予定です。
そこにはノンクリスチャンの方々も加わっています。
今朝、この礼拝堂で祈っていて、そのことを思って私の魂は喜びました。

詩編150編には「息あるものはこぞって、主を賛美せよ」とあります。神様の御心は、すべての人が御名を崇めて讃美することです。

十字架の御業が起こる前、人々は、何も分からずに、「ホザナ、ホザナ」と讃美していました。
その後、彼らは十字架と復活という、しるしと不思議を見ました。
その時、「本当にこの人は神の子であった」と百人隊長が告白したように、ゴスペルを歌う人々が、御名を崇め、御名を信じる時が来ると信じます。

さて、聖書日課はガラテヤ信徒への手紙に入っていますが、今日は2章11節以下。聖書日課の前半部分を取り上げます。
2:11 さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。

ケファというのはペトロのことです。
ペトロはイエス様の一番弟子であり、エルサレム教会の指導者です。
パウロは、信仰の大先輩であるペトロを、面と向かって非難しました。
パウロは、非難し、反対した理由を述べます。

2:12 なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。
2:13 そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。

パウロは神様から異邦人伝道への使命を頂き、至るところで福音を伝え、各地に教会が誕生しました。
このことがエルサレム教会では問題になりました。

どんな問題かと言うと、ユダヤ人が大切にしてきた律法についてです。
彼らは、律法を知らない異邦人を「罪人」というレッテルを貼り、遠ざけてきました。

しかし、この異邦人にも、福音が届き、イエス様を信じる人々が増し加えられてきたのです。
今や、エルサレム教会よりも、異邦人教会の方が経済的にも豊かになったのです。

みなさん。人は誰でもプライドがあります。
このプライドが、時には、信仰の妨げにもなります。

プライドの高いユダヤ人たちは、異邦人にも律法を守らせるべきだ、割礼を施すべきだ、と主張しました。
パウロは、この律法主義的なクリスチャンに対して、真っ向から反論し、すべての人は信仰によって義とされる、と15節以下で語っているのです。

実は、ペトロもパウロと同じ考えのはずでした。
しかし、ペトロは、ヤコブのもとからある人々が来て、豹変しました。
このある人々とは、律法主義的なクリスチャンです。

ペトロは、彼らの顔色をうかがって、他のユダヤ人と一緒になって異邦人たちとの食事を避けてしまったのです。
しかも、異邦人伝道にパウロと共に働いたバルナバをも、引き込んでいったのです。

このペトロの態度に、パウロはカチンと来たのです。
パウロは黙って見過ごすことはできませんでした。福音の根幹に関わることだからです。
2:14 しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」

ユダヤ人らしい生き方とは、行為義認。律法主義的な生き方です。
異邦人のような生活とは、信仰義認。恵みによる生き方です。

ペトロは、自分はユダヤ人でありながら、律法主義的な生き方から解放され、異邦人のような生活、律法から解放され、恵みによって生きる生き方をしていたのです。

それなのに、他の人に対しては、律法主義的な生き方を強要するのか、と言って、叱りつけたのです。

もし、みなさんがペトロの立場だったら、どう反応するでしょうか。
痛いところを突かれたのです。プライドも傷つくでしょう。
間違いだと分かっていても、言い訳し、言い逃れしたくなる場面です。

ペトロはどのような態度を示したかは、何も記されていません。
これは私たちに託されている宿題のように思います。
わたしなら、どう反応するだろうか。
ペトロは、どう反応しただろうか。

人生の幸不幸は、間違いに気づいた後、どう生きるかにかかっています。
罪を犯した後、失敗した後、どう生きるかが人生の幸不幸を決めます。

わたしはこの箇所を黙想して、正直、ホッとしました。
ペトロはイエス様の一番弟子です。
彼は風に揺れる葦のような弱さを持っている人でした。
しかし、聖霊に満たされ、岩のような強い人に変えられました。

そのペトロでさえも、人を恐れた。間違いを犯した。失敗している。
一度、イエス様を裏切り、二度と、イエス様を裏切るまいと決意していたペトロですらも、福音の真理から外れたのです。

