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レビ記4:27-35「身代わり」

◇2011年9月30日(金)
●レビ記4:27-35「身代わり」
●御言葉
献げ物の頭に手を置き、焼き尽くす献げ物を屠る場所で贖罪の献げ物を屠る。(4:29)

●黙想
献げ物の頭に手を置くのは、


自分の代わりであることを意味します。


献げ物は、自分の分身です。


本来、裁かれるべき者が


罪のない動物を身代わりとすることで、


裁きを免れたのです。


これは罪を赦す方法としてユダヤ人に与えられたものです。


キリストはあなたの罪のための献げ物です。


罪なきキリストを身代わりとすることで、


裁きを免れる。


これが罪を赦す方法として神が人類に与えられたものです。


今日も祝福がありますように。byバルナバ
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レビ記4:13-26「命」

◇2011年9月29日(木)
●レビ記4:13-26「命」
●御言葉
方法は祭司の贖罪の献げ物の雄牛と場合と同じである。祭司がこうして罪を贖う儀式を行うと、彼らの罪は赦される。(4:20)

●黙想
人は命ある食べ物(肉・魚・野菜)ものを食します。


人は命の犠牲により、生かされている存在なのです。


罪の赦しも同じです。


罪なき動物が人間の罪を引き受け、犠牲となり、人は罪の赦しを得ました。


これは神が定めた罪を赦す方法です。


キリストはあなたのすべての罪を引き受け犠牲となったのです。


この犠牲(十字架)によってあなたの罪は赦され、


永遠の命が与えられるのです。


キリストの命を食し、生かされる人。


それがクリスチャンです。


今日も祝福がありますように。byバルナバ

レビ記4:1-12「贖い」

◇2011年9月28日(水)
●レビ記4:1-12「贖い」
●御言葉
油注がれた祭司が罪を犯したために、責めが民に及んだ場合には、自分の犯した罪のために、贖罪の献げ物として無傷の若い雄牛を主にささげる。(4:3)

●黙想
贖罪の献げ物は赦しをもたらします。


罪を犯した人は雄牛の頭に手を置き、


自らの罪を転嫁させました。


雄牛の流された血と命によって、


罪が赦されたのです。


キリストは贖罪の献げ物となり、


血を流し、命を捨てられました。


これが十字架の贖いです。


あなたがイエスを信じ、洗礼を受けた時、


あなたの罪はキリストに転嫁され、


全ての罪は赦されたのです。


罪を贖われて生きる人は幸いです。


今日も祝福がありますように。byバルナバ

レビ記3:1-17「和解」

◇2011年9月27日(火)
●レビ記3:1-17「和解」
●御言葉
献げ物を和解の献げ物とするときは、牛であれば、雄であれ雌であれ、無傷の牛を主にささげる。(3:1)

●黙想
和解の献げ物は平和・平安をもたらします。


平安が失われるのはどんな時でしょうか。


平和な関係が損なわれた時です。


根源的な不安は神との関係が損なわれることです。


キリストは和解の献げ物です。


キリストを信じる者は神との平和を得ました(ローマ5:1)。


「実に、キリストはわたしたちの平和であります。・・・十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(エフェソ2:14-16)。


赦しは和解の献げ物です。


赦すことによって、平和と平安を勝ち取りますように。


御名によって祝福します。byバルナバ

レビ記2:1-16「感謝」

◇2011年9月26日(月)
●レビ記2:1-16「感謝」
●御言葉
穀物の献げ物を主にささげるときは、上等の小麦粉を献げ物としなさい。(2:1)

