イザヤ52:13-53:6「十字架③」

◇2010年3月31日(水)
●イザヤ52:13-53:6「十字架③」  
●御言葉
彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。(53:5-6)

●黙想
「彼」を「キリスト」に、「わたしたち」を自分の名前にそれぞれ置き換えて御言葉を読み、

十字架のキリストを黙想しましょう。

十字架の贖いを信じ、罪咎を赦され、病癒され、神との平和が与えられた人は幸いです。今日も祝福がありますように。byバルナバ
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詩編22:13-21「十字架②」

◇2010年3月30日(火)
●詩編22:13-21「十字架②」  
●御言葉
主よ、あなただけは わたしを遠く離れないでください。わたしの力の神よ 今すぐわたしを助けてください。(22:20)

●黙想
詩人の叫びは、キリストの十字架において実現しました。

「スポルジョンは臨終の時に「わたしは神学を四つの単語に縮めることができる。“Jesus died for me”(イエスがわたしのために死なれた)。三つの単語に縮めるなら“Jesus loves me”(イエスがわたしを愛される)。一つに減らすなら“Cross”(十字架)だ」と語りました。(リビングライフ+PLUSより)

十字架はアクセサリーではなく、愛と救いのシンボルです。byバルナバ

詩編22:1-12「十字架」

◇2010年3月29日(月)
●詩編22:1-12「十字架」  
●御言葉
わたしの神よ、わたしの神よ なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず 呻きも言葉も聞いてくださらないのか。(22:2)

●黙想
受難週に入ってます。

キリストは十字架の上でこの詩編を口ずさみました。

イスラエルの民は苦難の中で繰り返しこの詩編を讃美しました。

詩人はこの後、「わたしたちの先祖はあなたに依り頼み 依り頼んで、救われてきた。助けを求めてあなたに叫び、救い出され あなたに依り頼んで、裏切られたことはない」と告白します。

十字架の向こうに復活があります。

夜明けは必ず来ます。

最後まで主に依り頼んで生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨナ4:1-11「ヨナの怒り」

◇2010年3月28日(日)
●ヨナ4:1-11「ヨナの怒り」  
●御言葉
主は言われた。「おまえは怒るが、それは正しいことか。」(4:4)

●黙想
ヨナはニネベの人々が悔い改め、神の裁きから免れたことを知り、怒りを露わにしました。

ヨナは神様が「恵みと憐れみに富む神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方」であることを知っていました。

自分たちにはそういうであっても、自分が忌み嫌う人にはそうであって欲しくない。

これがヨナの本音です。

このヨナは私たちの姿でもあります。

主はあなたが憎む人をも愛しておられるのです。

今日は日曜日です。

主の御顔を仰いで、主を礼拝しましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨナ3:1-10「悔い改め」

◇2010年3月27日(土)
●ヨナ3:1-10「悔い改め」  
●御言葉
すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。(3:5)

●黙想
ヨナがニネベの町に神の裁きを宣告すると、ニネベの人々も王も神を信じ、悔い改めました。

神様は彼らが悪から離れたのを見て、裁きを思い直されました。

神様がヨナを遣わしたのは、彼らを滅ぼすためではなく、彼らを救うためです。

神様がイエス様を遣わしたのも、私たちを救うためです。

主の言葉を聞いて、神を信じ、悔い改める人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨナ2:2-11「神の恵み」

◇2010年3月26日(金)
●ヨナ2:2-11「神の恵み」  
●御言葉
わたしは山々の基まで、地の底まで沈み 地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。しかし、わが神、主よ あなたは命を 滅びの穴から引き上げてくださった。(2:7)

●黙想
ヨナは地の底から主に叫び、主は大魚を備え、三日後に奇跡的に海の底から生還します。

神の恵みはどん底よりも深いのです。

苦難の中で主に祈るとき、苦難の中にも神の恵みは備えられています。

キリスト(救い主)が陰府まで下られたように、どん底まで救いの手を伸ばしてくださいます。

主の恵みの網によって救い出された人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨナ1:11-2:1「主を畏れる②」

◇2010年3月25日(木)
●ヨナ1:11-2:1「主を畏れる②」  
●御言葉
人々は大いに主を畏れ、いけにえをささげ、誓いを立てた。(1:16)

