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出エジプト12:37-51「従順」

◇2012年3月31日(土)
●出エジプト12:37-51「従順」

●御言葉
イスラエルの人々はすべて、主がモーセとアロンに命じたとおりに行った。(11:50)

●黙想
イスラエルの人々の数は

壮年男子だけでも約60万人いたと考えられます。

彼らはひとり残らずエジプトを脱出することができました。

救いの秘訣は従順です。

主を信じ、主の言葉に従順する人々は

すべて、救われ、神の国に至ります。

主に導かれ、従順して生きる人々は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ
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出エジプト12:29-36「主の日」

◇2012年3月30日(金)
●出エジプト12:29-36「主の日」

●御言葉
ファラオは、モーセとアロンを夜のうちに呼び出して言った。「さあ、わたしの民の中から出て行くがよい、あなたたちもイスラエルの人々も。あなたがたちが願っていたように、行って、主に仕えるがよい。(11:31)

●黙想
今晩、主が来られても、旅立つ準備はできていますか。

ついにファラオは降伏し、

夜、モーセとアロンを呼び出し、

すぐに出て行くように命じました。

民は腰に帯を締め、旅立ちの準備はできていました。

主の日は、逆らう者には裁きの日であり、

従う者には救いの日です。

主の日は突然訪れます。

主の日の準備ができている人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト12:14-28「信仰継承」

◇2012年3月29日(木)
●出エジプト12:14-28「信仰継承」

●御言葉
また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときには、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」民はひれ伏して礼拝した。(11:26-27)

●黙想
あなたは子供に何を残しますか。

子育てで一番大切なのは、信仰継承です。

信仰遺産にまさるものはありません。

イスラエルの人々は、

毎年、過越の犠牲を捧げ、

子どもたちに信仰を伝え続けました。

この信仰が数々の苦難を乗り越え、

イスラエルという国を再建させたと言っても過言ではありません。

主を礼拝し、仕える後ろ姿は、

子どもたちの将来の姿です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト12:1-13「過越」

◇2012年3月28日(水)
●出エジプト12:1-13「過越」

●御言葉
あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。(11:13)

●黙想
イスラエルの民は、神の言葉に従って、鴨居に血を塗ります。

すると、約束通り、神の怒りは彼らを過越しました。

これを記念するのが過越の祭りです。

キリストを信じる者は、十字架の上で流された血潮により、

清められ、神の裁きを免れ、救われるのです。

これを記念するのが聖餐式です。

キリストの聖餐に与る者は、幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト11:1-10「主の日」

◇2012年3月27日(火)
●出エジプト11:1-10「主の日」

●御言葉
モーセは言った。「主はこう言われた。『真夜中ごろ、わたしはエジプトの中を進む』(11:4)

●黙想
主は突然来られます。

その日、その時、

ファラオには裁きの時となり、

イスラエルの民には救いの時となります。

今晩、主が来られるとしたら、

あなたはどのような一日を歩みますか。

毎朝、今日が人生の最後の日だと思って生きる時、

人生の質は向上し、生き方は変わります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト10:21-29「世の光」

◇2012年3月26日(月)
●出エジプト10:21-29「世の光」

●御言葉
人々は、三日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできなかったが、イスラエルの人々が住んでいる所にはどこでも光があった。(10:23)

●黙想
命の光を持っていますか。

エジプト全土は神の裁きにより、闇に覆われました。

しかし、イスラエルの民が住むところには光がありました。

イエス・キリストは世の光です。

たとえ暗やみが襲っても、

命の光は輝き、世の光としてあなたの周りを明るくします。

「わたしは世の光である。

わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、

命の光を持つ。」(ヨハネ8:12)。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト10:12-20「悔い改め」

◇2012年3月25日(日)
●出エジプト10:12-20「悔い改め」

●御言葉
どうか、もう一度だけ過ちを赦して、あなたたちの神、主に祈願してもらいたい。こんな死に方だけはしないで済むように。(10:17)

●黙想
今、どのように生きていますか。

ファラオは自分の過ちに気づき、悔い改めました。

赦された後、どのように生きるかが重要です。

困ったときに、神様は助けて下さいます。

主は助け主だからです。

大切なのは、助けられた後です。

この後、助け主と共に歩み続ける人。

それがクリスチャンです。

今日は日曜日です。

主を礼拝し、悔い改めに相応しく生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト10:1-11「自我」

◇2012年3月24日(土)
●出エジプト10:1-11「自我」

●御言葉
もし、あなたがわたしの民を去らせることを拒み続けるならば、明日、わたしはあなたの領土にいなごを送り込む。(10:4)

●黙想
自己中心に生きると、心が頑なになります。

周りが見えず、周りの声も聞こえなくなります。

これが罪の本質です。

ファラオは主の声を聞きました。

七つの災いも見ました。

エジプト人の叫びも聞きました。

それでもなお、心を頑なにし、

主の命令に従えなかったのです。

神中心に生きると、心が砕かれます。

周りが見え、声が聞こえるようになります。

ここに幸せな人生があります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト9:27-35「自由」

◇2012年3月23日(金)
●出エジプト9:27-35「自由」

●御言葉
ファラオの心はかたくなになり、イスラエルの人々を去らせなかった。主がモーセを通して仰せになったとおりである。(9:35)