みなさん。大切なのは間違いに気づいた後です。
その後、どう生きるかが人生の分かれ道です。

サウルとダビデ。
この二人は、神様から油注がれ王になります。
サウルはダビデに嫉妬し、ダビデの命を狙います。
サウルは息子ヨナタンに叱責されたました。
この時が、サウルの人生の分かれ道です。
彼は、自分の間違いに気づきました。
しかし、その後も、ダビデに嫉妬し、ダビデの命を狙い続け、悲惨な最期を迎えるのです。

サムエル記下を読みますと、イスラエルの王に君臨したダビデも大きな過ちを犯します。
ダビデは預言者ナタンに叱責されました。
この時がダビデの人生の分かれ道です。
ダビデは、自分の間違いに気づき、悔い改めます。

悔い改めとは、方向転嫁して、主に立ち帰ることです。
主を慕い求めることです。
主を慕い求めるならば、主の御業を体験します。
罪の赦しは、神の御業です。
罪を赦された者は、神をほめたたえるようになります。
罪を赦され、造り変えられた者は、周りの人々が、彼を見て、神をほめたたえるようになります。

実は、パウロもまた、人生の分かれ道に立った人でした。
彼は、クリスチャンそのものに反対し、捕まえて、死刑にすることにも同意するほどの危険人物でした。

1章13節、14節をご覧ください。
1:13 あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。
1:14 また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。

パウロは、熱心なユダヤ教徒であり、クリスチャンを迫害する人でした。
クリスチャンを捕まえ、投獄するために、ダマスコに向かっていました。
その途中、イエス様に出会い、自分の間違いが示されました。

これが人生のターニングポイントです。
彼は、自分の間違いに気づいて、悔い改めました。
そして、イエス様を信じ、洗礼を受けてクリスチャンになったのです。

少し、飛ばして23節、24節をご覧ください。
1:23 ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、
1:24 わたしのことで神をほめたたえておりました。

パウロのことで、神をほめたたえた。
今日のテーマです。今年のテーマです。

パウロの変化は、教会にとっては不思議であり、驚きでした。
パウロは理論家であり、行動家です。
キリスト教迫害の急先鋒として活躍していた人物です。

その彼が、突然、回心し、自分たちの味方になった。
しかも、至るところで福音を伝え、教会が次々と誕生している。
その知らせを聞いて、人々は驚き、パウロのことで神をほめたたえたのです。

私の父も大酒飲みで、母親の信仰に反対する人でした。
しかし、その父が突然、パウロのように回心しました。
真夜中に釣りをしていて、そこでイエス様に出会うという不思議な体験しました。
父は、残された命を福音宣教のために使い、七年後に新潟の地で召されました。
私たち家族は、父の働きについては、何も知りませんでした。
しかし、父が亡くなった後、父をお世話くださった方々の話や父の残した手紙を読んで、私たちは主の御名を崇めさせられました。

みなさん。主を慕い求めるならば、不思議なことが起こります。
父の変化の背後には、母の祈りがありました。
私は子供の頃から母が弱音を吐き、家で泣いている姿、泣き言をいう母の姿をみたことがありませんでした。
しかし、子供心に覚えているんですね。
母が教会の椅子に座って、涙をぬぐいながら祈っている姿を。

みなさん。主を慕い求めるならば、しるしと不思議が起こります。
御名を崇める時が訪れます。

1:24 わたしのことで神をほめたたえておりました。

今日の覚える御言葉です。
先週の金曜日。この言葉を黙想しながら、パウロの回心の背後にある教会の祈りを思いました。
教会は厳しい迫害の中にありました。
当然、彼らは主を慕い求めて祈ったことでしょう。
その祈りが天に届いたのです。

