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ルカ24:36-53「礼拝」

◇2012年9月30日(日)
●ルカ24:36-53「礼拝」

●御言葉
彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。(24:52-53)

●黙想
礼拝する者は神の祝福を受けます。

弟子たちは復活の主を礼拝しました。

イエス様は彼らを祝福し、

祝福しながら彼らを離れていきました。

神の祝福は喜びと讃美をもたらします。

今日は日曜日です。

共に主に礼拝を捧げ、

主の祝福を受け、

大喜びで家に帰り、

讃美しつつ、一週間を過ごしましょう。

今日も神の祝福がありますように。byバルナバ
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ルカ24:13-35「信仰」

◇2012年9月29日(土)
●ルカ24:13-35「信仰」

●御言葉
すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。(24:31)

●黙想
二人の弟子は、イエス様がいなくなったことを悲しんでいました。

主は彼らに近づき、共に歩み、語りかけました。

しかし、彼らは主に気づきません。

主がパンを裂き、分け与えられた時、

彼らの目は開かれ、主だと気づきました。

その瞬間、主は見えなくなりました。

見ても信じない、気づかない人がいます。

一方、見えなくても信じる人がいます。

主はあなたと共にいます。

主と共に歩み、礼拝を捧げ、

見ないで信じる人は幸いです。byバルナバ

ルカ24:1-12「復活」

◇2012年9月28日(金)
●ルカ24:1-12「復活」

●御言葉
あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。(24:6)

●黙想
復活信仰を持っていますか。

婦人たちは、天使の言葉を聞いて、

主の言葉を思い出しました。

主は復活し、わたしたちも復活します。

婦人たちの言葉を聞いて、

弟子たちは信じられませんでしたが、

やがて信じる者へと変えられます。

復活なしに、キリスト教信仰は成立しません。

復活なしに、罪と死からの解放はあり得ないからです。

復活を信じる者は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ23:44-56「御手」

◇2012年9月27日(木)
●ルカ23:44-56「御手」

●御言葉
イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。(23:46)
●黙想
天国は御手の中にあります。

天国(神の国)とは、神が支配される世界です。

地獄のような苦しみに思えても、

御手にゆだねる時、そこは天国に変わります。

生きて天国。死んでも天国。

これが御手に委ねて生きる人の人生です。

神の支配に身を委ねて生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ23:33-43「天国」

◇2012年9月26日(水)
●ルカ23:33-43「天国」

●御言葉
するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。(23:43)

●黙想
天国への確信はありますか。

一人の犯罪人は、死の直前に、

イエス様にすがり、主と共に楽園に入りました。

人は100%の確立で死を迎えます。

天国に行ける確立は自力では0%です。

しかし、主の力により、主を信じる者には、

100%の確立で楽園が保証されます。

これが福音です。

主を信じ、主と主の言葉にすがる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ23:26-32「摂理」

◇2012年9月25日(火)
●ルカ23:26-32「摂理」

●御言葉
人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出てきたシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。(23:26)

●黙想
偶然と必然。

どちらを信じるかで人生観は変わります。

キネレ人シモンはイエスの十字架を背負わされ、彼の人生は変わりました。

偶然のように見える出来事の中に神の摂理があります。

マイナスと思える出来事にも、必ず意味があります。

今、この時代、この場所に、

あなたが生きているのは、偶然ではなく、必然です。

神の摂理を信じて生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ23:13-25「信仰」

◇2012年9月24日(月)
●ルカ23:13-25「信仰」

●御言葉
ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。(23:23)

●黙想
人の思いは一夜で変わることがあります。

「ホザナ、ホザナ」と叫んでいた人々は、

「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫ぶようになりました。

なぜ、彼らは豹変してしまったのでしょうか。

イエス様が自分たちの描いていたメシアと違ったからです。

あなたが描いている神ではなく、

聖書に描かれた神を信じる。

これが信仰です。

人の言葉や思いは変わります。

しかし、神の言葉は決して変わることがありません。

神があなたを愛する思いは永遠です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ23:1-12「問い」

◇2012年9月23日(日)
●ルカ23:1-12「問い」

●御言葉
それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。(23:9)

