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ヨブ33:14-33「救い」

◇2012年11月30日(金)
●ヨブ33:14-33「救い」

●御言葉
彼は人々の前でたたえて歌うであろう。
「わたしは罪を犯し
正しいことを曲げた。
それはわたしのなすべきことではなかった。
しかし神はわたしの魂を滅亡から救い出された。
わたしは命を得て光を仰ぐ」と。
まことに神はこのようになさる。人間のために、二度でも三度でも。
その魂を滅亡から呼び戻し
命の光に輝かせてくださる。(33:27-30)


●黙想
救い主に感謝!

今日も祝福がありますように。byバルナバ
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ヨブ33:1-13「QT」

引用

◇2012年11月29日(木)
●ヨブ33:1-13「QT」

●御言葉
ここにあなたの過ちがある、と言おう。神は人間よりも強くいます。(33:12)

●黙想
過去を変えることはできません。

三人の友人はヨブの過去に問題があって、

今、こうなった、とヨブを責め立てました。

エリフは、彼らとは違った視点でヨブに語ります。

現在を変えなさい、と。

今日を変えることは可能です。

今日が変われば、

過去の見方が変わり、

未来が変わります。

御言葉によって、今日を変えて生きる。

これがQTライフです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ32:10-22「霊」

◇2012年11月28日(水)
●ヨブ32:10-22「霊」

●御言葉
言いたいことはたくさんある。
腹の内で霊がわたしを駆り立てている。(32:18)


●黙想
黙るにも、語るにも時があります。

エリフは、ヨブと三人の友人の論争を黙って聞いていましたが、

霊に駆り立てられて語り始めます。

この世には、

悪い霊(悪霊)と良い霊(聖霊)とが共に働き、

人の心に影響を与えます。

悪霊に駆り立てられると悪い実を結び、

聖霊に駆り立てられると良い実を結びます。

聖霊に導かれて語り、

行動する人は自分も周りの人も幸せになります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ32:1-9「聖霊」

◇2012年11月27日(火)
●ヨブ32:1-9「聖霊」

●御言葉
しかし、人の中には霊があり
悟りを与えるのは全能者の息吹なのだ。(32:8)


●黙想
あなたの中に霊があります。

人は土の塵で造られ、

神が息吹(霊)を注がれました。

やがて肉体は土に帰り、霊は神のもとに帰ります。

全能者なる神は、神の息吹(聖霊)を注ぎ、

知恵と悟りを与えてくださいます。

聖霊はキリスト(神の言)というパイプを通じて注がれます。

神の言葉を黙想し、聖霊によって悟りが与えられ、行動していく。

それがクリスチャン生活です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ31:29-40「祈り」

◇2012年11月26日(月)
●ヨブ31:29-40「祈り」

●御言葉
ヨブは語り尽くした。(31:40)

●黙想
自分の思いをすべて語り尽くせていますか。

ヨブは、正しく生きてきたのに、

なぜ、こんな目に遭うのか。

その不条理を心にしまい込むことなく、

すべての思いを語り尽くしたのです。

神に祈ることは、カタルシス効果をもたらします。

それだけで終わらず、神は祈りに答えてくださいます。

今日も祈りをもって一日を始めましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ31:13-28「神」

◇2012年11月25日(日)
●ヨブ31:13-28「神」

●御言葉
わたしを胎内に造ってくださった方が
彼らをお造りなり
我々は同じ方によって
母の胎内に置かれたのだから。(31:15)


●黙想
生みの母親が世界に一人であるように、

造り主は唯一であり、

すべての人は、同じ神によって造られました。

命の根源なる父なる神。

迷子となった私たちを捜し出しに来てくださった救い主である子なる神。

人生のナビゲータとして、

共にいて、導いてくださる聖霊なる神。

この三位一体の神と共に生きる。

これがクリスチャンの人生です。

今日は日曜日です。

造り主、救い主、助け主なる神に礼拝を捧げましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ31:1-12「悔い改め」

◇2012年11月24日(土)
●ヨブ31:1-12「悔い改め」

●御言葉
わたしがむなしいものと共に歩き
この足が欺きの道を急いだことは、決してない。
もしあるというなら
正義を秤として量ってもらいたい。
神にわたしの潔白を知っていただきたい。(31:5-6)