●黙想
ヨナは「主を畏れる者だ」と誇らしげに告白しながらも、主を畏れず、主の御顔を避けました。

一方、ヨナの身に起こった出来事を通して、異邦人はイスラエルの神を畏れ、御顔を求め、礼拝を捧げたのです。

ヨナの物語は選民意識を持ち、おごり高ぶるユダヤ人の心を砕きます。

キリストがファリサイ派の人々の心を砕かれたように。

主は高ぶる者を低くし、謙遜な者に恵みを注ぐのです。

主を畏れて、謙遜に生きる人は幸いです。byバルナバ

ヨナ1:1-10「主を畏れる」

◇2010年3月24日(水)
●ヨナ1:1-10「主を畏れる」  
●御言葉
ヨナは彼らに言った。「わたしはヘブライ人だ。海と陸とを創造された天の神、主を畏れる者だ。」(1:9)

●黙想
今日からヨナ書に入ります。

ヨナは預言者であり、ヨナの告白は真実ですが、その態度は異なっていました。

彼は主の命令に逆らい、主の御顔を避けて逃亡したのです。

主を畏れながら従わない。

これは口先だけの信仰です。

一方、嵐に遭遇した異邦人はヨナの告白を聞き、主を恐れ、従うことによって、やがて主を畏れる者に変わるのです(16節)。

信じることは従うことです。

主に従って生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ21:15-25「回復」

◇2010年3月23日(火)
●ヨハネ21:15-25「回復」  
●御言葉
三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして、言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。(21:17)

●黙想
イエス様はペテロの心を何もかもご存じでした。

ペトロがイエス様を深く愛していることも。

なぜあえて三度も尋ねたのでしょうか。

それはペトロが過去の失敗から解放されるためです。

イエス様はペトロを赦し、彼を信頼し、大切な人々を委ねたのです。

この後、ペトロは主の愛に応えて人生を全うしていきます。

主を愛し、主に愛され、主に信頼し、主に信頼されて生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ21:1-14「主の備え」

◇2010年3月22日(月)
●ヨハネ21:1-14「主の備え」  
●御言葉
さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。(21:9)

●黙想
弟子たちはイエス様の言われたとおり、舟の右側で網を打つと網が破れそうになるほどの魚が捕れました。

さらに陸に上がると、食事の準備ができていました。

主の言葉に従って歩む。そこには主の備えがあります。

あなたの人生にも主の備えがあります。

主の言葉に従って行くときに、「主だ」と気づき、主を知ることができます。

主の山に備えあり。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

ヨハネ20:24-31「見ないのに信じる人」

◇2010年3月21日(日)
●ヨハネ20:24-31「見ないのに信じる人」  
●御言葉
イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。(20:29)

●黙想
他の弟子たちは復活の主に出会いましたが、トマスだけはその場所にいませんでした。

トマスは彼らの「主を見た」という言葉を信じることができず、直接見て、触れなければ決して信じない」と言いました。

それでもトマスは彼らと共に行動し、一週間後、復活の主に出会ったのです。

今日は日曜日です。

主に出会う日です。

共に主を礼拝し、見えない主に出会いましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ20:11-23「赦し」

◇2010年3月20日(土)
●ヨハネ20:11-23「赦し」  
●御言葉
だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。(20:23)

●黙想
復活されたイエス様は弟子たちの前に現れ、福音を宣べ伝えるために遣わされます。

福音とは、罪の赦しの宣言です。

人は誰でも罪を犯します。

罪によって三つの関係(神・自分・他人)が損なわれます。

赦しとは関係の回復です。

赦すことによって赦されるのです。

「我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。」と

主の祈りを日々唱え、罪赦されて生きる人は幸いです。byバルナバ

ヨハネ20:1-10「復活」

◇2010年3月19日(金)
●ヨハネ20:1-10「復活」  
●御言葉
イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。(20:9)

●黙想
聖書はイエス様の復活のみならず、私たちの復活についても言及しています。

あなたが理解しようがしまいが、信じようが信じまいがキリストは復活し、あなたも復活します。

大切なのは復活した後、永遠の命の世界に行くか、永遠の死の世界に行くかです。

永遠の命とは、神が共におられる世界(天国)であり、

永遠の死とは、神との交わりが絶たれた世界(地獄)です。

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ11:25)。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ19:31-42「実現した聖書の言葉」

◇2010年3月18日(木)
●ヨハネ19:31-42「実現した聖書の言葉」  
●御言葉
これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」と書いてある。(19:36-37)

●黙想
ヨハネはイエス様が息を引き取った後、足は折られず、槍でわき腹を突き刺された光景を見て、聖書の約束を思い起こしました。

聖書は語られた時よりも、後の時代にその真実さが明らかになりました。

聖書を読むとき、その御言葉の真実さは、後になって証明されます。

日々、御言葉に耳を傾けて生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ19:25-30「テテレスタイ」

◇2010年3月17日(水)
●ヨハネ19:25-30「テテレスタイ」  
●御言葉
イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。(19:30)