●黙想
神様に質問したことはありますか。

ヘロデはイエス様に興味を持っており、

いろんな質問をしましたが、

何一つ答えられることはありませんでした。

信じて問う人と、信じないで問う人がいます。

あなたはどちらですか。

聖書は信じて問う者に、

人生のあらゆる問いに答えてくれる書物です。

今日は日曜日です。

共に主を礼拝しましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ22:63-71「神観」

◇2012年9月22日(土)
●ルカ22:63-71「神観」

●御言葉
お前がメシアなら、そうだと言うがよい」と言った。イエスは言われた。「わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。(22:67)

●黙想
あなたの信じている神様は、どのような神様ですか。

ユダヤ人たちは、メシアを信じていましたが、

メシア観が間違っていたために、

イエスを信じることができず、

侮辱し、死刑を求刑します。

どんなに熱心に神を信じていも、

間違った神観を抱いていると、

信じない人々(異邦人)よりも神に敵対します。

神様はあなたの造り主であり、救い主です。

御言葉を通して、正しい神観を身に着け、

神に従う者は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ22:54-62「ペトロの涙」

◇2012年9月21日(金)
●ルカ22:54-62「ペトロの涙」

●御言葉
主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。(22:61-62)

●黙想
御言葉を黙想し、涙したことがありますか。

ペトロは自己保身に走り、イエスを裏切ってしまいました。

その時、主はペトロを見つめ、

ペトロは主の言葉を思い出し、激しく泣きました。

この経験は、ペトロにとって、生涯忘れ得ないものとなりました。

涙の後、復活の主に出会い、愛と赦しを受けたからです。

御言葉に涙を流し、

主の憐れみにより、

悔い改めへと導かれた人は

涙の後、人を励ます人になります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ22:39-53「祈り」

◇2012年9月20日(木)
●ルカ22:39-53「祈り」

●御言葉
「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。(22:32)

●黙想
アメリカの神学者・ラインホールド・ニーバーの祈りを紹介します。

神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。


今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ22:24-3 「祈り」

◇2012年9月19日(水)
●ルカ22:24-3 「祈り」

●御言葉
しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。(22:32)

●黙想
失意落胆し、疲れていませんか。

サタンはあなたの信仰を無くそうと必死に働いています。

しかし、主もあなたのために祈っておられます。

イエス様はペトロが失意落胆し、

信仰が揺さぶられる時、

立ち直る時を予告し、

その通りになります。

たとえ失意落胆しても、必ず立ち直れます。

主が祈っておられるからです。

今、立ち直って、元気な人は、

主と共に祈りましょう。

疲れている人のために!

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ22:14-23「聖餐」

◇2012年9月18日(火)
●ルカ22:14-23「聖餐」

●御言葉
それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。(22:19)

●黙想
聖餐式ごとに繰り返される言葉です。

パンを食べ、杯を飲む聖餐式の行為は、

キリストとの一体化のしるしです。

「生きているのは、もはやわたしではありません。

キリストがわたしの内に生きておられるのです。

わたしが今、肉において生きているのは、

わたしを愛し、わたしのために身を献げられた

神の子に対する信仰によるのです。(ガラテヤ2:20)

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ22:1-13「魔が差す」

◇2012年9月17日(月)
●ルカ22:1-13「魔が差す」

●御言葉
しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。(22:3)

