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ルカ17:22-37「その日、その時」

◇2012年8月31日(金)
●ルカ17:22-37「その日、その時」

●御言葉
ノアの時代にあったようなことが、人の子の現れるときにも起こるだろう。(17:26)

●黙想
終末への準備はできていますか。

人生には始まりがあり、終わりがあります。

歴史にも始まりがあり、終わりがあります。

その日、その時、

ノアは、箱舟に入り、救われました。

ロトもソドムの町を逃れ、助かりました。

イエス(人の子)が現れるその日、その時、

主の名を信じる者は、皆、救われます。

主を信じることは、終末時に欠かせない備えです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ
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ルカ17:11-21「癒しと救い」

◇2012年8月30日(木)
●ルカ17:11-21「癒しと救い」

●御言葉
それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(17:19)

●黙想
10人の病者はイエス様に憐れみを求め、

主の言葉に従うことで癒しを経験します。

祭司のところに行けば、家に帰ることができました。

一人のサマリア人は、

癒されたことを喜び、神を讃美し、

イエスのところに戻ってきました。

彼はイエスにひれ伏し、感謝を捧げ、救いを得ます。

イエスのところに戻れば、神の国に帰れます。

イエス様は癒し主であり、救い主です。

主に癒され家に帰り、

主に救われ神の国に帰る。

これが福音です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ17:1-10「赦し」

◇2012年8月29日(水)
●ルカ17:1-10「赦し」

●御言葉
あなたがたも気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。(17:3)

●黙想
罪を犯したら、すぐに悔い改めていますか。

赦す人になるためには、

悔い改める経験、

赦される経験が必要です。

神様は悔い改める者には、

七回どころか、七の七十倍、

永遠に赦し続けてくださる方です。

キリストを信じる者は、神の赦しを得ています。

そのことを自覚し、

多く赦され、多く赦せる人になりますように。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ15:11-32「恵み」

◇2012年8月26日(日)
●ルカ15:11-32「恵み」

●御言葉
すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。』(15:31)

●黙想
人は、なぜ怒るのでしょうか。

お兄さんは、放蕩していた弟が帰ってきて、

父親が喜び、祝うことに腹を立てました。

裁かれてしかるべき人が赦される。

まじめなお兄さんには耐えられなかったのです。

父親は兄を諭し、

兄が見失っていた恵みに目を向けさせたのです。

神に愛され、赦され、恵みを受けていることに気づく。

ここに平和と和解への道があります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ16:1-13「主人」

◇2012年8月27日(月)
●ルカ16:1-13「主人」

●御言葉
どんな召使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。(16:13)

●黙想
あなたの主人は誰ですか。

神か富(金)か。

究極的には二者択一です。

神を主人とする人は、

富を奴隷(支配)し、

富を主人とする人は、

神を奴隷にします。

自分の願いを叶えてくれる神を神とする人は、

富みに仕える人であり、

神の願いに応えて生きようとする人は、

神に仕える人です。

神の願い(御心)に従う者は、神の祝福に与ります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ15:11-32「恵み」

◇2012年8月26日(日)
●ルカ15:11-32「恵み」

●御言葉
すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。』(15:31)

●黙想
人は、なぜ怒るのでしょうか。

お兄さんは、放蕩していた弟が帰ってきて、

父親が喜び、祝うことに腹を立てました。

裁かれてしかるべき人が赦される。

まじめなお兄さんには耐えられなかったのです。

父親は兄を諭し、

兄が見失っていた恵みに目を向けさせたのです。

神に愛され、赦され、恵みを受けていることに気づく。

ここに平和と和解への道があります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ15:1-10「悔い改め」

◇2012年8月25日(土)
●ルカ15:1-10「悔い改め」

●御言葉
徴税人や罪人が皆、話を聞こうしてイエスに近寄ってきた。(15:1)

