詩編139:13-24「計画」

◇2012年2月29日(水)
●詩編139:13-24「計画」

●御言葉
胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている。まだその一日も造られないうちから。(139:16)

●黙想
いつから神様を覚えるようになりましたか。

あなたは生まれる前から神様に覚えられています。

あなたを造られた神様は、

あなたのすべてをご存じです。

明日のことも、あなた以上に、神様はご存じです。

だから、明日のことは思い煩わず、

万事を益に変えてくださる神様に信頼し、歩んでいきましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ
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詩編139:1-12「GPS」

◇2012年2月28日(火)
●詩編139:1-12「GPS」

●御言葉
天に登ろうとも、あなたはそこにいまし 陰府に身を横たえようとも 見よ、あなたはそこにいます。(139:8)

●黙想
自分を見失うことがあります。

携帯電話のGPS(グローバル・ポジショニング・システム)機能によって、

居場所をすぐに見つけることができます。

神様は完璧なGPS機能を持っておられ、

どこにいても、主を見上げれば、そこに主はおられます。

喜ぶときも、涙するときも、

主はあなたから離れることはありません。

主を見上げるとき、自分の居場所、存在を見いだせます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

PS.出かけていましたので、御言葉の配信ができずに申し訳ありませんでした。

赦され、赦し合う教会②

『赦され、赦し合う教会②』
(ローマ信徒への手紙2章5節~16節)
(2012年2月26日 ベテル清水教会 聖日礼拝)

先週、明石の牧師会が大久保でありました。
家内と一緒に、加茂子姉の家の前の細い道を走っておりますと、前からバイト先のトラックと向かい合いました。
あそこでよけれる、と思って、突っ込んでいきました。
すると運転手が「ムッ」とした顔をしていたんですね。
もっと手前で待っていろよ、と思ったんでしょう。

私は気づいていたので、にこやかに手を振りますと、相手も私だと気づいて、急に笑顔に変わり、頭をペコッと下げたんですね。

後で、事務所に行く、他の人に「あっ、突っ込んできやがった」と思って見たら、井上さんだった、と言われました。
それ以来、私は「爆走牧師」と呼ばれるようになりました。
証にならないですね。気をつけます。

彼は、わたしだと分かった途端、笑顔になりました。
顔見知りだと、許せるということがあります。

また、反対の場合もありますね。
知らない人だと、腹が立っても、その時だけで忘れます。
しかし、知っている人だと、許せず、わだかまりを残す場合があります。

クリスチャンだから許せる場合と、クリスチャンなのにと許せない場合もあります。

私たちの人生には、常に赦しが求められます。赦しを求められます。
みなさん。赦しは人間関係の潤滑油です。
赦しがあるところに平和があり、一致があり、感動があります。

人間の悩みの90%は人間関係だと言われます。
多くの人が夫婦関係、親子関係、嫁と姑、職場の人間関係などで悩んでいるのです。

もし、赦すことができたら、悩みの半分は解消します。
互いに赦し合うことができたら、悩みは解決します。
しかし、言うはやすし。赦すことほど、難しいものはありません。
神様ですら、赦すことは簡単でなかったのですから。

今朝も、先週に引き続き「赦され、赦し合う教会」というテーマでご一緒に御言葉を学びます。

さて、ローマの信徒の手紙をご一緒に学んでいますが、先週から2章に入りました。
少し、先週のおさらいをします。
パウロは突然、叫ぶように言いました。
2:1 だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。

パウロは、誰に向かって語っているのでしょうか。
パウロは、神の恵みによって選ばれたユダヤ人たちに語ります。
パウロは、神の恵みによって救われ、赦された私たちに語っているのです。

私たちはイエス様を信じることによって、神様の赦しを受けました。
イエス様が私たちの罪の借金を支払って下さったからです。
私たちは1万タラントの借金を免除された家来と同じです。
神様の憐れみによって、赦されているのです。

にもかかわらず、人を赦すことができない。裁いています。
これが私たちの現実です。

パウロは、自分のことを棚に上げて言っているのではありません。
パウロは、自分のことも含め、誰一人、弁解の余地はない、と言っているのです。

一個所聖書を開きましょう。
ヨハネ3章16節~18節です。P167
3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
3:18 御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。

御子を信じる者は裁かれない。
私たちが裁かれないのは、神の憐れみです。
私たちは、この神の憐れみを軽んじてはいけないのです。
パウロは、神様の憐れみを軽んじる人々に言いました。
2:4 あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。

私たちは神様の恵みを軽んじてはいけないのです。

今日はその続きの個所です。
2:5 あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。
最近、どこの店に行ってもポイントカードがあります。
財布は、お金は少ないのに、ポイントカードでパンパンになっています。

塵も積もればポイントが貯まります。
ポイントも馬鹿にならないですね。

我が家では朝のコーヒーも韓国製でありまして、ネットで買っています。
これにもポイントがつきますし、感想を書いただけで50ポイントもらえました。
着払いで支払うのですが、端数をポイントで処理して、細かいおつりがいらないようにしておくと、宅急便の人も助かります。これは余談です。

カードで支払っても、ポイントが貯まりますね。
しかし、カードって便利ですがデメリットもありますね。
簡単に支払いできる分、お金がなくても、買い物できます。
お金がないのに買い物ができるために、借金が膨らみ、ポイントならぬ利息がたまり、カードローンに苦しむ人もいます。
ポイントが貯まるのは楽しみですが、借入が増えると後が怖いですね。

みなさん。私たちには、目に見えない「人生カード」というものを持っています。
人生の最後にカード決済がなされます。
このカードにはポイント機能がついています。

もし、このカードに、神の怒りが蓄えられているとしたらどうでしょうか。
神の怒りが積み立てられ、やがて満期を迎える。
考えただけで恐ろしいですね。

パウロは言いました。
2:6 神はおのおのの行いに従ってお報いになります。
2:7 すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり、
2:8 反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りをお示しになります。
2:9 すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、苦しみと悩みが下り、
2:10 すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。
2:11 神は人を分け隔てなさいません。