●黙想
手放せずに、握りしめているものはありませんか。

ファラオは、何度、痛い思いをしても、

イスラエルの民を手放すことができず、執着し続けました。

手放さなければ、自由はありません。

赦しも同じです。

赦せないことで、自分が不自由になるのです。

手放すのも、赦すのも、痛みを伴います。

それが十字架の痛みです。

御心のままに、すべてを委ねる時、

復活(回復)が起こり、自由が到来するでしょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト9:13-26「プライド」

◇2012年3月22日(木)
●出エジプト9:13-26「プライド」

●御言葉
あなたはいまだに、わたしの民に対して高ぶり、彼らを去らせようとしない。(9:17)

●黙想
プライドが砕かれたことはありますか。

ファラオに襲いかかる災いの原因は、

彼の高ぶりにありました。

主の言葉に心を頑なにし続ける限り、

事態はより深刻になっていったのです。

主に砕かれ、全てを主に委ねきるところから、

新しいドラマが始まります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト9:1-12「宣言」

◇2012年3月21日(水)
●出エジプト9:1-12「宣言」

●御言葉
主はモーセに言われた。「ファラオのもとに行って彼に告げなさい。ヘブライ人の神、主はこう言われた。『わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせよ』と。(9:1)

●黙想
いつか必ず、道は開かれます。

主はモーセに、何度も、何度も同じ言葉を告げさせます。

しかし、ファラオの心は頑なで、道は開かれません。

主の御心であれば、必ず道は開かれます。

大切なのは、同じ言葉を宣言し続けることです。

福音を宣言し続ければ、

人は救われます。

御言葉を宣言し続ければ、

万事は益に変わります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト8:21-28「祈り」

◇2012年3月20日(火)
●出エジプト8:21-28「祈り」

●御言葉
しかし、ファラオは今度もまた心を頑迷にして民を去らせなかった。(8:28)

●黙想
主を求め、従うのはどのような時ですか。

モーセはファラオの願いを聞き入れ、

主に祈りました。

すると、災いは収まります。

しかし、ファラオはまたしても心を頑なにし、

モーセの願いを拒否し、主を欺いたのです。

問題が起こった時も、

解決した後も、

主を求め、従い続ける人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト8:12-20「自由」

◇2012年3月19日(月)
●出エジプト8:12-20「自由」

●御言葉
主はモーセに言われた。「明朝早く起きて、水辺に下りて来るファラオを出迎えて、彼に言いなさい。主はこう言われた。『わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせよ。(8:16)

●黙想
救われるより、救われた後が重要です。

民がエジプトから救い出されたのは、

神に仕えるためです。

神に仕える時、自由が与えられます。

クリスチャンも同じです。

罪と死と呪いの束縛から救い出されたのは、

救い主に仕えるためです。

主に仕える時、

あらゆるものから自由になるのです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト7:26-8:11「祈り」

◇2012年3月18日(日)
●出エジプト7:26-8:11「祈り」

●御言葉
ファラオは一息つく暇ができたのを見ると、心を頑迷にして、また二人の言うことを聞き入れなくなった。主が仰せになったとおりである。(8:11)

●黙想
願いは適えられることよりも、

適えられた後の態度が重要です。

ファラオは主に祈願し、

災いを遠ざけて欲しいと願いました。

彼は願うが叶うやいなや、心を頑なにし、

主に逆らったため、さらに状態は悪化します。

願い通りになっても、たとえならなくても、

主と主の言葉に信頼し続ける態度。

これが幸いな人生の秘訣です。

今日は日曜日です。

共に主を礼拝しましょう。byバルナバ

出エジプト7:14-25「従順」

◇2012年3月17日(土)
●出エジプト7:14-25「従順」

●御言葉
モーセとアロンは、主の命じられたとおりにした。(7:20a)

●黙想
信仰とは従順し続けることです。

モーセとアロンは、主の命令を行い続けました。

それでもファラオの心は頑なで、民は解放されません。

主を信じ続けることは、時には大きな壁にぶつかります。

それでもなお、壁を叩き続けるならば、必ず壁は崩れます。

今日、主があなたに命じられていることを

一つずつ行い続ける。

それが信仰生活です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト6:2-13「主なる神」

◇2012年3月14日(水)
●出エジプト6:2-13「主なる神」

●御言葉
そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であり、あなたたちをエジプトの重労働の下から導き出すことを知る。(6:7)

●黙想
あなたの神はどのようなお方ですか。

イスラエルの民は

エジプトの地でうめき声を上げ、叫んでしました。

彼らの神は、民の叫びを聞き、

モーセを遣わし、救い出してくださるお方です。

私たちの神は、キリスト(救い主)を遣わし、

罪と死と裁き、

あらゆる苦しみから救い出してくださるお方です。

この方が、わたしの神であり、わたしの主なのです。

今日も祝福がありますように。

明日から二日間。

御言葉メールはお休みします。byバルナバ

出エジプト5:15-6:1「帰る場所」

◇2012年3月13日(火)
●出エジプト5:15-6:1「帰る場所」

●御言葉
モーセは主のもとに帰って、訴えた。「わが主よ。あなたはなぜ、この民に災いをくだされるのですか。わたしを遣わされたのは、一体なぜですか。(5:22)