●黙想
御言葉を聞こうとしていますか。

見失った羊。無くした硬貨。

ここに罪人の姿があります。

罪人とは道を見失った迷い人であり、

価値を無くし、生き甲斐を失った人です。

イエス様に出会い、

悔い改めへと導かれた人は、

命と真理の道を歩み、御言葉によって価値観が変えられます。

日々、御言葉を黙想し、

考え方、行動をチェンジしていく人を、

神も天使も喜び、祝福されます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ14:25-35「弟子」

◇2012年8月24日(金)
●ルカ14:25-35「弟子」

●御言葉
自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。(14:27)

●黙想
あなたはキリストの弟子ですか。

主の招きは二度あります。

婚礼の客は二度目の招きの時、

理由をつけて拒み、ゴール(神の食卓)を逃しました。

主に招かれた人は、

弟子へと招かれた時、

すべてを捨てる覚悟が迫られます。

すべてを捨てるとは、

家族も命も財産も、

主に明け渡す、委ねるという意味です。

神の国と神の義を第一にする人は、

神の祝福を体験し、

地の塩として用いられる人になります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ14:15-24「神の食卓」

◇2012年8月23日(木)
●ルカ14:15-24「神の食卓」

●御言葉
言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もない。(14:24)

●黙想
誰と神の食卓を味わっていますか。

キリストは神の食卓への招待状を持って世に来ました。

すべての人が招かれていますが、

実際、神の食卓を味わうことができるのは、僅かな人なのです。

神様は「通りや小道に行き、無理にでも人々を連れて来て、

この家をいっぱいにしてくれ」と願っています。

あなたは誰と一緒に食卓を味わいますか。

一人が一人を伴って、神の食卓(教会)に向かいましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ14:1-14「謙遜」

◇2012年8月22日(水)
●ルカ14:1-14「謙遜」

●御言葉
だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。(14:11)

●黙想
霊的な原則を知ることは有益です。

主は謙遜な者を祝福し、

傲慢な者を退けます。

高ぶる人と、高められる人では、

同じ高さにあっても雲泥の差があります。

高ぶる人は恥をかき、

へりくだる者は、面目を得ます。

キリストに倣いて僕となり、

仕える人は、

神に高められ、幸せになります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ13:22-35「狭き門」

◇2012年8月21日(火)
●ルカ13:22-35「狭き門」

●御言葉
「狭い戸口」から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。(13:24)

●黙想
イエス様は救いの門です。

救いの戸口は、すべての人に開かれています。

しかし、その門を通って神の国(救い)に至る人は少なく、

時が来れば門は閉じられます。

入るように努めることができるのは、

時(命)がある間です。

入ろうとしても入れない時が来ます。

時のある間に救いの門を見い出した人は幸いです。

「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。(ヨハネ10:9a)

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ13:10-21「讃美」

◇2012年8月20日(月)
●ルカ13:10-21「讃美」

●御言葉
イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を讃美した。(13:12-13)

●黙想
感謝と讃美を捧げていますか。

18年間、病に苦しめられていた女性は、

主に目を留められ、触れられ、瞬時に癒されました。

すると彼女は即座に神を讃美したのです。

感謝と讃美を捧げるためには、

主が成してくださった御業を忘れないことです。

主の恵みと祝福を心に刻み、

感謝し続ける人、

讃美し続ける人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

悔い改めにも時がある

『悔い改めにも時がある』
(ルカ13章1節~9節)
(2012年8月19日 ベテル清水教会 聖日礼拝)

ロンドンオリンピックが終わり、日本は過去最高38個のメダルを獲得しました。
金メダルは7個でした。

オリンピック選手にとって金メダルは、目標であり、最高の栄誉です。
メダルが決まった瞬間、選手達の顔は、最高に輝きます。
喜びに満ちあふれています。

「どや顔」というのがあるそうですね。
わたしも最近知りました。
「どや」というのは、関西の方言で、「どうだ」という意味だそうで、
「どうだ」という誇らしげな顔を「どや顔」というそうです。
内村選手のどや顔が、スポーツ新聞の一面に掲載されていました。

