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マルコ16:9-20「復活信仰」

◎2009年2月28日(土)
●マルコ16:9-20「復活信仰」  
●御言葉
その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。(6:14)

●黙想
復活の主イエスはマリアに現れ、二人の弟子、さらに信じなかった十一人の弟子たち、さらに大勢の弟子たちの前に姿を現し、天に昇られ、神の右の座に着かれているのです。

あなたは復活のキリストを信じていますか。

復活の主を信じる。

ここに希望があります。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ
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マルコ16:1-8「転がされた石」  

◎2009年2月27日(金)
●マルコ16:1-8「転がされた石」  
●御言葉
ところが、目を上げてみると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。(6:4)
●黙想
安息日が終わり、朝早く、婦人たちがイエスの墓に向かいます。

彼女たちは、墓の前に自分たちの力では動かせない大きな石があることを知っていました。

それでもまずイエスのところに向かったのです。

すると既に石は転がしてあったのです。

目の前に動かせない大きな石(問題)はありませんか。

主を求め、主に近づいて祈っていくならば、主がその石を転がし、道を開いてくださると信じます。

復活の主は今も生きて働いています。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マルコ15:42-47「主を慕う」

◎2009年2月26日(木)
●マルコ15:42-47「主を慕う」  
●御言葉
マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた。(15:47)

●黙想
二人の女性はじっとイエス様が葬られた墓を見つていました。

彼女たちは、イエス様が三日後に復活すると言われた言葉を信じ、墓の前でその時を待っていたのではありません。

彼女たちは、失望してもなお、主を慕い求め、主の側を離れなかったのです。

この後、復活の朝を迎えるのです。

墓の前に立ってもなお、主を慕い求めること。

ここに復活の朝が訪れます。

あなたの前に悲しみの扉はありますか。

その扉の前で主を見つめ、そこで主を慕い求めていきましょう。

復活の朝が訪れ、主がその扉を開いてくださると信じます。

祝福を祈ります。byバルナバ

マルコ15:33-41「イエスは神の子」

◎2009年2月25日(水)
●マルコ15:33-41「イエスは神の子」  
●御言葉
百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。(15:39)●黙想
百人隊長が最後につぶやいた一言。

これは非常に重要な告白です。

イエスが神の子であると信じる。

ここに救いがあるからです。

ヨハネは言いました。

「誰が世に勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。」(一ヨハネ5:5)。と。

イエスを神の子と告白する人こそ、人生の勝利者なのです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ15:16-32「救いは一瞬」  

◎2009年2月24日(火)
●マルコ15:16-32「救いは一瞬」  
●御言葉
メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。(15:32)

●黙想
十字架上の強盗は、「見たら、信じてやろう」という人々と一緒になって、イエスをののしりました。

しかし、ルカによれば、この直後に一人の強盗がイエスを信じたのです。

彼は「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と、主を求めたのです。

その時、主は「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われました。

救いは一瞬に訪れました。

主を求めた瞬間。

主は彼の過去を問わず、彼を赦し、救いを与えられたのです。

主を求めて生きる人は幸いです。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マルコ15:1-15「判断と決断」  

◎2009年2月23日(月)
●マルコ15:1-15「判断と決断」  
●御言葉
祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。(15:10)

●黙想
ピラトは、祭司長たちがねたみの故にイエスを殺そうとしていると判断し、イエスを助けようと考えます。

しかし、「十字架につけろ」と叫ぶ続ける群衆を恐れ、イエスを十字架に付けていくのです。

正しい判断や考えが正しい決断に至るとは限りません。

分かっていながらも抵抗できなくする力があります。

この力に負け、ピラトはキリストを十字架につけたのです。

キリストはこの力に勝利し、復活し、この悪の力に対抗する力(聖霊の力)を与えてくださったのです。

今日も神の力によって正しい決断へと導かれますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

マルコ14:66-72「ペトロの涙」  

◎2009年2月22日(日)
●マルコ14:66-72「ペトロの涙」  
●御言葉
するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣き出した。(14:72)

●黙想
ペトロは「たとえ御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」といいながらも、三度主イエスを否認しました。