みなさん。福音はユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも届きました。
福音は救いをもたらす神の力です。
私たちの人生カードは、福音を信じることでゴールドカードに変えられたのです。
プラチナカードに変えられたのです。
私たちは神の恵みによって、プレミアムカード、救いのカードが与えられたのです。
だからイエス様は「御子を信じる者は裁かれない」と言われるのです。

パウロはさらに続けていいます。
2:12 律法を知らないで罪を犯した者は皆、この律法と関係なく滅び、また、律法の下にあって罪を犯した者は皆、律法によって裁かれます。
2:13 律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。
2:14 たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。
2:15 こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています。
2:16 そのことは、神が、わたしの福音の告げるとおり、人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう。

キリスト・イエスを通して裁かれる日とは、まさに決済日です。

律法を持っている人は、律法によって裁かれます。
律法を持っていない人は、良心に従って裁かれるのです。

つまり、ユダヤ人であろうとなかろうと、
クリスチャンであろうとなかろうと、みんな神様の前に立ち、人生の総決算を迎えるのです。
みなさん。最後の決済を迎えた時、私たちが裁かれないのは、神の恵みよるのです。
神様の憐れみによるのです。
私たちが良い行いをしたからではありません。
私たちが毎週、礼拝を守り、献金を献げ、神様に仕えてきたからではありません。

わたしたちは、ただ神様の憐れみによって、救いのカードを持つ者とされたのです。
だれも、自分自身を誇ることはできないのです。
ただ、神様を誇る、讃美することしかできないのです。

では、行いは無意味なのでしょうか。
そうではありません。

もし、行いに変化がないとすれば、それは神の恵みを軽んじているからです。
神に赦されていることが、どれほど大きな恵みであるかが分かっていないからです。

神の恵みを受けたら、その恵みを受けた者に相応しく生きる。
赦されたら、赦された者に相応しく生きる。
神の子にされたなら、神の子に相応しく生きる。
これが神様の御心です。

このことを強調しているのがヤコブの手紙です。
ヤコブもまた、神の恵みを軽んじ、他人を裁いている人々に語りました。

ヤコブの手紙2章をお開きください。
小見出しには「人を分け隔てしてはならない」とあります。
ここで言っていることは、今日の内容と同じです。
2:1 わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。

飛ばして13節から
2:13 人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下されます。憐れみは裁きに打ち勝つのです。
2:14 わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。
2:15 もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、
2:16 あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。
2:17 信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。

みなさん。ユダヤ人たちは、人を分け隔てしました。
神様の憐れみは、ユダヤ人達だけのものではありません。
神様の憐れみは、クリスチャンだけのものではありません。
神様は、すべての人を憐れんでいるのです。

神様の御心は、クリスチャン同士だから赦し合うことではありません。
敵を愛すること。
どんな人でも、赦し合うこと。
これが神様の御心です。
ユダヤ人であろうとギリシャ人であろうと、裁き合わないで赦し合う。
律法を持っていようといまいと、裁き合わないで赦し合う。
クリスチャンであろうとなかろうと、裁き合わないで赦し合う。
これが神様の御心です。

私は韓国ドラマが大好きです。
この間、明石の牧師会でも、熱く語ってきました。
福音を熱く語れ、と突っ込まれそうですが、とにかく韓国ドラマの話をすると、熱くなります。

韓国ドラマには一つのパターンがあります。
夫婦や親子、家族にいろんなトラブルが起こります。
許せない。憎しみ遭うという展開になります。
愛し合っていた人が憎み合い、激しい戦いも起こります。
家族が仲違いしたり、恋人同士がすれ違います。

しかし、最終回が近づくと、みんな自分の非に気づくようになります。
罪を認めるようになります。
そして、最後には「自分が悪かった」と認め、悔い改めるんですね。

「ごめんなさい。俺が悪かった」
この一言が言えないのです。自分は悪くない。
この頑なな心がなかなか砕かれないのです。
見ていて腹が立ちます。
しかし、自分の姿がそこにあることにも気づかされます。

最後にようやく気づきます。
「ごめんなさい。わたしが悪かった。俺が悪かった。」
そして、態度が変わるんですね。
悔い改めに相応しい態度に変わります。
それを見て、相手が赦すんですね。

「ごめんなさいですんだら、警察はいらん」とは言わないのです。
あっさり赦すんですね。黙って抱きしめるんですね。

あんなに酷いことをしたのに、ここまで傷つけてきたのに、まるで何事もなかったかのように赦し、受け入れるんですね。
赦され、赦し合う姿に、涙がボロボロこぼれます。

あ~あ、これはまさに神様の愛だ。
神様が願っている世界だ、と思って、私も感動するわけです。
みなさん。愛とは赦すことです。
愛し合うとは、赦し合うことです。
赦され、赦し合う世界。
そこに神がおられます。
赦され、赦し合う世界。これが神の国であり、教会の姿です。

みなさん。神の恵みを軽んじないようにしましょう。
神の恵みを忘れず、神の恵みを存在の基盤としましょう。
そして、神の恵みに応答し、天に宝を積みましよう。
赦され、赦し合う世界を広げていきましょう。
お祈りいたします。


◇2012年2月26日(日)
●詩編137:1-9「涙」

●御言葉
バビロンの流れのほとりに座り シオンを思って、わたしたちは泣いた。(137:1)

●黙想
イスラエルの民はバビロンの地で涙を流しました。

彼らは祖国を失い、本当に大切なものを再発見したのです。

あなたにとって帰るべき場所はどこですか。

そこを思って涙するとき、そこから回復が始まります。

今日は日曜日です。


共に主を礼拝しましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

詩編136:16-26「慈しみ」

◇2012年2月25日(土)
●詩編136:16-26「慈しみ」

●御言葉
敵からわたしたちを奪い返した方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。(136:24)

●黙想
神様はエジプトで虐げられる民の叫びを聞き、

モーセを遣わし、敵の手から救い出しました。

神様はキリストを遣わし、

私たちをこの世から救い出してくださいました。

神の慈しみはとこしえに変わりません。

今も、悩みに苦しむ人々の叫びを聞き、

敵の手から奪い返してくださるのです。

主を信じ、主に感謝を捧げる者は、

決して捨て置かれることはありません。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

詩編136:1-15「恵み」

◇2012年2月24日(金)
●詩編136:1-15「恵み」

●御言葉
恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。(136:1)