●黙想
魔が差すことがあります。

サタンは欲望や感情(怒り、憎しみ、嫉妬)などを

抑えきれなくさせ、暴走させます。

ユダはイエスを殺害しようとする人々の企てに加わり、

イエスを裏切り、自ら命を絶ちます。

魔が差さないように、

欲望や感情をコントロールする必要があります。

万が一、魔が差した場合には、

すぐに悔い改め、

赦しと回復を与える主のもとに帰る必要があるのです。

ここにユダとペトロの違いがあります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

キリストとの一体化

『キリストとの一体化』
(ローマ信徒への手紙5章12節~21節)
(2012年9月16日 ベテル清水教会 聖日礼拝)

朝晩涼しくなり、秋の気配が感じられます。
収穫の秋。今、この地域は稲刈りのシーズンで、昨日も教会の前で稲刈りが行われていました。。
バイト先でもお米の荷物が多く、腰痛にならないよう要注意しています。

朝、ベルと母と散歩しながら田んぼのそばを歩いていますので、稲穂をが色づいていく様子がよく分かります。

ある時、イエス様は弟子たちにいいました。
「目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。」(ヨハネ4章35,36節)

これは福音の種蒔きと魂の救いの刈り取りを意味します。
教会の使命は宣教です。
福音の種を蒔き、救いの実を刈り取ることです。

来月、ゴスペル讃美礼拝を行う事になりました。
関西を中心にゴスペルミニストリーを展開されている山本真一郎先生をお迎えします。

先生は、キリスト教理念に基づく伝道と教育をモットーとし、
全国各地にGOSPEL=GOOD NEWSを届けることを目的に、ゴスペルミニストリーS.C.Aというものを立ち上げ、活動されています。

先生は牧師ではありませんが、信徒として献身されている方です。
ゴスペルを通し、福音の種を蒔く。
それが先生の使命です。
まさに、種を蒔く人です。

実は、7月に洗礼を受けた千晶姉は、ここで種蒔かれ、色づいた人です。
初めて礼拝に来られた時から、色づいていました。

私は、彼女が導かれて来たことを通して、先ほどのイエス様の御言葉を実感しています。

イエス様は、さらに続けて弟子にこう言っているんですね。

「あなたがたは自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りに与っている」
アーメンですね。

みなさん。収穫のためには種を蒔く人、苗を植える人が必要です。
種を蒔かなければ、苗を植えなければ、色づくことも、収穫もありません。
種を蒔く場合、いつ蒔くか。蒔き時が重要です。
季節外れに蒔いても、意味がありません。

福音の種の蒔き時は、明日ではなく、今日です。
パウロは「今は恵みの時、今は救いの日」と言いました。
時が良くても悪くても、福音の種を蒔き続ける。
これが教会の使命であり、クリスチャンの使命です。

涙と共に種を蒔き、喜びと共に収穫の恵みを共に味わいましょう。

さて、ローマ信徒への手紙を学んでいます。
今日は5章12節以下です。
5:12 このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。

この一人の人とは、創世記に出てくるアダムのことです。
パウロはアダムとキリストを対比しながら福音を説明します。

聖書は教えます。
最初の人、アダムが罪を犯したため、罪が世に入り、すべての人に死が及ぶようになったのだ、と。

このアダムの罪は、まるで遺伝子のように、人間の中にある、というのです。
これを神学者は「原罪」と呼びました。
三浦綾子さんはこれを「氷点」という言葉で表現しました。

5:13 律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。
5:14 しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。

律法の役割は罪を明らかにすることです。
律法が与えられたのは、モーセの時代です。出エジプト記です。

アブラハム、ヤコブ、イサク、ヨセフの時代は、律法前です。
アブラハムもヤコブもイサクもヨセフも、みな死にました。
彼らも罪と死の支配の中に生きていたのです。

みなさん。アブラハムは信仰の父と呼ばれた人です。
神の命令に従って旅立ち、息子イサクを捧げ、神に献身した人です。

しかし、パウロは言うのです。
アブラハムのように、アダムと同じような罪を犯さなかった者でさえも、死によって支配されていた、と。

ここに人間の限界があります。
人は、どんなに努力し、まじめに生きても、罪と死の支配から逃れることはできません。
これは信仰の父と呼ばれたアブラハムとて同じです。

アダムは、罪を犯し、楽園を失いました。
アダムは、自力で楽園に戻ることはできないのです。
アダム以来、全ての人は罪を犯し、楽園を失っているのです。
罪あるものは楽園に戻れないのです。