●黙想
あなたは追い詰められた時、帰る場所がありますか。

モーセは神様の言われたとおり行動し、

ファラオに申し出ました。

しかし、事態は悪化し、

民にまで不満をぶつけられ、

崖っぷちに立ちます。

モーセは主のもとに帰り、訴えました。

すると主は

「見よ、あなたは、わたしがファラオにすることを見るであろう」と語り、

モーセを励まします。

信仰とは、主を信頼することであり、

主がしてくださるのを委ねて待つことです。

神様のもとに帰り、祈り、

主を信頼して、再び立ち上がる。

これがクリスチャン生活です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト5:1-14「妨げ」

◇2012年3月12日(月)
●出エジプト5:1-14「妨げ」

●御言葉
その後、モーセとアロンはファラオのもとに出かけて行き、言った。「イスラエルの神、主がこう言われました。『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい。』(5:1)

●黙想
救いの道は、障害物競走のようなものです。

モーセとアロンは、

ファラオに神の言葉を伝え、

出エジプトを懇願します。

彼らの願いは退けられ、状況はさらに悪化します。

障害物がどんなに多くても、

必ずゴールはあります。

主は一つ一つの障害を乗り越えさせ、

出エジプトを実現させられたのです。

主と主の言葉に信頼し、

ゴールを目指して歩みましょう。

主の祝福がありますように。byバルナバ

『苦難は苦難で終わらず』

『苦難は苦難で終わらず』
(マルコ15章21節)
(2012年3月11日 ベテル清水教会 受難節第三主日礼拝)


今、教会暦では受難節(レント)に入っています。
今年のイースターは4月8日でありまして、その前の日曜日を除く40日間をレント(受難節)と言います。

実は、先々週から受難節に入っていまして、今日は受難節第三主日礼拝となります。

今日からローマの信徒の手紙の連続説教は、お休みし、しばらくは主題説教をしたいと思います。

今日のテーマは「受難」です。
受難とは、英語でパッションといいます。
「パッション、熱く、熱く、熱く、パッション」という歌がありました。
堤大二郎。古いですね。
パッションは情熱と訳されますが、受難という意味でも使われます。

「パッション」という映画が上映されましたが、「受難」という意味です。

今日の御言葉は、マルコ15章21節です。
もう一度、聖書をお開き下さい。
15:21 そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。

今朝は、この一節から共に御言葉を分かち合いたいと思います。

当時、ユダヤ人たちは救い主を待ち望んでいました。
神様は、イエス様を救い主を世に遣わしました。
しかし、彼らは受け入れず、殺害しようとしたのです。

ここに罪の本質があります。
みなさん。罪とは神を神と認めないことです。
自分の正しさを絶対化することです。

人は、己を神とする時に、神を抹殺しようとするのです。
それが十字架です。
今日の個所は、イエス様が処刑場に向かう場面の一コマです。

当時、死刑囚は、自らの十字架を背負わされました。
十字架を担ぎながら、処刑場までの道を歩いたのです。

この道を「ヴィア・ドロローサ」といいます。
ラテン語で「悲しみの道」という意味です。

カルバリの丘まで、約一キロの道のりです。
普通に歩けば、一キロはそれほどの距離ではありません。

しかし、イエス様は体中に鞭を打たれていました。
鞭を打たれると、体力が消耗します。
痛みに耐えながら、十字架を担いで歩いたのです。
パッションの映画でもありましたが、何度も倒れ、倒れる度に、ローマ兵が鞭を入れます。

その日は、安息日の前日でした。
日没になれば、安息日が始まってしまうのです。
ですから、急いでいたのかもしれません。

兵士たちは、たまたまそこにいたシモンに十字架を担がせました。
強いられた十字架です。
彼は、突然、十字架を担がされたのです。
とんだ災難が彼の身に降りかかったのです。

ユダヤ人は、過越の祭りになると、旅をしながらエルサレムにやってきました。
過越の祭りは、ユダヤ最大の祭りで、大勢の人々でごった返していました。
彼は、北アフリカに住むユダヤ人でした。
遠くから来て、たまたま通りかかっただけなのです。

彼は運悪く、兵士の目に止まりました。
死刑囚の十字架を担いで歩く。
思わぬ災難に見舞われたのです。

他にもたくさん人がいるんです。
よりによって、なんで私が、と思ったことでしょう。
少し、時間がずれていれば、合わずにすんだのです。
はるばる過越の祭りにやってきたのに、何と、ついてないんだ、と思ったかもしれません。

思わぬ災難です。
しかし、後にこの災難が、彼にとって大きな意味を与えます。

イエス様が三日目に復活したのです。
この復活のニュースは彼にも届きました。
実際、彼は後にクリスチャンになっているのです。
どのようにしてクリスチャンになったのか。
その経緯はわかりません。