この後、天が地に侵入したのです。
御心が天で行われるように、地でも行われたのです。
それがパウロの回心です。

主を慕い求めた祈りが、御名を崇める出来事を刈り取ったのです。

みなさん。主を慕い求めていきましょう。
そうすれば、しるしと不思議な業が起こり、御名を崇めさせられます。

先週、ある姉妹が、不思議なことがありました、と証ししてくれました。
主に祈り求めて、思い切ってたくさん献金したそうです。
すると、すぐに思いがけない収入があって、その何倍にもなって返ってきたんです、と言われたんですね。
献金して良かったね、得したねというようなレベルの話ではないですよ。
主を慕い求めていくときに、しるしと不思議が起こったという話です。
ゴスペルもそうです。
昨日も新しい方が三人来ましたが、その出会いの話を聞いても、不思議だらけであり、御名を崇めました。

わたしは、初代教会は、こんな証しがあちらこちらで起こっていたと思います。

みなさん。主を慕い求めて祈りましょう。主の祈りを唱えるのではなく、心から願っていきましょう。
神様、御名を崇めさせてください。御名を崇めるようにしるしと不思議を見させてください、と祈りましょう。

そうすれば十字架の後に復活が起こったように、神のしるしと不思議な業が起こると信じます。

今週も、皆さんの生活の上に、神の不思議な業が起こることを祈ります。
お祈り致します。

ガラテヤ2:11-21「生きる」

◇2014年4月13日(日)
●ガラテヤ2:11-21「生きる」
●御言葉
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。(2:20)
●黙想
あなたの中に神の命がありますか。

キリストは神の命(永遠の命)です。

キリストはこの命を与えるために、

あなたの肉(罪)と共に身を献げられました。

キリストを信じる人は、肉において死に、

永遠に神の命の中に生きる人なのです。

今日は日曜日です。

今も生きておられる主を崇め、礼拝を捧げましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ガラテヤ2:1-10「慈善」

◇2014年4月12日(土)
●ガラテヤ2:1-10「慈善」
●御言葉
ただ、わたしたちが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでしたが、これは、ちょうどわたしも心がけていた点です。(2:10)
●黙想
募金や献金、援助活動を心がけていますか。

パウロはエルサレム教会を離れても、

その教会内にいた貧しい人々を覚え、

諸教会から献金を募り、援助し続けました。

慈善はキリストの心です。

キリスト教による慈善活動が多いのは、

この心がけがあるからです。

キリストの心を忘れない人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ガラテヤ1:11-24「御名を崇めます」

◇2014年4月11日(金)
●ガラテヤ1:11-24「御名を崇めます」
●御言葉
わたしのことで神をほめたたえておりました。(1:24)
●黙想
神の御業を見た人は、御名を崇める(神を讃美する)ようになります。

パウロはイエス様に出会い、180度、人生が変わりました。

変化したパウロの姿を見て、人々は神をほめたたえました。

神の御業である福音(ゴスペル)に出会うと、讃美が生まれます。

パウロのことで、人々が神をほめたたえたように、

あなたのことで、御名が崇められますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

ガラテヤ1:1-10「神の愛」

◇2014年4月10日(木)
●ガラテヤ1:1-10「神の愛」
●御言葉
キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。(1:4)
●黙想
十字架が分かると神の愛が身に沁みるようになります。

♪今こそキリストの愛に応えて♪(詞・曲:田中英昭)

1.わたしが神の子とされた 罪人の私が

無限の愛の大きさに ただ感謝をしよう

こんなわたしのためにさえ 命まで与えた

十字架の愛の大きさに ただ感謝をしよう

※今こそキリストの愛に応えて 命を すべてを捧げよう。

2.生きる指針を失った迷い子の私が

生きる希望と喜びに満たされるなんて

なんの力もないけれど 何かをしていこう

こんな小さなものだけど 何かをささげよう



3.たった一度の人生を無駄にしたくはない

力の限りキリストを愛し続けよう

多くの人を救うため福音を告げるため

日本の国を救うため 世界を変えるため



神の愛に応えて生きる者は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

サムエル記上31:1-13「死」

◇2014年4月9日(水)
●サムエル記上31:1-13「死」
●御言葉
この同じに日に、サウルとその三人の息子、従卒、更に彼の兵は皆死んだ。(31:6)
●黙想
サウルとヨナタンはペリシテ軍に敗れ、悲惨な死を迎えます。

