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造り主と救い主に感謝

『造り主と救い主に感謝』
(ローマ信徒への手紙1章18節~25節)
(2012年1月29日 ベテル清水教会 聖日礼拝)


先週は兵庫教区の「礼拝交流の日」でした。
私は西神美賀多台教会に行ってきました。
丹羽先生とは、同じ時期に牧師になり、美賀多台と春日台で、同じように教会設立をしました。
伝道に対しても、同じような思いをもっています。
ですから、「わたしの味方だい」と思って、仲良くしております。

美賀多台教会は40名ぐらいの礼拝でしたから、ちょうどこの教会の倍ぐらいの人数でした。
年齢は倍まではいきませんが、年輩の方々が大勢おられる教会でした。

先週、ラブソナタの協力会の修養会がありました。
同じ部屋になった先生の教会は、何と70歳、80歳ぐらいの人たちが教会を支えているそうです。

信仰には定年や引退、隠居はありません。
先生は92歳のおばあちゃんと一緒に、毎週、訪問伝道をされているそうです。
どこの教会にも、私の母のようなタイプの人がいるんだな、と思いました。

肉体は衰えても、信仰は老化しません。
日々新たにされ、鷲のように高く羽ばたく事ができます。
「老人は夢を見る」とありますが、神様は夢を与えます。
夢は祈りを起こさせます。
そして、祈りは現実になっていきます。

今日、洗礼を受けられる姉妹は、受洗準備会が終わった後、わたしに「夢が叶いました」と言ったんですね。
「先生の夢が叶って良かったね」ではないんです。
「わたしの夢が叶いました」と言われたんです。

昔、友達に誘われて教会に行ったことがあるそうです。
讃美歌を歌うのが好きで、ずっと教会に行きたいと思っていたそうです。
しかし、当時は戦時中であり、キリスト教への迫害が強い時代です。
父親に反対され、教会に行かせてもらえなかったそうです。

みなさん。神様は思いを起こさせます。
思いは夢となり、ビジョンとなります。
そして、それを実現に至らせるのは、神様の力、聖霊の力です。
夢が適えられたのも、神の恵みです。

さて、1月からローマ信徒への手紙をご一緒に学んでおります。
この手紙のテーマは「恵みによる救い」です。
救いは神の恵みです。
イエス・キリストは神の恵みです。
イエス・キリストを信じる者は救われる。
これが福音です。

パウロは福音を誇りとし、「わたしは福音を恥としない」と言って、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも福音を伝えたのです。

今朝は、その続きを学びます。
もう一度18節からご覧ください。
1:18 不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。

パウロは罪について語りはじめます。
みなさん。神の恵みを知るためには、罪を知る必要があります。
律法は、罪を明らかにし、福音は救いの道を示します。

罪が分からなければ、恵みが分かりません。
罪が分からなければ、救いが分かりません。

先週の日曜日、教会を留守にしたのは3年ぶりのことでした。
あれは三年前♪
三年前、私の心は疲れきっていました。
痛みと悲しみが心の中にありました。

リフレッシュ休暇をもらい、三週間、日曜日に教会を留守にし、他の教会で礼拝を守り、自分を見つめ直す時間を持ちました。
放蕩息子ならぬ、放蕩牧師ですね。
みなさんが疲れて、他の教会に行っても、わたしには「ダメだ」という資格はありませんね。

当時、「牧師が変われば教会は変わる」
わたしは自分に言い聞かせるように、繰り返し語っていました。

しかしみなさん。自分を変えるのは難しいですね。
私が変わらなければ、思い切って、私が代わる、牧師を他の人に代わってもらった方が、この教会のためになるのではないかとも真剣に悩みました。
この時ほど、無力さ、罪深さ、愛のなさ、弱さを感じた時はありません。

そんな私を救ってくれたのは、神の恵みでした。
10月に韓国のオンヌリ教会に行きました。
ゲストのフィリップ・ヤンシーさんの「恵みよりも墜落することはない」という一言が、私の心を捉えました。

朝、早天で祈っている時に、神の恵みが心に迫りました。
十字架のありがたさを感じました。

この時、わたしは「神の恵み」を再発見しました。
イエス様は、十字架にかかり、陰府に下りました。
どん底にいる者を救うために、陰府にまで下られたんだ。
使徒信条で告白する「陰府」の意味を理解しました。

救いようがないような場所にも、恵みのセーフティーネットが敷かれていた。
そのことに気づいたのです。
それから本当に楽になりました。

先週、「この二年で教会は変わったね」と話すと、「先生が変わったからじゃないですか」と言われました。

改めて、わたしは恵みによって変えられたんだ、と思いました。
みなさん。教会は、恵みによって救われる場所です。
教会は、恵みによって変えられる場所です。

神の恵みには、人を変える力があります。
家庭を変え、教会を変え、社会を変える力があります。
神の恵みが人となった。
それがイエス・キリストです。
イエス様は、私たちの救い主です。


さて、神様は義なる方です。正しいお方です。罪のないお方です。
もし、神様に不義があれば、義なる神様ではありません。
神様は正しく裁かれる方です。
神様は白黒はっきりされる方です。グレーはありません。

サッカーの主審はルールに従ってジャッジを下します。
オフサイドなのに、それを無視し、ゴールを認めたら大ブーイングが起こるでしょう。
反則をしているのに、全く注意をせず、好き放題にやらせたら、審判として失格者です。

みなさんは、神様を恐れたことはありませんか。
罪ある人は、神様を恐れます。神様を恐れない人はいないでしょう。
多くの人は、悪いことをすると罰が当たると思っています。