●黙想
穀物の献げ物は主の恵みに対する感謝です。


穀物の献げ物は、焼き尽くす献げ物(主への献身)と一緒に捧げられました。


献金を献げる時、献身の思いと感謝の心を持って捧げていきましょう。


いつも主に感謝を捧げる人は、


キリストの香りを放つようになります。


ハレルヤ!主よ、感謝します。


今日一日が恵まれた一日となりますように。


御名によって祝福します。byバルナバ

レビ記1:1-17「献身」

◇2011年9月25日(日)
●レビ記1:1-17「献身」
●御言葉
イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。あなたたちのうちだれかが、家畜の献げ物を主にささげるときは、牛、または羊を献げ物としなさい。(1:2)

●黙想
今日からレビ記に入ります。


レビ記は神様に礼拝を捧げる者たちへの心構えを教えます。


1章には焼き尽くす献げ物について述べられています。


これは献身を意味します。


神様が一番喜ばれることは、自分自身を主に捧げることです。


「兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。


自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとして献げなさい。


これこそ、あなたがたがなすべき礼拝です。」(ローマ12:1)。


今日は日曜日です。


共に主を礼拝し、主にすべてを委ねて、


新しい一週間を始めていきましょう。


今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ28:11-20「使命」

◇2011年9月24日(土)
●マタイ28:11-20「使命」
●御言葉
だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(28:19-20)

●黙想
何のために生きているのだろうか。


そんなことを考えたことはありませんか。


神様は一人一人に使命を与えています。


使命とは命の使い方です。


このことのために命(時間)を使おう。


それが使命感です。


使命感は生きがいを与えます。


使命を持つ人は輝きます。


クリスチャンにも使命が与えられています。


それが今日の御言葉です。


福音のために命を使う人は幸いです。


今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ28:1-10「復活」

◇2011年9月23日(金)
●マタイ28:1-10「復活」
●御言葉
あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。(28:6a)

●黙想
あなたは復活を信じていますか。


キリストの復活は歴史的な出来事です。


婦人たちは、天使から主の復活を告げられ、復活の主に出会います。


婦人たちは、弟子たちに主の復活を伝え、彼らもガリラヤで復活の主に出会うのです。


わたしたちは聖書を通し、主の復活を告げられ、復活の主に出会うのです。


主は今も生きておられます。


ここに喜びがあり、希望があります。


今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ27:57-66「封印」

◇2011年9月22日(木)
●マタイ27:57-66「封印」
●御言葉
そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。(27:66)

●黙想
あなたはクリスチャンであることを証していますか。


イエス様を隠し続けることはできません。


ヨセフはイエス様の弟子であることを明らかにしました。


彼はピラトに申し入れ、自分の墓にイエスを葬ったのです。


祭司長たちは、安息日を破り、墓に番兵を置きました。


復活を恐れ、イエスを隠し通そうとしたのです。


しかし、彼らの努力は空しく、主は復活し、弟子たちの前に現れるのです。


主の復活を信じ、主の弟子であることを明らかにする人は幸いです。


今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ27:45-56「叫び」

◇2011年9月21日(水)
●マタイ27:45-56「叫び」
●御言葉
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(27:46)

●黙想
苦しくて神様に叫んだことはありますか。


人生最大の苦しみは死です。


十字架の叫びは、死にゆく者の叫びであり、


神の裁きを受ける者の叫びです。


すべての人間が叫ぶ叫びをキリストも叫ばれました。


十字架後に起こった不思議な光景は、終末時の予告です。


キリストを信じる者は、この叫びで終わりません。


続きがあります。


それは讃美です。


死から命に移され、裁きが救いに変わり、讃美するのです。


このキリストの叫びの意味を深く知るためには、


ぜひ詩編22編をも合わせて黙想されることをお勧めします。


今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ27:27-44「苦難」

◇2011年9月20日(火)
●マタイ27:27-44「苦難」
●御言葉
神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。(27:43)


●黙想
神様への信頼を試されたことはありませんか。


わたしたちの願いと御心は必ずしも一致しません。


どんなに祈っても、願っても叶わないことがあります。


その時、サタンは今日の御言葉をもって、神さまへの信頼を崩そうと働くのです。


十字架の後には復活があり、


死の向こう側には命があり、


苦難の後には栄光があります。


最後まで耐え忍ぶ人は幸いです。


今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ27:11-26「妬み」

◇2011年9月19日(月)
●マタイ27:11-26「妬み」

●御言葉
人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。(27:8)