人は誰でも死を迎えます。

死に方は千差万別です。

大切なのは生き方です。

どう生きたかです。

サウルの生き方は、主から離れた生き方でした。

ここにヨナタンとサウルの違いがあるのです。

同じ悲惨な死でも、

キリストの死とユダの死とでは異なるのです。

主の御心に適う人生を歩む人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

サムエル記上30:21-31「互助」

◇2014年4月8日(火)
●サムエル記上30:21-31「互助」
●御言葉
皆、同じように分け合うのだ。この日から、これがイスラエルの掟、慣例とされ、今日に至っている。(30:24b-25)
●黙想
互助の精神は聖書から来ています。

ダビデは疲労のため戦いに参加できなかった兵士二百人にも、

取り戻した戦利品を分け合いました。

パウロも互いに助け合い、富める者が貧しい者の欠乏を補うように勧めました。

「あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。(二コリント8:14)。

主の恵みに感謝し、補い合って生きる。これが神の国です。

御国が来ますように。

御名によって祈ります。byバルナバ

サムエル記上30:1-20「主の力」

◇2014年4月7日(月)
●サムエル記上30:1-20「主の力」
●御言葉
ダビデは苦しんだ。だが、ダビデはその神、主によって力を奮い起こした。(30:6)
●黙想
主を礼拝することは力の源です。

ダビデはアマレクの攻撃を受け、

妻や息子らが連れ去られ、

泣く力を失うほど、弱り果て、苦しみました。

ダビデは主を慕い求め、

主によって力を奮い起こし、

主の言葉に従ってアマレクを追跡し、

奪われたものすべてを取り戻します。

主の力は弱さの中で働きます。

♪主我を愛す。主は強ければ。

我弱くとも、恐れはあらじ。

我が主イエス、我が主イエス、

我が主イエス、我を愛す♪

今日も祝福がありますように。byバルナバ

『御名を崇めます』

『御名を崇めます』
(ルカ11:1-4)
(2014年4月6日 ベテル清水教会・受難節第五主日礼拝)

私たちの教会は、今日から新年度に入ります。
4月は新しい出発の時です。先週、各地で入学式が行われてました。
先日、大蔵谷インターの側にある神戸学院大学の前を通りましたら、校門の前で写真を撮る姿がありました。

昨年、私たちの教会は「チャレンジ!」という標語を掲げましたが、
神戸学院大学の校舎にも「チャレンジ」という垂れ幕がありました。
「夢へのチャレンジが、未来を創る」
とてもいいスローガンですね。
未来を創るためには、夢に向かってチャレンジする必要があります。

なでしこジャパンの澤選手の座右の銘は「夢は見るものではなく、叶えるもの」だそうですね。
これも良い言葉です。

夢を見ることは誰でもできます。ドリームを見るのは簡単です。
しかし、それを叶えるためには、夢をビジョンに変え、目標を目指して、チャレンジする必要があります。

昨年、日ハムの大谷君が二刀流にチャレンジしました。
投手と野手。両方の練習をし、覚えるサインも二倍ありますから、大変なことです。

プロ野球をなめている、とか。どちらかに絞るべきだとか、二刀流に反対する意見も多くありました。
しかし、彼は夢に向かって、チャレンジしました。
彼のチャレンジはチームスタッフのチャレンジでもあります。
彼のチャレンジは一人ではできません。
チームの後押しがあるのです。

今年も二刀流にチャレンジし、開幕戦3連戦では3番バッターとして結果を残しました。
先週はピッチャーとして、途中で、足を痛めて降板しましたが、昨日はバッターとしてヒットを打ちました。

イエス様は「求めなさい。そうすれば与えられる」と言いました。
求めることもチャレンジです。
探すことも、門を叩くこともチャレンジです。
イエス様は「何もせずに、待っていない。そうすれば与えられる」と言われたのではありません。

