一ペトロ2:13-25「心のナビ」

◇2012年4月30日(月)
●一ペトロ2:13-25「心のナビ」

●御言葉
あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。(2:25)

●黙想
あなたの心にナビはセットされていますか。

QTとは、心のナビです。

御言葉を黙想すると、

自分がどこにいるのか。

どこに向かっているのか。

どう進めばよいのか。

適切なアドバイスが示されます。

魂の牧者であり、

監督者である方のナビに従って歩むならば、

万事は益になります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ
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『ひとりがひとりを③』

『ひとりがひとりを③』
(マルコによる福音書1章29節~31節)
(2012年4月29日 ベテル清水教会 聖日礼拝)

先週、第一生命が行っているサラリーマン川柳の、今年のベストテンが発表されました。

第一位は、宝くじ 当たれば辞めるが 合い言葉

しかし、実際、宝くじがあたって、仕事を辞めたら、人生の歯車は狂い始めるでしょう。

また、毎年、妻に関するネタが必ず入っていますね。

第三位 妻が言う 「承知しました」 聞いてみたい
第四位 スマートフォン 妻と同じで 操れず

アーメンですね。
また、高齢化社会を反映する川柳もあります。

第二位 女子会と 聴いて覗けば 六十代
第九位 定年後 田舎に帰れば 青年部

過疎地ほど、高齢化は進んでいます。

私も考えました。
定年後 教会に行けば 青年部
実は、これが、今の日本の教会の現状です。

少子高齢化というのは、日本の問題であると共に、教会の問題にもなっています。
私たちの教会は、日本の教会の中では、平均年齢は低い教会です。
しかし、今のままでは、十年後、二十年後には、同じ状況になります。

少子というのは、文字通り、子供が少ないということです。
教会の少子化は、教会に集まる子供が少ないという意味ではなく、
主を信じ、新しく生まれ変わる人、つまり受洗者が少ない、ということです。

復活の主は、弟子たちに命じました。
あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子としなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」
                       (マタイ28章19節)

洗礼というのは、新しい命の誕生です。
誰でもキリストにあるならば、新しく生まれた者となります。

教会は、新しい命が生まれる場所であり、新しい命を育む場所であり、
さらに、新しい命を生み出す場所です。
それが教会の使命です。

神様は、私たち一人一人を用いて、新しい命を生み出そうとしておられるのです。

みなさん。神様の御心は、私たちが新しい命を身ごもることです。
新しい命を生み、育てていくことです。
これは男性も女性もありません。
子供も老人もありません。
どの年齢であっても、私たちは身ごもることができるのです。
一人がひとりを身ごもる。
これはクリスチャンとして、新しく生まれた者の使命です。

「ひとりが一人を」
今朝も、このテーマのもとに、御言葉を取り次ぎたいと思います。

もう一度、聖書をご覧下さい。
今朝は、マルコ福音書1章の御言葉です。
1:29 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。

イエス様は安息日にカファルナウムの会堂に入り、教えられました。
その教えには権威と力があり、人々は驚きました。

その後、すぐにシモンとアンデレの家に行ったのです。
ヤコブとヨハネも一緒でした。

みなさん。シモンとアンデレ。ヤコブとヨハネ。
この四人は、みんな漁師です。

彼らは、イエス様から「わたしについてきなさい」と呼びかけられました。

この時、シモンとアンデレは、網を打っていました。
また、ヤコブとヨハネは、網の手入れをしていました。
彼らは、日常生活のただ中で、イエス様に出会ったのです。

みなさん。救われるためには、イエス様に出会う必要があります。
彼らの日常生活の場に、イエス様が来てくださらなければ、彼らはイエス様に出会うことも、弟子になることもなかったと思います。

さらに、出会っても、イエス様の招きに応えなければ、救われません。
彼らは、イエス様に出会い、招かれて、すぐに従いました。
「ちょっと待ってください。今、手が離せないのです」と、後回しにしなかったのです。
彼らは、すぐに網を捨てて、イエス様に従いました。

この時、ヤコブとヨハネの父親も一緒に舟にいました。
なぜ、父親には「従いなさい」と言わなかったのか。
それは分かりません。
とにかく、二人の息子は、父親を残して、イエス様についていったのです。
お父さんは、びっくりしたでしょう。理解できなかったでしょう。

みなさん。家の中で、最初にクリスチャンになると、家族に驚かれます。理解されません。
しかし、そこに神様の計画があることを心に留める必要があります。

イエス様は、最初に12の弟子を選びました。
彼らを側に置き、教え、学ばせ、やがて、遣わされるのです。
神様の選びには、計画があります。

今年の御言葉は、
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。(使徒16:31)

これは、何度も申し上げていますように、主イエスを信じたら、自動的に家族も救われますよ、という意味の言葉ではありません。

私たちはイエス様を信じて救われました。
神様の計画は、私たちが救われて終わりでありません。
私たちを救い、さらに他の人々が救われるように、遣わされるのです。

私たちがイエス様を信じて救われたように、あなたの家族も、イエス様を信じて救われますよ、という約束です。

二週間前、この御言葉が語られた背景について学びました。
パウロとシラスは、牢獄で讃美と祈りを捧げていました。
その時に地震が起こり、獄の戸が開きます。
囚人が逃げてしまったと思って、看守が自殺しようとします。

その時、パウロとシラスが、声を合わせていったのが、
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。(使徒16:31)

看守は、この言葉を聞いて、すぐにイエス様を信じました。
彼はすぐに家族にも伝えました。
すると、家族も、パウロとシラスから福音を聞いて、イエス様を信じて、救われたのです。
御言葉が現実になりました。

私たちの教会でも、この御言葉が現実になるように。
それが今年のテーマであり、祈りです。

みなさん。救いとは何でしょうか。
救いとは、この世の問題、悩みが解決することではありません。
看守は、死に至る問題が解決しました。
囚人が逃げなかったのですから、問題解決です。