その直後、鶏が鳴きます。

彼は鶏の鳴き声を聞き、主の言葉を思い出し、激しく泣いたのです。

取り返せない過ちを犯すことがあります。

大切なのは、その後です。

そこで御言葉を思い起こし、涙するならば、そこから赦しと回復の扉が開かれるのです。

その扉を開くためにキリストは十字架にかかり、復活されたのです。

今日は日曜日です。

共に主を礼拝しましょう。

祝福がありますように。byバルナバ

マルコ14:53-65「イエスは主なり」

◎2009年2月21日(土)
●マルコ14:53-65「イエスは主なり」  
●御言葉
しかし、イエスは黙り続け何もお答えにならなかった。そこで、重ねて大祭司は尋ね、「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と言った。(14:61)

●黙想
大祭司はイエス様に核心的な質問をします。

「お前はほむべき方の子、メシアなのか」。

これに対して、イエス様は口を開き「そうです」と答えました。

イエス様は自らメシアであると公言したのです。

しかし大祭司はこれを信じず、冒涜罪で死刑にしようとするのです。

イエスを神の子、メシアと信じるか否か。

これが救いの分岐点です。

十字架のキリストの姿は、罪人が受ける神の裁きを象徴しています。

「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。」(ヨハネ1:10-11)。

「イエスは主なり」と告白する者は幸いです。

今日も祝福を祈ります。)byバルナバ

マルコ14:43-52「変わらない愛」  

◎2009年2月20日(金)
●マルコ14:43-52「変わらない愛」  
●御言葉
弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。」(14:50)

●黙想
イエス様は愛する弟子に裏切られ、すべての弟子に見捨てられました。

私たちは裏切られ、見捨てられると、その人への態度や心も変えてしまいます。

しかし、主はたとえ裏切られても、見捨てられても、弟子たちへの心や態度は変わりませんでした。

最後まで愛し続けられたのです。

神様はあなたの態度によって心や態度を変えられるお方ではありません。

たとえ裏切り、見捨てても、我が子の帰りを待つ放蕩息子の父親のように、

愛の手を広げて待ち続けます。

この変わらない神の愛を黙想しましょう。

どんな状況にも振り回されないキリストの心があなたの心となり、

あなたをいつも守られますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

マルコ14:27-42「ゲッセマネの祈り」  

◎2009年2月19日(木)
●マルコ14:27-42「ゲッセマネの祈り」  
●御言葉
アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(14:36)

●黙想
イエス様は父なる神に祈りました。

自分の願いをすべて告白して祈りました。

そして、最後には、自分の願いどおりではなく、主の御心のままになることを願ったのです。

自分の願ったとおりになることが祈りが聞かれたことではなく、

神の御心に適うことが行われることです。

祈りは状況ではなく、自分を変えるのです。

あなたは御心を信じていますか。

御心は私の願いに優ります。

主にすべてを委ねて生きること。これが祈りの目標です。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マルコ14:17-26「主の杯」  

◎2009年2月18日(水)
●マルコ14:17-26「主の杯」  
●御言葉
また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。」(14:23)

●黙想
最後の晩餐の時、主はユダの裏切りを予告します。

注目したいのは、主から杯(愛)を受けて飲んだのは全員だったことです。

主を裏切ろうとし、生まれなかった方が幸いであったと言われるようになるユダをも愛されたのです。

ユダと他の弟子の違いは何でしょうか。

彼らは、主の愛に立ち帰るか否かで明暗が分かれたのです。

主はあなたを見捨てません。

たとえ生まれなかったほうが良かったと思うような状態になっても、

この主の愛に立ち帰るならば、

生まれてきて良かったと思える人生を生きることができるのです。

今日も、主の愛に立ち帰り、

生きていて良かったと思える一日を過ごせますように。

祝福を祈ります。byバルナバ

マルコ14:1-17「主に守られて生きる」

◎2009年2月17日(火)
●マルコ14:1-17「主に守られて生きる」  
●御言葉
イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。」(14:6)

●黙想
御言葉に生きるとは、主に守られて生きることです。

罪赦された女性がいました。

彼女は高価な香油を主に注ぎます。

しかし、その行為を見た人々が彼女を非難するのです。

彼らに彼女の主への思いを理解することができなかったのです。

主はすべてをご存じです。

自分ができることをしたい。

その彼女の心を喜ばれ、彼女を守りました。

御言葉に生きる時、

たとえ人から理解されず、

批判され、

困らせられることがあっても、

主はあなたの盾となり、守ってくださるのです。

主こそ最高の弁護者です。

主に守られて生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ13:28-37「生きる」  

◎2009年2月16日(月)
●マルコ13:28-37「生きる」  
●御言葉
天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。(13:31)●黙想
神様の言葉は決して滅びることはありません。