求めなければならない。探さなければならない。叩かなければならない。
求めてこそ、与えられる。
探してこそ、見つかる。
叩いてこそ、開けてもらえるのです。
求めれば、探せば、叩けば、神様の後押し、バックアップがあるのです。

みなさん。求めてこそ、待つことに意味があります。
求めずに待つことは、注文せずにテーブルに座っているようなものです。
求めずに待つことは、ドアを叩かずにドアの前で待ち続けるようなものです。
求めてこそ、ドアをノックしてこそ、待つことに意味があるのです。

これは祈りにも言えます。
祈らなければ、待つことに意味がありません。
祈り求めてこそ、待つことに意味があるのです。
祈り求めて行けば、神様がサポートして下さる。これが信仰です。

さて、今年の標語は「御名を崇めます」です。
今年度の御言葉をご一緒にお読みしましょう。

『父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。

これは、私たちが毎週、礼拝で祈っている「主の祈り」の冒頭の部分です。

昨年、わたしはこの祈りについて、新しい世界を発見し、何度も話してきたので、耳にたこができている方もいるかもしれません。

しかし、これは、耳にたこを作らなければならないほど、大切なことなので、元旦礼拝でも、お話ししました。

信仰とは、待つことだと言われます。
ただ待つのではありません。
求めて待つ。これが信仰です。
では、何を求めるのでしょうか。
今、サムエル記をいますが、金曜日の箇所では、サウルは主の託宣を求めました。
託宣とは、神のお告げです。
サウルは主に問うたのですが、主からの答えがありませんでした。

すると、サウルは、答えを求めて霊媒師のところに行きます。
死んだサムエルの霊を呼び出して、答えを聞き、不安に陥ります。

サウルとダビデの違いは何でしょうか。
二人は同じように神様に選ばれ、油注がれました。
ダビデには平安があり、サウルには不安がありました。

二人の明暗を分けたのは、何を求めるかでした。
これはとても大切なポイントです。

主を慕い求めること。
ここに平安があり、祝福があります。

主はサウルに沈黙しました。
何も答えられなかったのです。

みなさん。沈黙の中にも主の答えがあります。
サウルは、沈黙の中で、主に立ち帰り、主を求めるべきでした。
しかし、彼は、霊媒師や占いに頼り、ますます主から離れていったのです。

詩編28編をお開きください。P858
28:1 【ダビデの詩。】主よ、あなたを呼び求めます。わたしの岩よ/わたしに対して沈黙しないでください。あなたが黙しておられるなら/わたしは墓に下る者とされてしまいます。

この時、主はダビデに対しても沈黙されました。
ダビデは、主が沈黙される中で、主に向かって叫んだのです。
主を慕い求めて祈ったのです。

28:2 嘆き祈るわたしの声を聞いてください。至聖所に向かって手を上げ/あなたに救いを求めて叫びます。

ダビデは主を求めて祈り、そして、答えを待ちました。これが信仰です。
みなさん。主が沈黙されているように感じる時があります。
祈りが聞かれない。うまく事が運ばない時があります。
そんな時、ダビデのように、主を慕い求めて祈りましょう。
そうすれば、待つことは希望になります。
主に祈れば、待つことに意味があります。

6節をご覧ください。
28:6 主をたたえよ。嘆き祈るわたしの声を聞いてくださいました。
28:7 主はわたしの力、わたしの盾/わたしの心は主に依り頼みます。主の助けを得てわたしの心は喜び躍ります。歌をささげて感謝いたします。

ダビデの心は喜び躍り、主の御名を崇めたのです。

今日の御言葉をもう一度お読みします。
週報にも記しています。11章2節です。
11:2 そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。

イエス様は、弟子たちに、祈り方を教えました。
まず、最初に「父よ」と呼びかけるように教えたのです。

祈りは、何を祈るかよりも、誰に祈るかが重要です。
祈りの内容よりも、祈りの対象が重要なのです。
どう呼びかけるかが重要ではありません。
「父よ」と祈る人もいれば、「主よ」と祈る人もいます。
「イエス様」と祈る人もいますし、「聖霊様」と祈る人もいます。