●黙想
神の前に潔白を主張できますか。

ヨブは自他共に認める正しい人でした。

神もヨブの潔白を認めていました。

しかし、このヨブですら、

神の前に立つとき、悔い改めへと導かれるのです。

悔い改めは祝福へ一里塚です。

神に出会い、

悔い改めへと導かれた人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ30:16-31「神の沈黙」

◇2012年11月23日(金)
●ヨブ30:16-31「神の沈黙」

●御言葉
わたしは幸いを望んだのに、災いが来た。光を待っていたのに、闇が来た。
わたしの胸は沸き返り
静まろうとしない。
苦しみの日々がわたしに襲いかかっている。
光を見ることなく、嘆きつつ歩き
人々の中に立ち、救いを求めて叫ぶ。(30:26-28)


●黙想
祈っても答えられないことがあります。

ヨブは沈黙される神に叫び続けます。

話せない神、命のない神に祈ることは空しいことです。

ヨブが信じる神は、話せない神ではなく、

話さない神です。

沈黙しておられる神です。

やがて神はヨブに語り始めます。

神はあなたの叫びにも、

必ず答えてくださいます。

命ある神を信じる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ30:1-15「救い」

◇2012年11月22日(木)
●ヨブ30:1-15「救い」

●御言葉
死の破滅がわたしを襲い
わたしの力は風に吹きさらわれ
わたしの救いは雲のように消え去った。(30:15)


●黙想
人生には「まさか」という坂があります。

ヨブを襲った災難は、

ヨブの状況を一変しました。

人々はあざ笑い、遠ざかります。

キリストも同じです。

受難の道を歩まれると、

群衆はあざ笑い、遠ざかり、

弟子たちも離れ去ったのです。

救いは雲のように消え去ったように見えても、

まさかの坂の頂上には、

太陽のように輝いています。

神様は決してあなたを離れず、

見捨てることはありません。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ29:15-25「人生の回想」

◇2012年11月21日(水)
●ヨブ29:15-25「人生の回想」

●御言葉
わたしは見えない人の目となり
歩けない人の足となった。(29:15)


●黙想
自分の人生を回想することがありますか。

ヨブは死の闇が迫り来る中で、

神に従い、愛と義を行い、

御言葉を教え、

人々から尊敬された日々を思い起こします。

人は死を意識すると、

自分の人生を問い直すものです。

今日、主に喜ばれて生きる人は、

過去を満足することができます。

御言葉によって、

人生を問い直し、

選び直す人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ29:1-14「悔い改め」

◇2012年11月20日(火)
●ヨブ29:1-14「悔い改め」

●御言葉
神との親しい交わりがわたしの家にあり
わたしは繁栄の日々を送っていた。
あのころ、全能者はわたしと共におられ
わたしの子らはわたしの周りにいた。(29:4-5)


●黙想
神様を親しく感じていますか。

イエス様を信じた人々は、

いつでも神様が共におられます。

しかし、親しく感じなくなることがあるのです。

神様と親しくなる方法はただ一つ。

悔い改めることです。

朝ごとに、神に立ち帰り、

親しく交わる時を持ちましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ28:12-28「知恵と分別」

◇2012年11月19日(月)
●ヨブ28:12-28「知恵と分別」

●御言葉
神は知恵を見、それを計り
それを確かめ、吟味し
そして、人間に言われた。
「主を畏れ敬うこと、それが知恵
悪を遠ざけること、それが分別。」(28:27-28)


●黙想
救いに至る知恵は、

神の啓示によって明らかになりました。

神は律法を通し、

預言者を通し、

キリストを通し、

救いに至る知恵を明らかにされたのです。

造り主なる神を礼拝し、

救い主なるキリストの恵みに生かされ、

助け主なる聖霊との交わりに生きる。

ここに知恵と分別があります。

今日も祝福された一日となりますように。

御名によって祈ります。byバルナバ

ヨブ28:1-11「礼拝」

◇2012年11月18日(日)
●ヨブ28:1-11「礼拝」

●御言葉
だが人は、硬い岩にまで手を伸ばし
山を基から掘り返す。
岩を切り裂いて進み
価値あるものを見落とすことはない。
川の源をせき止め
水に隠れていたものも光のもとに出す。(28:9-11)