●黙想
「成し遂げられた」(ギリシャ語:テテレスタイ)という言葉は、「完全に代価を払った」「すべてを成就した」という意味です。

イエス様は十字架において私たちの罪の代価を完全に支払ってくさったのです。

私たちがしなければならないことはただ一つ。

キリスト(救い主)を信じて、永遠の命を受け取ることです。

永遠の命とは、神とキリストを知ることです。(ヨハネ17:3)

神を知り、神様と共に永遠に生きる人は幸いです。byバルナバ

ヨハネ19:17-24「自ら十字架を背負い」

◇2010年3月16日(火)
●ヨハネ19:17-24「自ら十字架を背負い」  
●御言葉
イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。(19:17)

●黙想
当時、受刑者は自らの十字架を背負い、自らの罪の重さを味わいながら処刑場へ向かいました。

イエス様には罪はありません。

にも関わらず自ら十字架を背負われたのです。

キリストの十字架は身代わりの十字架です。

あなたが背負う罪の重さをキリストが味わい、あなたを救ってくださったのです。

主を信じる者は神の法廷で罪の裁きを受けません。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ19:1-16「十字架につけろ」

◇2010年3月15日(月)
●ヨハネ19:1-16「十字架につけろ」  
●御言葉
彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」(19:5)


●黙想
数日前、「ホザナ、ホザナ」と叫んでいたユダヤ人たちは、「殺せ、殺せ」と叫びます。

イエス様はそんな彼らを救うために十字架の道を歩まれるのです。

「ナザレのイエスを 十字架にかけよと 要求した人 許可した人 執行した人 それらの人の中に 私がいる」(『わが恵み汝に足れり』水野源三著)。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ18:28-40「恩赦」

◇2010年3月14日(日)
●ヨハネ18:28-40「恩赦」  
●御言葉
ピラトは言った。「真理とは何か。」ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。」(18:38)

●黙想
ピラトはこの世の権力者です。

彼には過越の祭り毎に一人の人物を恩赦する力がありました。

そのピラトが罪なきイエス様をユダヤ人の手から救い出すことはできませんでした。

イエス様にはすべての人に恩赦を与える力があります。

イエス様は罪ある私たちを罪と死と裁きの世界から救い出すために十字架にかかられたのです。

受難節を歩んでいます。

今日は日曜日です。

共に主の十字架を仰ぎ、礼拝を捧げていきましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ18:15-27「鶏の声」

◇2010年3月13日(土)
●ヨハネ18:15-27「鶏の声」  
●御言葉
ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。(18:27)

●黙想
ペトロは三度、イエス様との関係を否定しました。

その直後、鶏が鳴きます。

その鳴き声は、そこにいた人々の耳にも届きましたが、何ら意味がありません。

しかし、ペトロには意味ある声だったのです。

ペトロはすぐに、主が言われた言葉を思い出し、外に出て激しく泣いたのです(ルカ22:6参照)。

主の言葉を思い出すことによって、悔い改めに導かれました。

主はあらゆる出来事を通し、主の言葉を思い起こさせてくださるのです。

御言葉を思い起こし、主に立ち返る人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ18:1-14「想定内の出来事」

◇2010年3月12日(金)
●ヨハネ18:1-14「想定内の出来事」  
●御言葉
イエスはご自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。(18:4)

●黙想
イエス様は何もかもご存じでした。

悪魔にとって、ユダを誘惑し、キリストを十字架につけることは想定内でしたが、復活は想定外の出来事だったのです。

人生には想定外のことが起こります。

どんな出来事に遭遇しても、主が共におられるならば、主は何もかもご存じであり、必ず逃れの道、救いの道を備えてくださいます。

主にあって想定外の出来事はありません。

復活の主を信じて歩む人は幸いです。byバルナバ

ヨハネ17:20-26「栄光」

◇2010年3月11日(木)
●ヨハネ17:20-26「栄光」  
●御言葉
あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。(17:22)

●黙想
キリストが十字架の上で栄光を現されたことによって、キリストを信じる者が神の栄光に与ることができるようになりました。

それはキリストを信じる者が一つになるためです。

十字架によって一つになる。これが神様の御心です。

互いに愛し合う。これが神の栄光を現す生き方です。

愛あるところに神がおられるからです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ17:9-19「使命」

◇2010年3月10日(水)
●ヨハネ17:9-19「使命」  
●御言葉
わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。(17:3)

●黙想
イエス様を信じる者は世には属さず、神の国に属する者となりました。

イエス様がこの世で栄光を現し、天に帰られたように、わたしたちもこの世で神の栄光を現す使命が与えられています。

栄光とは、神から与えられた使命を果たすことです。

そのために主は執り成し祈ってくださるのです。

命がある限り、あなたにも使命があります。

果たすべき使命を終え、天に凱旋し、神に栄光を帰することができますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