しかし、問題解決することが救いではありません。
それは、本当の救いへの窓口に過ぎません。

彼は、本当の救いを求め始めました。
パウロとシラスが持っている救いを求めたのです。

みなさん。救いとは、何でしょうか。
救いとは、神様との関係の回復です。
救いとは、神がずっと一緒にいるという世界にはいることです。
救いとは、神様から見捨てられない世界です。
救いとは、神様から引き離されない世界です。
これが神の国であり、天国です。

この世においては、苦しみがあります。悩みがあります。
しかし、苦しみの中にも神が共にいるならば、そこに救いがあります。
悩みの中にも神が共にいるならば、そこに救いがあります。

そして、私たちは、完全ある救いを待ち望んでいます。
キリストが来られるとき、救いは完成します。
それは、苦しみも悩みも痛みもない世界です。

イエス様が来られるとき、私たちは涙することもなく、痛みも苦しみもない世界に到達するのです。
これが来るべき天国であり、救いが完成する世界です。

みなさん。教会は、イエス様が共にいる世界です。
ここに救いがあります。
教会は、救い主イエス様に出会う場所です。
ここに救いがあります。
クリスチャンが集まり、共に讃美し、祈るところに、イエス様がおられ、
そこに救いがあるのです。

パウロとシラスは牢獄で讃美し、祈りました。
そこに主が共におられたのです。

主が共におられるならば、牢獄が天国に変わります。
囚人や看守たちは、牢獄でイエス様に出会うのです。

看守は、イエス様を信じて救われました。
看守の人生。その時から、ずっとイエス様が一緒です。

みなさん。イエス様は、私たちと共にいます。
私たちが行く場所に、イエス様も行きます。
私たちが帰る場所に、イエス様も帰られるのです。
これがクリスチャンの特権です。

看守は、家に帰りました。
イエス様も、同行されたのです。
彼の家族は、家の中でイエス様に出会います。
そして、イエス様を信じ、救われ、家族みんなが神様を信じる者になった事を喜び合ったのです。

みなさん。私たちは、ここで主を礼拝します。
礼拝とは、イエス様に出会う時間です。

礼拝が終わり、イエス様は、玄関口で皆さんを見送り、「see you next week」と言って、イエス様と別れるのではないのです。

ここから帰って行く世界に、イエス様が一緒に向かわれるのです。
それが今日のテキストです。

イエス様が会堂を出て、シモンとアンデレの家に入られました。
私たちが礼拝し、帰る場所に、イエス様は一緒に向かわれるのです。
今日、そのことを、心に留めたいのです。

さて、シモンの家には病人がいました。
そこにいた人たちは、すぐにイエス様に、話します。
1:30 シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。

イエスに話す、というのは、お祈りを意味します。
私たちの人生には、いろんな問題があります。
自分の問題もありますが、家の問題、家族の問題もありますね。

教会に行って、すっきりしても、家に帰ると、現実が待っています。
しかし、今日、覚えたいことは、イエス様は家に来てくださる、ということです。
私たちの日常生活の中に、関わってくださる、と言うことです。

イエス様は、私たちの祈りに耳を傾けてくださいます。
イエス様が手を伸ばし、触れられる時に、不思議な業が起こります。
教会の中でも、主に触れられ、主の御業が起こることを願います。
家の中でも、主に触れられ、主の御業が起こることを願います。

1:31 イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。

手を取るというのは、触れてくださったということです。
問題を抱えて寝ているしゅうとめに、イエス様が触れてくださった。
すると、彼女は起き上がって、一同をもてなしました。

一緒にいた人たちは驚いたでしょう。
一番驚いたのは、彼女自身です。
主に触れられ、癒されたのです。
その喜びを持って、彼女は、イエス様に仕えたのです。

1:32 夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。
1:33 町中の人が、戸口に集まった。

夕方になって、日が沈むと、真っ暗です。
特に、今のように外灯設備のない時代です。
夜に出歩くことは珍しいのです。

しかし、夜でなければ、出歩けない人がいたのです。
夜でなければ、連れ出せない人がいたのです。

イエス様のもとには大勢の病人や悪霊に取り憑かれた人たちが連れて来られました。

イエス様に出会った人たちが、自分の家族や親しい人を伴って、集まって来たのだと思います。
遠くまで、呼びに行っていたので、日が暮れてしまったのかも知れません。
とにかく、ひとりが一人を導いてきたのです。
イエス様がおられる場所に、導いてきたのです。
これが私たちの使命です。
教会の使命です。

みなさん。自分の問題を、イエス様に話しましょう。
自分の家の問題を、イエス様に話しましょう。
人に話す必要はありません。
私に話す必要もありません。
イエス様に話しましょう。
イエス様に近づき、イエス様にお話しすれば、
イエス様が触れて下さり、救いの手を伸ばしてくださるのです。

みなさんは、礼拝が終わったら、どこに帰りますか。
誰のところに行きますか。
誰を伴って、イエス様の所に行きますか。
イエス様と一緒に、誰の所に向かいますか。


大勢の人々が、イエス様がおられる戸口に人々を連れて来たように、
私たちも、一人がひとりを、イエス様のもとに導くことができるように、祈って、行動していきましょう。
お祈りいたします。

一ペトロ2:1-12「霊の乳」

◇2012年4月29日(日)
●一ペトロ2:1-12「霊の乳」

●御言葉
生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで、成長し、救われるようになるためです。(2:2)

●黙想
あなたの信仰は成熟していますか。

信仰は、神の愛と恵みに育まれ、成長します。

霊の乳(御言葉)は、神の愛であり、神の命そのものです。

毎朝、霊の乳を飲み続けるならば、

信仰は成長し、生活の中で救いを味わうことでしょう。

今日は日曜日です。

主のもとに集まる日です。

主の恵み深さを味わい知った人は、幸せです。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

一ペトロ1:18-25「信仰」

◇2012年4月28日(土)
●一ペトロ1:18-25「信仰」

●御言葉
あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。(1:21)