御言葉によって生きる人は、神の御手の中で自分らしく生きることができます。

『生きる』

神さまの 

大きな御手の中で 

かたつむりはかたつむりらしく歩み 

螢草は螢草らしく咲き 

雨蛙は 

雨蛙らしく鳴き 

神様の大きな御手の中で 

私は 

私らしく 

生きる

(瞬きの詩人:水野源三)。

今日も御言葉によって生かされ、

あなたらしく生きることができますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

マルコ13:14-27「主は来られる」

◎2009年2月15日(日)
●マルコ13:14-27「主は来られる」  
●御言葉
そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。(13:26)

●黙想
終末の情景が続きます。

人類がかつて経験したことのない苦難が起こり、全地が暗黒に包まれます。

しかし、そこに主が来られる。

ここにクリスチャンの希望があります。

どんなに大きな苦しみが襲っても、そこに主なるキリストは必ず来てくださいます。

今日は日曜日です。

このお方を主と仰ぎ、礼拝する日です。

ベテルチャーチもちょうど今日で5周年を迎えます。

多くの人々の祈りに支えられたことを感謝します。

今日も共に主を見上げて、感謝し、礼拝を捧げていきましょう。byバルナバ

マルコ13:1-13「救い」

◎2009年2月14日(土)
●マルコ13:1-13「救い」  
●御言葉
最後まで耐え忍ぶ者は救われる。(13:13)

●黙想
13章は小黙示録とも呼ばれ、世の終わりの情景が描写されています。

私たちの人生には必ず終わりがあるように、世界の歴史にも終わりがあります。

「救い」とは、終わりが終わりでなくなることです。

ピリオドがコンマに変わることです。

死が命に変わり、

絶望が希望に変わり、

悲しみが喜びに変わり、

嘆きが讃美に変わることです。

キリストは救い主です。

救いは、この方を信じる者にすべてに与えられる神の恵みです。

恵みを受け入れ、最後まで耐え忍ぶ者は幸いです。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マルコ12:35-44「与える恵み」

◎2009年2月13日(金)
●マルコ12:35-44「与える恵み」  
●御言葉
イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。(12:43)

●黙想(リビングライフより)
貧しい人を助けるために、節約をすることは良いことです。人を助けるために、私たちに必要なものの中から一部を差し出して、喜んで他の人に与えた後、神が私たちに他の方法を通して、必要なものを与えてくださることを信じて期待することができるならば、これは本当に感謝なことです。私が不足していても、神が願われる所に捧げるために喜んで節約するなら、神が私たちにも必要な時に適切に与えてくださいます。(マシュー・ヘンリー)

マルコ12:28-34「三つの愛」  

◎2009年2月12日(木)
●マルコ12:28-34「三つの愛」  
●御言葉
「第一の掟はこれである。『イスラエルよ、聞け。わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい』この二つにまさる掟はない。(12:29-31)

●黙想
神を愛し、自分を愛し、隣人を愛して生きる。

これが律法の核心であり、三つの愛に生きることこそ、神様の御心なのです。

神を愛するとは、自分を愛し、隣人を愛することです。

今日、この御言葉を実践しましょう。

そこに神の国が訪れます。

愛あるところに神がおられるからです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ12:18-27「生きている者の神」  

◎2009年2月11日(水)
●マルコ12:18-27「生きている者の神」  
●御言葉
「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。(12:27)

●黙想
神は生きている者の神です。

これは、今、生きている人たちのための神であって、

すでに死んだ人たちの神ではないという意味ではありません。

この世で死んだ者も、実は神の前では生きていることを示す言葉です。

聖書は死後の世界の存在を教えます。

サドカイ派の人々は現世主義で復活を信じなかったのです。

復活を信じないで聖書を読むと、大変な思い違いをするのです。

永遠の世界で神と共に生きる。

これが天国です。

キリストはこの天国に生きる命を与えるために来られたのです。

神と共に生きない世界は地獄と呼ばれます。

天国を確信して死を迎えられる人は幸いです。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マルコ12:13-17「忠実に生きる」

◎2009年2月10日(火)
●マルコ12:13-17「忠実に生きる」  
●御言葉
「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」。(12:17)


●黙想
イエスは私たちに対して、この世の中で神に栄光を返し、国に対する責任を全うして生きるように召されます。すなわち神の主権の下で明らかな意識と目的を持って生きること、またイエス・キリストを通して、責任ある市民として生きていくことを望んでおられます。(リビングライフ一節黙想より)

マルコ12:1-12「人生の土台」  

◎2009年2月9日(月)
●マルコ12:1-12「人生の土台」  
●御言葉
家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。(12:10)

●黙想
昔、ソロモンが神殿を建てていた時に、石が捨てられていました。

後になり、それが神殿の隅に据えるべき親石であったことが判明し、

その石の上に神殿が建てられたのです。

キリストはこの石のように捨てられ、

十字架に付けられますが、

復活し、

新たな神殿であるクリスチャンの親石となられたのです。

今、キリストはどこにおられますか?