●黙想
人間は大地から多くの資源を発見し、採掘してきました。

大地に鉱物を備え、

人間に鉱物を発見し、

エネルギーとして用いる能力を授けられたのは神様です。

この神様を知り、感謝し、礼拝する。

これがクリスチャンです。

今日は日曜日です。

私たちの明日を備えてくださる主に感謝しつつ、

共に礼拝を捧げましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ27:1-12「報い」

◇2012年11月17日(土)
●ヨブ27:1-12「報い」

●御言葉
神に逆らう者が神から受ける分
暴虐な者が全能者から与えられる嗣業は次のとおり。(27:13)


●黙想
ヨブは神に逆らう者が受ける三つの嗣業を語ります。

第一は「子孫の苦難」。

第二は「富の喪失」。

第三は「命の喪失」です。

一方、神に従う者は、

子孫の祝福、天の宝、永遠の命を得ます。

神に従うか。逆らうか。

究極の選択です。

ヨブは悪者が栄えているように見えても、

この真理を信じ、

最後まで神に従い続けたのです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ27:1-12「告白」

◇2012年11月16日(金)
●ヨブ27:1-12「告白」

●御言葉
神の息吹がまだわたしの鼻にあり
わたしの息がまだ残っているかぎり
この唇は決して不正を語らず
この舌は決して欺きを言わない、と。(27:3-4)


●黙想
日々、祈り、信仰を告白していますか。

ヨブは、自暴自棄になってもおかしくない状況でした。

ヨブは、苦しみの中で神に祈り、信仰を告白しました。

祈りは命綱、信仰告白は、魂の錨です。

どんな暴風が吹き荒れても、

神に祈り、信仰告白をする者は、

嵐を耐え抜くことができるのです。

主の祈りと使徒信条を唱える人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ26:1-14「聞く」

◇2012年11月15日(木)
●ヨブ26:1-14「聞く」

●御言葉
あなた自身はどんな助けを力のない者に与え
どんな救いを無力な腕にもたらしたというのか。
どんな忠告を知恵のない者に与え
どんな策を多くの人に授けたというのか。(26:2-3)


●黙想
あなたの側で苦しみ、

助けを求めている人はいませんか。

彼らが求めているのは、

あなたの言葉ではなく存在です。

側にいて、

聞いてくれる友を求めているのです。

多くの友を持つ人は、

話す人ではなく、聞く人です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ25:1-6「平和」

◇2012年11月14日(水)
●ヨブ25:1-6「平和」

●御言葉
恐るべき支配の力を神は御もとにそなえ
天のもっと高いところに平和を打ち立てられる。
まことにその軍勢は数限りなく
その光はすべての人の上に昇る。(25:2-3)


●黙想
家庭平和が、心に平安がありますか。

神が支配する世界には平和と平安があります。

キリストは、愛と平和をもたらす光です。

キリストが生まれた時、天使は高らかに歌いました。

「いと高きところに栄光、神にあれ、

地には平和、御心に適う人にあれ」と。

今日も神の平和がありますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

ヨブ24:13-25「主のまなざし」

◇2012年11月13日(火)
●ヨブ24:13-25「主のまなざし」

●御言葉
安穏に生かされているようでも
その歩む道に目を注いでおられる方がある。(24:23)


●黙想
善人が苦しみ、悪人が安穏に生きている。

ここにヨブの葛藤がありました。

しかし、神は両者の姿を御覧になっています。

時が来れば、善人の苦難は報われ、悪人の繁栄は消え去ります。

主はあなたの歩む道にも目を注いでいます。

最後まで主を信頼し、ゆだねて生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ24:01-12「神の日」

◇2012年11月12日(月)
●ヨブ24:01-12「神の日」

●御言葉
なぜ、全能者のもとには
さまざまな時が蓄えられていないのか。
なぜ、神を愛する者が
神の日を見ることができないのか。(24:1)


●黙想
神の日(救いと裁きの日)を求めたことがありますか。

ヨブは、悪人を放置され、

善人が苦しむ状況を神に訴えました。

もし、神の日が早く訪れていれば、

罪を犯した者に悔い改めるチャンスは残っていません。

神に逆らっている者には、

今日、神の日が訪れないことが救いでもあるのです。

ここに神の愛と忍耐があります。

この救いによって、あなたも救われたのです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ23:01-17「礼拝」