ただ分かっていることは、彼がクリスチャンになったということです。
そこから想像することができます。
きっと、彼は、エルサレムで遭遇した災難を、人に語ったことでしょう。
そして、私は、あのとき、イエス様の十字架を担いだんだ。
そのイエス様は、わたしの罪の身代わりとなって、十字架にかかってくれたんだ、と言って、証したのだろうと思います。

みなさん。マルコははっきりとキネレ人シモンと名前を記しています。

大勢の人々がごった返している中で、どうして、名前がわかったのでしょうか。

その時、福音書の記者が、「すいません。あなたの名前は何と言いますか」と言って、名前を確認して、記事を書いたのではないのです。

また、彼は、この体験を子どもたちに語り聞かせたと思います。
昔なあ。お父さんがエルサレムに行ったことがあるんだ。
その時、びっくりしたことに、突然、十字架を担げって言われたんだよ。
後で分かったことは、その方は復活して、救い主だと分かったんだよ。
びっくりしたよ。
お父さんは嬉しくてな。
とんだ災難だと思ったけど、一生忘れられない思い出なんだよ、と。

マルコはこのシモンを「アレキサンドロとルフォスの父」と書いています。

実は、このアレキサンドロとルフォスは初代教会では非常に名前の知られた人物です。
パウロの手紙には、「主に結ばれている選ばれた者ルフォス」(ローマ16:13)とあります。

このルフォスのお父さんこそ、キネレ人シモンだったのです。

みなさん。災難は災難で終わりません。
苦難は苦難で終わりません。
復活の主は、苦難の中にも意味を見いださせて下さる方です。

私たちの人生にも思いがけない苦難が起こるでしょう。
しかし、苦難は苦難で終わりません。
復活の主は、苦難の中に意味を見いださせてくださるのです。

礼拝とは、復活の主に出会う日です。
シモンが十字架を担がされ、やがて復活の主に出会ったように、
私たちも十字架を担がされ、復活の主に出会う時が来るのです。
その時、強いられた十字架の意味が分かるようになります。

神様。どうしてこんなことが起こったのですか。
どうして、こんな問題が起こるんですか。
どうして、こんな病気になったんですか。
どうして、どうして、と叫びながら、復活の主を待つのです。

受難節には終わりがあります。
私たちの人生の受難節にも終わりがあるのです。

今日、3月11日は東日本大震災から、ちょうど一年目です。
あの日、私たちは地震に驚き、震えました。
津波に驚き、震えました。
そして、原発事故で驚き、日本人のみならず、世界中の人々が震えました。
世の終わりを見させられるような光景です。

地震と津波は天災であり、原発は人災です。
天災と人災によって、多くの人々が命を失い、苦しみを味わいました。

この苦しみに意味があるのでしょうか。
意味を見いだせるのでしょうか。

みなさん。苦しみの後には、必ず意味が生まれます。
意味が生まれなければ、苦しみは苦しみのまま終ってしまいます。
みなさん。苦難は苦難で終わりません。
苦難の中にも希望の光が生まれました。

震災後、この苦しみの中から、立ち上がろうとする人々がいました。
阪神淡路大震災の時、「がんばろう神戸」を合い言葉に、神戸の町は復興しました。
この震災の経験は東北でのボランティア活動にずいぶんと生かされました。
これも苦しみの中から生まれたものです。

震災後、「何かをしたい」と思う人が増えました。
ほんの少しでも、役に立ちたい。
そう願って、多くのボランティアが東北で汗を流しました。
たくさんの義援金が捧げられました。
世界中から愛の手が伸ばされました。
苦しみの中で、絆が生まれました。

先週、テレビで放射能汚染地域で遺体捜索をしていた自衛隊員の一人がこう言っていました。
「自衛隊員は使命感が強いと言われます。
しかし、正直、あのときは「使命」というよりも、人として、何とかしようと、思った、と答えていました。
苦しみの中で、人として人を憐れむ心、大切に思う心が生まれたのです。

昨年、バイク事故で足を骨折した川野姉が交友誌の中でこう証していました。
「事故に遭わなければ解らなかった事をたくさん気づくことができました」と。

川野姉にとって、今回の事故は突然の災難です。
想像を絶する痛みと苦しみ、孤独を味わったと思います。
文章を読んでいるだけで痛みを感じます。

しかし、痛みと苦しみを通して生まれたものがあります。
川野姉と話していると、それを感じます。

最後に一人の女性の話をしてお話を終えたいと思います。

アメリカに4人家族がいました。
父親はアル中です。
毎日お酒を飲み、ろくに仕事をしませんでした。

その分、母親が必死で働きてました。
ある日、過労のために、母親が倒れるんですね。

右手に3才の弟、左手におねえちゃんの手を握ったまま亡くなりました。
近所の人たちが駆け付けたとき、二人の子供も、お母さんのそばに倒れていました。

二人の子供は、すぐに病院に運ばれました。
弟は、衰弱が激しく、すぐに亡くなりました。
お姉ちゃんだけが一命を取り留めました。
しかし、栄養失調のため、目に障害を持ちました。