キリストを人生の土台に据えて生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ11:20-33「信仰の祈り」  

◎2009年2月8日(日)
●マルコ11:20-33「信仰の祈り」  
●御言葉
はっきり言っておく、だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わずに、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。祈り求めるものはすでに得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。(11:23-24)

●黙想
あなたが今、一番願っていることは何ですか。

主はその願いと祈りを聞いてくださった。

先取りして信じましょう。

そうすれば、そのとおりになる。

これが主の約束です。

主の約束を信じ、御言葉に生きる者となりますように。

今日は日曜日。

共に主を礼拝していきましょう。byバルナバ

マルコ11:11-19「実を結ぶために」

●マルコ11:11-19「実を結ぶために」  
●御言葉
そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなっていないかと近寄られたが、葉のほか何もなかった。(11:13)

●黙想
神は人の心にみことばを植えて実を探されます。神はその民を世の中に植えて、刈り入れができるようにされます。あなたは神の聖なる命を抱く種です。しかし種は実を結ぶために、植えられて耕されなければなりません。真理を他の人と分かち合っていますか。もしかして、そのまま積んでおいたり、隠してはいませんか。私たちは真理を広く分かち合い、他の人たちを救い、信仰を立てあげなければなりません。(ウォーレン・ウィアスビー:リビングライフ)。

マルコ11:1-10「主がお入り用なのです」  

●マルコ11:1-10「主がお入り用なのです」  
●御言葉
主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります。(11:3)

●黙想
二つのことを黙想しましょう。

一つは子ロバの主人に自分を当てはめ、主があなたが所有しているものを必要とされているということです。

もう一つは、子ロバに自分を当てはめ、主はあなたを必要とされているということです。

主の働きのために喜んで捧げる人は、30倍、60倍、100倍の祝福に与ります。

「主がお入り用なのです」。

この言葉に従って生きる人は幸いです。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

マルコ10:46-52「何をして欲しいのか」

◎2009年2月5日(木)
●マルコ10:46-52「何をして欲しいのか」  
●御言葉
イエスは、「何をして欲しいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。(10:51-52)

●黙想
盲人は、信仰によって救いを得ました。

その結果、目が見えるようになり、イエスに従うようになりました。

彼が救われたのは、癒しを求めたからではなく、

「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫んで、

癒し主なる主を求めたからです。

これが信仰です。

今日もキリストを求め、

「何をして欲しいのか」と語られる主の声を聞いて、

主に願いを打ち明けていきましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

マルコ10:32-45「キリストの心」  

◎2009年2月4日(水)
●マルコ10:32-45「キリストの心」  
●御言葉
いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。(10:44)

●一節黙想 (リビングライフより)
重要なことは人がどんな働きをするのかではなく、どんな気持ちでそれをするかです。ですから、イエスの心を抱いて仕えるならば、どんな仕事をしようともその人は神のために働く人です。しかし、そうでないならば、どれだけ聖なる働きをしても、その人は神の働きをしているのではありません。イエス・キリストの心が私たちの中に生きていないならば、わたしたちはどうやって自らを低くして、犠牲を払うことができますか。(キム・ナムジュン/韓国の牧師)

マルコ10:23-31「神にはできる」  

◎2009年2月3日(火)
●マルコ10:23-31「神にはできる」  
●御言葉
人間にはできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。(10:27)

●黙想
神の国は、らくだが針の穴を通ることが不可能なように、人間の力や努力では入ることのできない世界です。

キリストだけが神の国の鍵を持っています。

この鍵は信じる者に与えられる。

これが福音です。

キリストに従う道には迫害もあります。

しかし、この鍵があれば必ず門は開かれます。

一時的に家族や仕事を捨てさせられることがあっても、主と共に歩むならば、家族や仕事が百倍の祝福を受け、永遠の命が約束されるのです。

神にはできる。

主と共に今日も歩みましょう。祝福がありますように。。
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