◇2012年11月11日(日)
●ヨブ23:01-17「礼拝」

●御言葉
どうしたら、その方を見いだせるのか。おられるところに行けるのか。(23:3)

●黙想
どこで神に出会えるのでしょうか。

ヨブは神の御座に行き、

神と話したいと願いました。

神様を見出す方法は、

神様が御自身を現された方(イエス・キリスト)を知り、

この方がおられる場所(教会)に行くことです。

礼拝は神様に出会う時間です。

今日は日曜日です。

共に神様を礼拝しましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ22:21-30「適用」

◇2012年11月10日(土)
●ヨブ22:21-30「適用」

●御言葉
神に従い、神と和解しなさい。
そうすれば、あなたは幸せになるだろう。(22:21)


●黙想
あなたに正論を語る人はいますか。

ヨブの友人の言葉は正論ですが、

ヨブには的外れでした。

神に従ったのに、不幸な目に遭っていたからです。

だらかといって、

この友人の言葉が間違っているのではないのです。

御言葉を間違って適用する人はいます。

だからといって、御言葉が間違っているのではありません。

正しく御言葉を適用する人になりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

ヨブ22:1-20「憶測」

◇2012年11月9日(金)
●ヨブ22:1-20「憶測」

●御言葉
だからこそ
あなたの周りには至るところに罠があり
突然の恐れにあなたはおびえる。(22:10)


●黙想
憶測で判断することはありませんか。

ヨブの反論にエリファズは答えます。

彼は憶測でヨブの罪を並べ立て、

だから、こうなったと責め立て、

ヨブを苦しめます。

この憶測は間違っていました。

自分の憶測を黙想せず、

ただ、御言葉を黙想しましょう。

そうすれば、

聖霊様が正しい判断力を与えてくださいます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ21:17-34「裁き」

◇2012年11月8日(木)
●ヨブ21:17-34「裁き」

●御言葉
誰が面と向かってその歩んできた道を暴き
誰がその仕業を罰するだろうか。(21:31)


●黙想
ヨブの反論は続きます。

もし、神に逆らった者が最後まで悪が暴かれず、

神に従った者が報いを受けないとしたならば、

悪者たちの考えと行動が正しいことになり、

神に仕えることも、祈ることも空しくなります。

ヨブは不条理に苦しみつつも、

そんなことはない。

神は生きておられ、

必ず悪を罰し、善に報いてくださる、

と信じていたのです。

誘惑に負けず、

最後まで忍耐し、

神に仕える人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ21:1-16「ヨブの問い」

◇2012年11月7日(水)
●ヨブ21:1-16「ヨブの問い」

●御言葉
なぜ、神に逆らう者が生き永らえ
年を重ねてなお、力を増して加えるのか。(21:7)


●黙想
ヨブが体験したこの世の現実は、

友人たちの語る言葉と真逆でした。

神に逆らう者が繁栄し、

ヨブのように神に従う者が苦しむのです。

これはイスラエルの民が経験する現実であり、

クリスチャンが経験する現実でもあります。

キリストも経験しました。

ヨブは神に叫び、

イスラエルの民も神に叫び、

キリストも神に叫び、

クリスチャンも神に叫ぶのです。

神はこの叫びに耳を傾けます。

たとえ現実が真逆のように思えても、

最後には大逆転劇が起こるのです。

キリストの十字架と復活のように。

最後まで神に従う者は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

『満ち足りて死に』

『満ち足りて死に』
(創世記25章7節~8節)
(2012年11月4日 ベテル清水教会 永眠者記念礼拝)

日本基督教団では、11月の第1日曜日を「聖徒の日」「永眠者記念日」と定めています。
ですから、今日は、日本基督教団の多くの教会で、このように礼拝堂の前に召された方々の遺影を飾り、記念礼拝が行われています。

私たちは、亡くなられた方々を奉ったり、礼拝しているのでありません。
彼らの生涯と信仰の歩みを思い起こしつつ、神様を礼拝する。
これが永眠者記念礼拝の趣旨です。

一般的には「永眠者」というのは、死者のことを意味しますが、聖書によれば、わたしたちは永遠に眠るのではなく、目を覚ます時が来ます。
ですから、永眠ではなく、仮眠ですね。
しかし、仮眠者記念礼拝というのも変ですね。
仮眠している人はドキッとします。
ですから最近では、召天者記念礼拝と呼ぶ教会が増えてきています。