彼女は、孤児院に引き取られます。
彼女の人生は苦難の連続でした。

しかし、彼女は、その施設で復活の主に出会うのです。
神様の愛を知り、イエス様を信じてクリスチャンになりました。

高校を卒業する日の朝、彼女はこう祈ったそうです。
「神様。私は、私の一生を、私よりももっと不幸な人のために献げます。
どうか、私を使って下さい」と。

彼女は、苦しみの中で、愛が芽生えました。
もっともっと苦しんでいる人のために、力になりたい、と。

彼女の名前は、アン・サリバンです。
彼女こそ、目が見えない、耳が聞こえない、話すことができないという、三重の苦悩を背負った、ヘレン・ケラーに希望を与えたサリバン先生なのです。

ヘレン・ケラーもまた、苦しみの人でした。
しかし、彼女もまた、サリバン先生に出会い、復活の主に出会い、復活の朝を迎えたのです。

サリバン先生は、自らの苦難の中に、神様の計画を発見しました。
あの苦しみがなければ、ヘレン・ケラーを助けることはできなかったと言います。

みなさん。人生に苦難はつきものです。
苦しみのない世界はありません。
しかし、苦しみで終わらない世界があります。
その世界に私たちを導くのが福音です。良い知らせです。

イエス・キリストは、私たちが苦しみで終わらないように、復活されたのです。
キリストが復活の朝を迎えたように、私たちも復活の朝を迎えることができるのです。

たとえ死が私たちを襲うことがあったとしても、死は死で終わりません。
復活の朝が待っているのです。
これがクリスチャンの希望です。

私たちはこの福音を信じています。
ですから、はっきり宣言することができるのです。
苦難は苦難で終わらない、と。

みなさん。どんなに辛く、苦しくても、耐えられない試練はありません。
なぜなら、苦難は苦難で終わらないからです。
神様が逃れの道、復活の朝を用意して下さるからです。

共に復活の主を仰ぎつつ、歩んで行きましょう。
お祈りいたします。

出エジプト4:24-31「礼拝」

◇2012年3月11日(日)
●出エジプト4:24-31「礼拝」

●御言葉
アロンは主がモーセに語られた言葉をことごとく語り、民の面前でしるしを行ったので、民は信じた。また、主が親しくイスラエルの人々を顧み、彼らの苦しみを御覧になったということを聞き、ひれ伏して礼拝した。(4:30-31)

●黙想
神様と親しいですか。

親しくなる秘訣はコミュニケーションです。

理解し合うことです。

いつも共にいることです。

民は神の言葉を聞き、

神が親しく顧みてくださり、

助けとなってくださることを知り、

ひれ伏して礼拝したのです。

礼拝を守る人、守り続ける人は、

神様と親しくなります。

今日は日曜日です。

東日本大震災から1年目です。

人々の苦しみを顧みてくださる主に祈り、

共に礼拝を捧げましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト4:18-23「再びエジプトへ」

◇2012年3月10日(土)
●出エジプト4:18-23「再びエジプトへ」

●御言葉
モーセは、妻子をろばに乗せ、手には神の杖を携えて、エジプトの国を指して帰って行った。(4:20)

●黙想
荒れ野は恵みの場所です。

モーセは荒れ野で妻と出会い、神様に出会いました。

モーセは荒れ野で神様から使命を与えられ、

再びエジプトを目指して帰ります。

教会は荒れ野であり、恵みの場所です。

荒れ野で神の家族と出会い、神様に出会うのです。

教会から帰って行く世界。

それが家庭であり、学校であり、職場なのです。

モーセのように、

あなたを通して救いの業が起こされますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

出エジプト4:10-17「アドバイザー」

◇2012年3月9日(金)
●出エジプト4:10-17「アドバイザー」

●御言葉
さあ、行くがよい。このわたしがあなたと共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。(4:12)

●黙想
アドバイザーはいますか?

モーセは召命を受け、

召命のしるしも与えられました。

それでもなお、進むことができませんでした。

神様はモーセを励まし、サポートを約束します。

それでも抵抗し、尻込みしました。

最後は神に一喝され、ようやく動き始めたのです。

神様は最高のアドバイザーです。

主と共に歩む人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト4:1-9「しるし」

◇2012年3月8日(木)
●出エジプト4:1-9「しるし」

●御言葉
たとえ、彼らがあなたを信用せず、最初のしるしが告げることを聞かないとしても、後のしるしが告げることは信じる。(4:8)

●黙想
主は備えてくださるお方です。

しるしを見なければ信じない。

しるしを見たのに信じない。

神様は民の頑なな心をよくご存じでした。

それでも神様はしるしを備え、

民はモーセを信用し、出エジプトを果たします。

十字架は、主が備えてくださった救いのしるしです。

キリストを信用し、主に従う人は救いを得るのです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト3:15-22「救い」

◇2012年3月7日(水)
●出エジプト3:15-22「救い」

●御言葉
しかしわたしは、強い手を用いなければ、エジプト王が行かせないことを知っている。(3:19)