ヨハネ17:1-8「永遠の命」

◇2010年3月9日(火)
●ヨハネ17:1-8「永遠の命」  
●御言葉
永遠の命とは、唯一まことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。(17:3)

●黙想
「知る」とは、知識ではなく、関係を意味します。

永遠の命とは永遠に神様との関係が保たれることを意味します。

反対に死は関係の断絶です。

この世の命が失われる時、あらゆるものとの交わりが絶たれるように、永遠の命を持たない人は、神との交わりが絶たれている状態にあるのです。

キリストを知り、神を知り、神との永遠の関係(親子関係)を結んで生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

◇2010年3月8日(月)
●ヨハネ16:25-33「主にある平和」  
●御言葉
これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたは世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。(16:33)

●黙想
イエス様を信じても苦難がなくなる訳ではありません。

世にあっては思わぬ災いに遭遇することはあります。

たとえ災いに遭遇しても、主のもとには平和があります。

主は究極的な災い(十字架)に勝利され、復活されたからです。

世にある平和ではなく、主にある平和を求める信仰。

これがキリスト教信仰です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ16:5-15「悲しみは喜びに」

◇2010年3月7日(日)
●ヨハネ16:5-15「悲しみは喜びに」  
●御言葉
はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。(16:20)

●黙想
「しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる」。

これは十字架と復活を意味します。

しばらくすると大逆転が起こる。

悲しみは喜びに。敗北は勝利に、死は命に。悪は善に。マイナスはプラスに。万事は益に変わる。

今日は日曜日です。

万事を益に変えてくださる主にすべてをゆだね、従っていきましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ16:5-15「聖霊様の働き」

◇2010年3月6日(土)
●ヨハネ16:5-15「聖霊様の働き」  
●御言葉
その方が来れば、罪について、義について、裁きについて、世の誤りを明らかにする。(16:8)

●黙想
イエス様が世を去り、聖霊様が来られる時、弟子たちは三つのことを悟ります。

神が遣わされたメシア(キリスト)を信じないことが罪であること。

信じた者は義とされ、神の赦しを受け、永遠の命が与えられること。

この世の支配者であるサタンがキリストの十字架で断罪され、終わりの日に完全に滅ぼされることです。

これらのことを理解できるのは聖霊様の働きです。

今日も聖霊様が知恵を与え、御言葉を悟らさせて下さるように。

御名によって祝福します。byバルナバ

ヨハネ15:18-16:4「御言葉」

◇2010年3月5日(金)
●ヨハネ15:18-16:4「御言葉」  
●御言葉
しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである。(16:4a)

●黙想
イエス様はこれから弟子たちの身に何が起こるのかをご存じでした。

その時が来れば、彼らは主の言葉を思う出し、

御言葉に支えられ、あらゆる問題に勝利して生きたのです。

今、あなたが聞いている主の言葉があなたの将来を守ります。

「心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。

この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます」(ヤコブ1:21)。

今日も主の祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ15:1-17「愛の実」  

◇2010年3月4日(木)
●ヨハネ15:1-17「愛の実」  
●御言葉
互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。(15:17)

●黙想
神様の命令は「愛に生きること」です。

神を愛し、互いに愛し合って生きる。

これが幸せの秘訣です。

愛するとは仕えること。

愛するとは大切にすること。

愛するとはいらだたず、忍耐して待つことです。

実を結ぶには時間がかかります。

今日、できることを一つ。

愛を実践し、愛の実を結び、愛の実を残す者となりましょう。

御名によって祝福します。byバルナバ

ヨハネ14:25-31「聖霊様」

◇2010年3月3日(水)
●ヨハネ14:25-31「聖霊様」  
●御言葉
しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせて下さる。(14:26)

●黙想
聖霊はギリシャ語で「パラクレートス」と言います。

そばに立って勧め励ます者を意味します。

聖霊は人格を伴った三位一体の神様です。

だから「聖霊様」と呼びます。

聖霊様は弁護者であり、慰め主であり、助け主であり、助言者であり、伴走者です。

聖霊様と共に生きる。

これがクリスチャンの人生であり、平安な人生です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

ヨハネ14:15-24「主と共に生きる」

◇2010年3月2日(火)
●ヨハネ14:15-24「主と共に生きる」  
●御言葉
わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。(14:18)

●黙想
古代社会では、身寄りのない孤児は悲惨な存在でした。

イエス様は弟子たちに悲惨な状態に放置されず、再び来て、ずっと一緒にいると約束されたのです。

あなたがイエス様を信じた時から、あなたは一人ではありません。

主があなたの内におられるのです。

毎日、主と交わって生きていますか。

助け主なる主と共に生きる人は幸いです。byバルナバ
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