民数記13:25-33「神の約束を信じる」

◎2008年8月31日(日)
●民数記13:25-33「神の約束を信じる」
●要約 (リビングライフより)
偵察隊は40日間カナンの地を偵察して帰ってきます。彼らはカナンが乳と蜜の流れる地ですが、その地の人々は強く、町々も堅固で、占領することはできないと言います。しかし、カレブはその地を占領しようと力強く宣言しました。

●御言葉
カレブは民を静め、モーセに向かって進言した。「断然上って行くべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます。」(13:30)

10人の偵察隊の報告を聞いて、民は動揺します。

カレブは、神の約束を信じ、「上っていくべきです」と進言しますが、他の偵察隊は、「いや、あの民に向かっていくのは不可能だ。彼らは我々よりも強い」と言って、カレブの言葉を打ち消します。

神の約束を信じられなかった人々は、約束の地に入ることができませんでした。

あなたに与えられている神の約束はありますか。

どんな局面にあっても、神の約束に立って前進する人は幸いです。

今日は日曜日です。

共に主を礼拝しましょう。

祝福がありますように。byバルナバ
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民数記13:1-14「約束の地」

◎2008年8月30日(土)
●民数記13:1-14「約束の地」
●要約 (リビングライフより)
モーセは神の命令に従い、各部族から族長を一人ずつ選び、カナンの地を探らせます。その地の民、町、土地などについて詳しく探ってくるように指示します。彼らはエシュコルの谷でぶどう一ふさがついた枝とざぐろ、いちじくを切り取ります。

●御言葉
主はモーセに言われた。「人を遣わして、わたしがイスラエルの人々に与えようとしているカナンの土地を偵察させなさい。」(1-2a)

イスラエルの民は神が与えると約束したカナン地を目指して旅をしてきました。

神様は、偵察隊を遣わし、その土地を探るように命じます。

偵察隊の責務は重大です。

この後、偵察隊の否定的、消極的な報告により、イスラエルの民は荒れ野で40年間、流浪することになるからです。

主の約束を信じ、見える現実を肯定的に受けとめる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

民数記12:9-16「主と共に歩む」

◎2008年8月29日(金)
●民数記12:9-16「主と共に歩む」
●要約 (リビングライフより)
主が怒りを燃やし、去っていかれると、ミリヤムはツァラトに犯されます。アロンは自らの罪を告白し、モーセに赦しと仲裁を求めます。モーセはミリヤムのために祈り、民はミリヤムが回復するまで7日間待ちます。

●御言葉
主は、彼らに対して憤り、去って行かれ、雲は幕屋を離れた。(12:9-10a)

天国とは、主が共におられる世界であり、地獄とは、主が共におられない世界です。

荒れ野を旅する民にとって、主が離れることは、死を意味しました。

ミリヤムの病気は、その象徴です。

アロンは自分たちの罪を告白し、モーセが神に祈る時、ミリヤムの病気は癒されます。

彼女は死から命へと移されました。

主を信じる者は、死から命へと移され、天国を生きる人になります。

あなたは天国を生きていますか。

主から目を離さず、主と共に歩む者は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

民数記12:1-8「謙遜」

◎2008年8月28日(木)
●民数記12:1-8「謙遜」
●要約 (リビングライフより)
ミリヤムとアロンは、モーセがクシュ人を妻としてめとっていたことで、モーセを非難し、その権威に挑みます。主は3人を会見の天幕に呼ばれ、モーセにゆだねられた特別な権威について弁護され、アロンとミリヤムを咎められます。

●御言葉
モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった。(12:3)

謙遜こそ、最高の美徳です。

神様は謙遜な者を喜び、祝福されます。

モーセは、神様から特別な権威が与えられていましたが、そのことで高慢に振る舞うことはありませんでした。

ドイツの作家ジャン・パウルはいいました。

「つねに謙虚であるなら、ほめられたときにも、けなされたときにも間違いをしない」 。

♪主よ、わたしを柔和で謙遜な者に変えてください。どんなに人に苦しめられて、辛い思いをしても、あなたから受けた愛の大きさに比べたら、ほんの少しでもその愛を返せる者になりたい♪(作詞:中野賢二)。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