●黙想
感情に振り回されていませんか。


ピラトは、祭司長たちの訴えの背後に妬みがあることを知りました。


ピラトはイエスが無実だと分かりながらも、


群衆の怒りを恐れ、死刑判決を下します。


妬みや怒りや恐れは自然の感情です。


しかし、その感情を治めなければ、


サタンが背中を押し、罪を犯させるのです。


「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。


日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。


悪魔にすきを与えてはなりません。」(エフェソ4:26-27)。


今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ27:1-10「後悔」

◇2011年9月18日(日)
●マタイ27:1-10「後悔」
●御言葉
「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。(27:4)

●黙想
罪責感に苦しんでいませんか。


イエスを裏切ったユダは、罪責感に苛まれ、自らの命を絶ちます。


ユダとペトロ。


どちらも主を裏切り、後悔しましたが、人生の明暗は分かれました。


ユダは後悔止まりでした。


ペトロは後悔した後、赦しを与える神に立ち帰った(悔い改め)のです。


後悔だらけの人生には希望がありません。


悔い改めへと導かれ、赦されて生きる人の人生には希望があるのです。


今日は、日曜日です。


共に主を礼拝しましょう。


今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ26:67-75「弱さ」

◇2011年9月17日(土)
●マタイ26:67-75「弱さ」
●御言葉
ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。(26:75)

●黙想
あなたは自分の弱さを思い知らされた出来事がありますか。


ペトロは「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、


あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と豪語しました。


この固い決意と告白も、女中の一言によって崩れ去り、


三度、イエスを知らないと言ってしまったのです。


ペトロは主の言葉を思い出し、自分の弱さを知って号泣します。


自分の弱さを認めた人は幸いです。


主の恵みは弱さの中に注がれ、


主の力は弱さの中でこそ発揮されるからです。


今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ26:57-68「間違った判断」

◇2011年9月16日(金)
●マタイ26:57-68「間違った判断」
●御言葉
イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。「生ける神に誓って我々に答えろ。お前は神の子、メシアなのか。」(26:63)


●黙想
先入観や偏見、思い込みによって


人を見たり、聖書を読んだりしていませんか。


キリストの裁判は初めに結論ありきの違法な裁判です。


祭司長たちと最高法院の全員は、イエスを死刑にするために、


不利な偽証を求め、イエスを尋問し、死刑を確定したのです。


主に祈る時、聖書を読むとき、


結論(自分の考えや願い)に固執せず、


御言葉の中から主の考えや御心が何であるかを黙想し、


何をすべきか。何をしないべきかを判断していくことが必要です。


今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ26:47-56「癒しと赦し」

◇2011年9月15日(木)
マタイ26:47-56「癒しと赦し」
●御言葉
イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」と、前もって合図を決めていた。(26:48)

●黙想
あなたは信頼していた人に裏切られ、見捨てられたことがありますか。


イエスはユダに裏切られ、弟子たちに見捨てられました。


裏切られた人は幸いです。


主があなたの痛みを理解し、心の傷を癒し、慰めてくれるからです。


裏切る人は、裏切られた人よりも苦しみが大きくなり、心にダメージを受けます。


ユダは苦しみに耐えきれなくなり、やがて自らの命を絶つのです。


裏切られた人には癒しが、裏切った人には赦しが必要なのです。


主の元で癒され、赦される人は幸いです。


今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ26:31-46「御心のままに」

◇2011年9月14日(水)
●マタイ26:31-46「御心のままに」
●御言葉
父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」(26:39)