金メダルは最高の栄誉です。誉れです。
なでしこジャパンの澤先生は、ほまれという名前ですが、今回も銀メダルを取って、誉れを受けました。

みなさん。わたしたちクリスチャンにとって、最高の誉れ、誇りはイエス・キリストですね。
先週、獅々賀先生も「主を誇りなさい」とメッセージをしてくださいました。

イエス様はわたしたちのために戦い、勝利してくださいました。
わたしたちは、なでしこジャパンならぬキリストジャパンの一員です。
キリストの故に、永遠の命という最高のメダルを頂き、神の栄誉にあずかりました。

今朝も、勝利の主を誇り、共に礼拝を捧げる事ができることを感謝します。

さて、8月はローマ信徒への手紙の講解説教はお休みし、主題説教をしています。
今朝は、今日の聖書日課の個所をご一緒に分かちあいたいと思います。
テーマは「悔い改め」です。
もう一度、聖書を開きましょう。ルカによる福音書13章です。
13:1 ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。

イエス様は12章で、終わりの日、終末への備えを語りました。
人の子、つまりイエス様は、思いがけない時に帰ってくるので、目を覚ましているように、と教えたのです。

みなさん。いつ主が来られてもいいように準備ができているでしょうか。
いつ天に召されてもいいように心の準備はできているでしょうか。

先週、朝の4時頃に激しい雷が鳴り響きました。
落雷の音で家が揺れるほどでした。

普段、家の隣は道路であって、車の音が一晩中聞こえています。
隣の人が、慣れるのに半年かかったと言われて、不安でしたが、二、三日で慣れて、ぐっすり眠れるようになりました。

しかし、さすがに雷の音には目を覚ましました。
雷の激しい音で目を覚ましたのです。

イエス様は「目を覚ましていなさい」と言いました。
これは、「霊の目を覚ます」ということです。
神に立ち帰る、という意味です。

雷の音で目が覚めるように、わたしたちは雷が落ちるような経験を通して、目を覚まさせられることがあります。
雷が落ちる前に、雷鳴に気づいて、身を隠す必要があります。
わたしたちは、命が尽きる前に、主に立ち帰る必要があります。
これが今日のテーマです。

みなさん。聖書の一貫したメッセージは「主に立ち帰れ」です。
目を覚まして、主に立ち帰れ。
神様はいろんな方法を用いて、わたしたちの目を覚まされるのです。

12章では、主が来られる日に備えて、目を覚ましているように語りました。目を覚まし、時を見分けなさい、と言ったのです。
神の裁きが下る前に、人と和解し、神と和解するように教えたのです。

雷が落ちる前に、命が滅びる前に、目を覚まし、神に立ち帰るようにと教えているのです。
ちょうど、その時、事件が起こりました。
13:1 ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。

当時、ユダヤはローマの支配下にありました。
ある時、ガリラヤの住民が、ローマ政府の公共事業のあり方に抗議し、反対運動を起こしたのです。

この運動を制圧するために、ピラトは武力行使を行いました。
そして、神殿にいた多くのガリラヤ人が犠牲となりました。

歴史は繰り返されます。
今でも、自由と解放を求め、市民が立ち上がって、デモを行うことがあります。
これを制圧するために武力行使が行われ、血がなされ、多くの命が犠牲になる事件が頻発しています。
今はインターネットを通して、すぐにそういう情報が流れてきます。

人々は言いました。
「ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜた」と。

これはどういうことでしょうか。
ガリラヤ人は神殿で犠牲になった、ということです。
犠牲を捧げ、神に礼拝を捧げているところを襲われ、血を流し、命を失ったというのです。
非常にショッキングな出来事です。