どうすれば楽園に戻れるのか。
楽園への復帰、神の国への帰還。
これが聖書のテーマです。

どうすれば楽園に戻れるのか。天国に行けるのか。
イエス様は、らくだが針の穴を通るようなものだ、と言いました。
つまり、人には不可能だ、と言われたのです。

これは神にしかできないことです。
神様の方法でしか、楽園、神の国に入ることはできないのです。
神様の方法、つまり十字架と復活の出来事を通し、神様はその道を準備してくれたのです。
わたしたちは、ただこのお方を救い主と信じるだけで、楽園に戻ることができる、神の国に行くことができる。
これが福音です。

パウロは言いました。
実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。

来るべき方とは、救い主です。イエス・キリストのことです。
アダムはキリストを表す者だった。

これはどういう意味でしょうか。

みなさん。アダムとは誰のことでしょうか。
アダムとは、人類の代表です。
わたしたちの内側にはアダムと同じものがあります。

私の中にアダムがいるのです。
わたしたちの内側には、罪があり、だれ一人例外なく死を迎えます。

アダムが罪と死に支配され、楽園を失ったように、
わたしたちは、生まれながらに罪と死に支配され、失楽園状態にあるのです。
これが聖書が語る人間理解です。
アダムは、わたしたち自身の姿です。
わたしたちはアダムと一体化しているのです。

しかし、パウロは言うのです。
あなたたちは今や、キリストと一体化したんだ、と。
キリストがわたしのうちにおられるのだ、と。

わたしたちは生まれながらにしてアダムと一体化して生きてきました。
罪と死の世界に生きてきました。

イエス様を信じ、洗礼を受けて、わたしたちはキリストと一体化します。
洗礼は、古い自分。アダムと一体化していた古い自分の死を意味します。

わたしたちは、洗礼によって、新しい自分。
キリストと一体化した自分に生まれ変わったのです。


ですから、もはや、わたしたちは罪と死の支配の中に生きる者ではなく、神の永遠の支配の中に生きる者となっているのです。

パウロはガラテヤ書2章20節で告白しています。
2:20 生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。

キリストがわたしの内に生きておられる。
これがキリストとの一体化です。

さらにパウロは言います。ローマ書に戻ります。
5:15 しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。
5:16 この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。

アダムと一体化している時には、一つの罪でも有罪判決が下ります。
罪のない人はいません。クリスチャンも同じです。
人間はみな有罪です。
神の前に無罪とされる人はいないのです。

しかし、恵みの賜物は、無罪を宣告します。
わたしたちがキリストと一体化するならば、どんなに多くの罪を犯しても、キリストの十字架の贖いによって、無罪判決がなされる。
何という恵みでしょうか。
だからアメージンググレース。びっくり仰天する恵みと歌われたのです。
これが福音です。

さらにパウロは言います。
5:17 一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。
5:18 そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。
5:19 一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。

一人の罪とは、アダムの罪です。
なんだアダムのせいか。アダムのせいでこうなったのか。
こう言ってすぐに責任転嫁する姿は、まさにアダムと同じです。

繰り返します。わたしたちアダムだったのです。
アダムと一体化し、罪と死の支配の中に生きていたのです。
失楽園状態にあったのです。
そこへ神様はメシア、救い主をお遣わしになった。
これが2000年前のクリスマスの出来事です。

パウロは言います。
一人の正しい行為、正しい従順とは、キリストの十字架のことです。
2000年前の十字架と復活の出来事によって、ただキリストを信じる者は、キリストと一体化し、義とされ、命を得るようになった。
これが福音です。