大切なのは、慕い求めることです。
鹿が谷川を慕い求めていくように、幼子が親を慕い求めるように、
主を慕い求めて祈ること。
この心が一番重要です。

イエス様は言いました。
「何よりもまず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」と。

私たちが主を慕い求めるならば、私たちの必要な糧は与えられます。
たとえ、すぐに与えられなくても、希望があるのです。
神様を慕い求めて祈るならば、神様は最善な時に、最善な方法で、最良のものを与えてくださるのです。
主を慕い求めること。これをまず第一に求めていきましょう。
二番目。
もう一度、今年の御言葉をお読みします。
『父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。

かつて、マザーテレサは言いました。
祈りを唱える人ではなく、
祈る人、祈りの人になりなさい、と。

私は、長い間、主の祈りについて、主の祈りを唱える人でした。
40年間、日曜日の朝、教会でいつも主の祈りを唱えてきました。
昨年、鈴木先生から「天が地に侵入するとき」という書物を紹介され、この本を読んでから、主の祈りが変わりました。
唱える祈りから、求める祈りに変わりました。

御名が崇められますように。
これが私の祈りとなりました。これが教会の祈りとなりました。
まず何よりも、このことを求めるようになりました。
御名が崇められることを期待するようになりました。
御名が崇められるような御業が求めるようになりました。
イエス様が地上におられた時、イエス様は数々の奇跡を行われました。
しるしと不思議な業を見て、人々は主の御名を崇めました。

弟子たちが福音を伝えた時、力ある業が伴いました。
彼らは聖霊に満たされ、福音を語ると、そこにはしるしと不思議な業が伴いました。
人々は驚き、主を恐れ、主の御名を崇めるようになりました。

御名が崇められますように。
主よ、あなたの御名を崇めさせてください。
もっともっとあなたの御業を見させてください。
御名を崇めるために、聖霊を求め、御業を求めるようになりました。

昨年、7月に聖霊刷新協議会の全国大会に参加しました。
あのとき、一緒に行った人たちは、聖霊を求めていました。
私以上に聖霊を求めていることが分かりました。
集会が終わって、わたしは外で待っていたのですが、他の人たちは、小森先生に祈ってもらっていました。

私は、一人で御茶を飲みながら待っていたのですが、出てきた四人の顔を見ると、輝いていて、共に喜びました。
御名を崇めさせて下さい。
この祈りが現実になりました。

その直後、さらに神様は御名を崇めさせてくれました。
交友誌でも証しされていますが、米谷さんが、直後のホームチャペルで、突然、「洗礼を受けます」と告白されたんです。
「洗礼を受けませんか」と勧めたわけではありません。
本人の中に「洗礼を受けたい」という思いが来たというのです。

主の救いの御業が起こったのです。
そこにいた人たちは、みんな抱き合って喜びました。
御名を崇めさせて下さい。
この祈りが現実となりました。

さらに、中嶋先生が来られて、癒しの御業が起こりました。
さらに、9月には、脳腫瘍で寝たきりになり、余命二ヶ月と宣告された姉が、その二ヶ月後に、この場所に来て、証しをしました。
脳が腫れて、食べてはすぐに戻す状態が続いていました。
車に五時間も乗って来ることは不可能でした。
しかし、神様はしるしと不思議を見せて、御名を崇めさせてくださいました。

そして、今年の1月。神様は最も良いときに、最も良い方法、最もエンディングを用意され、讃美の中で、姉は天国に旅立っていきました。

御名を崇めさせて下さい。
この祈りが現実となりました。
主の祈りが、身近な祈りになりました。

わたしは、今年、さらに教会の中で、神の御名が崇められるように。
「御名を崇めます」という讃美と感謝が満ち溢れるようになることを願っています。

第三番目
『父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。

「御国が来ますように」
みなさん。御国とは、神の国です。
神様の国とは、神様を主と崇める国です。
多くの人は、なにがしかの神を信じています。
しかし、その神々を「主」とすることはありません。
世の神々は、人間の奴隷のような神様です。
ですから、人々は願いが叶う神を神として奉っていきます。