●黙想
今、あなたが飲まなければならない杯(受け入れなければならない現実)は何ですか。


キリストは十字架という杯を飲む前に、ゲッセマネの園で祈り、杯を飲む覚悟を決めました。


御心のままになることを受け入れるということは、


時には自分の願いを放棄しなければならない場合もあるのです。


これがゲッセマネの祈りです。


キリストが御心のままに杯を飲むことにより、救いの道が開かれたのです。


御心のままに、と祈り、現実を受け入れ、従う時、神様の御業が実現します。


今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ26:17-30「聖餐」

◇2011年9月13日(火)
●マタイ26:17-30「聖餐」
●御言葉
人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。(26:24)

●黙想
あなたは生まれて来て良かったと思っていますか。

もし、生まれなかった方が良かったと思っているならば、それは悲しいことであり、不幸なことです。

幸せに生きる秘訣は、神様を裏切らないことです。

たとえ裏切ってしまっても、その罪の責任を自分で始末せず、

悔い改めてキリストの十字架を見上げて、赦しを受けることです。

ここに聖餐式の意味があります。

悔い改めに導かれる人は幸いな人です。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ26:1-16「御心」

◇2011年9月12日(月)
●マタイ26:1-16「御心」
●御言葉
そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。(26:16)

●黙想
あなたが今、していること、しようとしていることは、主を喜ばせることですか。

それともサタンを喜ばせることですか。

祭司長たちがイエスを捕らえようとしていることを知り、

ユダは、銀貨20枚と引き替えに、引き渡すチャンスを狙うようになりました。

一方、ベタニアの女性はイエス様を愛し、

高価な香油を注ぎかける機会をうかがっていました。

二人ともチャンスを捕らえましたが、二人の明暗は分かれます。

主が喜ぶようなことを行う人は幸いです。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ25:31-46「終末⑦」

◇2011年9月11日(日)
●マタイ25:31-46「終末⑦」
●御言葉
はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。(25:40)

●黙想
キリストどこにおられるのでしょうか。

終わりの日には、すべてが明らかになります。

キリストは小さい者の一人と共におられます。

あなたが渇くとき、キリストはあなたと共におられます。

あなたが渇いている人に水を与える時、そこにキリストはおられるのです。

愛あるところに神がおられます。

今日は日曜日です。

共に主を礼拝しましょう。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ25:14-30「終末⑥」

◇2011年9月10日(土)
●マタイ25:14-30「終末⑥」
●御言葉
主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』(25:21)

●黙想
与えられた命、残された時間、託された使命。

その長さや大きさは異なります。

大切なのは長さや大きさではなく、忠実さです。

たとえ短くても、小さくても、忠実に生きるならば、

人生の総決算の日に、

「よくやった」と人生の労をねぎらい、主が共に喜び、天の宝を委ねてくださるのです。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ25:1-13「終末⑤」

◇2011年9月9日(金)
●マタイ25:1-13「終末⑤」
●御言葉
だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。(25:17)

●黙想
なぜ、神様は主の再臨の日、世の終わりの日を教えてくださらないのでしょうか。

もし、その日、その時を知っていれば、タイマーをセットし、目を覚まし、待つことができるでしょう。

しかし、そのような生き方は、主の御心ではありません。

たとえ、その日、その時が100年先、1000年先でも、

今日、主が来られる日であるかのように生きること。

それが主の御心だからです。

一日一生。

今日が人生の最後の日であるかのように生きる。

それが賢いおとめの生き方です。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ24:36-51「終末④」

◇2011年9月8日(木)
●マタイ24:36-51「終末④」
●御言葉
だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。(24:44)

●黙想
今日、世の終わり、人生の終わりが来たら、天国にいける確信がありますか。

ノアは箱船を準備しましたが、人々はノアの言葉に耳を傾けず、滅びてしまいました。

キリストは救いの箱船を準備し、主を信じる者を天国に導きます。

主の日は近づいています。

いつ主が来られてもいいように、目を覚まし、忠実に生きる人は幸いです。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ24:29-35「終末③」