●黙想
あなたの存在の基盤は何ですか。

イスラエルの民は祭りの事に、この詩編を讃美しました。

神様の慈しみ(恵み)は、永遠です。

何度も何度も繰り返して告白し続けます。

彼らの存在の基盤は「神の恵み」でした。

私たちも同じです。

世と世にあるものは、やがて滅びます。

しかし、神の恵みは永遠に変わることなく、

私たちを支えてくれるのです。

神の恵みの現れであるキリストを、

人生の基盤として生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

詩編135:13-21「礼拝」

◇2012年2月23日(木)
●詩編135:13-21「礼拝」

●御言葉
国々の偶像は金や銀にすぎず 人間の手が造ったもの。口があっても話せず 目があっても見えない。耳があっても聞こえず 鼻と口には息が通わない。偶像を造り、それに依り頼む者は 皆、偶像と同じようなる。(135:15-18)

●黙想
あなたの命は輝いていますか。

命の輝きは、礼拝の対象によって決まります。

命の源である神を礼拝する人は、

神の栄光によって輝きます。

主に依り頼む人は幸せです。

世の光として輝くからです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

詩編135:1-12「委ねる」

◇2012年2月22日(水)
●詩編135:1-12「委ねる」

●御言葉
天において、地において 海とすべての深淵において 主は何事をも御旨のままに行われる。(135:6)

●黙想
何事も御心(御旨)に委ねていますか。

御心と我が心とはいつも同じであるとは限りません。

委ねることは簡単ではありません。

葛藤し、苦しみます。

イエス様もゲッセマネの園で夜を明かして祈られました。

御心に委ねる時、

神様は万事を益に変え、

後から神の御旨(計画)が分かります。

主を信頼し、委ねて祈る人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

詩編133:1-134:3「神の家族」

◇2012年2月21日(火)
●詩編133:1-134:3「神の家族」

●御言葉
見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。(133:1)

●黙想
あなたと同じ心を持つ家族はいますか。

教会は同じ心(神の御心)をもつ人々の集まりです。

クリスチャンは、どこに行っても、

恵みがあり、喜ぶ場所が備えられています。

二人のクリスチャンが集まれば、

そこに恵みと喜びの場所が生まれます。

あなたの家が恵みと喜びの場所となりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

詩編132:1-18「安息」

◇2012年2月20日(月)
●詩編132:1-18「安息」

●御言葉
主はシオンを選び そこに住むことを定められました。「これは永遠にわたしの憩いの地。ここに住むことをわたしは定める」(131:13-14)

●黙想
安らぐ時、安らぐ場所がありますか。

主がおられるところに憩いがあります。

主はシオンの山(エルサレム)を住まいとされたように、

主はあなたの中に住まわれることを願われます。

教会とは、主に選ばれ、主が共におられる人々の集まりです。

そこに安らぎがあります。

朝15分。

主を讃美し、御言葉を読み、祈るなら、

主の安息があなたを守るでしょう。

今日も祝福された一日となりますように。byバルナバ

『赦され、赦し合う教会』

『赦され、赦し合う教会』
(ローマ信徒への手紙2章1節~4節)
(2012年2月19日 ベテル清水教会 聖日礼拝)


先週、私たちの教会は創立8周年を迎えることができました。
創世記1章を見ると、神様は6日働き、7日目を休まれました。
ここから安息日が制定されました。

レビ記25章を見ると、畑は6年働かせ、7年目を休ませています。
ここから安息年、さらにヨベルの年が制定されました。

創立6周年を迎えた時、小栗先生がこの安息年について語り、
「7年目は解放と安息の年だ」と言われました。
その言葉は現実となりました。
7年目が安息と解放の年になったのです。

第一ステージ。それは荒れ野時代でした。
神様は私たちの教会を練り清め、土台を整えて下さいました。
私も頑なだったのでしょう。
砕かれ、教会の土台が築かれるのに、6年もかかりました。

考えみますと、イスラエルの民も約束の地に入る前、40年、荒れ野を経験したのです。
神様は荒れ野で、民を砕かれました。
彼らは荒れ野で神の恵みを体験し、神を崇め、御言葉に従って生きることを学びました。

私たちの教会も6年の荒れ野を通し、神を畏れること、恵みによって生きること、QT、御言葉に従って歩むことを学びました。
「礼拝」と「恵み」と「QT」
この三つの柱が、私たちの教会の土台となりました。
40年かからなくて良かったですね。

昨年、第二ステージが始まりました。
第二ステージは、実を結ぶ時代です。
花を咲かせ、実を結ぶ季節の到来です。

昨年、会堂がリフォームされました。
開拓当初から祈り続けてきた会堂が実を結びました。
7月に献堂式が行われ、共に喜び祝いました。
さらに、1月、12月と洗礼式、先週は転入会者が与えられ、神の家族が増し加えられ、共に喜び祝いました。

実を結ばせてくださるのは、神様です。
神の恵みに根を下ろし、神を崇め、御言葉に従って歩み続けましょう。

さて、「ローマ信徒への手紙」をご一緒に学んでおりますが、今日から2章に入ります。

2:1 だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。

パウロは1章の後半で、罪について語りました。
みなさん。罪とは、造り主である神から離れている状態をいいます。

神様との交わりを喪失している状態を「罪」と呼びます。
これが聖書で言う「罪」です。

この罪が分からなければ、神の恵みが分かりません。
この罪が分からなければ、神の怒りが理解できません。
この罪が分からなければ、十字架の意味も分かりません。
この罪が分からなければ、救いも理解できないのです。

みなさん。聖書を知らない人でも罪を知っています。
していいことと、してはいけないことを、家庭や学校、社会で身につけています。
罪責感で悩んだり、良心の痛みを感じている人はたくさんいます。
しかし、聖書を知らなければ、罪の本質を理解することはできません。

みなさん。罪の本質は何でしょうか。
罪の本質とは、己を神とすることです。
神を神としないことです。
神でないものを神とすることです。
造り主を崇めず、感謝しないことです。
これが罪の本質なのです。