みなさん。人は誰でも自分のことを忘れられたくない、と思うものです。
みなさんはどうでしょうか。
自分のことなど、とっとと忘れて欲しいと思うでしょうか。

亡くなって、「はい。終わり」と、あっさり忘れられてしまう。
一週間、一ヶ月、一年も経たない間に、存在したことすらも忘れられてしまう、とすれば、なんだか寂しい感じがします。
実際、時間が経てば、少しずつ忘れてしまうのが現実です。
すぐに忘れらてしまったら、自分は何だったのかと思いますね。

しかし、聖書は教えます。
去っていく世界、この地上で覚えられることよりも、これから行く世界、神の国、天国で覚えられていることの方が大切だ、と。
この世に名が記されることよりも、天に名が記されることの方が重要なのです。

私たちの名が天に記されている。神に覚えられている。
これにまさる喜びはありません。
これから行くべき世界に場所が用意されている。
自分のために住まいが用意されている。これにまさる喜びはありません。
しかし、だからといって、すぐに忘れられると悲しいですね。
もちろん、知らない人にまで覚えてもらう必要はありません。
しかし、知っている人には、一緒に生きてきた家族には、仲間には、
いつまでも覚えていてもらいたい。
そう願うものです。

もし、わたしが今日召されたとしても、こうして、一年に一度、ここに写真を掲げてもらえる、というのは、嬉しいなと思います。
もちろん、天国に行ったら、それ以上の喜びがあって、そんなことはどうでもいいと思うのでしょうが、
今、生きている時には、思い出してもらいたいなと思います。

わたしの父が亡くなって、今年で38年になります。
実際、父は亡くなる7年前に、家を出て、旅をしていましたので、
わたしが父と別れたのは、45年前です。
わたしは4歳でしたから、ほとんど父の記憶がありません。

最近、もう一度、母が書いた「広がる夢」という本を読み直しました。
不思議ですね。
昔、読んだ時とは、違った印象がありました。
わたしが変えられたんだな、とつくづく思いました。
思い起こすことによって、新たな気づきが起こされます。

みなさんも、時間が経って、思い起こすと印象は変わるものです。
天に召された方々のことも、時間が経って、思い起こしていくときに、
新たに気づきや感謝が湧いてくることがあるのです。

父は、晩年、神様に出会って変えられました。
その父の信仰の姿から、教えられること、学ぶことがあります。

みなさん。信仰者の生涯から学ぶこと、教えられることはたくさんあります。
今朝は、信仰の父と呼ばれたアブラハムの生涯から、「満ち足りた死」というテーマで、御言葉をご一緒に学びたいと思います。

もう一度、今日の聖書個所をご覧ください。
創世記25章です。

25:7 アブラハムの生涯は百七十五年であった。

私たちの人生には始まりがあり、終わりがあります。
生まれた人は必ず死を迎えます。死を迎える確立100%です。
人生には必ず終わりがあります。

アブラハムの人生にも始まりがあり、終わりがありました。
アブラハムは、カルデアのウルで生まれました。
現在のイラクの南部地方です。

その後、父と一緒にハランに移り住み、そこで神様に出会います。
アブラハムは、神の命令に従いました。
父の家を離れ、カナンの地を目指して旅立ち、カナンの地で生涯を終えます。

皆さんにも出生地があります。
そして、どこになるか分かりませんが、生涯を終える場所があります。

イエス様にも出生地がありました。
イエス様は、ユダヤのベツレヘムに生まれ、ナザレで育ち、エルサレムで生涯を終えました。

わたしは大阪の寝屋川で生まれました。川じゃないですよ。
寝屋川で生まれ、大東市、四条畷市、そして、高知の安芸市、高知市、さらに東京、高砂、神戸、明石と、転々としてきました。
最期をどこで迎えるのか。それは神のみぞ知るでありますが、
明石で証を残したい。それがわたしの願いでもあります。