●黙想
あなたの信仰は、何に支えられていますか。

人の言葉(自分の信仰)は草花のようです。

風(試練)に揺れ、枯れることもあります。

しかし、主の言葉(キリストの信仰)は、

岩のように固く立ち、

永遠に変わることがありません。

主の言葉に支えられて生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

一ペトロ1:8-17「信仰」

◇2012年4月27日(金)
●一ペトロ1:8-17「信仰」

●御言葉
あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見てなくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。(1:8-9)

●黙想
あなたの魂は救われていますか。

信仰とは、見ないで信じることです。

神の約束を信じて一歩踏み出すことです。

飛行機は信じて乗らなければ目的地に到着しません。

機体の到着を確認し、

搭乗することは不可能です。

魂の救われた人は、

キリストという名の飛行機に乗り、

旅をする人に似ています。

主を信頼して生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

一ペトロ1:1-7「試練」

◇2012年4月26日(木)
●一ペトロ1:1-7「試練」

●御言葉
あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で洗練されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。(1:7)

●黙想
信仰が試されたことがありますか。

今日から一ペトロの手紙を黙想します。

この手紙は、

火のような試練の中にあるクリスチャンを

励ますために書かれた手紙です。

金は溶鉱炉で不燃物が除かれ、純金になります。

同じように、クリスチャンは試練によって信仰が試され、

純金のように輝きます。

神の力と信仰によって守られ、

試練を耐え忍ぶ人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト19:16-25「礼拝」

◇2012年4月25日(水)
●出エジプト19:16-25「礼拝」

●御言葉
主はシナイ山の頂に降り、モーセを山の頂に呼び寄せられたので、モーセは登って行った。(19:20)

●黙想
主の山に登っていますか。

主はシナイ山に降臨し、モーセを呼び寄せました。

モーセは山を登り、主の言葉を聞きます。

礼拝やQTは、主の山の登り、

主に出会い、主の言葉を聞く時間です。

大切なのは、山から下りた後です。

主から聞いた言葉を、生活の中に適用して生きる。

ここに幸いな人生があります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト19:1-15「宝の民」

◇2012年4月24日(火)
●出エジプト19:1-15「宝の民」

●御言葉
モーセが神のもとに登っていくと、山から主は彼に語りかけて言われた。「ヤコブの家にこのように語り、イスラエルの人々に告げなさい。(19:3)

●黙想
主の声を聞く時間と場所を聖別していますか。

礼拝は主の山に登ることであり、

主の声を聞く時間です。

QTは主の山に登ることであり、

主の声を聞く時間です。

主の声に聞き従う人々は、

神の宝(祝福の基)となり、

他の人々に祝福を流し出す存在となります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト18:13-27「助言」

◇2012年4月23日(月)
●出エジプト18:13-27「助言」

●御言葉
モーセのしゅうとは言った。「あなたのやり方は良くない。(18:17)

●黙想
助言を大切にしていますか。

モーセはしゅうとの助言を聞き入れ、

その勧めとおりにしました。

その結果、彼の負担は軽くなりました。

主は助言者です。

ある時には御言葉で、

ある時には人を通し、

ある時には出来事を通し、語られます。

主の助言を黙想し、応答できる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

『ひとりが一人を②』

『ひとりが一人を②』
(ヨハネ4章31節~38節)
(2012年4月22日 ベテル清水教会 聖日礼拝)

日本キリスト教団が発行する「信徒の友」という月刊誌があります。
その中に、その日の覚えて祈る教会として、全国の教会が順番に紹介さ

れています。
4月号には、私たちの教会の祈りの課題も載りまして、掲示板に貼りき

れないほどの葉書が、全国から届けられました。

この教会の祈りの課題は、
「礼拝」と「恵み」とQT(黙想)を大切にし、「愛」と「伝道」の実

を結ぶ教会となりますように、です。

礼拝と恵みとQTを大切にする。
これは、私たちの教会の土台であり、三本柱です。
木に例えれば、根っこの部分です。

木は根が命です。
どんなに立派な木であっても、根が腐れば、やがて枯れてしまいます。
礼拝と恵みとQT。
この三つを大切にしていれば、教会は花が咲き、実を結び、種を残しま

す。

愛と伝道の花を咲かせ、実を結び、種を残していく。
それが教会の使命です。私たち一人一人に与えられている使命です。

今日は総会が行われますが、新年度のテーマは「ひとりが一人を」です


これは、今年、ひとりが一人を、身近な人を、キリストの元に導き、愛

と伝道の実を結ぶように、という願いが込められています。

今朝も、先週に引き続き、「ひとりが一人を」をテーマに、主題説教を

させていただきます。

今朝、共に学びたい御言葉は、有名なサマリアの女の物語です。
もう一度、聖書をお開きください。

4:39 さて、その町の多くのサマリア人は、「この方が、わたしの行っ

たことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、イエス

を信じた。

これは、4章1節から続いているサマリアの女の物語の最後の部分になり

ます。

イエス様はサマリアの町に入りました。
当時、ユダヤ人達はサマリアの町を避けて通りました。
しかし、イエス様は、あえてサマリアの町を通りました。

4節には「サマリアを通らねばならなかった」とあります。
みなさん。ひとりが一人を導くためには、あえて通らなければならない

道があります。
もし、イエス様がサマリアの町を避けていたら、この女性は救い主に出

会えなかったのです。
もし、イエス様が彼女を避けていたら、サマリアの町の人たちが救い主

に出会うことはなかったのです。

みなさん。私たちが避けてしまったら、避けている人は、救い主に出会

うチャンスを失うのです。

イエス様は、真っ昼間に井戸汲みに来た女性に出会います。
彼女は、愛に飢え渇いていました。
五人の夫と別れ、今も別の男性と同棲中でした。

彼女は、世間から白い目で見られていたことでしょう。
彼女は、人目を避け、誰も来ない真っ昼間に井戸に行って、水汲みをし

ていたのです。

彼女は、心が渇いていました。
夫を変えても、その渇きは満たされませんでした。
ヤコブの井戸という、特別な井戸の水から水を汲んで飲んでも、その渇

きは満たされることはありませんでした。

みなさん。私たちの周りには渇いている人がたくさんいます。
イエス様に出会わなければ、その渇きに気づかないのです。
イエス様は言いました。

4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く


4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが

与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

彼女は、イエス様に出会って、自分の渇きに気づいたのです。
ヨハネ7章をお開きください。
7:37 祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって

大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲

みなさい。
7:38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から

生きた水が川となって流れ出るようになる。」

彼女は、イエス様に出会い、命の水を求めます。
すると、イエス様は言いました。

「わたしを信じなさい」と。
みなさん。信仰とは、イエス様を信じることです。
イエス様を信じるだけで救われるのです。
イエス様を信じるだけで命の水が与えられるのです。

「わたしを信じなさい」に対して、彼女は、「はい、信じます」とは答

えていません。
しかし、彼女がイエス様を信じたことは、この後の彼女の態度で分かり

ます。

みなさん。イエス様を信じているかどうかは、私たちの生き方を見れば

分かります。
なぜ、私たちは礼拝を守るのでしょうか。
なぜ、私たちは献金を献げるのでしょうか。
なぜ、私たちは聖書を読むのでしょうか。
それは、イエス様を信じているからです。

イエス様を信じると、私たちの価値観、人生観が変わります。
イエス様を信じると、私たちの心や行動に変化が起こるのです。

彼女は、イエス様に出会って変えられました。
彼女は、水瓶を残し、すぐに町に行って、自分の体験を証したのです。

みなさん。イエス様を信じると、心が変わります。
イエス様を信じると、生き方が変わります。
価値観が変わり、人生観が変わるのです。

イエス様のことを伝える彼女の姿を見て、町の人たちは驚いたと思いま

す。
まるで別人のように思ったと思います。
みなさん。自分が変われば周りが変わります。
私たちが変われば、福音は伝わります。

町の人々は、彼女の言葉を聞き、彼女の変化を見て、イエス様を信じま

した。
ひとりが一人どころの騒ぎではありません。

一人の変化が、一つの町を変化させたのです。
これが、主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われます

、という御言葉の成就であります。
彼女ひとりがイエス様に出会ったことが、町の救いに至ったのです。

みなさんも同じです。
みなさんがイエス様に出会ったことが、家族の救いに至るのです。
これが今日の第一のメッセージです。

第二番目
もう一度39節をお読みします。
4:39 さて、その町の多くのサマリア人は、「この方が、わたしの行っ

たことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、イエス

を信じた。

私はクリスチャンホームに生まれました。
子どもの頃から教会に行って、物心がついた頃から神様を信じていまし

た。
中学二年の時に洗礼を受けたのですが、何も分かっていなかったのです

が、ただ純粋にイエス様を信じました。
これは、いわばサマリアの人々の信仰と同じですね。

しかし、20過ぎに、自分自身ではどうすることもできない病気にかか

ったときに、初めて神様と向き合って祈ったように思います。
それまでも祈ることはありました。
しかし、真剣に祈ったのは、あのときが初めてかもしれません。

ヤコブがペヌエルで神様と格闘したように、神様に祈りました。
まるで子どもが母親と交わすような約束をして、神様に祈りました。

神様。どうかあなたが私の目を守ってくれたら、私の人生を神様に捧げ

ます。神様のために働きます。
だから、どうかこの目を守ってください。
手術を成功させてください。

翌朝、主の御言葉が私の心に響きました。
5:29 もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててし

まいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方

がましである。

ドキッとしました。
ちょうど手術が失敗して、義眼をつけた人が同じ病室にいたことが私の

心にあったからでしょうか。

この御言葉が心に響いたときに、
たとえ目を失っても命を失うわけではないんだ。
私には永遠の命が与えられているんだ。
そのことのほうが恵みだ。
たとえ目が見えなくなっても、あなたに従います。
そのように祈りました。

今振り返りますと、わたしにとって、この出来事は、母親の信仰によっ

て信じる世界から、自分の信仰によって信じる世界に変わったと思いま

す。

みなさん。信仰には段階があります。
私たちはあらゆる問題や危機を通し、直接、主の言葉を聞いて、信じる

信仰の奥座敷へと入って行くのです。

サマリア人たちの信仰もそうです。
彼らは、サマリアの女の言葉を聞いて、イエス様を信じました。
そして、彼らは、イエス様の所へ来ます。

4:40 そこで、このサマリア人たちはイエスのもとにやって来て、自分

たちのところにとどまるようにと頼んだ。イエスは、二日間そこに滞在

された。

みなさん。弟子たちは驚いたでしょう。
イエス様がサマリアの女と話をしているだけでも驚いたのです。
今度は、彼女が大勢の人々を連れてきて、この町にとどまって欲しい、

と願ったのです。

弟子たちからすれば、冗談じゃない話です。とんでもない話です。
サマリアの女一人なら我慢できたかもしれない。
それが彼女がたくさんの仲間を引き連れてきたのです。
しかも、この汚れた地であるサマリアの地に留まって欲しいと願ったの