民数記11:24-35「主の御業」

◎2008年8月27日(水)
●民数記11:24-35「主の御業」
●要約 (リビングライフより)
主の霊が70人の長老にたちに臨みます。会見の天幕に出て行かなかったエルダデとメダデにも主の霊が臨み、モーセはすべての人に主の霊が臨むことを願います。主は風によってうずらの群れを送られ、欲望にかられた民を打たれます。

●御言葉
さて、主のもとから風が出て、海の方からうずらを吹き寄せ、宿営の近くに落とした。(11:31a)

神様はモーセの嘆きに答え、神の命令に従って集めた70人の長老の上に神の霊を注ぎます。

さらに、風に乗せてうずらを運び、宿営の近くに落とします。

共におられる神様の姿は、目に見ることはできませんが、神様のなされる御業は見ることができます。

木が揺れたり、体に当たるのを感じて、風を知るようなものです。

共にいて、恵みを与えたもう主に気づき、感謝して生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

民数記11:16-23「主の言葉どおりになる」

◎2008年8月26日(火)
●民数記11:16-23「主の言葉どおりになる」
●要約 (リビングライフより)
主は70人の長老たちを会見の天幕に集めるように命じられます。そして、民がうんざりするまで、一ヶ月間肉を食べさせると言われます。モーセは多くの民に与える肉がどこから持ってくるのかと疑い、主は不信仰な彼を咎められます。

●御言葉
主はの手が短いというのか。わたしの言葉どおりになるかならないか、今、あなたに見せモーセに言われた。「主よう。(11:23)

モーセは主の約束よりも、民の数の多さに目を奪われ、肉を与えるという主の言葉を信じることができませんでした。

「危機とは何を見るかによります。真に見なくてはならないものを見ることができず、見てはならないものは穴が開くほど見る目が、信仰者の歩みを危機に追い込みます」(リビングライフ・PLUS)。

見ゆるところによらず、信仰によりて歩む人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

民数記11:1-15「不平」

◎2008年8月25日(月)
●民数記11:1-15「不平」
●要約 (リビングライフより)
イスラエルの民がつぶやくと、主は怒りを燃やされ、宿営の端を火でなめ尽くされます。モーセの祈りによって火は消えますが、彼らはエジプトで食べていた食べ物を要求して泣きます。モーセは腹立たしい思いで主に訴えます。

●御言葉
民はモーセに助けを求めて叫びをあげた。モーセが主に祈ると、火は鎮まった。(11:2)

民は食糧の問題で、主が与えてくれる食糧では満足できず、激しく主に不平不満を言いました。

その結果、主の怒りの火が彼らを襲います。

ここから長い訓練の日々がはじまります。

あなたは主が与えてくださった恵みに感謝していますか。

ないものを数えてつぶやく生き方ではなく、あるものを数えて感謝する生き方。

これが主の喜ばれる生き方です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

民数記10:29-36「幸せを与える主」

◎2008年8月24日(日)
●民数記10:29-36「幸せを与える主」
●要約 (リビングライフより)
モーセは自分のしゅうとであるミデアン人ホバブに、約束の地に向かう旅に共に加わってくれるよう頼みます。ホバブは断りますが、モーセは繰り返し要請します。モーセは主の契約の箱を先頭に立て、宿営する場所を捜します。

●御言葉
一緒に来てくだされば、そして主がわたしたちに幸せをくださるなら、わたしたちは必ずあなたを幸せにします。(10:32)

モーセは、約束の地に向けて旅立つとき、主は自分たちに幸せをくださると信じ、ミディアン人ホバブをも誘います。

彼は生まれ故郷に帰ろうとしましたが、モーセは「必ずあなたを幸せにする」と言って、彼を連れ出します。

主に導かれて旅立つ人には、幸せが与えられ、幸せを運ぶ人になります。

今日は日曜日です。共に主を礼拝していきましょう。今日も祝福がありますように。byバルナバ

民数記10:11-28「旅立ち」

◎2008年8月23日(土)
●民数記10:11-28「旅立ち」
●要約 (リビングライフより)
エジプトを出てから満2年目の2月20日に雲が幕屋の上から離れて上りました。イスラエルの民は神が命じられた通りに各部族の軍団長の引率に従って各自の場所から軍団ごとに進み、シナイの荒野を出発し、パランの荒野に至ります。

●御言葉
彼らは、モーセを通してなされた主の命令によって、初めて旅立った。(10:13)