この罪が分かれば、パウロの言う神の怒りが理解できるようになります。
この罪が分かれば、十字架の意味が分かるようなります。
この罪が分かれれば、キリストによる救いが分かるようになるのです。
パウロは突然、叫ぶように言いました。
2:1 だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。
なんだ。パウロも裁いているじゃないか、と突っ込みたくなりますが、
パウロは自分をも含めて語っているのです。

すべて人を裁く者よ
パウロは特定の人を指してではなく、ローマの教会全体に語りました。
パウロは、今、私たちの教会に対しても語っているのです。
私自身に対して、語っているのです。

みなさん。この手紙を受けた人たちは、罪の本質を知っている人でした。
神の怒りを理解し、十字架の意味が分かり、救われた人たちです。
神の恵みによって救われた人たちです。

私たちも同じです。
私たちも神の恵みによって救われました。
その私たちに向かって、私に向かって、パウロは語るのです。

2:1 だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。
パウロは、自分も含め、私たちには弁解の余地はないんだ、といいます。
私たちには弁解の余地はありません。

パウロは続けて語ります。
2:2 神はこのようなことを行う者を正しくお裁きになると、わたしたちは知っています。
2:3 このようなことをする者を裁きながら、自分でも同じことをしている者よ、あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか。

あるとき、ペトロがイエス様に尋ねました。
「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
仏の顔は三度までと言われますが、ペトロは7回まで赦せば良いだろうかと思って聞いたのです。
すると、イエス様は「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」と言いました。赦し続けなさい、ということです。

そして、その後、イエス様はたとえを語ります。
ある一人の家来が王様に1万タラントの借金をします。
一万タラントは、約6000億円の借金です。
彼は、「どうか待ってください。きっと全部返しますから」と言って、しきりに願います。
この姿を見て、王様は彼を憐れみ、この借金を全額免除しました。

赦された彼は、町で百デナリオン貸している仲間に出会いました。
彼に借金返済を迫り、彼が「どうか待ってくれ」と頼んでいるにもかかわらず、彼は牢に放り込んでしまいます。
百デナリオンは約100万です。
彼は自分は憐れまれながら、友を憐れまなかったのです。
彼は自分は赦されながらも、友を赦すことができなかったのです。

この後、一部始終を見ていた人が、王に報告します。
彼は、自分の借金を返すまで、牢に放り込まれてしまうのです。

みなさん。ユダヤ人たちは、神様の恵みによって選ばれました。
しかし、彼らは、恵みを誇りとするのではなく、選ばれたことを誇りとしました。
彼らは、選ばれていない異邦人たちを見下したのです。

また、彼らには律法が与えられました。
彼らは、律法を知らない人たちを馬鹿にしたのです。
選民意識、特権意識によって、高慢になって、そうでない人々を裁いていたのです。

みなさん。私たちは、神様の恵みによって選ばれました。
神の子とされました。
罪が赦されました。
それらは、すべて神の恵みです。
私たちには、何ら誇るべき要素はないのです。

1万タラントを赦された人のように、ただ、憐れみによって赦されたに過ぎないのです。

私たちは神の恵みを誇るべきなのです。
神の恵みを喜ぶべきなのです。
パウロは、誇る者は主を誇れ、と言ったのは、まさにその通りです。。

みなさん。裁きと赦しはコインの裏表です。
赦せないから裁くのです。
自分を赦せない人は、自分を裁いています。
人を赦せない人は、人を裁いています。
神を赦せない人は、神を裁いているのです。

2:1 だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。
私たちには、弁解の余地がありません。
誰一人、神の裁きを免れる人はいません。

しかし、神様は、私たちを憐れんでくださったのです。
私たちのために裁きを逃れる道を用意してくださったのです。
それがイエス・キリストによる救いの道です。

神様の憐れみが人となった。
それがイエス・キリストです。

私たちは神の憐れみによって、神に赦されたのです。
ただ、イエス様を信じるだけで、神に赦されたのです。

パウロは言いました。
2:4 あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。
「軽んじる」とは、「カタフロネイス」というギリシャ語ですが、これは神を冒涜する行為を意味する言葉です。

家来は、王様から憐れみを受け、借金を免除されました。
しかし、彼は、友を赦さないことで、王の憐れみを軽んじたのです。

みなさん。私たちは神様の恵みを軽んじてはいけないのです。
私たちに下されるべき裁きを、キリストは身代わりに引き受けてくださったのです。
キリストの十字架を軽んじてはいけないのです。
神の赦しを軽んじてはいけないのです。

先週、吉川先生が礼拝に来て下さいました。
吉川先生はラブソナタの協力会のメンバーです。
私たちは、毎週、共に集まって、祈り合っています。
1月には修養会を行って、共に恵みを分かち合い、祈り合いました。
わたしはこの協力会の雰囲気が大好きです。
そこには、赦され、赦し合う雰囲気があるからです。
ですから、居心地が良いんですね。

昨年、ハ・ヨンジョ先生が天に召されました。
ハ・ヨンジョ先生が日本に来たときに、こんな話をされました。
「わたしたち韓国人は、ずっと日本人を赦せないでいました。
どうかみなさん。赦せない私の罪を、わたしたち韓国人の罪を、赦して欲しい」と。

韓国は国民の30%以上がクリスチャンの国です。大統領や閣僚の中には多くのクリスチャンがいます。

彼らは赦すことは神様の御心であることを知っています。
しかし、現実には赦せないでいます。赦してはいけないと思っています。

今まで、日本から韓国に行った牧師先生たちは、いつも自分たちの国が犯した罪を赦してください、と謝り続けてきました。
しかし、ハ・ヨンジョ先生は、「赦せない自分を赦して欲しい」と涙を流されました。

赦せない自分を赦して欲しい。
このハ・ヨンジョ先生の姿に、日本中の牧師が感動しました。
そして、今まで、裁きあっていた教会同士が、赦され、赦し合うようになりました。

私はオンヌリ教会の人たちが、早天祈祷で、日本の旗を振りながら、日本で行われるラブソナタの働きのために、涙を流しながら、祈っている姿を見て、涙が止まりませんでした。