さて、アブラハムの生涯は175年でした。
わたしの母は86歳ですから、まだ半分もありますね。
アブラハムの人生で言えば、母の人生は、まだ折り返し地点です。

25:8 アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、
とあります。

175歳ですから、まさに長寿ですね。
奥さんのサラは、127歳でした。

みなさん。アブラハムのお父さんは、何歳まで生きたと思いますか?
205歳ですよ。信じられないですね。
しかし、もっと凄い記録があります。

11章にアブラハムの先祖の系図があります。
セムは600歳。アルパクシャドは438歳。
シェラは433歳。エベルは464歳。
信じられないですね。
もっと信じられないのは、ノアの洪水の前の記録です。
アダムは930歳。ノアは950歳です。

みなさん。それから比較すると、アブラハムの175歳は決して長くはありません。
しかし、アブラハムに対してだけ、聖書の記者は「長寿を全うした」と記しているのです。

長寿とは、「長生きして、祝福された終焉を迎えること」を意味します。
原語で「長寿を全うした」という言葉は、直訳では、「年老い、満足して」と訳せます。
つまり、アブラハムは、自分の人生に満足して、世を去ったのです。

25:8 アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。

アブラハムは満ち足りて死にました。
「満ち足りて死に」
今日の説教のテーマです。

みなさん。わたしたちは、自分の人生に満足して、この世を去ることができたら、これほど幸せなことはありません。

どんなに長生きしても、自分の人生に満足できなかったら悲しいことです。

今朝、アブラハムの生涯から学ぶことがあります。
それは、神に従う者は、満ち足りた死を迎えることができる、ということです。

アブラハムは、ハランという町で、神様に出会います。
神様との出会いが、アブラハムの生涯に、決定的な変化をもたらしました。
まさに、波瀾万丈の人生の幕開けです。

創世記12章をお開きください。P15
12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。
12:2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。
12:3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」
12:4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。


アブラム、後のアブラハムは、主の言葉に従って旅立ちました。
ここに祝福の人、満ち足りた死を迎えたアブラハムの新たな旅立ちがあります。

その時、彼の年齢は75歳でした。
75歳で神に出会い、神に従って旅立ったのです。

それから100年、アブラハムは神と共に生きたのです。
神に従って歩んだのです。
そして、神の祝福を受け、彼は満足して、その生涯を終えたのです。

このアブラハムの父の名前は「テラ」といいます。
アブラハムはテラの息子です。
彼はテラの家を離れ、神に従って歩み出しました。
アブラハムはテラの息子。
わたしは、ここを黙想しながら、母はアブラハムのようだ、と思いました。

わたしの母は、寺の娘でした。テラ違いですが。
わたしの祖父は、京都の亀岡で住職をしていました。
母の父親は、30歳という若さで亡くなりました。
その後、養女に出され、そこで母は神に出会ったのです。
耶蘇教に家を継がせるわけにはいかない。

母は、神に従い、父の家を後にしたのです。
いうならば、家出です。
しかし、神様のなさることは素晴らしいですね。
この大反対した養父も、晩年、教会に通って、洗礼を受けたそうです。

母の人生も波瀾万丈でした。
母は神に従い、ドラマチックな人生を歩んできました。
まるで母の記念礼拝みたいですが、母はまだ生きて、ここにいます。

先月、若森姉のお母さんである安達浦子姉が天に召されました。
今朝は、家族で揃って礼拝に来られています。

わたしは浦子姉の話を聞くと、母と似ているなと思うことがあるのです。
教会の開拓伝道を手伝ったり、病気を患ったご主人を看病して、神様を頼りとし、神の国と神の義を第一に求めて歩んでこられた姿。
母とそっくりです。

葬儀の式次第に書かれている略歴を見ると、今、ヨブ記を読んでいますが、ヨブのように、様々な苦難を体験されました。
しかし、神と共に歩む喜びが、いつも満ちていました。
我が生涯に悔いなし、という感じですね。

最後まで、喜びと平安を持っておられました。
召された時の顔を見て、母曰く。「わぁ、天国に行った顔だ」と言わしめるほど、天使のように輝いていました。

まさに、満ち足りた死でした。

最近、どや顔というのがありますね。
内村選手が金メダルを取った時の顔が、「どや顔」として、新聞の一面を飾っていました。
それは、決して、自分を誇るのはない、満ち足りた顔です。