●黙想
救いには必ず妨げがあります。

出エジプトは簡単ではありませんでした。

ファラオの心は頑なになり、何度も妨げられます。

民には想定外ですが、神様には想定内です。

最後には驚くべき業を行い、

「王はあなたたちを去らせるだろう」と約束します。

救いを願っていますか。

願っている人はいますか。

どんなに大きな妨げであっても、

神様は想定内です。

主の手が働き、門が開かれる時が来ます。

主の約束を握りしめて歩む人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト3:7-14「御名」

◇2012年3月6日(火)
●出エジプト3:7-14「御名」

●御言葉
神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々に言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」(3:14)

●黙想
神様の名前を知っていますか。

神様は「ある」というお方です。

時間、空間を越え、永遠に存在しておられる方です。

神様は昔おられ、今おられ、永遠におられるお方です。

神様は天におられ、地におられ、

いつも、いつまでもあなたの側に共におられるお方です。

主の御名を知り、主に信頼し、主と共に歩む人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト2:23-3:6「祈り」

◇2012年3月5日(月)
●出エジプト2:23-3:6「祈り」

●御言葉
神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブの契約を思い起こされた。(2:24)

●黙想
祈っていますか。

イスラエルの民の呻き、苦しみ、叫ぶ声は天に届きました。

神様はイスラエルの人々を顧みて、

モーセを遣わす準備を始めます。

携帯があっても、

契約していなければメールも通話もできません。

クリスチャンは、神と新しい契約を結んでいます。

パスワードは主の御名です。

主の御名を呼び求める者は皆、救われます。

毎日、神様と通信する人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

『恵みに甘えず』

『恵みに甘えず』
(ローマ信徒への手紙2章17節~29節)
(2012年3月4日 ベテル清水教会 聖日礼拝)


みなさんは甘えられる人ですか。甘えられない人ですか。

お言葉に甘えて、と言える人ですか、それとも、お言葉ですけど、と言って、自分で何でもしようとするタイプですか。

私は末っ子長男で、姉が三人いまして、甘やかされて育ちました。
ですから、どうしても甘えてしまうタイプです。
してもらうことに慣れています。

高知に帰ったときに、二番目の姉は、今でもわたしに小遣いをくれるんですね。
スーツを買ってくれたこともありましたし、外食をすると、いつもおごってくれるんですね。甘えていますね。
しかし、甘えてばかりいられないので、わたしも何かをしたいといつも思っていました。

先週の日曜日、姪夫婦が高知から来ました。子供5人ですから、キッズは満杯でした。
朝、姪達が来たことを伝えると、姉は、一緒にその車に乗って、母の状況を見て欲しい、というんですね。
実は、ここ数日、母が腰を痛めて動けなくなっていました。

急遽、礼拝が終わってから、高知に帰ってきました。
母の家に泊まりましたが、トイレに行くのも大変で、ベッドからも一人で起き上がれない状態でした。

医者は、入院したほうがいいと言ったのですが、母は、「大丈夫。我慢できる」と言って、頑として言うことを聞かないんですね。
とにかく、病院嫌い。薬は飲まない。
病院に行くだけど大騒動です。

母は、甘えているのに、甘えるのが嫌いなんですね。
ですから、介護サービスなども受けないんですね。
しかし、よっぽど痛かったのでしょう。
ついに、ギブアップし、助けを求め、入院することになりました。
母は言いました。
「私も年寄りになったということだね」

85歳にもなって、何をいまさら、という感じですが、
また元気に戻ってくると信じています。

みなさん。神様はわたしたちのお父さんです。
大いに甘えていいですね。
神の恵みを受け、神様には甘えていいです。

子供は親に甘えながら成長します。
成熟し、大人になると、親孝行するようになります。

私たちも同じです。私たちは神の子です。
神様に甘えながら成長していくのです。
そして成熟し、大人になり、神孝行するようになるのです。
神孝行。それが神の恵みへの応答です。
神孝行。それが恵みに甘えない生き方なのです。

今朝は「恵みに甘えず」というタイトルでご一緒に学びましょう。
さて、ローマ信徒への手紙を学んでいます。
今日は2章17節からです。

2:17 ところで、あなたはユダヤ人と名乗り、律法に頼り、神を誇りとし、
2:18 その御心を知り、律法によって教えられて何をなすべきかをわきまえています。
2:19 -20また、律法の中に、知識と真理が具体的に示されていると考え、盲人の案内者、闇の中にいる者の光、無知な者の導き手、未熟な者の教師であると自負しています。

ユダヤ人であることは、ユダヤ人の誇りでした。
彼らはアブラハムの子孫です。
神様は、アブラハムを選ばれました。

なぜ、神様がアブラハムを選ばれたのか。
なぜ、神様がイスラエルの民を選ばれたのか。
その理由はわかりません。
神様がアブラハムを選び、イスラエルの民を選ばれたのです。
彼らが選ばれたのは、神様の恵みです。