赦され、赦し合うところに神の国があります。
神の赦しを軽んじないようにしましょう。

昔、ミーニングというキリスト教の雑誌にこんな証が載っていました。
高清水さんという方の証しです。

彼女は、厳しい母親の元で、育てられました。
学校では、はしゃいで元気いっぱいの明るい子でした。

しかし、家では、自分の殻に閉じ籠り、家族との会話がありません。
成績がどんどん下がり始めました。
15才の時、たばこを吸うようになり、生活が荒れ始めました。
17才の時に、警察のお世話になりました。

父親に連れられ、警察から帰った時、母親に玄関で叩かれました。
その一発によって、いままで積み重なってきた両親に対する怒りと憎しみとが爆発したのです。

母親を殴り、両親を憎みました。
彼女は憎しみに満ちた人生を7年間過ごしたそうです。

24才の時、転機が訪れます。
イエス・キリストの生涯を描いた映画をビデオで見ました。
キリスト教に興味を持つようになり、聖書を買って読みました。

聖書を読んでいるうちに、自分の罪に気づいたのです。
神様は「父と母を敬え」といわれているのに、自分が親にしてきたことを振り返って、泣きながら聖書を読みました。

彼女は、今まで、何度も自分が変わりたい変わりたいと願っていました。しかし、いくら自分で努力しても、変えることができなったのです。

「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。 古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」(二コリント5:17)

この御言葉を読んで、教会に行きたいと思いました。
そんなある日、郵便ポストに、近くの教会の伝道集会のチラシが入っていました。
それを見て、その教会に行きました。
礼拝中、彼女は涙が止まらなくなったのです。
集会の最後に、招きがありました。

そこで彼女は、神様を受け入れ、お祈りをしたそうです。
すると、心の中に今までになかった喜びが、満ち溢れました。
それから彼女の心は変化しました。

両親に、自分が教会へ行った事、神様を信じたこと、自分が生まれ変わったことを、証ししました。
両親は、最初、この子は、気が変になったと思ったようです。
それぐらい、彼女は変わったのです。

しばらくして、父と母も変わり始めたそうです。
ある日、父親が、今まで話したことがなかった悩みをポツリポツリと話し始めたのです。
お父さんは「今、借金に苦しみ、追い込まれている」と。
これを聞いて、彼女は、七年間、コツコツ貯めてきたお金を、父に渡しました。

父親は、「おまえにそこまでさせることはできない」と断りました。
すると、彼女はこう言ったのです。
「神様がなさったことだから、私は苦しくともなんともないんだよ。それより申し訳ないなんて言われるほうがよっぽど迷惑。それより聖書を読んで、イエスさまのことを知ってちょうだい」と言ったそうです。

それから、彼女の両親も教会に行くようになり、イエス様を信じて救われたそうです。

彼女は、自分の罪が赦され、両親を赦しました。
その結果、壊れていた親子関係が回復していったのです。

みなさん。神様の御心は、交わりの回復です。
閉ざされた関係が回復することです。

赦し、赦し合う世界。
それが神の国です。
教会の姿です。
私たちも、神様の大きな赦しを体験し、その赦しを軽んじないように、赦し合って歩んで行きましょう。
お祈りします。

詩編130:1-131:3「希望」

◇2012年2月19日(日)
●詩編130:1-131:3「希望」

●御言葉
わたしは主に望みをおき わたしの魂は望みをおき 御言葉を待ち望みます。(130:5)

●黙想
あなたが望みを託す人は誰ですか。

詩人は主に望みをおき、主の言葉を待ち望みました。

神様は希望の源なるお方です。

主に望みを置く人は、主の言葉を待ち望むようになります。

信仰とは、主の訪れを待つことです。

信仰とは、主の御言葉が成就するのを待つことです。

今日は日曜日です。

主を仰ぎ、主の御言葉を待ち望みましょう。

今日も祝福された一日となりますように。byバルナバ

PS.ベテルブログ更新されました。

詩編128:1-129:8「幸せ」

◇2012年2月18日(土)
●詩編128:1-129:8「幸せ」

●御言葉
いかに幸いなことか 主を畏れ、主の道に歩む人よ。(128:1)

●黙想
幸せを感じていますか。

どうすれば幸せになれるのでしょうか。

造り主なる神様を畏れ(礼拝し)、

救い主なるイエス様に従い、

助け主であり、慰め主である聖霊様と共に歩むことです。

そうすれば働きが祝福され、

家庭が祝福され、

子孫が祝福されるのです。

祝福とは、

どこにいても、

何をしても幸せを感じられることです。

今日も祝福された一日となりますように。byバルナバ

詩編127:1-5「God Be With You 」

◇2012年2月17日(金)
●詩編127:1-5「God Be With You 」

●御言葉
主御自身が建ててくださるのでなければ 家を建てる人の労苦はむなしい。主御自身が守ってくださるのでなければ 町を守る人が目覚めしているのもむなしい。(127:1)

●黙想
あなたの働きがむなしく感じることはありませんか。

神と共に働く時、あなたが何をしても、神の祝福があります。

「主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ」(出エジプト39:2)


♪God Be With You

神のみ守りが

いつでもあなたの上に注がれますように

あなたが何処にいるとしても

何をするとしてもいつでも神様が

共におられますように

私は祈ります(「God Bless You」作詞:岩渕まこと)。


今日も祝福された一日となりますように。byバルナバ

詩編125:1-126:6「信頼」

◇2012年2月16日(木)
●詩編125:1-126:6「信頼」

●御言葉
主に依り頼む人は、シオンの山。揺らぐことはなく、とこしえに座る。山々はエルサレムを囲み 主は御自分の民を囲んでいてくださる 今も、そしてとこしえに。(125:1-2)

●黙想
あなたの土台は大丈夫ですか。

主に依り頼む人は、シオンの山のようです。

シオンの山には神殿があり、山々に囲まれています。

主と主の御言葉に依り頼む人は、

主が共にいて、天使たちに囲まれ、守られます。

「この貧しい人が呼び求める声を主は聞き、

苦難から常に救ってくださった。

主の使いはその周りに人を敷き、

主を畏れる人を守り助けてくださった。」(詩編34:7-8)。


今日も祝福がありますように。byバルナバ

詩編123:1-124:8「味方」

◇2012年2月15日(水)
●詩編123:1-124:8「味方」

●御言葉
主がわたしたちの味方でなかったら わたしたちに逆らう者が立ったとき そのとき、わたしたちは生きながら 敵意の炎に飲み込まれていたであろう。(124:2-3)