人生の終わりに、どや顔ができる。満ち足りて死ぬことができる者は幸いです。

今朝は、深澤兄姉の家族も来られています。
深澤清志兄は、若い日に、神様を信じました。

清志兄は、昔から、造り主なる神様がいると思っていたそうです。
教会に行って、これが自分の求めていた神様だと分かって、それ以来、神様一筋に生きてこられました。

胃癌になられ、自宅静養されているときに、わたしは清志兄に出会いました。
毎月、一回、お会いしに行くのですが、いつも神様の話を熱く語ってくれました。
二人で話している時に、いつも「先生。家内を頼みます。祈ってやってくれ。」と言われました。
あさの姉は、仏教を信じ、家庭内宗教戦争をしていたのです。
ですから、最初、わたしが訪問したときも、あさの姉は、あまりいい顔をしていませんでした。

しかし、清志兄の胃癌が癒され、あさの姉の心が変わりました。
「先生、奇跡ですよ。医者は年内もたないと言ったのだから」と。
それから、あさの姉は、変わりました。
わたしが行くたびに、「先生、わたし、ここが痛くて、ここが悪くて」と言って、わたしに祈って欲しい、と頼むようになりました。

わたしが来るのを楽しみに待つようになりました。
清志兄のところを尋ねているのに、「まあ、こっちにおいで」と言って、おばあちゃんとの時間が長くなりました。

ある時、あさの姉が清志兄と同じ病院に入院されました。
その時、病室に行ったときに、あさの姉が興奮して言いました。
「先生、イエス様を見た。ドアのところに白い衣を着て立っていた」。
それ以来、あさの姉は、イエス様を信じるようになりました。

そして、ついに、あさの姉も洗礼を受ける決心をされたんですね。
わたしは、自宅で病床洗礼を授けました。

洗礼を受け終わった後、清志兄は、わたしに満面の笑みを見せました。
それは、まさに満ち足りた顔でした。
「先生。これで天国でも一緒だ」と言って涙ぐまれたのです。
二人は今、天国で一緒に喜び合っていると思います。

最後、清志兄が亡くなられるとき、むすめさんが見ている前で、大きく手を天に掲げて、天を指さしながら、召されていったそうです。
清志兄もまた、満ち足りて死にました。

みなさん。満ち足りて死を迎えられる人は幸いです。

先日、東京にいる姉と父の思い出話をしていました。
わたしは、父が4歳の時に家を出たので、ほとんど記憶がありません。

姉は、小学生1年生だったので、父との思い出があります。
わたしは、母親と姉たちに可愛がられていましたが、
わたしの姉は、父親に可愛がられ、父親っ子だったようです。
大好きなお父ちゃんが、いなくなった。
どれほどショックが大きかったかと思います。

姉は、母から、父は神様のご用をするために、出て行ったとは聞かされていたそうです。
しかし、父は、高い所から落ちた後遺症があり、自分が分からなくなることがありました。
ですから、父は、ひょっとしたら、自分が分からなくなって、帰れなくなっているのかも、と思ったそうです。

わたしが小学校5年生の時、一番上の姉が病気になりました。
父親を探したい。
姉は、当時、読んでいた中2コースに、手紙を書いたそうです。
それが取り上げられ、全国から、情報が寄せられました。
それを見た、テレビ局が、ぜひ、テレビで呼びかけてください、と言うことで、テレビにも出て、父を捜しました。

そして、その二年後、父は、新潟の地で見つかりました。
その時の父の顔は、まさに、満ち足りた顔でした。
父は、大酒飲みで、母を泣かし、母は子供三人を連れて逃げ出したそうです。
そんな父ですから、わたしにとって、そんな父を知らずに育ったことは幸いだったのかも知れません。

しかし、その父が、神様に出会い、幻を見て、変わりました。
アブラハムのように、神に従って、日本中を旅し続けたのです。

わたしたちは父の葛藤。父のしてきたこと。
まったく知りませんでした。
しかし、父が亡くなった後で、父のしてきたことを知りました。

この間、姉が電話で話してくれました。
昔、姉のために、父が赤い靴の財布を買ってくれたことがあったそうです。
あっちこっちの店を探して、やっと見つけて、買ってきてきてくれた時の父の顔。満ち足りた顔。満足した顔。どや顔だった、と。

そして、父が新潟で召されたと聞いて、駆けつけた時、父は棺の中でした。
その顔を見た途端、姉は、あのときの父のどや顔を思い出したそうです。
そして、走るべき行程を走り終えた父に対し、姉は「よく頑張ったね」と声をかけたそうです。