実は、今も世界では、同じような出来事が起こっています。
教会が焼き討ちにされた、教会が襲撃された、ということが、新聞の片隅にニュースとして掲載されることがあります。
しかし、報道されるのはほんの一部です。

今、ナイジェリアの教会では、非常に厳しい迫害が起こっています。
先月、三つの教会が爆破されたそうです。
さらに牧師の家庭に集まって礼拝していた50人がテロリストによって焼き討ちされるという痛ましい事件も起こっています。
わたしたちの教会が一夜にして、焼き討ちにされるようなものです。
想像を絶しますね。

ヨーロッパでは、破壊され、廃墟となった教会がいくつもあります。
そこには記念碑が建てられています。
碑文には「ここで礼拝をしている最中に爆弾が投下され、信徒何百人が亡くなった」と記されているというのです。

今から18年前、ルワンダでも大虐殺が起こりました。
川野姉から「生かされて」という本を借りたのですが、
その本は、ルワンダで起こった大量虐殺事件から生き延びた女性の証です。
彼女は牧師の家の狭いトイレに七人の女性と身を隠し、奇跡的に生き延びたという話です。
この虐殺で、何と100万人もの人々が命を失ったそうです。

みなさん。はるか昔の話ではありません。18年前の出来事です。
今も、知らないだけで、地球上のどこかでそのような事件が起こっているかも知れません。

先日も、池上彰さんの戦争について考える番組があり、人間の罪深さを思わされました。
みなさんもご存じのように、あのユダヤ人大虐殺では約600万人ものユダヤ人が命を失ったのです。
これも、はるか昔のはなしではないのです。
今から70年前の出来事です。母が生きている時代に起こったのです。

何の罪もない人々が捕らえられ、指一本で、選別され、ガス室に送られ命を落としていく。
幼子たちの遺品の靴が映し出されると、声が詰まります。
胸が痛みます。
人間の罪深さを思います。

みなさん。ヒットラーや独裁者が殺害されても、それほど胸は痛みません。
彼らの行った悪からすれば、それぐらいの罰では赦されないと思うからでしょう。
悪への報いであれば納得します。
しかし、善を行った者、まだ何も分からない幼子たちが殺される。
胸が痛みます。

わたしたちは、歴史を学んだり、今も起こっている事件や事故、出来事を通して、胸を痛めます。
その中で、聞かなければならない神の声があります。
それが今日の個所です。
イエス様は、この知らせを聞いて、人々に言いました。
13:2 イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。
13:3 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。

彼らは思ったのです。
彼らがこんな災難に遭ったのは、彼らが罪深かったからか。

当時、災難に遭う人は、罪深い人だ、という考えがありました。
本人が正しくても、両親や先祖が罪を犯したから、こんな目に遭っているんだ、という風な考えがあったのです。
いわゆる因果応報ですね。

イエス様は、その考えを一蹴します。
「決してそうではない」と。

そして、もう一つの悲しい事故についても語るのです。
13:4 また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。

老朽化のために、塔が突然倒れて18人が亡くなりました。
突然の出来事です。

みなさん。新聞やニュースを見ていると、突然の出来事で命を失った人たちが、どれほどたくさんいるかということが分かります。
わたしたちは、毎日、そのようなニュースを聞いているのです。

今朝、そのようなニュースを耳にしているわたしたちに対して、イエス様は、語られます。

彼らが罪深かったから、そのような目に遭ったのではない、と。
そして言うのです。

13:5 決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」

あなたがたも悔い改めなければ、皆、同じように滅びる。
非常に厳しい言葉です。
あまり耳にしたくない言葉です。
人ごとではない、ということです。

わたしたちも、いつ終わりが来るか分からないのです。
わたしたちも、いつ「時」が止まるか分からないのです。

みなさん。今日の説教題は「悔い改めるにも時がある」です。

時というのは、時間です。
時は永遠に続きません。時はいつか終わりがあります。
タイムリミットがあるのです。
悔い改めにも、タイムリミットがある。
わたしたちは、このことを心に刻みたいのです。