わたしたちはキリストと一体化したのです。
罪の支払う報酬は死です。
キリストは私の罪の身代わりに、その報酬を受けてくださった。
これが十字架の意味です。

さらにパウロは言います。
自らの罪が多ければ多いほど、神の恵みが分かるんだ、と。
5:20 律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。
5:21 こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。

長々と説明してきましたが、今日の結論を言います。

イエス様を信じたら、イエス様と一体化し、罪と死の支配から解放され、神の支配の中に入り、永遠の命を得る、楽園を回復するということです。

キリストとの一体化。これが福音です。

みなさん。キリストの福音は簡単です。単純です。
キリストと一つになることです。神と一つになることです。
十字架の上の強盗は、隣にいるイエス様に対して、
「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言いました。

イエス様にすがったその一言が、彼を救いました。
「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と。

楽園とは、アダムが失った世界です。
神と共に永遠に生きる世界です。

彼は、ただイエス様にすがっただけです。
それだけで、キリストと一体化し、楽園に導かれたのです。

みなさん。信仰とは、理解して信じるものではありません。
この説明を聞いて、あっそうか。それなら信じる、というものではありません。
信仰とは、信じた後で理解するものです。

弟子たちもそうでした。
イエス様を信じていながらも、一つも理解していませんでした。
彼らはイエス様を慕っていたのです。イエス様に従っていたのです。
それが重要なのです。

そんな彼らをイエス様は「弟子」と呼んだのです。
彼らは、後で、自分たちが信じている内容を理解しました。
理解するのは、信じた後からです。

わたしたちも同じです。
説明を聞いて信じたのではありません。
信じたものが、説明を聞いて、理解していくのです。

パウロは、信じるために説明しているのではなく、
信じている人に説明したのです。
神の恵みがどれほど大きなものであるかを説明したのです。

わたしたちは、やがて聖書に書かれているとおりの世界を見るでしょう。
その時には、わたしたちが聞いていたこと、理解していたことよりも、もっと素晴らしい世界を味わうだろうと思います。
今、理解しているのは、まだほんの一部だと思います。

みなさん。まず、キリストと一体化していることを喜びましょう。
キリストにあって救いに与っていることを喜びましょう。
神の恵みの賜物に与っていることを喜びましょう。

そして、それがどれほど素晴らしいことであるのか。
もっともっと聖書を理解し、身をもって、証し、福音の種を蒔く者になりましょう。
お祈りします。


ルカ21:29-38「神災」

◇2012年9月16日(日)
●ルカ21:29-38「神災」

●御言葉
天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。(21:33)

●黙想
あなたはどこに立っていますか。

人は天災や人災を恐れます。

しかし、それらのものは肉体を滅ぼしても

魂まで滅ぼすことはできません。

最も恐れなければならないものは神災(神の裁き)です。

主と主の言葉に信頼する者は、

神の裁きから救われ、決して滅びません。

ここに立って生きる人。

それがクリスチャンです。

今日は日曜日です。

主の前に立ち、主を礼拝していきましょう。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

ルカ21:20-28「終末」

◇2012年9月15日(土)
●ルカ21:20-28「終末」

●御言葉
そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。(21:27)

●黙想
主を迎える準備はできていますか。

エルサレムの滅亡と終末に起こる出来事が告げられます。

インターネットの普及により、

世界情勢の緊迫感や天変地異の様子が瞬時に伝わってきます。

今は、聖書的には、いつ終末が来てもおかしくない時代です。

クリスチャンにとって「そのとき」は、

救い主を見る時であり、解放と喜びの時です。

主を待ち望む人は幸いです。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

ルカ21:10-19「忍耐」

◇2012年9月14日(金)
●ルカ21:10-19「忍耐」

●御言葉
忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。(21:19)