父もまた、満ち足りて死にました。
知らない人から見たら、行き倒れのように思うでしょう。
しかし、父の生涯は、満ち足りて死んだと、わたしは確信しています。

イエス様の生涯もそうです。
十字架の上で死ぬ。人々は、なんと哀れな死だと思ったでしょう。
しかし、キリストは満ち足りて死にました。
自分の使命を果たし終えて、死を迎える。
これにまさる幸いはありません。

私たちにも、神の使命があります。
神様から与えられた命を、感謝しつつ、神に従って歩むならば、
たとえ、人がどのように評価しようとも、自分自身は満ち足りて死ぬことができるのです。

最後に、父が亡くなった時に、その部屋に掲げられていた御言葉を紹介して終わりたいと思います。

使徒行伝20章24節 口語訳聖書でお読みします。
20:24 しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。

お祈りいたします。

ヨブ20:12-29「罪の毒」

◇2012年11月6日(火)
●ヨブ20:12-29「罪の毒」

●御言葉
悪が口に甘いからと
舌で抑えて隠しておき
惜しんで吐き出さず
口の中に含んでいれば
そのパンは胃の中に入って
コブラの毒と変わる。
飲み込んだ富は吐き出さなければならない。
神は彼の腹からそれを取り上げられる。(20:12-15)


●黙想
日々、悔い改めていますか。

悔い改めとは、

悪や毒を吐き出す行為です。

主は悔い改める者の口を清め、

胃を洗浄し、

死と滅びから救い出してくださる方です。

神に立ち帰る人、

神に立ち帰り続ける人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ20:1-11「御言葉」

◇2012年11月5日(月)
●ヨブ20:1-11「御言葉」

●御言葉
神に逆らう者の喜びは、はかなく
神を無視する者の楽しみは、つかの間にすぎない。(20:5)


●黙想
刃物も使い方を間違えると凶器に変わります。

正しい言葉も、

使い方を誤ると、間違った言葉になります。

友人は、喜びがはかなく、

楽しみがつかの間に過ぎなかったのは、

ヨブが神に逆らい、神を無視したからだ、と言って、

ヨブを責め立てたのです。

友人の語る教えは真実です。

しかし、ヨブに適用したのは間違っていたのです。

なぜなら、ヨブほど、神に従う、

無垢な人はいないからです。

御言葉によって人を裁かない人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ19:13-29「礼拝」

◇2012年11月4日(日)
●ヨブ19:13-29「礼拝」

●御言葉
わたしは知っている
わたしを贖う方は生きておられ
ついには塵の上に立たれるであろう。
この皮膚が損なわれようとも
この身をもって
わたしは神を仰ぎ見るであろう。(19:25-26)


●黙想
にもかかわらず神を仰ぐ。これがヨブの信仰です。今日は「聖徒の日」(永眠者記念日)です。天に召された方々を思い起こしつつ、塵の中に立たれ、贖ってくださるお方を仰ぐ日です。神を仰ぎ見る人は、神の栄光の御業を仰ぐようになります。今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ19:1-12「敵と味方」

◇2012年11月3日(土)
●ヨブ19:1-12「敵と味方」

●御言葉
神はわたしに向かって怒りを燃やし
わたしを敵とされる。(19:11)


●黙想
友人たちはヨブの苦しみを理解することなく、

苦しみの上に、更に苦しみを加えました。

ヨブの苦しみは、神が敵のように感じられることです。

神を敵にして、勝利できる人はいません。

神に降伏し、神の軍門に下るとき、

神は味方となってくださるのです。

神にギブアップする人は、

人生にネバーギブアップできるのです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨブ18:1-21「ゴール」

◇2012年11月2日(金)
●ヨブ18:1-21「ゴール」

●御言葉
神に逆らう者の灯はやがて消え
その火の炎はもはや輝かず
その天幕の灯は暗黒となり
彼を照らす光は消える。(18:5-6)


●黙想
ヨブの苦しみは、

神に逆らう者の苦しみではなく、

神に従う者の苦しみでした。

神に逆らう者のゴールは死であり、

暗黒の世界です。

神に従う者のゴールは命であり、

光の世界です。

ヨブのゴール、

キリストのゴールは、

神に従う者のゴールです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ
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