イスラエルの民は、雲が幕屋を離れる時、旅立つように命じられていました。

彼らは雲が動いたとき、主の命令に従って、隊列を組んでシナイの荒れ野を出発していきます。

雲は、私たちにとって御言葉です。

クリスチャンとは、御言葉に導かれて旅する人です。

主の命令に従って旅立つ人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

民数記10:1-10「出陣ラッパ」

◎2008年8月22日(金)
●民数記10:1-10「出陣ラッパ」
●要約 (リビングライフより)
主は銀のラッパを二本作るように命令されます。ラッパの音は民を呼び集めるとき、族長を呼び集めるとき、行進を始めるときの合図になります。ラッパを吹けば、主はそれを覚えられ、敵から彼らを救うと約束されます。

●御言葉
あなたたちの国に攻め込む敵を迎え撃つときは、出陣ラッパを吹きなさい。そうすれば、あなたたちは、あなたたちの神、主の御前に覚えられて、敵から救われるであろう。(10:9)

主はイスラエルの民を導くために、モーセにラッパを作らせました。

民は、ラッパの合図に従って行動しました。

敵が攻めてきた時、モーセは出陣ラッパを吹き鳴らします。

この音を聞いて、民は結集し、主も一緒に戦われます。

問題に直面し、二人、または三人が心合わせて祈る祈りは出陣ラッパです。

主はあなたたちの祈りを覚え、共に戦い、救い出してくださいます。

今日も祝福がありますように。御名によって祝福します。byバルナバ

民数記9:15-23「雲の柱、火の柱」

◎2008年8月21日(木)
●民数記9:15-23「雲の柱、火の柱」
●要約 (リビングライフより)
幕屋を立てた日から、昼には雲の柱が、夜には火のようなものが降りてきて、幕屋にとどまります。イスラエルの民は雲が上ると旅立ち、雲がとどまると、立ち止まって宿営しました。彼らは主の命令に従い、行動しました。

●御言葉
イスラエルの人々は主の命令によって旅立ち、主の命令によって宿営した。雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営していた。(9:18)

昼は雲の柱、夜は火の柱がイスラエルの民を導きました。

雲の柱と火の柱は、主の臨在を象徴します。

主が動くとき、民は動き、主がとどまられる時、民もとどまったのです。

あなたは主と共に歩んでいますか。

主と共に歩む者は、たとえ荒れ野を旅するときも、主が守り導いてくださるのです。

主の命令(御言葉)に従って歩む人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

民数記9:1-14「待ちなさい」

◎2008年8月20日(水)
●民数記9:1-14「待ちなさい」
●要約 (リビングライフより)
イスラエルの民がエジプトを出て一年が過ぎた後、主は過越のいけにえをささげるよう命じられます。死体で汚れた人や、旅のと中にある人も守らなければなりません。もし故意に守らないなら、民の中から断ち切られてしまいます。

●御言葉
待ちなさい。主があなたたちに何とお命じになるか聞いてみよう。(8:8)

モーセは過越の祭を祝うことのできなかった人たちの質問に対し、彼らの判断でも、自らの判断でもなく、主の判断を求めていきました。

主は、彼らも過越の祭を祝えるように、モーセに命じていきます。

主は何と命じられているのか。

主の答えを求めて、その答えが与えられるのを待つことが大切です。

「待ちなさい」。主の言葉を待ち望む人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

民数記8:14-26「主のもの」

◎2008年8月19日(火)
●民数記8:14-26「主のもの」
●要約 (リビングライフより)
主はレビ人を聖別し、イスラエルの民の初子の代わりとして。取られます。レビ人の努めは会見の幕屋でイスラエル人のために奉仕をし、彼らのために贖いをすることです。彼らは25歳から50歳まで会見の天幕で奉仕した後、退きます。

●御言葉
レビ人をイスラエルの人々から区別すると、レビ人はわたしのものとなる。(8:14)

あなたは誰のものですか。

商品をカートに入れるだけではあなたのものにはなりません。

レジで代金を支払った時、その商品は他の商品と区別され、あなたのものになります。

神様は代価を支払い、あなたを買い戻してくださいました。

これが十字架の贖いです。

この贖いを信じる人は、神のもの(クリスチャン)と呼ばれます。

あなたも主と人に仕えるレビ人として、選ばれているのです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

民数記8:1-13「清め」

◎2008年8月18日(月)
●民数記8:1-13「清め」
●要約 (リビングライフより)
アロンは主の命令通りに金の燭台を作ります。レビ人は主に仕えていたため、身をきよめ、定められたいけにえをささげなければなりません。イスラエル人がレビ人に按手すると、レビ人は主に奉献物としてささげられます。