●黙想
あなたの味方は誰ですか。

人生は戦いの連続です。

目を上げ、造り主を仰ぎ、

救いを求める者には、主の助けがあります。

パウロは「もし神がわたしたちの味方であるならば、

だれがわたしたちに敵対できますか」(ローマ8:31)と言いました。

造り主なる神はあなたの味方です。

救い主なるイエス様はあなたの味方です。

助け主なる聖霊様はあなたの味方です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

詩編122:1-9「天の喜び」

◇2012年2月14日(火)
●詩編122:1-9「天の喜び」

●御言葉
主の家に行こう、と人々が言ったとき わたしはうれしかった。(122:1)

●黙想
天の喜びを味わっていますか。

人は誰もが不安と恐れを抱えて生きています。

主の家には平安と恵みがあります。

詩人は、主の家に招かれた時、天の喜びを味わいました。

詩人は主の家に人々を招き、

それに人々が応じてくれた時、天の喜びを味わったのです。

天の喜びとは、

神に立ち帰り、神の恵みに触れた者が味わう喜びであり、

その光景を近くで見守る人々の喜びです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

詩編121:1-8「助け主」

◇2012年2月13日(月)
●詩編121:1-8「助け主」

●御言葉
目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから。(121:1-2)

●黙想
苦しい時、どこに助けを求めますか。

詩人は大自然を見渡し、

天地を造られた神様に助けを求めました。

あなたを造られたお方は、

あなたのために救い主イエス様を遣わされました。

イエス様を信じる者には、

助け主なる聖霊様がいつも共にいて、

守り、支えてくださるのです。

造り主・救い主・助け主。

これが父・子・聖霊なる神様です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

詩編120:1-7「主の声」

◇2012年2月12日(日)
●詩編120:1-7「主の声」

●御言葉
苦難の中から主を呼ぶと 主はわたしに答えてくださった。(120:1)

●黙想
主の声は聞こえていますか。

ヘブライ語で「言葉」(ダーヴァル)は「出来事」と同じ意味です。

出来事の中に神の言葉があります。

今、自分は何をすべきなのか。

神様は何をさせようとしているのか。

神の答えを尋ね求めること。

それがQTです。

今日でベテル清水教会は8周年を迎えます。

主は私たちの教会の出来事の中にたくさんの声を聞かせてくださいました。

これからも聞き続け、従って歩みます。

今日は日曜日です。

主を礼拝し、主の語られる声に耳を傾け、従って歩みましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ローマ16:17-27「平和」

◇2012年2月11日(土)
●ローマ16:17-27「平和」

●御言葉
平和の源である神は間もなく、サタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれるでしょう。わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。(16:20)

●黙想
今、心は平和ですか。

サタンは不和やつまずきの原因となるものを用いて、

争いと分裂を引き起こそうと働きます。

自分の力で何とかしようと心騒がす時、

さらに事態は悪化し、サタンの術中に陥ります。

平和の源なる神様を信頼し、

主に委ねて祈る時、心に平和が訪れます。

「お前たちは、立ち帰って静かにしているならば救われる。

安らかに信頼していることにこそ力がある」と。(イザヤ30:15)。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ローマ16:1-16「助け手」

◇2012年2月10日(金)
●ローマ16:1-16「助け手」

●御言葉
どうか聖なる者たちによろしく、また主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください。彼女は多くの人々の援助者、特にわたしの援助者です。(16:2)

●黙想
あなたを助けてくれる人、助けを必要とする人はいますか。

パウロは多くの人を助けました。

その結果、多くの人がパウロの働きを援助するようになりました。

助けを必要とする人に手を差し伸べる人は、

援助が必要な時に助けられます。

神様は最大の助け手を遣わされました。

それが救い主であるイエス様です。

イエス様に助けられ、助けを必要な人に救い主を紹介する。

これがイエス様に助けられた人ができる最高の援助です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ローマ15:22-33「祈りの友」

◇2012年2月9日(木)
●ローマ15:22-33「祈りの友」

●御言葉
兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストによって、また、霊が与えてくださる愛によってお願いします。どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください。(15:30)

●黙想
あなたのために祈ってくれる人はいますか。

一人悩み、苦しむ時、離れた場所で祈ってくれる友は最高の友です。

イエス様は神の御座であなたのために祈っておられます。

イエス様を信じる人の中には神の御座(宮)が設けられます。

神の宮には聖霊なる神様がいます。

あなたの最も側近くで、言葉にならない呻きをもって

あなたのために祈ってくださるのです。

祈りの友にまさる友達はいません。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ローマ15:14-21「祝福の管」

◇2012年2月8日(水)
●ローマ15:14-21「祝福の管」

●御言葉
そこでわたしは、神のために働くことをキリスト・イエスによって誇りに思っています。(15:17)

●黙想
あなたはあなたを通し、神が働かれるのを体験したことがありますか。

パウロは神のために働く時、

神が自分を通して働かれるのを体験しました。

これがアブラハムの祝福です。

あなたは神の祝福の管です。

あなたを通して神様の恵みと祝福は周りに注がれていくのです。

神の恵みがあなたを通して流れ出ますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

ローマ15:1-13「希望」

◇2012年2月7日(火)
●ローマ15:1-13「希望」

●御言葉
希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。(15:13)

●黙想
あなたは希望をどこに置いていますか。

アブラハムは神に希望を置く人でした。

神の約束を信じ、旅立ちます。

約束とはほど遠い現実に失望せず、

約束の実現を待ち望みました。

「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。

それは、『あなたの子孫はこのようになる』と言われていたとおりに、

彼があらゆる国の人々の父となるためでした。」(ローマ4:18)。

神は希望の源であり、

希望に満ちあふれさせてくださる方です。

望み得ないときにもなお、

神に望みを置いて歩む人は幸せです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ローマ14:13-23「赦しの旗」

◇2012年2月6日(月)
●ローマ14:13-23「赦しの旗」
●御言葉
従って、もう互いに裁き合わないようにしよう。むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい。(14:13)