です。
イエス様。冗談じゃないですよ。
そんな気持ちだったでしょう。
しかし、イエス様は、二日間、そこに滞在されました。

4:41 そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。

みなさん。イエス様のところにやってきた人たちの中には、サマリアの

女の言葉を聞いても、信じられなかった人もいたのです。
信じられないけど、興味があったのです。

もしかしたら本当かもしれない、と思いう思いがあったのでしょう。
彼らも、イエス様の言葉を聞いて、信じるようになりました。

みなさん。私たちの証しを聞いても、信じてくれない人がいるかもしれ

ません。
しかし、どんな人であっても、イエス様に出会うならば、時が来ます。

大切なのは、イエス様がおられる世界に導くことです。
イエス様が共におられる場所で、御言葉に触れることです。

時が来れば実を結びます。
しかし、忘れてはならないのは、避けていては、時は来ません。
もし、イエス様がサマリアを避けて通られたら、時は来なかったのです


通らねばならない世界を通ることによって、時が訪れたのです。

4:42 彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話

してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に

世の救い主であると分かったからです。」

みなさん。彼女にとって、この言葉ほど嬉しいことはないと思います。

あなたの言葉を聞いて、信じてよかったと。
わたしが信じているのは、あなたが話してくれたからではないよ。
わたしも自分で信じるようになったから、と。

これは信仰の自立の世界です。
みなさん。一人が一人を導き、その人の信仰が自立できたら、これほど

嬉しいことはありません。

みなさん。まず一人から導きましょう。
伝道は避けて通ってはいけない世界です。

イエス様がサマリアを避けられなかったように、
わたしたちも避けることなく、近づいて行きましょう。

渇いた心に、命の水が届けられるように、
ひとりが一人を礼拝へと導いていきましょう。
そして、共に主を信じる者となって、喜びを分かち合っていきましょう


お祈りいたします。

出エジプト18:1-12「証」

◇2012年4月22日(日)
●出エジプト18:1-12「証」

●御言葉
モーセはしゅうとに、主がイスラエルのためファラオとエジプトに対してなされたすべてのこと、すなわち、彼らは途中であらゆる困難に遭遇したが、主が彼らを救い出されたことを語り聞かせると、(18:8)

●黙想
主の恵みを家族・親族・友人に語り聞かせていますか。

エジプトから奇跡的に救い出されたモーセは、

妻の家に帰り、主の御業を語り、

共に讃美し、礼拝を捧げました。

今日は日曜日です。

主の救いの業を喜び、讃美し、

礼拝を捧げる日です。

共に主に礼拝を捧げましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト17:8-16「祈り」

◇2012年4月21日(土)
●出エジプト17:8-16「祈り」

●御言葉
モーセの手が重くなったので、アロンとフルは石を持ってきてモーセの下に置いた。モーセはその上に座り、アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。その手は、日の沈むまで、しっかりと上げられていた。(17:12)

●黙想
あなたのために祈り、支えてくれる方はいますか。

モーセは、アロンとフルに支えられ、

アマレクに勝利することができました。

今日、誰があなたのために祈り、

あなたは誰のために祈りますか。

主に祈られ、

主と共に執り成し祈る人は幸せです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト17:1-7「信頼」

◇2012年4月20日(金)
●出エジプト17:1-7「信頼」

●御言葉
見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。(17:6a)

●黙想
主を信頼していますか。

イスラエルの民は、

荒れ野でつぶやき、

主が共におられることを疑います。

荒れ野は誘惑の場所であり、

試練の場所です。

クリスチャンも荒れ野を経験します。

主を試しながら、

自分の信仰が試され、

主を信頼する者に変えられていくのです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト16:21-36「マナ」

◇2012年4月19日(木)
●出エジプト16:21-36「マナ」

●御言葉
イスラエルの人々は、人の住んでいる土地に着くまで四十年にわたってこのマナを食べた。すなわち、カナン地方の境に到着するまで彼らはこのマナを食べた。(16:35)

●黙想
毎朝、聖書を読んでいますか。

エジプトから救い出された民は、

40年間、毎朝、神様が与えるマナを食べ続けました。

彼らが荒れ野を乗り越えられたのは、マナのお陰です。

神様は、毎朝、御言葉を通し、

あなたの心と魂を満たされます。

約束の地(天国)に行くその日まで、

神を信頼し、神に守られて生きる人。

それがクリスチャンです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト16:11-20「主を知る」

◇2012年4月18日(水)
●出エジプト16:11-20「主を知る」

●御言葉
「わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」(16:12)

●黙想
あなたは神を知っていますか。

イスラエルの歴史は

神を知った人々が体験する歴史です。

神を知るとは、

神があなたを造り、

あなたを愛し、

あなたを守り、

あなたを助け、

あなたの必要を満たし、

いつも、いつまでも

共におられることを知ることです。

御言葉を通し、

神を体験する人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト16:1-10「試練」

◇2012年4月17日(火)
●出エジプト16:1-10「試練」

●御言葉
主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。(16:4)

●黙想
イスラエルの民は、

荒れ野で空腹になり、

不平を言いました。

主は彼らの不平を聞き、

パンと肉を備えました。

不平が主を動かしたのではありません。

主は彼らの信仰(主への信頼と従順)を試すために、

彼らを空腹にされていたのです。

主は必要を備えたもう方です。

主を信頼し、従順する人は、主の備えを体験します。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト15:22-27「癒し」

◇2012年4月16日(月)
●出エジプト15:22-27「癒し」

●御言葉
もしあなたが、あなたの神、主の声に必ず聞き従い、彼の目にかなう正しいことを行い、彼の命令に耳を傾け、すべての掟を守るならば、わたしがエジプトに下した病をあなたには下さない。わたしはあなたをいやす主である。(15:26)

●黙想
神様はあなたの人生の癒し主です。

人生が健やかになる秘訣は

QT(御言葉を黙想し、生活に適用すること)にあります。

神様があなたの人生(身・心・魂)を健やかにしてくださるように。

主の御名によって祝福します。byバルナバ

出エジプト15:13-21「救い」

◇2012年4月15日(日)
●出エジプト15:13-21「救い」

●御言葉
あなたは慈しみをもって贖われた民を導き、御力をもって聖なる住まいに伴われた。(15:13)

●黙想
出エジプトの讃美が続きます。

イスラエルの民は、

エジプトを出ることが救いではありません。

神に導かれ、神と共に生きることが救いです。

私たちも同じです。

問題や病気、悩みが解決することが救いではありません。

そのような問題を通し、神を求め、

そこから救い出され、神と共に生きること。

これが救いなのです。

今日は日曜日です。

主に贖われた人々が聖なる住まい(教会)で礼拝を捧げる日です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト15:1-12「讃美」