わたしは、造り主を知ることによって、神様の怒りが分かるようになりました。

みなさん。神様は造り主です。
創世記の1章には、天地創造の物語が記されています。
神様が創造の業を終えられた時、造られたものを見て、「極めて良かった」と記されています。

そして、神様は人間を造り、助け手として、女性を造られました。
夫婦は助け合い、愛し合う存在として造られたのです。

神様は、人にこの地を治めさせ、全地に増え広がっていくように願われました。

みなさん。子供が一生懸命に作ったブロックを破壊したら、もの凄く怒りますよね。
一生懸命に作った料理を、「まずい、こんなもの食べられるか」と言って、捨てられたら、怒りますよね。
自分のものが傷つけられたり、踏みにじられたり、汚されたり、メチャクチャにされて、怒らない人はいません。

みなさん。この世界はすべて神様が造られました。
私たち人間もすべて、神様の作品です。
私たちは、この世界を治め、助け合い、支え合って生きるようにと、
神様に造られたのです。

この視点に立つと、神様の怒りが分かります。
神様が造られた世界は、今、どのようになっているでしょうか。
神様が造られた人間は、今、どのように生きているでしょうか。

人間は自然を破壊し続けています。
自分たちが造った核兵器により、人類が滅びる危機を迎えています。
原発もそうです。
福島の原発事故の例でも分かるように、もし、世界の原発がテロに狙われたら、大変な事態になります。

国と国が争い合い、人間同士も争い合い、家族同士も争い合い、
傷つけ合っています。
自らの命を傷つけ、毎年、3万人もの人が自らの命を絶っているのです。

みなさん。この世界も、人間も、みんな神様が造られたものです。
神様の作品が、人間の罪によって、破壊され、傷つけられている。
この現実を見て、神様の心が痛まないはずがありません。

神は天から怒りを現されます。

私たちは造り主の心を覚える必要があります。
神様の痛みを知る必要があります。

パウロは、造り主は、自然の中に明らかにされている、と言いました。
1:19 なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。
1:20 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。


私たちは大自然を通して、造り主なる神様を知ることができます。
私たちは命あるものを通して、造り主なる神様を知ることができます。
これを神学用語で「自然啓示」と呼びます。

ちなみに、イエス・キリストは「特別啓示」と呼ばれます。
イエス・キリストを通して、救い主なる神様を知ることができるからです。

昨年、オープンチャペルにはたくさんの人が集まりました。
毎年、オリーブ会の手作り品が出品されています。
作品を手にしたときに、「これは誰が作ったの」という声を聞きます。

作品があれば、作者が存在する。
これは当たり前のことです。
みなさん。世界は神の作品です。
作品は、作者の存在を現します。
作品は、作者の存在証明になのです。

もし、みなさんが無人島に漂着したとします。
そこに、家が建っているのを見たら、無人島とは思わないでしょう。
たとえ人の姿を見なくても、建てられた家が、人の存在を証明するのです。

私の家内は、奈良の山奥で育ちましたので、自然が大好きです。
自然を見ながら、神様の存在を感じていたそうです。
ですから、創世記1章1節
1:1 初めに、神は天地を創造された。

この言葉が心にスーッと入ってきたそうです。

私たちは造り主を覚えなければなりません。
私たちは造り主の心を知らなければなりません。
私たちは造り主の痛みを知らなければならないのです。

パウロは言います。
1:21 なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。
1:22 自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、
1:23 滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。


造り主を覚え、造り主を崇め、感謝すること。
これが造られたものに求められていることです。

しかし、彼らは造り主なる神を神とせず、自然を神として拝み、偶像を神として拝んだのです。

その結果、正しい心を失い、欲望のままに生きるようになったのです。
1:24 そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。
1:25 神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。


みなさん。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です。
神様が造られた世界を見て、造り主なる神様を覚えましょう。
造り主なる神様の心を知りましょう。

神様は、私たちが一人として滅びないことを願っているのです。
そのためにイエス・キリストを救い主として、遣わして下さったのです。

イエス・キリストは救い主です。
イエス・キリストは、神の怒りを身代わりに引き受けて下さいました。
私たちの罪を赦し、滅びから救い出すために、十字架にかかってくださったのです。

わたしたちは神様の恵みによって、造られ、恵みによって救われるのです。
私たちに命が与えられたのも、永遠の命が与えられたのも、
すべて神の恵みです。

みなさん。造り主を崇め、感謝しましょう。
救い主を崇め、感謝しましょう。
これが造り主なる神様が喜ばれる生き方です。
これが救い主なる神様が喜ばれる生き方なのです。

造り主を伝え、恵みによって生かされている喜びを届けましょう。
救い主を伝え、恵みによって赦された喜びを周りの人々にも届けていきましょう。
お祈りいたします。
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ローマ11:13-24「十字架」

◇2012年1月30日(月)
●ローマ11:13-24「十字架」

●御言葉
だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。倒れた者たちには厳しさがあり、神の慈しみにとどまるかぎり、あなたに対しては慈しみがあるのです。もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう。(11:22)

●黙想
神様の心の葛藤を考えたことがありますか。

神様は正しい方であり、罪を赦すことができません。

しかし、同時に愛なる方であり、愛は罪を赦します。

義と愛は矛盾します。

義と愛の衝突。

それが十字架です。

慈しみ(愛)は厳しさ(義)に勝利しました。

神の愛にとどまる者は、罪に定められることはないのです。

神の慈しみにとどまる人。

これが恵みによって歩む人です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ
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