これは私たちにも言えることです。
私たちが神に選ばれたのは、神の恵みです。
私たちが救いを受けたのは、神の恵みなのです。

私たちが優れているからではありません。
私たちがクリスチャンに相応しいからでもありません。
選ばれた理由。救われた理由は、見当たらないのです。
ただ、恵みによって選ばれ、恵みによって救われたのです。

彼らは、自分たちの先祖に、アブラハムがいることを誇りました。
自分たちの先祖に、モーセがいることを誇りました。

ユダヤ人たちは、選民意識、特権意識が高まり、それが彼らの鼻を高くしました。高慢にしたのです。

彼らは、選ばれていない異邦人を見下しました。
彼らは、律法を知らない人々を見下しました。
彼らは、割礼を施さない人々を見下したのです。

かつて、パウロも同じ過ちを犯していました。
彼は、自分の出身や家柄、何を学んだか、自分のことを誇りました。
しかし、彼は、キリストに出会って、変えられました。

大切なのは、律法を持つことではなく、律法に生きることなんだ。
そして、自分は律法に生きることができない。
そんな自分をも、神様は愛し、赦してくださっている。
恵みによって生きているんだ。
だから、人は誰も裁くことはできない。
パウロは、そのことを悟ったのです。

2:21 それならば、あなたは他人には教えながら、自分には教えないのですか。「盗むな」と説きながら、盗むのですか。
2:22 「姦淫するな」と言いながら、姦淫を行うのですか。偶像を忌み嫌いながら、神殿を荒らすのですか。
2:23 あなたは律法を誇りとしながら、律法を破って神を侮っている。
2:24 「あなたたちのせいで、神の名は異邦人の中で汚されている」と書いてあるとおりです。

パウロが言いたいことは、
異邦人もユダヤ人も同じだ、ということです。

律法を持っているから、割礼を施しているからと言って、あなたたちの行動が、異邦人とどれほど違っているのか、ということです。

これは私たちも同じです。
私たちクリスチャンも、この世の人々と同じです。
表面的には、自制し、信仰によってコントロールすることができても、内面は変わらないのです。肉の心があるのです。
2:25 あなたが受けた割礼も、律法を守ればこそ意味があり、律法を破れば、それは割礼を受けていないのと同じです。
2:26 だから、割礼を受けていない者が、律法の要求を実行すれば、割礼を受けていなくても、受けた者と見なされるのではないですか。

割礼とは、神とアブラハムが契約を結んだときに定められた契約のしるしです。
律法を守ってこそ、割礼は意味がある。

律法を破れば、割礼をしていても、意味がない。
大切なのは、割礼があるなしではない。
律法を守っているかどうかだ、というのです。

2:27 そして、体に割礼を受けていなくても律法を守る者が、あなたを裁くでしょう。あなたは律法の文字を所有し、割礼を受けていながら、律法を破っているのですから。

パウロは悟ったのです。
誰一人、律法を守ることができない。
だから、誰も、人を裁くことはできない。
人を裁くことができるのは、神様だけだ、と。

2:28 外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。
2:29 内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく“霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。

大切なのは外側ではありません。内側です。
内側が成熟し、成長していく必要があります。
ユダヤ人たちは、外面を大切にしました。
律法を持っていること、割礼を施していること。
それを誇りとしたのです。
しかし、パウロは、本当の誇り、誉れは、人から来るのではなく、
神様から来るんだ、と言ったのです。

私たちは内面のユダヤ人。内面のクリスチャンを目指すべきなのです。
私たちにとって大切なのは、見えない部分です。
木で言えば、枝ではなく、根が重要なのです。
建物で言えば、外観ではなく、柱部分が重要なのです。

私たちの教会には三つの柱があります。
第一の柱は、父なる神様です。
第二の柱は、子なる神様です。イエス様です。
第三の柱は、聖霊なる神様です。

第一の柱は、礼拝です。
礼拝を人生の中心に! 神と共に生きる。これが第一の柱です。

第二の柱は、恵みです。
恵みを存在の基盤に! キリストと共に生きる。これが第二の柱です。

第三の柱は、QTです。
QTを生活の基本に! 聖霊と共に生きる。これが第三の柱です。

今年度のテーマは「恵みに応答しよう」でした。
これは、別の言い方をすれば、「恵みに甘えない」ということです。

私たちは恵みを受けると、どうもそれに甘んじてしまう。甘えてしまう傾向があります。

神様は、私たちを甘やかすために恵みを与えられるのではありません。
努力すれば救われるのに、努力しないで救われる方法を与えられたのではありません。

救いは、どんなに努力しても、得られないものです。
ただ、神の恵みによってのみ、与えられる世界です。
その恵みを受けた者として、どう生きるか。
それが「恵みに応答する」ということです。

オープン戦が始まり、プロ野球シーズンが始まりました。
今年はダルビッシュ投手がアメリカにいきましたので、我がファイターズにとっては、厳しいシーズンとなります。
日ハムの四番は、おそらく中田選手になると思います。
彼が入団したときは、やんちゃ坊主でした。
高卒で1億円の契約金を手に入れ、年収1500万円です。
彼は言いました。
お母さんから小遣い30万と決められた時、「30万じゃ少ない」
「何も買えない」と言って、ひんしゅくを買いました。