◇2012年4月14日(土)
●出エジプト15:1-12「讃美」

●御言葉
主はわたしの力、わたしの歌 主はわたしの救いとなってくださった。この方こそわたしの神。わたしは彼を讃える。わたしの父の神、わたしは彼をあがめる。(15:2)

●黙想
あなたにとって神様はどのような存在ですか。

イスラエルの民にとって、

神様は力であり、

讃美すべき方であり、

救い主でした。

神様は大いなる力を持って、あなたを造られた方であり、

あなたを罪と死と呪いと悪の力から救い出してくださる方です。

造り主と救い主を讃美し、崇める人々。

それがクリスチャンです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト14:21-31「信仰」

◇2012年4月13日(金)
●出エジプト14:21-31「信仰」

●御言葉
イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。(14:31)

●黙想
信仰とは信頼であり、信じるとは、頼ることです。

出エジプトの出来事は、

イスラエル民族の信仰の原点です。

彼らは大いになる御業を体験し、

主なる神を畏れ、信頼することを学びました。

十字架の出来事は、

クリスチャンの信仰の原点です。

救いの御業を見て、

造り主を畏れ、

救い主に信頼して歩む人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト14:10-20「主の救い」

◇2012年4月12日(木)
●出エジプト14:10-20「主の救い」

●御言葉
モーセは民に答えた。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」(14:13-14)

●黙想
主はあなたのために戦い、勝利してくださいました。

それがキリストの十字架です。

十字架を仰ぎ、主に信頼する人は主の救いを見ます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト14:1-9「栄光」

◇2012年4月11日(水)
●出エジプト14:1-9「栄光」

●御言葉
わたしはファラオの心をかたくなにし、彼らの後を追わせる。しかし、わたしはファラオの全軍を破って栄光を現すので、エジプト人はわたしが主であることを知るようになる。」彼らは言われたとおりにした。(14:4)

●黙想
健やかなる時も、病めるときも、

主があなたを守り、導かれていることを信じてますか。

イスラエルの民は、

主の言われたとおりにエジプトを出ましたが、

エジプト軍に追い詰められます。

しかし、この後、彼らは主を知り、

神の栄光を見るのです。

大切なのは、主に従い続けることです。

最後まで従い続ける人は、

神を知り、神の栄光を見るのです。

今日も祝福がありますよう。byバルナバ

出エジプト13:11-22「雲の柱、火の柱」

◇2012年4月10日(火)
●出エジプト13:11-22「雲の柱、火の柱」

●御言葉
主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱を持って導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。(13:21-22)

●黙想
あなたの人生を導いているのは何ですか。

イスラエルの民は神に導かれてエジプトを出ました。

神様は、昼は雲の柱、夜は火の柱を示し、

彼らの人生を導いたのです。

神様は、御言葉を示し、あなたの人生を導きます。

御言葉は雲の柱であり、火の柱です。

昼も夜も、御言葉を口ずさみ、

導かれて歩む人は幸いです。

「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯火。」(詩編119:105)

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト13:1-10「受洗記念日」

◇2012年4月9日(月)
●出エジプト13:1-10「受洗記念日」

●御言葉
モーセは言った。「あなたたちは、奴隷の家、エジプトから出たこの日を記念としなさい。主が力強い御手をもって、あなたたちを導き出されたからである。(13:3a)

●黙想
あなたはいつ救われましたか。

クリスチャンにとって洗礼は出エジプトの出来事と同じです。

この世に生を受けた日(誕生日)を覚え、

感謝することも大切です。

もっと大切なのは、

この世から救い出され、

新しい生を受けた日(洗礼記念日)を覚え、

感謝することです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

『復活なさったのだ』

『復活なさったのだ』
(マタイ28章1節~10節)
(2012年4月8日 ベテル清水教会 イースター特別礼拝)


プロ野球が開幕し、私の好きな日ハムは、ダルビッシュが抜け、監督も梨から栗に変わりました。
評論家の順位予想もほとんどがBクラスなのですが、ゆうちゃんが頑張って、チームも本人も開幕二連勝するなど、まずまずのスタートを切りました。

前任の梨田監督は、だじゃれ好きなで有名でした。
私もだじゃれをいいますが、これはある種の頭の体操、脳トレですね。
子供は親父ギャグと、馬鹿にするのですが、それは親自虐行為です。

昨年、杉谷という選手がスタメンに抜擢され、大活躍をしました。
すると、梨田監督は「できすぎや」とコメントしました。
また、多田野投手が良いピッチングをすると、「ただの投手ではない」とコメントしました。

そんな梨田監督が、先日、NHKのラジオ解説でこんな話をされました。
昨年、エースのダルビッシュ投手がまさかの7失点でKOされ、次の試合も負け、連敗スタートした時の話です。

梨田監督は、札幌の神社を訪れたそうです。
開幕二連敗し、ホームでの開幕三連敗を阻止したかったのでしょう。
まさに苦しい時の神頼みです。

神社にいる梨田監督に気づいて、ファンが声をかけました。
「監督。参拝ですか」
すると、「いや、まだ二敗です」と答えたそうです。

日本で「参拝」というと、お寺や神社に行くイメージがありますね。

インターネットの百科事典であるウィキペディアによりますと、
「参拝とは、神社、寺院、教会、墓廟などの宗教施設を訪れて、神仏や死者に拝む(または祈る)行為のことである。」と定義されています。

昔、田舎の小さな教会で、おばあちゃんが教会を訪れました。
「キリスト教の神様を参拝したい」というのです。
先生は、礼拝堂に案内しました。
おばあちゃんは、礼拝堂の一番前に座って手を合わします。