時がなくなることがあるのです。
突然、時が失われる、奪われることがあるのです。

日野原重明さんは、「命」とは、「時間」だと言いました。
命を失うとは、時間を失うことだ、ともいいました。

今日、命が失われたら、時も失うのです。時間が止まるのです。
時が止まってからでは、悔い改められないのです。

イエス様はこの二つの事件と事故を通し、時が失われたら、悔い改めることができない。
悔い改めなければ、皆滅んでしまうんだ。
だから、命のある内に、時間のある間に、悔い改めなさい、と教えているのです。

そこでイエス様はたとえを語ります。
13:6 そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。
13:7 そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』
13:8 園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。
13:9 そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」

いちじくの木はイスラエルの民を表します。
この主人は神様であり、園丁はイエス様です。

もう一年、待ってください。
これがイエス様の執り成しです。
もう一年、待ってください。
神様は、忍耐して待っているのです。

一個所聖書を開きます。二ペトロ3章9節です。
3:8 愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。
3:9 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。
3:10 主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。
3:11 このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。
3:12 神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。
3:13 しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。
3:14 だから、愛する人たち、このことを待ち望みながら、きずや汚れが何一つなく、平和に過ごしていると神に認めていただけるように励みなさい。
3:15 また、わたしたちの主の忍耐深さを、救いと考えなさい。それは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、神から授かった知恵に基づいて、あなたがたに書き送ったことでもあります。

みなさん。神様は忍耐されています。
もう一年、もう一年と待ってくださっているのです。
主の忍耐深さは、救いです。
悔い改めのチャンスが残されているからです。

先週、水曜日の聖書の学びと祈り会では、愚かな金持ちの個所を学びました。
彼は、お金持ちで、しかも自分の畑が豊作になると言う、とても恵まれた境遇にいました。

彼は、自分のために富を蓄え、倉を建てました。
すると、神様は彼に言ったのです。

「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意したものは、いったい誰のものになるのか」と。

彼は突然、終わりが宣告されたのです。

彼はどうしたと思いますか。
わたしは彼は悔い改めて救われたと思うのです。
「愚か者よ」と彼が聞いたのは、彼が命のある時でした。
命あれば、悔い改めるチャンスが残されているのです。
わたしは、彼は、ギリギリのところで悔い改めることができたと思います。

みなさん。悔い改めには時があります。
神様は、ある時には、雷鳴を鳴り響かせるような出来事を通して、わたしたちの目を覚まし、悔い改めへと導かれるのです。

御言葉は、わたしたちの目を覚まし、悔い改めへと導きます。
わたしたちの人生に起こるあらゆる出来事、また、この世に起こるあらゆる出来事もまた、わたしたちの目を覚まし、悔い改めへと導くのです。

時が残されている間に、命が滅びる前に、悔い改め、救いに与り、
さらに多くの人々が、この救いに与るように、共に祈っていきましょう。
お祈りいたします。


ルカ13:1-9「悔い改め」

◇2012年8月19日(日)
●ルカ13:1-9「悔い改め」

●御言葉
けっしてそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。(13:3)

●黙想
悔い改めにも時があります。

チャンスがあり、リミットがあります。

突然の災難は悔い改める機会にもなり得ますが、

命を失ったら、その機会すらも奪われるのです。

時(命)がある間に、主に立ち帰るようにと、

神様は忍耐をもって待っておられます。

今日は日曜日です。

共に主に礼拝を捧げましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ12:49-59「天の平和」

◇2012年8月18日(土)
●ルカ12:49-59「天の平和」

●御言葉
あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。(12:51)