プロの世界は結果を残してこそ全てです。
これまでの高校時代の実績で、彼は評価されました。
しかし、そこに甘んじていては、成長がないのです。

彼の良きモデルとなり、厳しく接したのがダルビッシュでした。
弟のように可愛がり、プロとしての厳しさを、言葉と態度で示し、自らが模範となりました。

私にとって一番印象に残っているのは、日ハムが優勝を決めた日のことです。
胴上げが決まる前日に、彼は二軍に落とされるのです。
これほど悔しいことはなかったでしょう。
過去の栄光では生きられない。

彼は、どん底を経験し、這い上がり、今年、自らの力で四番の座を射止めました。

彼がインタビューを受ける姿は、もはや別人です。
成熟した大人の姿がそこにあります。

神様の御心は、私たちが成熟したクリスチャンになることです。
神様は、大きな恵みを与えてくださいました。
その恵みに甘んじることなく、成熟していくことを願っているのです。

わたしはラブソナタの協力会に加わっています。
ラブソナタというのは、ハ・ヨンジョ先生が日本の伝道のために命を捧げた大プロジェクトです。
どれほど大きな犠牲が払われたのか。
おそらく、日本の教会の経済力では、できなかったと思います。

このようなプロジェクトが行われる時、牧師たちが一番心配するのは、お金です。
どれだけの費用がかかるのだろうか。
あれだけの芸能人やゲストを呼び、会場も埼玉スーパーアリーナなど、大きな会場を使用しましたから、気になります。

説明会の時に、オンヌリ教会のラブソナタ担当牧師は言いました。
費用はすべてオンヌリ教会で負担します。
ただ、日本側は、動員をお願いします、と。
こんな大会は、今まで聞いたことがありません。

わたしはこれは大きな恵みであったと思います。
この恵みを受けて終わりではなく、
恵みによって、成熟し、実を結びたい。
その願いを持って、協力会に参加しています。

私たちの教会が祝福されることが、受けた恵みへの応答だと思っています。

私たちは神の恵みを軽んじてはいけないのです。
私たちは神の恵みに甘んじてもいけないのです。
恵みは恵みとして受け、
そして、恵みに応答し、成熟していかなければならないのです。

成熟のためには、三つの柱が欠かせません。
父と子と聖霊なる三位一体の神様に根を下ろして歩みましょう。

礼拝を大切にしましょう。
恵みを基盤にしましょう。
QTを基本にしましょう。

そうすれば、必ず神様の祝福は流れてきます。
恵みの上にさらに恵みが注がれてきます。
万事は益に変えられます。
たとえ、失敗しても、立ち上がらせてくださいます。
たとえ、冬を経験しても、春が来て、実を結びます。

大切なのは、神との結びつきです。
神と結びつくならば、神の誉れを受けるようになるのです。

父と子と聖霊とに支えられた人生を歩んでいきましょう。
お祈りいたします。

出エジプト2:11-22「荒れ野」

◇2012年3月4日(日)
●出エジプト2:11-22「荒れ野」

●御言葉
モーセがこの人のもとにとどまる決意をしたので、彼は自分の娘ツィポラをモーセと結婚させた。(2:21)

●黙想
荒れ野を経験しましたか。

一人のイスラエル人を助けたモーセは荒れ野に逃れます。

そこでツィポラと出会い、結婚し、40年を過ごします。

モーセは荒れ野で学び、成熟しました。

40年後、モーセはイスラエルの民全体を助け、

再び荒れ野に逃れます。

イスラエルの民もまた荒れ野で学び成熟したのです。

荒れ野に導かれる人は幸いです。

荒れ野でしか出会えないお方がいます。

荒れ野でしか学べないものがあるのです。

今日は日曜日です。

教会は荒れ野です。

荒れ野で主イエスと出会い、主の言葉に学びましょう。

モーセのように、イエス様のように、

救いのために、世に遣わされていきましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

出エジプト2:1-10「使命」

◇2012年3月3日(土)
●出エジプト2:1-10「使命」

●御言葉
王女は彼をモーセと名付けて言った。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから。(2:10)

●黙想
生きていますか。

それとも生かされていますか。

モーセは120歳まで生かされました。

彼は生きているのではなく、

神に生かされ、

神と人のために命を使って生涯を終えます。

これが生かされた人生です。

クリスチャンは、水の中から引き上げられた人です。

あなたにも与えられている使命(命の使い方)があります。

神と人に仕え、

生かされた人生を歩めますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

出エジプト1:15-22「畏れ」

◇2012年3月2日(金)
●出エジプト1:15-22「畏れ」

●御言葉
助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子も生かしておいた。(1:17)

●黙想
神への畏れがありますか。

王は助産婦たちに虐殺を命じます。

しかし、彼女たちは、神を畏れ、知恵を用いて、生かしました。

主が彼女たちに知恵と恵みを与えたのです。

神を畏れる者には、知恵と恵みが与えられます。

行き詰まったように思えても、

主を見上げるならば、天窓は開いており、

逃れの道を見いだすことができます。

主を畏れる人は、主を見上げる人です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ
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