この神を拝むと、良いことがある。
そういう情報を聞くと、多くの人が群がるのです。

御国が来ますように。
御国とは、神の願いが実現する国です。
神の御心が行われる国です。

私は祈っています。
この教会に御国が来ますように。
教会というのは、私たち一人一人ですから、
私たち一人一人が、神を主と崇め、御心に適う者へと変えられていくようにと。
私の思いに人を変えるのではなく、
私の思いに神を変えるのでもなく、
神の思いに、私が変えられていく。神の思いに人が変えられていく。
この教会に集う人々が、神の国にふさわしい者へと変えられていくように。共に祈っていきましょう。

慕い求める祈り。
御名が崇められる祈り。
御国を求める祈り。
この祈りが捧げられるところに、御名が崇められる現実が起こると信じます。
主の祈りを生活の中で体験する教会になり、私たちの必要が満たされ、互いに赦し合い、愛し合う群れとなりますように。
「御名を崇めます」という言葉が、私たちの口から、自然と出てくるような教会になりますように。

みなさん。主を慕い求め、主の御名が崇められるように、御国が来るように、祈っていきましょう。
お祈りいたします。

サムエル記上29:1-11「証し」

◇2014年4月6日(日)
●サムエル記上29:1-11「証し」
●御言葉
アキシュはダビデに答えた。「わたしには分かっている。お前は神の御使いのように良い人間だ。(29:9)
●黙想
この世に証を立てていますか。

ダビデはペリシテの地でアキシュに仕え、

信頼し、認められていました。

かつてヨセフもエジプトの地で、

ポティファルに仕え、ファラオに仕え、

信頼し、認められました。

主に仕えるように、人々に仕える者は、主の守りを経験します。

今日は日曜日です。

主の御名を崇め、御心に適う者に変えられますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

サムエル記上28:15-25「不安と平安」

◇2014年4月5日(土)
●サムエル記上28:15-25「不安と平安」
●御言葉
サウルはたちまち地面に倒れ伏してしまった。サムエルの言葉におびえたからである。また彼はこの日、何も食べていなかったために、力が尽きていたのである。(28:20)
●黙想
平安は神のもとにあります。

サウルは霊媒師によってサムエルを呼び戻し、助けを求めましたが、

そこには不安と絶望しかありませんでした。

主を慕い求め、主に助けを求めたダビデは、

どこにいても平安がありました。

造り主のもとに憩うこと。

救い主のもとで赦しを得ること。

助け主のもとで力を得ること。

ここに平安があるのです。

主を慕い求める者は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

サムエル記上28:1-14「祈り」

◇2014年4月4日(金)
●サムエル記上28:1-14「祈り」
●御言葉
サウルは主に託宣を求めたが、主は夢によっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかった。(27:6)
●黙想
答えを求めると罠に陥ります。

サウルは主の答えがないと、

主が禁じられていた霊媒行為に走り、

さらに主から遠ざかっていきました。

大切なのは、主を慕い求め、主に近づくことです。

主が答えてくださるまで、主を慕い求めて祈りましょう。

主を求めるならば、たとえ答えが分からなくても、平安になります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

サムエル記上27:1-12「信頼」

◇2014年4月3日(木)
●サムエル記上27:1-12「信頼」
●御言葉
ダビデは心に思った。「このままではいつかサウルの手にかかるにちがいない。ペリシテの地に逃れるほかはない。そうすればサウルは、イスラエルの全域でわたしを探すことを断念するだろう。こうしてわたしは彼の手から逃れることができる。」(27:1)
●黙想
信頼されることは祝福の鍵です。

ダビデは「二度と危害を加えない」とのサウルの言葉を信頼することができませんでした。

何度も裏切られてきたからです。

ダビデはアキシュ王のもとに身を寄せ、信頼を勝ち取ります。

主の御心に適う人は、どこにいても、信頼され、祝福されていきます。

主を信頼し、信頼される人になりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ
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