●御言葉
イスラエルの人々の中からレビ人を取って、彼らを清めなさい。(8:6)

イスラエルの共同体の中でレビ人の存在は欠かせませんでした。

水を飲むために容器が必要なように、レビ人は神の恵みを人々に届ける器でした。

誰も汚れた器に入った水を飲みたくはありません。

神様はあなたを選び、清め、祝福の管として用いたいと願っておられます。

日々、心を清め、レビ人として、周りの人々に恵みと祝福をを届ける人になりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

民数記7:84-89「神と語り合う」

◎2008年8月17日(日)
●民数記7:84-89「神と語り合う」
●要約 (リビングライフより)
族長たちは銀の皿12、銀の鉢12,金のひしゃく12,全焼のいけにえ、罪のためのいけにえ、和解のいけにえとして、多くの家畜を祭壇奉献のためのささげ物としてささげます。モーセは会見の幕屋に入り主の御声を聞きます。

●御言葉
モーセは神と語るために臨在の幕屋に入った。(7:89)

モーセは臨在の幕屋で神と語り、神の声を聞きました。

あなたの生活の中に臨在の幕屋はありますか。

神と語り合う時間を持っていますか。

今日は日曜日です。

臨在の幕屋である教会に行って、主を礼拝し、主の御声に耳を傾ける日です。

朝ごとに主の声を聞き、週の初めごとに共に集まって主の声に耳を傾ける人々は幸いです。

神様の祝福がありますように。byバルナバ

民数記7:10-83「礼拝」

◎2008年8月16日(土)
●民数記7:10-83「礼拝」
●要約 (リビングライフより)
祭壇に油が注がれた日、イスラエルの部族の族長たちは一日に一人ずつささげ物をささげます。彼らのささげ物は、銀の皿、銀の鉢、金のしゃくが一つずつ、全焼のいけにえ、罪のためのいけにえ、和解のいけにえです。

●御言葉
主はモーセに言われた。指導者は祭壇奉献のための献げ物を、一日に一人ずつささげなさい。(7:11)

12部族の代表者は、毎日、一人ずつ神の前に進み出て、同じ量と同じ内容の献げ物を主にささげました。

イスラエルの共同体が一番大切にしたことは、礼拝です。

主が一番喜ばれることは、あなたが礼拝を捧げることです。

主を礼拝する民は、神様の祝福を享受し、感謝が生まれます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

民数記7:1-9「聖別」

◎2008年8月15日(金)
●民数記7:1-9「聖別」
●要約 (リビングライフより)
幕屋が完成した後、イスラエルの族長たちは6両の車両と12頭の牛をささげます。そのささげ物はその奉仕に応じてゲルション族とメラリ族に与えられます。しかし、聖なるものを肩に背負う奉仕をするケハテ族には何も与えられません。

●御言葉
モーセは幕屋を建て終わった日に、幕屋とそのすべての祭具、祭壇とそのすべての祭具に油を注いで聖別した。(7:1)

聖別とは、礼拝で使用する器具などを聖なるものとして、他の被造物と別のものとすることです。

クリスチャンは、イエス様の十字架の血潮が注がれ、聖別され、神のものとなりました。

聖なる者にふさわしい生き方をしていますか。

「召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。」(一ペトロ1:16)。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

民数記6:313-27「祝福」

◎2008年8月14日(木)
●民数記6:313-27「祝福」
●要約 (リビングライフより)
聖別の期間を終えたナジル人は主へのささげ物をささげた後、頭を剃ります。また、祭司はナジル人の両手にささげ物を載せ、主に向かって揺り動かします。主はアロンとその子らに、イスラエルを祝福する祈りを教えられます。

●御言葉
主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けてあなたに平安を賜るように。(6:23-26)

祝福とは何でしょうか。

祝福とは、いつも神様が共にいて、御手の中で守られることです。

祝福とは、いつも神様に見守られ、恵みが与えられることです。

祝福とは、いつも神様の御顔を仰いで、平安が与えられることです。

今日も主があなたを祝福し、あなたを守り、恵みを与え、平安の中で一日を歩めますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

説教 「ただ信じなさい」

『ただ信じなさい』
(ルカ8:49-56)
(2008年・8月10日・ベテル清水教会 聖日礼拝)