フッと見ると、講壇の後ろに赤い垂れ幕がありました。
おばあちゃんは、あの垂れ幕の後ろにキリスト教のご本尊が奉ってあると思いました。

そして、近づいて、中を覗いたのです。
そこには洗礼式のための浴槽がありました。
へぇ~。キリスト教って、お風呂を奉っているんだ、と勘違いしたそうです。

みなさん。参拝という場合は、必ず参拝する対象があります。
私たちは参拝とは言いませんね。礼拝と言います。
礼拝する場合には、必ず礼拝する対象があるのです。
対象のない礼拝はありません。

みなさん。私たちは今朝、礼拝するためにここに集まっているのです。

聖書は教えます。
神でないものを神として拝んではならない。礼拝してはならない、と。

聖書は教えます。
死者を拝んではならない。命のない神々、偶像を礼拝してはならない、と。

聖書は教えます。
わたしたちが礼拝を捧げるべきお方は、天地万物を造り、私たちに命を与えてくださった、造り主なる神様を礼拝しなさい、と。

聖書は教えます。
私たちが礼拝を捧げるべきお方は、私たちの救い主として世に来られ、十字架にかかり、三日目に甦られた救い主なる神様を礼拝しなさい、と。

私たちの造り主であり、救い主である神様を礼拝する。
これがキリスト教の礼拝であります。

さて、今日は復活祭・イースターであります。
今朝はマタイ福音書の復活物語から、ご一緒に御言葉を分かち合いたいと思います。
もう一度、聖書をご覧下さい。

28:1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。

ユダヤ教の一日は、日没から始まります。
安息日というのは、金曜日の日没から土曜日の日没までです。

安息日が終わって、週の始めの日、というのは、日曜日の朝のことです。
キリストは日曜日の朝に復活しました。
ここから日曜礼拝が始まりました。

さて、日曜日の早朝に、二人の婦人が墓に向かいました。
彼女たちは、何をしに墓に行ったのでしょうか。
墓参りに行ったのでしょうか。

生前イエス様は、弟子たちに「三日目に復活する」と三度予告していました。
当然、婦人たちもその話を聞いていたでしょう。
彼女たちは、イエス様が語られた言葉は必ず実現する。復活するんだと信じて墓に向かったのでしょうか。

実は、そうではないのです。
彼女たちは、復活の話は聞いていました。
しかし、まさか本当にイエス様が復活するとは思っていなかったのです。

彼女たちが、墓に行った理由は、最期の別れをするためでした。
マルコには「イエスに油を塗りに行くために香料を買った」とあります。

ユダヤでは、遺体に香料を塗り、腐敗臭を防ぐ習慣がありました。
これは埋葬の準備です。

みなさんは、イエス様にナルドの香油を注ぎかけた女性の話をご存じでしょう。
弟子たちはもったいないと言って憤慨しましたが、
イエス様は、「彼女は埋葬の準備をしてくれたのだ」と言ってます。

カトリック教会では、葬式の時に香を焚きます。
これも臭い消しの意味があるのです。
今ではドライアイスが腐敗を防ぐために用いられていますね。

彼女たちが墓に向かったのは、埋葬の準備のためです。
つまり、彼女たちは死んで葬られたイエス様に会いに行ったのです。
最期のお別れをするために、墓に向かったのです。

そこで、彼女たちは、イエス様が復活し、生きておられるという知らせを耳にするのです。

28:2 すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。
28:3 その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。
28:4 番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。


女性はたくましいですね。
天使の姿を見て、番兵たちは恐ろしさのあまり震え上がりました。
そして、気を失ってしまったのです。
しかし、彼女たちは、震えながら、天使の声を聞きます。

28:5 天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、
28:6 あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。
28:7 それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」


天使は言いました。
「かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」

今朝、私たちも、ここで復活の知らせを聞くのです。

彼女たちは、イエス様から復活の話は聞いていました。
しかし、墓の中で、彼女たちは復活の知らせを聞いたのです。

みなさん。墓とは、死と絶望を意味します。
絶望の世界で、復活の知らせを聞くのです。

私たちは毎年、復活祭を祝います。

主は今も生きておられる。
頭では理解しています。

死は終わりではない。
頭では理解しています。

しかし、主が生きておられることを忘れてしまうのです。
死は終わりではないことを忘れてしまうのです。
そして、墓の前に立ち尽くし、絶望してしまうのです。
それが弟子たちの姿であり、彼女たちの姿でした。

しかし、そこに天使が現れ、もう一度、復活の知らせを聞くのです。

主は生きておられる。

みなさん。神様の言葉は、生きています。
私たちの内側に蒔かれた御言葉の種は生きています。

ヤコブは「御言葉には魂を救う力がある」と言いました。
わたしは、御言葉の復活を信じています。

毎朝、御言葉メールを送っていますが、それは心に種蒔かれた御言葉が、その人の内で、復活するときがあると信じています。

たとえ、失望し、墓に向かうことがあっても、人生に絶望しそうになっても、御言葉の種が蒔かれていれば、その御言葉がその人の内で復活する時が来ると信じています。

みなさん。毎日、聖書を読んでいますか。

聖書は神の言葉です。
神の言葉が心に種蒔かれていれば、その種は復活します。
生きて働きます。

先日、ホームページを見たから御言葉メールの申込みがありました。

50歳になった最近、自分にも宗教が必要と切実に思うようになりましたが、育った家庭は仏教で、教会のことはよくわかりません。ネットで色々と検索しているうちに、御言葉メールの申し込みに行き当たりました。まずは配信を希望いたします。

どこの誰かは分かりません。
いつまで読み続けてくれるのかも分かりません。
しかし、心に蒔かれた御言葉の種は、いつかその人の内で復活し、キリストに出会う日が来ると信じて、祈っています。

イエス様は、弟子たちに、多くの言葉を語りました。
弟子たちは、後の日に、イエス様の語られた言葉を思い起こすのです。
後で分かるようになるのです。
みなさん。御言葉は、後で分かるようになります。