●黙想
イエス様を信じると

人生観、価値観が変わります。

その結果、家族との関係が

一時的におかしくなることがあります。

イエス様の御心は家族もろとも救われ、

神の家族の一員となることです。

これがイエス様がもたらす天の平和です。

地上の平和は、

一時的で、崩れやすいものですが、

天の平和は永遠で、決して崩れません。

地にも天の平和が実現しますように。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

ルカ12:35-48「終末」

◇2012年8月17日(金)
●ルカ12:35-48「終末」

●御言葉
あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。(12:40)

●黙想
もし、今日、主が来られるとしたら、

あなたはどのように過ごしますか。

もし、今日が人生の最後の一日となるならば、

あなたはどのように過ごしますか。

今日、主が来られるかもしれない、

今日が人生の最後の日になるかも知れない、

そのような意識を持って、

一日一日をベストを尽くし、

後悔のない人生を歩みましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ12:22-34「天に宝を積む②」

◇2012年8月16日(木)
●ルカ12:22-34「天に宝を積む②」

●御言葉
あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。(12:34)

●黙想
あなたの心はどこにありますか。

富を求める人は、心が富みにあります。

神の国を求める人は、心が神の国にあります。

神の国とは、神の支配という意味です。

心が神に支配されている人は、

富みに執着せず、

富を用いて、神に仕えます。

天に宝を積む人は、すべての必要が満たされ、

神の恵みと祝福が注がれるのです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ12:13-21「天に宝を積む」

◇2012年8月15日(水)
●ルカ12:13-21「天に宝を積む」

●御言葉
そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。(12:15)

●黙想
持てば持つほど貧しくなるものがあります。

豊かになればなるほど失われていくものがあります。

愚かな金持ちは、貪欲に支配され、自命を失いました。

持てば持つほど豊かになる方法があります。

豊かになっても失われない、

持っている者には更に加え与えられる生き方があります。

それは神に支配され、天に宝を積む生き方です。

与える人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ12:1-12「恐れ」

◇2012年8月14日(火)
●ルカ12:1-12「恐れ」

●御言葉
だれを恐れるべきか、教えよう。それは殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ言っておくが、この方を恐れなさい。(12:7)

●黙想
あなたを恐れさせるものは何ですか。

イエス様は弟子たちに、本当に恐れなければならない方を示します。

この方は、すべてをご存じであり、

髪の毛一つをも覚えておられるお方です。

この方の前に、隠し通せるものは何もありません。

罪を裁く権威を持つお方は、

罪を赦す権威をも持って、この世に来られました。

これがキリスト・イエスです。

主を恐れる人は、他のものを恐れる必要はないのです。

主があなたを守られるからです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ11:37-54「罪」

◇2012年8月13日(月)
●ルカ11:37-54「罪」

●御言葉
主は言われた。「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。(11:39)

●黙想
人を裁くと、自分も裁かれます。

幸いな人とは、

裁かない人、裁けない人です。

だれでもファリサイ派の人々と同じ罪の性質があります。

この性質がキリストを十字架につけたのです。

イエスに出会い、

内在する罪の性質に気づき、

主の赦しを体験した人は幸いです。

裁けなくなるからです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ11:29-36「光」

◇2012年8月12日(日)
●ルカ11:29-36「光」

●御言葉
だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。(11:35)

●黙想
心が暗くなると、言葉も暗くなり、

行動や習慣、性格、さらに人生までもが暗くなります。

御言葉は心の灯し火であり、

御言葉を黙想すれば心は明るくなります。

今日は日曜日です。

礼拝は灯し火を消さないために、欠かせないものです。

共に主を見上げ、礼拝を捧げましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ11:14-28「幸い」

◇2012年8月11日(土)
●ルカ11:14-28「幸い」

●御言葉
しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」(11:28)

●黙想
あなたは幸せですか。

一人の女性が自分とイエスの母とを比較し、

マリアのことを「何と幸いなことでしょう」と言いました。

マリアが幸いな人と呼ばれたのは、

「お言葉どおり、この身になりますように」と御言葉に従順したからです。

幸せな人とは、

御言葉によって心を守り、

御言葉に従順する人です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ11:1-13「祈り」

◇2012年8月10日(金)
●ルカ11:1-13「祈り」

●御言葉
そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。(11:9-10)