ある大きな船が沈没しそうになりました。
船長は、みんなを海に飛び込ませるために、こうアナウンスしました。

紳士のみなさん。海に飛び込んでください。
すると、イギリス人が飛び込みます。
規則を守られるみなさん。飛び込んでください。
すると、ドイツ人が飛び込みました。
今、美女が海に飛び込みました。あなたも飛び込んでください。
すると、イタリア人が飛び込みました。
ヒーローになりたい方、飛び込んでください。
アメリカ人が飛び込みました。
みんな飛び込んでいます。あなたも飛び込んでください。
すると日本人が飛び込みましたが、関西人の若者が残りました。
最後に船長が言いました。今日、阪神が優勝しました。
すると、残っていた若者が、「ヤッフォー」と言って、飛び込んだというジョークであります。

日本では、思い切った決断をする時の譬えとして、「清水の舞台から飛び降りる」という表現をしますね。
清水の舞台とは、京都にあります清水寺のことです。
実は、この寺では、江戸時代には計234件の飛び降りが記録されているそうです。
一年に一人か二人の割合でありますから、それほど頻繁に起こったわけではありません。
高さ13メートルのところから飛び降りるというのは、勇気が入ります。
しかも、それは死ぬため、つまり自殺するために飛び降りたのではなく、「命をかけて飛び降りれば、願い事がかなう」という民間信仰に基づいて飛び降り事件が続いたそうです。

先週、長血を患った女性の物語を学びました。
彼女の中にも一つの信仰がありました。
その信仰とは、「イエス様の衣に触りさえすれば癒される」というものでした。
彼女は、その信仰に基づいて、まさに清水の舞台から飛び降りる気持ちで、イエス様に近づいていったのです。
彼女は、その信仰が功を奏して、病が癒されたのです。
彼女がイエス様の衣に触った途端、イエス様の内側から力が出て、彼女の肉体は癒されました。
キリスト教に限らず、信仰心には、不思議な力があります。
他の宗教でも、信仰によって病気が治るということは多く見られるわけです。
彼女の「イエス様の衣に触れさえすれば癒される」という信仰が、彼女の行動を駆り立てました。
そして、イエス様の衣にタッチすることによって、彼女は癒されたのです。

信じなければ何も起こりませんし、何もはじまりません。
しかし、彼女がただ癒されただけで終わっていたならば、その癒しは、彼女にとって一時的な恵みに終わったことでしょう。
イエス様は、彼女を一時的な恵みの世界ではなく、永遠の恵みの世界に招くために、彼女をそのまま帰らせなかったのです。

主はモーセに「わたしは主であって、いやすものである」(出エジプト15:26・口語訳)と言いました。

イエス様は癒し主です。
イエス様はこの地上に来られた時、大勢の人々の病を癒されました。
病の癒しは一時的な恵みです。
私たちは一つの病が癒されても、また別の病気になることがありますし、
たとえ、ラザロのように、死んで生き返るという奇跡を体験したとしても、やがて再び死は訪れるのです。
癒しや奇跡は、一時的な恵みです。

みなさん。イエス様は癒し主であると同時に、救い主です。
救いは、永遠の恵みです。
イエス様は、彼女が、一時的な恵みで満足する世界で終わってしまうのではなく、永遠の恵みに満たされる世界に入るために、彼女を帰らさなかったのです。

彼女は、隠しきれないと思い、イエス様の前に進み出て、すべてを告白しました。
その時、主は彼女に向かって宣言されたのです。
「娘よ、あなたの信仰があなたを救った」。
「娘よ、あなたの信仰があなたを癒した」というのではありません。
「あなたの信仰があなたを救った」と、癒しの宣言ではなく、救いの宣言をされたのです。
さて、今日は、ヤイロの娘の物語を学びます。

実は、ヤイロは、長血の女よりも、いち早く、イエス様のところに飛び込んできていたのです。
彼は必死でした。
12歳になる娘が死にかかっていたからです。

この緊急事態に、彼は恥も外聞もプライドも捨てて、イエス様の前に飛び込んできて、ひれ伏しました。
この光景に、周りにいた人々は驚いたことでしょう。
彼は、ユダヤ教の会堂長でした。

彼は、地域の有力者であり、人々から尊敬されていた人物です。
政治的にも経済的にも力を持っていたことでしょう。
そんな彼が、ナザレの田舎から出てきた一人の男の前にひれ伏し、助けを求めたのです。