●黙想
裁いてしまう人がいますか。

自分は絶対に正しい。

これが善悪を知る木です。


この木の実は、神以外には食べることが許されないのです。

ファリサイ人たちは、自分を正当化し、

罪人のみならず、神をも裁き、キリストを十字架につけてしまったのです。

正義の旗を下ろし、赦しの旗を掲げて待つ。

これが神の御心です。

互いに赦し合う人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

『無価値な思いからの救い』

『無価値な思いからの救い』
(ローマ信徒への手紙1章24節~32節)
(2012年2月5日 ベテル清水教会 聖日礼拝)


みなさんは、昨晩、何を食べたか覚えていますか。
昨日の料理は覚えていても、一週間、一ヶ月、一年となれば、ほとんど覚えていないでしょう。
食べたら忘れる。説教も同じです。覚えていますか。
料理も説教も、覚える必要はありません。
大切なのは食べ続けることであり、聞き続けることであります。

先日、東京の姉と電話で話していて、子供の頃、どんな料理を食べてていたのか、全く覚えていないんですね。母に申し訳ないですね。
しかし、印象に残っている食べ物があります。
それは「きな粉」と「でんぶ」と「豆腐」です。
この三つを、いつもご飯にかけて食べていたのを覚えています。
まさか、それがおかずではなかったと思うのですが、思い出せないんですね。

姉は言いました。
「でもね。今、きな粉が健康に良いといわれているんだよね。麦ご飯も体にいいと言われるけど、我が家ではいつもきな粉を食べ、麦ご飯を食べていたから、みんな健康で病気しないのかも」と。
なるほど、だから私は健康なんだ、と納得しました。

みなさん。何を食べるかが体に影響を及ぼします。
食生活の改善。これが成人病から身を守る秘訣です。

同じように、何を聞くかが心に影響を及ぼします。
心は体以上に重要です。

イエス様は言いました。
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と。

また、箴言4章20節にはこう記されています。
4:20 わが子よ、わたしの言葉に耳を傾けよ。わたしの言うことに耳を向けよ。
4:21 見失うことなく、心に納めて守れ。
4:22 それらに到達する者にとって、それは命となり/全身を健康にする。
4:23 何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。


聖書は神の言葉です。
今朝も、神の口から出る一つ一つの言葉に耳を傾け、自分の心を守りましょう。

さて、ローマ信徒への手紙をご一緒に学んでおります。
先週は「造り主と救い主に感謝」というテーマでお話を致しました。

聖書(Bible)は神の言葉です。
聖書は、「旧約」と「新約」に分かれています。
旧約は「律法」であり、新約は「福音」です。

旧約が明らかにする神様は、造り主なる神様です。
新約が明らかにする神様は、救い主なる神様です。

みなさん。神の言葉、聖書を正しく理解するためには、
まず第一に旧約の神、「造り主」を知らなければなりません。

私たちは神の作品です。
私たちは造り主を知ることによって、自分を知ることができます。
どこから来てどこへ行くのか。
何のために生まれ、何のために生きるのか。
生きる目的を知ることができます。

律法は、造り主の心です。
律法を知れば、罪が見えます。
罪を知ることによって、悔い改めが生じます。
そして、赦しと救いを求めるようになります。

彼らの求めに応じ、やがて救い主を遣わす。
これが旧約聖書の約束です。
新約聖書は、この約束の成就です。

みなさん。神の言葉、聖書を正しく理解するためには、
二番目に、新約の神、「救い主」を知らなければなりません。

ユダヤのベツレヘムに生まれ、ナザレのイエスと呼ばれた人。
この人こそ、神様が約束されたメシア、キリストであると信じる。
これが福音です。
この福音を聞いて、信じる者は、罪赦され、救いが完成し、造り主のもとに帰ることができる。これが新約聖書です。
みなさん。造り主を崇め、感謝する。
これは人間の本分です。
人は神様を讃美するため、礼拝するために造られたのです。

しかし、人間は、この本分を忘れてしまいました。
造り主ではなく、神様が造られたものを拝むようになりました。
造り主ではなく、自分で造った偶像を拝むようになりました。
その結果、どうなってしまったのでしょうか。
それが今日の内容です。

もう一度、24節からお読みします。
1:24 そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。
1:25 神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。
1:26 それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、
1:27 同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。


みなさん。造られたものは、造り主のものです。
ですから、造り主は、支配者です。
罪とは、造り主の支配から飛び出すことを意味します。

たとえば、魚は海や川、水の中で生きています。
水の中でこそ、彼らは自由に泳ぐことができるのです。
しかし、「俺は、水の中で生きるのは嫌だ、と言って、ポンと跳ねて、陸に上がったらどうなるでしょうか。
途端に不自由になり、やがて命を失います。
これが罪です。
罪とは、神の支配から外れることです。

罪とは、神の支配から外れ、己の支配に生きることです。
自己中心。エゴイズム。これが罪の本質です。

みなさん。エデンの園の物語で、アダムとエバは楽園を失いました。
楽園とは、神様が支配される世界です。
なぜ、彼らは楽園を失ったのでしょうか。
善悪の知識の木を食べたからです。
「善悪の知識の木」「善悪を知る木」とも訳されます。

「知る」という言葉には、「支配する」という意味があります。
県知事、都知事の知事というのは、「知る事」と書きますね。
「物事を支配する」という意味です。

みなさん。争いはなぜ起こるのでしょうか。
それは、自分の考えは、絶対に正しいと信じるからです。
「自分は絶対に正しい」と思っている人は、聞く耳を持ちません。

ファリサイ人たちは、そんな人たちでした。
彼らは、神様が救い主を遣わされたのに、認めることができませんでした。
「自分は絶対に正しい」
その結果、救い主を十字架につけてしまったのです。
これが新約聖書における失楽園ですね。
この結果、ユダヤ人たちは失楽園します。
神様に選ばれた民が、自分を絶対化することによって、彷徨うことになるのです。