マタイによる福音書16章21節をお開き下さい。
16:21 このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。

17章。二度目の予告です。

17:22 一行がガリラヤに集まったとき、イエスは言われた。「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。
17:23 そして殺されるが、三日目に復活する。」弟子たちは非常に悲しんだ。


さらに20章。三度目の予告です。

20:17 イエスはエルサレムへ上って行く途中、十二人の弟子だけを呼び寄せて言われた。
20:18 「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、
20:19 異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。」


さらに、26章では、逮捕される直前にも予告しています。

26:31 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう』/と書いてあるからだ。
26:32 しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」


弟子たちは、ガリラヤで復活のイエス様に出会うのです。
復活の主に出会ったときに、主の言葉が真実であったことに気づくのです。

みなさん。御言葉は生きた神の言葉です。命の言葉です。

イエス様は、三年間、弟子たちの心に御言葉の種を蒔き続けました。
種は、種のままでは、死んだような状態です。実を結びません。
しかし、一粒の麦が地に落ちて死んだなら、豊かな実を結ぶようになるのです。

主の言葉が復活するとき、そこに喜びがあります。
たとえ、復活の主に出会っていなくても、喜びがあります。

彼女たちは、まだ復活の主に出会っていません。
しかし、主の言葉を思い出し、彼女たちは喜びに満ちあふれたのです。
そして、復活の知らせを弟子たちに告げ知らせたのです。

28:8 婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
28:9 すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。
28:10 イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」


みなさん。復活の主に会いたいですね。

私たちクリスチャンは、やがて主に出会います。
神の国でrイエス様に出会います。
究極的には天国で、イエス様に出会うのです。

みなさん。天国とは神の国のことです。
神の国とは、死んでから行く世界ではありません。
神の国とは、復活の主が共におられる世界です。

教会は、神の国であり、ここに主がおられるのです。
復活の主がここにおられるのです。
私たちの目には見えなくても、ここに主がおられるのです。

私は数年前に天に召された兄弟のことを忘れることができません。
彼は、大学で物理を教えていました。
奥様と一緒に教会の礼拝に来るようになりました。

説教をしているときに、突然、その兄弟が号泣しました。
礼拝が終わってからも、ずっと号泣して立ち上げれませんでした。
後で奥さんに聞くと、主人が涙を流すのを見たこともないと言って驚いていました。

彼は言いました。
説教中に、私の後ろに、イエス様の姿がはっきり見えたと言うのです。
礼拝の中でイエス様に出会って、イエス様に触れられて涙を流したのです。

そして、彼は、信仰は理屈ではないと悟りました。
神様は生きておられる。
礼拝を通し、そのことを実感したそうです。

みなさん。主は今も生きておられます。
今朝も、ここに復活の主が共にいます。
たとえ失望し、墓に向かうようなことがあっても、
絶望が襲い、大きな石に阻まれていても、
主は生きておられます。

私たちの造り主であり、救い主であるお方を、これからもずっと一緒に礼拝し続けましょう。
お祈りいたします。

一コリント15:1-11「祝・復活」

◇2012年4月8日(日)
●一コリント15:1-11「祝・復活」

●御言葉
神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりもずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。(15:10)

●黙想
神の恵みは

どん底に引かれたセーフティーネットです。

このネット救われた人は、

己の力を誇らず、神の恵みを誇り、

神の恵みによって生きるようになります。

今日は復活祭・イースターです。

主は死から甦られました。

死の淵に敷かれた救いの網にかかり、

引き上げられ、永遠の命が約束された人。

それがクリスチャンです。

主の復活を喜び、感謝し、

共に礼拝を捧げましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ19:28-42「救いに至る道」

◇2012年4月7日(土)
●ヨハネ19:28-42「救いに至る道」

●御言葉
イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取った。(19:30)

●黙想
「成し遂げられた」(ギリシャ語:テテレスタイ)とは、

「完成した」という意味です。

イエス様は救いに至る道を完成しました。

だれでもこの救いの道である

イエス・キリストを信じるだけで、

神の赦しと平安が与えられます。

いよいよ明日は復活祭(イースター)です。

主が息を引き取ることによって、

もたらされた新しい命に感謝し、

共に礼拝を捧げましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

詩編22:1-22「受難日」

◇2012年4月6日(金)
●詩編22:1-22「受難日」

●御言葉
わたしの神よ、わたしの神よ なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうともせず 嘆きも言葉も聞いてくださらないのか。(22:2)

●黙想
聖書の物語が

自分の状況とピッタリ符合することがあります。

御言葉が

まるで自分に語られたかのように思える時があります。

その物語、その御言葉を黙想し、

神様に信頼を置くならば、

聖書の世界は、あなたの現実になって、救いが訪れます。

今日は受難日です。

キリストの十字架の叫びは、我が叫びであり、

三日後の復活は、我が救いとなります。

主に信頼し、主の救いを待ち望む人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

◇2012年4月5日(木)
●マルコ14:1-11「捧げ物」

●御言葉
この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。(11:8)

●黙想
神様にどんなものを捧げていますか。

ナルドの香油をイエス様に注ぎかけること。

それは周りの人から見れば、

無駄遣いであり、意味のない行為に思えました。

しかし、彼女のした行為は、

福音と同じように語り伝えられるほど、

意味ある行為だったのです。

主のために捧げられるものには無駄はなく、

必ず意味があります。

自分にできる最も良きものを、

主に捧げる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

エレミヤ31:27-37「赦し」

◇2012年4月4日(水)
●エレミヤ31:27-37「赦し」

●御言葉
わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。(31:34b)

●黙想
愛とは赦しです。

愛するとは、赦すことであり、

愛されるとは、赦されることです。

互いに愛し合うとは、互いに赦し合うことです。

神に赦され、互いに赦し合う世界。

それが神の国です。

神と新しい契約を結び、神の国に生きる人。

それがクリスチャンです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ
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