長血の女が、イエス様の噂を聞いて、その衣に触れさえすれば癒される、という信仰を持って、イエス様に近づいていったように、
彼の耳にもイエス様の噂が届いていたのでしょう。

このお方にお願いすれば、娘は助かる。
そう信じて、清水の舞台から飛び降りる心境で、イエス様の前に身を投げ出したのです。

実は、この時、すでにユダヤ教の指導者たちと、イエス様とは対立関係にありました。
上層部の人々は、何とかして、イエス様を殺そうという相談をしはじめていました。
彼は、そうした裏の情報も知っていたかもしれません。
そんな時に、イエス様の前にひれ伏し、イエス様を家にお連れするというのは、勇気がいることでした。
しかし、彼は、娘を救うために、イエス様の前に身をなげうったのです。

イエス様は、彼の願いを聞いて、すぐにヤイロの家に向かいます。
しかし、その途中で、思わぬ邪魔が入ったのです。
一人の女が割り込んできて、イエス様の足はストップしました。
このやりとりが続いている間も、彼は娘のことが心配で、ハラハラ、イライラして待っていたことでしょう。
早くして欲しい。時間がない。イエス様。早くしないと間に合わない。
そこへ悲しい知らせが届いたのです。
8:49 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。」

お嬢さんは亡くなりました。
覚悟していたとはいえ、衝撃的な知らせです。
この物語は三つの福音書に出てきますが、どこにも彼の言葉は記されていません。
おそらく彼は茫然自失。言葉を失ってしまったのでしょう。
絶望感が彼の心を埋め尽くしました。
彼の心は暗闇で覆い尽くされました。

その時です。
希望の灯火が消え、真っ暗闇に包まれたその時。
彼は、主の声を聞いたのです。
8:50 イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」


同じ出来事を記しているマルコによる福音書をお開きください。
5:35 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」
5:36 イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。


イエスはその話をそばで聞いて
みなさん。注目してください。
お嬢さんは亡くなりました
彼は、絶望的な言葉を聞いたのです。
そして、その言葉を、主は彼と共に聞いておられたのです。
主も、その絶望を告げる声をそばで聞いておられたのです。

みなさん。私たちも、聞きたくない、絶望的な言葉を耳にすることがあります。
その言葉を聞いて、苦悶し、言葉を失ってしまう私たちのそばで、主もその言葉を聞いていてくださるのです。

そして、主は会堂長に言われました。
「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」

みなさん。実は、このマルコ5章36節は、口語訳聖書の方が適切な訳をしています。
5:36 イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい」。

話している言葉を聞き流して
英語の聖書では、「無視した」とか「注意を払わなかった」と訳されています。

お嬢さんは亡くなりました
とても聞き流すことも、無視することもできない知らせです。
しかし、主はこの言葉を聞き流されたのです。

私たちにはできない世界です。
主だからこそ、できる世界です。
私たちには限界があります。
しかし、主には限界がないのです。
私たちには絶望があります。
しかし、主には絶望がありません。
ここに、私たちの希望があります。

みなさん。イエス様は、彼に「恐れることはない」と言いました。
この言葉はどういう意味でしょうか。

みなさん。神様の御業が現される時、「恐れるな」という言葉が語りかけられます。

創世記15章を見ると、神様はアブラハムに「恐れるな」と語りかけられました。
この言葉の後、神様はアブラハムとサラの間に子供を与え、そして、そこからイスラエル民族が形成されていきます。

ルカ1章には、ザカリアに対して「恐れるな」と語りかけます。
この後、不妊の女であったエリサベツからバプテスマのヨハネが生まれ、主の道が備えられていきました。

また、同じルカ1章には、マリアに対して「恐れることはない」と語られます。
この後、処女マリアからイエス様が生まれ、救いの御業が実現していくのです。
イエス様が生まれた時、羊飼いたちを天の軍勢が取り囲みます。
この時も、「恐れるな」という言葉が語られました。
神様の御業が現される時、主は「恐れるな」と語られるのです。

みなさん。主は求めて近づく者のすぐそばにおられます。
私たちを絶望させるすべての言葉を、そばで聞いておられます。
私たちには聞き流すことのできない言葉です。
しかし、主はその言葉に支配されていないのです。
神にはできないことはない。
そこに私たちの希望があるのです。