●黙想
忍耐力を養っていますか。

終末時の光景が語られます。

人生最大かつ最後の苦難は終わりの日に訪れます。

その日、その時を耐え抜き、

勝利を得るためには忍耐力が必要です。

この力は信仰と希望をエネルギーに養われていきます。

どんな時も、主を信じ、主に望みを置き、

最後まで耐え忍ぶ人は幸いです。

主に望みを置く人は、

失望に終わることはあり得ないからです。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

ルカ21:1-9「清貧」

◇2012年9月13日(木)
●ルカ21:1-9「清貧」

●御言葉
イエスは目を上げて、金持ちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。(21:1)

●黙想
主は心を見られます。

金持ちと貧しいやもめ。

人は見た目で判断します。

しかし、主は内側を見られます。

清貧はクリスチャンの美徳です。

清く貧しく見せる人ではなく、

清く貧しく生きる人を、

主は喜び、祝福されます。

今日も御言葉によって心を清め、

主を頼って生きる人は幸いです。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

ルカ20:41-47「主」

◇2012年9月12日(水)
●ルカ20:41-47「主」

●御言葉
このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。(20:44)

●黙想
主はどこにいますか。

主はかつておられ、今もおられ、やがて来られるお方です。

ダビデは、朝ごとに主の前に出て祈り、

やがて来られる救い主を待ち望みました。

律法学者や祭司長たちは、

救い主を待ち望んでいましたが、

目の前にいる主に祈り、

ひれ伏さなかったのです。

主はあなたの目の前にいます。

主に向かって

「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と

祈り求める人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ20:27-40「永遠の命」

◇2012年9月11日(火)
●ルカ20:27-40「永遠の命」

●御言葉
神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。(20:38)

●黙想
復活を信じていますか。

死は終わりではありません。

死が終わりであるなら、

死者にとって神はなく、信仰もむなしくなります。

しかし、聖書は、復活を語ります。(一コリント15章他)。

大切なのは、復活後、永遠に生き続けることができるか否かです。

これを可能にしたのがキリストによる救いなのです。

キリストを信じ、永遠の命を得た人。

永遠に神と共に生きる人。

それがクリスチャンです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ20:19-26「御言葉」

◇2012年9月10日(月)
●ルカ20:19-26「御言葉」

●御言葉
そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。(20:19)

●黙想
御言葉は気づきを与えます。

大切なのは、その後の選択です。

律法学者たちは、

イエスの言葉を聞き、気づきが与えられました。

しかし、態度を改めませんでした。

QTは、黙想し、気づきが与えられた後が大切です。

御言葉を殺すのか。

御言葉を生かすのか。

あなたの選択にかかっているのです。

生活の中に御言葉が生きている人は、

神の祝福があります。

今日も祝福された一日でありますように。

御名によって祈ります。byバルナバ

ルカ20:9-18「罪」

◇2012年9月9日(日)
●ルカ20:9-18「罪」

●御言葉
彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。(20:16)

●黙想
客観的に自分を見つめ直すことは大切です。

人々は、イエスの話を聞いて、

そんなことがあってはならないと叫びましたが、

彼らは、このたとえ話のように、

神の独り子を十字架に付け、

殺してしまうのです。

ここに隠れている罪の本質があります。

罪のない人はいません。

聖書を黙想し、

自分を見つめる時に、

自らの罪が明らかになります。

大切なのは、その後です。

悔い改め、主に立ち帰る人は、幸いです。

今日は日曜日です。

共に主を礼拝しましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ20:1-8「聖書」

◇2012年9月8日(土)
●ルカ20:1-8「聖書」

●御言葉
すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」(20:8)