みなさん。神様は、反抗し、出て行く者に「好きにしろ」と言って、好きにさせたのです。
そして、その結果を刈り取らせて、再び、帰ってくるのを待ったのです。

みなさん。子供は反抗期を迎えます。
反抗期は、自立のためのステップです。
反抗することによって、自立していきます。

いくら言っても、言うことを聞かなくなります。
小さい頃は、親に従っていました。
いわば親の支配の中にいました。
しかし、子供は親の支配を離れ、自分の世界を持つようになるのです。
自立の始まりです。
そんな時、みなさんはどうされますか。

縄をかけて、家に閉じ込め、監禁しますか。
言うことを聞くまで、拘束し、食事を与えない。それは虐待ですね。
CGNTVで子育てセミナーが放送されていました。
小さな命を守る会の水谷先生が語られていましたが、とても教えられました。
インターネットでも見ることができるので、ぜひ、子育てをされている方は、ご覧になったらよいと思います。

子育ての目標は、自立にある、と言われていました。
子供が自立し、親から離れて、独り立ちできるようにすること。
これが育児である、と。

しかし、最近、自立できない子供が多いそうです。
親離れできない子供、子離れできない母親が多いそうです。
反抗期というのは、神の恵みです。
反抗期を通して、子供は自立していくのです。

水谷先生は言われました。
自立を目指さない子育ては、育児ではなく、飼育だそうです。
ペットは、自立させません。
いつまでも側にいて、「可愛い」「可愛い」と言って、世話をし続けるのです。

しかし、子供はペットではありません。
自立させなければならないんですね。

そのためには、子供が選んだことに対し、責任を取ることを学ばさせなければなりません。

みなさん。私たちも同じです。
私たちは神様に造られましたが、神様のペットではありません。
神様は、私たちに自由を与えました。
私たちが自立して生きることを願っているのです。

さて、パウロは、罪のリストを掲げます。
1:28 彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。
1:29 あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、
1:30 人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、
1:31 無知、不誠実、無情、無慈悲です。
1:32 彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。


みなさん。ここに書かれている罪のリストを読んでどのように思いますか。
このリストにある行為を、したいと思っている人はいないと思います。
妬みたくないのに妬んでしまうのです。
陰口など言いたくないのに、言ってしまうのです。

このように語るパウロも自分も同じだと言うのです。
彼は自分の罪に苦しみ、もがき、「わたしは何と惨めな人間なのでしょう」と言って、叫んでいます。

パウロは、このように叫んだ後、こう告白しています。
「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝します」と。

これは、この罪深い私のために、救い主を遣わしてくださったことを、神様に感謝します、という意味です。

罪は、私たちを無価値な思いに誘います。
何と惨めな人間なのだろうか、と最後には絶望をもたらすのです。

イエス様は、私たちを無価値な思いから救い出すために、来て下さったのです。

救いとは、無価値な思いからの救いです。
無価値な思いの行き着く先は絶望であり、死です。

パウロは言いました。
「罪の支払う報酬は死である。しかし、神の賜物は、わたしたちの主イエス・キリストによる永遠の命だ」と。

イエス様は、私たちを無価値な思いから救い出すために来られたのです。
この方を信じるだけで、私たちは罪の法則から解放されます。
罪の赦しが与えられます。
神の子としての身分が与えられ、永遠の命を持ちます。
そして、神の支配の中に生き、神を崇め、感謝する者となるのです。
これがクリスチャンです。

最初に「いつも愛している」という讃美をしました。
この讃美は、神様の心を歌っています。

♪わたしの目にはあなたは高価で尊い。
世界のはじめから、わたしのもの。
大切な人よ、美しい人よ、
かけがえのないあなたを、いつも、いつも愛している♪


わたしたちは、造り主の心を知り、価値ある思いを回復する必要があります。
神様の作品に相応しい生き方をする必要があります。
そのためには、神の言葉によって、心を守り続ける必要があるのです。
毎朝、主の御言葉に耳を傾けましょう。

最後に、イザヤ書43章を新改訳聖書でお読みします。

43:1 だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。
43:2 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
43:3 わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。・・・
43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。


お祈りいたします。

ローマ14:1-12「生き方」

◇2012年2月5日(日)
●ローマ14:1-12「生き方」

●御言葉
わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものなのです。(14:8)

●黙想
あなたは誰のために生きていますか。

家族のために生きる人、

自分のために生きる人、

社会のために生きる人、

国のために生きる人、

生き方は様々です。

クリスチャンは主のために生きる人です。

主のために生きる人生に悔いなしです。

主が時に適った生き方を教えてくれるからです。

今日は日曜日です。

共に主を礼拝しましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ローマ13:8-14「神孝行」

◇2012年2月4日(土)
●ローマ13:8-14「神孝行」

●御言葉
互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。(13:8)

●黙想
親孝行、神孝行していますか。

人は生まれてから多くの愛を受けて育ってきました。

神様に対しても同じです。

新しく生まれるために、神様は大きな愛の代価を支払ってくださいました。

神様の御心は、互いに愛を返済するかのように生きることです。

成熟した大人は親に感謝し、親孝行するように、

成熟したクリスチャンは神に感謝し、神孝行します。

神孝行とは、互いに愛し合うことなのです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ローマ13:1-7「権威」

◇2012年2月3日(金)
●ローマ13:1-7「権威」

●御言葉
人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。(13:1)

●黙想
あなたは仕えていますか。

権威を軽んじると、秩序が崩れ、

家庭も国家も教会も衰退します。

クリスチャンは家庭や社会、

国家と教会に果たすべき責任と義務があります。

神様の御心は、

互いに仕え合って、

幸せ(仕合わせ)な社会(神の国)を形成することです。

主に仕えるように、家庭に仕える人、

主に仕えるように、社会に仕える人、

主に仕えるように、教会に仕える人は幸せです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ローマ12:9-21「平和」

◇2012年2月2日(木)
●ローマ12:9-21「平和」

●御言葉
できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。(12:18)

●黙想
今、憎んでいる人、赦せない人、敵対している人はいますか。

敵を愛し、迫害する者のために祈り、

復讐は神の怒りにまかせる時、

あなたの心に平和が訪れます。

平和とは、敵と戦って得るものではなく、

自分と戦って与えられるものです。

「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)。

今日も祝福がありますように。byバルナバ
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