●黙想
祈りの極意は、

主を求め、御心を探し、御心を行うことです。

そうすれば、主はわたしたちに最善なものを、

最善な時に、最善な方法で与えてくださいます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ10:25-42「愛」

◇2012年8月9日(木)
●ルカ10:25-42「愛」

●御言葉
しかし、必要なことはただ一つである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。(42)

●黙想
愛は愛することで満たされ、愛されることで安息します。

良きサマリア人の物語は、

隣人を愛するとは、どういうことかを教え、

マルタとマリアの物語は、

神を愛するとは、どういうことかを教えます。

神は愛です。

神と人を愛する者には神の報い(祝福)が伴います。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ10:17-24「天に名が」

◇2012年8月8日(水)
●ルカ10:17-24「天に名が」

●御言葉
蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けたから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に記されていることを喜びなさい。(19-20)

●黙想
天に名が記されているとは、

神に覚えられていることであり、

神の国(天国)にあなたの場所が準備されているということです。

これは、地上で得られるどんな喜びにもまさります。

主に覚えられている人は、

迫害や試練にあっても負けません。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ9:37-50「仕える」

◇2012年8月5日(日)
●ルカ9:37-50「仕える」

●御言葉
「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがたの中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。(9:48)

●黙想
神の国で「偉大な人」とは、仕える人です。

特に小さな者、弱い人に仕える人こそ、最も偉大な人です。

主に仕えるように、人に仕える人、

互いに仕え合う人は、神の国に生きる人です。

今日は日曜日です。

共に主を礼拝しましょう。

今日も祝福がありますように。

明日から二日間。御言葉メールはお休みします。byバルナバ

ルカ9:28-36「証」

◇2012年8月4日(土)
●ルカ9:28-36「証」

●御言葉
すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。(9:35-36)

●黙想
神様の願いは、

弟子たちがレポーターになるのではなく、

証人になることでした。

ペトロたちは、自分たちが見聞きした山上の変貌の出来事を、

レポートせず、沈黙を守りました。

霊的な恵みを体験した後、

沈黙する時間が大切です。

客観的にレポートするのではなく、

主観的に黙想し、自らに適用し、

自らが変化することを通し、

証する者でありますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

ルカ9:18-27「使命」

◇2012年8月3日(金)
●ルカ9:18-27「使命」

●御言葉
それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。(9:23-25)

●黙想
日本人の美徳であった滅私奉公の精神は、

キリストの精神です。

己を捨て、キリストに従う者の命は輝き、救いを得ます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ9:10-17「恵みと祝福」

◇2012年8月2日(木)
●ルカ9:10-17「恵みと祝福」

●御言葉
すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。(9:17)

●黙想
毎日、満たされていますか。

五つのパンと二匹の魚の物語は、

神の恵みと神の祝福を教えます。

五千人を満腹させたパンは、神の恵みであり、

残されたパン屑は神の祝福です。

神の恵みを受けた人は、

神の祝福を与える使命があります。

ただで受けたものを、ただで与える。

そうすればパンの奇跡は、今も起こります。

恵みを受ける人は安息し、

祝福を与える人は満たされます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ルカ9:1-9「癒し」

◇2012年8月1日(水)
●ルカ9:1-9「癒し」

●御言葉
十二人は、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。(9:6)

●黙想
癒しの力を信じますか。

イエス様は神の国の福音を語りつつ、多くの人を癒しました。

弟子たちも、あらゆる悪霊に打ち勝ち、

病気を癒す力と権能を授けられ、

福音を伝えつつ、病人を癒しました。

福音が語られる世界に癒しも起こります。

主と主の約束を信じ、大胆に福音を語りつつ、

病人のために祈りましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ
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