●黙想
どのような心で聖書を読んでいますか。

祭司長や律法学者、長老たちは、

イエスを陥れるため、

上から目線でイエス様に質問しました。

主は彼らの心をご存じであり、

ノーコメントで終わります。

聖書は神の言葉です。

聖書を通して神のコメント(声)を聞くためには、

謙遜な心が必要なのです。

高慢な人は、自分の答えを持ち、

謙遜な人は、神の答えを持ちます。

神の答えを持って生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ19:41-48「祈りの人」

◇2012年9月7日(金)
●ルカ19:41-48「祈りの人」

●御言葉
彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」(19:46)

●黙想
祈りの人になっていますか。

神の家(神殿・教会)は祈りの家であるべきです。

クリスチャンは、

一人一人が神殿であり、教会であり、神の人です。

神の人は祈りの人であるべきです。

朝ごとに、自らを聖別し、

祈る人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ19:28-40「必要」

◇2012年9月6日(木)
●ルカ19:28-40「必要」

●御言葉
二人は、「主がお入り用なのです」と言った。(19:34)

●黙想
生きがいを感じていますか。

生きがいは、誰かのために生きる時に感じるものです。

誰も自分を必要としなくなるとき、

生きがいを喪失します。

主はあなたを必要としています。

主のために生きる。

ここにクリスチャンの生きがいがあります。

主に仕えるように、人に仕える人は、

生きがいを失うことがありません。

今日も、主があなたを用いられます。

善き一日となりますように。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ19:11-27「決算」

◇2012年9月5日(水)
●ルカ19:11-27「決算」

●御言葉
主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。(19:26)

●黙想
人生には決算があります。

三人の僕は、それぞれ一ムナを預けられていました。

10倍、5倍に増やした人は、

10の町、5の町の支配権が与えられましたが、

地に隠した人には、一ムナをも取り上げられます。

一ムナは命(時間)です。

決算(死)の日には、

どのように用いたかが問われます。

主から与えられた命(時間)を用いて、

御心に従って生きる人は、天に宝を積む人です。

「一生の終わりに残るものは、

我々が集めたものではなく、

我々が与えたものだ。」(渡辺和子)。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ19:1-10「ザアカイ」

◇2012年9月4日(火)
●ルカ19:1-10「ザアカイ」

●御言葉
ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。(19:6)

●黙想
キリストに出会って、変化しましたか。

ザアカイは新しい生き方を選びました。

♪ザアカイ♪(作詞作曲:佐々木直恵)

その男は 町の人から

嫌われていたザアカイ。

ある日イエスが来られると知り、木に登った。

ザアカイ、ザアカイ、降りておいで

ザアカイ、ザアカイ、一緒に話をしよう

イエスは彼の 名前を呼んだ

昔からの友のように

そして彼は 新しい生き方選んだ

ザアカイ、ザアカイ 降りておいで

ザアカイ、ザアカイ、一緒に話をしよう


今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ18:31-43「見えるようになれ」

◇2012年9月3日(月)
●ルカ18:31-43「見えるようになれ」

●御言葉
「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ、あなたの信仰があなたを救った。」(18:41-42)

●黙想
御言葉と神の計画を理解していますか。

弟子たちは、イエス様の言葉を聞き流しました。

霊の目が開かれておらず、

理解することができなかったからです。

一方、盲人は、主に近づき、

目が見えるようになることを求め、

彼の目が開かれ、神を崇め、従う者となりました。

御言葉を読む時、

主を求め、

「主よ、目を開き、悟らせてください」と祈り求めてください。

そうすれば、御言葉を通し、

見えなかった世界、

気づかなかった計画を見せてくださることでしょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ18:15-30「信仰」

◇2012年9月2日(日)
●ルカ18:15-30「信仰」

●御言葉
イエスは、「人間にできないことも、神にはできる」と言われた。(18:27)

●黙想
信仰とは、

「自分にはできる」と己を信じることではなく、

「神にはできる」と神を信じることです。

これが幼子のような信仰であり、

神の国は、

「神にはできる」と信じる人たちの集いです。

今日は日曜日です。

イエス様に触れていただく日です。

共に主に礼拝を捧げましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ
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