◇2011年9月7日(水)
●マタイ24:29-35「終末③」
●御言葉
天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。(24:35)

●黙想
天変地異は終末の前兆です。

今の時代、キリストは戸口に近づいており、いつ来られてもおかしくない状態です。

大切なのは移り変わり、やがて滅びゆく世界にしがみついて生きるのではなく、

決して滅びることのないキリストの言葉にしがみついて生きることです。

ここに救いがあり、希望があります。

主を信じる者は終末(死)は滅びではなく、救いであり、新しい世界(神の国)の完成なのです。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ24:1-14「終末②」

◇2011年9月6日(火)
●マタイ24:1-14「終末②」
●御言葉
神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。(24:22)

●黙想
人生には度々嵐が吹いてきます。

イエス様は終わりの日には、かつてない大きな苦難が襲うと預言します。

信仰とは、主が共にいるから、自分たちは安全であり、嵐に遭うことはないと信じることではありません。

これは間違った信仰であり、嵐が吹くと、自分の不信仰を責めたり、神様を恨むようになります。

まことの信仰とは、主が共にいるから、どんな嵐に遭遇しても耐え抜くことができると信じることです。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ24:1-14「終末」

◇2011年9月5日(月)
●マタイ24:1-14「終末」
●御言葉
不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。(24:12-13)

●黙想
終わりは必ず来ます。

世界の終わり、自らの人生の終わりを意識したことはありますか。

御国の福音は、今や世界中に届けられています。

終末の徴は、すでに表れており、いつ来てもおかしくない状態なのです。

終わりを意識すれば、生き方が変わります。

今ある命と時間と関係とを大切にしていきましょう。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マタイ23:33-39「悔い改め」

◇2011年9月4日(日)
●マタイ23:33-39「悔い改め」
●御言葉
はっきり言っておく。これらのことの結果はすべて、今の時代の者たちにふりかかってくる。(23:36)

●黙想
わたしたちの生き方が、後の時代の人たちの生き方に影響を及ぼします。

律法学者たちは先祖たちと同じ過ちを繰り返し、悪循環に陥っていました。

彼らは「エルサレム、エルサレム」と涙を持って呼びかける神様の招きに応じませんでした。

主に立ち帰るならば、後の時代に祝福が訪れます。

今日は日曜日です。共に主を礼拝しましょう。byバルナバ

マタイ23:25-32「敬虔」

◇2011年9月3日(土)
●マタイ23:25-32「敬虔」
●御言葉
ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。(23:26)

●黙想
見かけより内面が重要です。

神様は内側を見られ、御言葉は内面にメスを入れ、人の心を磨きます。

QTは敬虔な心を身に着けるための修練です。

「美しさというものは、修行を必要とする。それは、きれいさと異なって、上から塗って安易に出現するものでも、お金で買って身につけるものでもなくて、長い年月をかけて磨きこまれたものであり、内から輝き出るものでしかない」(渡辺和子)。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マタイ23:13-24「神の国」

◇2011年9月2日(金)
●マタイ23:13-24「神の国」
●御言葉
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。(23:14)

●黙想
イエス様は偽善者たちを厳しく戒めました。

彼らの間違った態度が神の国を求める人々をも迷わせるからです。

神の国は自分の正しさ(義)という律法の鍵では入ることはできません。

キリストの正しさという恵みの鍵によって、開かれるのです。

恵みに応答して生きる態度が、神の国を求める人々を救いへ導きます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マタイ23:1-12「謙遜」

◇2011年9月1日(木)
●マタイ23:1-12「謙遜」
●御言葉
あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。(23:11-12)

●黙想
ファリサイ人は、神の目よりも人の目を意識して行動しました。

どんなに良いことをしても、神様を見失うと、高慢になってしまいます。

御言葉は高ぶる心を静めます。

いつも神様を見上げ、仕える人の上に、神様の祝福は注がれます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ
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