アブラハムも不安だったでしょう。
しかし、彼は主を信じて従ったのです。
その結果、約束の子イサクが与えられました。

ザカリヤは、この主の言葉を信じられませんでした。
そのために、一時的に言葉を失いましたが、彼は信じるようになって、言葉が回復し、ヨハネが誕生します。

マリアも結婚もしていないのに、子を宿す。
どんなに不安で、恐れたことでしょう。
しかし、「神は何一つできないことはない」という御使いの言葉を信じて、主に委ね、受け入れまいsた。
その結果、イエス様が生まれ、やがて主の驚く御業が現されていくのです。

ヤイロも同じです。
彼も不安どころか、娘が死んでしまったのですから、絶望的な思いです。
「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」

彼は、イエス様の言葉を信じ、娘が横たわっている家に帰っていきます。
そこで、驚くべき御業を体験することになるのです。

8:51 イエスはその家に着くと、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、それに娘の父母のほかには、だれも一緒に入ることをお許しにならなかった。
8:52 人々は皆、娘のために泣き悲しんでいた。そこで、イエスは言われた。「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ。」
8:53 人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。


家に着くと、家全体を悲しみが包んでいました。
当時のパレスチナにおいて、葬儀の時には、泣き女と呼ばれる職業の人たちがいました。
人々の悲しみを引き出すために、大げさに泣き続ける人たちです。

イエス様は泣き叫ぶ人々に向かって、
「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ。」
と言いました。
その言葉を聞いて、人々はあざ笑いました。
イエス様の言葉を信じられなかったからです。

ただ信じなさい
イエス様は、ただ信じられない人を、その家から追い出されます。
イエス様は、あざ笑う声をも無視しただけではなく、取り除きました。
そして、ペトロとヤコブとヨハネと両親だけを伴って、娘のそばに行って、娘の手を取り、「娘よ、起きなさい」と呼びかけられるのです。

8:54 イエスは娘の手を取り、「娘よ、起きなさい」と呼びかけられた。
8:55 すると娘は、その霊が戻って、すぐに起き上がった。イエスは、娘に食べ物を与えるように指図をされた。
8:56 娘の両親は非常に驚いた。イエスは、この出来事をだれにも話さないようにとお命じになった。

ヤイロも、長血の女も、イエス様を求めていました。
彼らが求めたのは、癒しの世界です。
長血の女は、癒しを経験し、ヤイロは癒しを越えて、死人が生き返るという奇跡を体験しました。

最初にも申しましたが、イエス様の目的は、癒しと奇跡ではありません。
癒しと奇跡は、一時的な恵みです。
彼女にとっても、ヤイロにとっても、癒されること、奇跡を体験することは、一時的な恵みではなく、究極的な恵みだったことでしょう。
しかし、神様の目から見れば、癒しも奇跡も一時的な恵みに過ぎないのです。

イエス様は、一時的な恵みではなく、永遠の恵みを与えるために来られたのです。
先にも申しましたが、たとえ生き返っても、再び死は迎えます。
一時的な恵みで満足する信仰は、やがて躓くときが来ます。
実際、イエス様が十字架にかかられる時、すべての人は躓いたのです。
一時的な恵みを受けた人たちは、みんなイエス様に躓いたのです。
私たちは、癒しの物語、奇跡の物語から、知らなければならないことは、イエス様の目的は永遠の恵みを与えることにあると言うことです。

そして、このヤイロの娘の奇跡は、永遠の恵みを指し示すものです。
やがて、私たちはヤイロのような悲しい出来事を経験するでしょう。
しかし、主はそばにいて、すべてを聞き流して、「ただ信じなさい」と言われるのです。

「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」

イエス様は、ただ信じなさい。そうすれば娘は生き返る、と言われたのではありません。
ただ、信じなさい。そうすれば娘は救われる、といわれたのです。

救いとは、永遠の恵みです。
みなさん。信じる者には、この救いが与えられることを喜びましょう。
一時的な恵みは、時間と共に色あせていきます。
しかし、永遠の恵みは、時間と共に色づいてくるのです。
永遠の恵みの世界は、死が近づけば近づくほど、色づいてきます。
主は癒しを与え、奇跡を起こし、さらに救いをも与えてくださることを信じましょう。
そして、たとえ一時的な恵みであろうとも、ヤイロのように飛び込んで求めていきましょう。
長血の女のように、「主の衣に触れさえすれば癒される」と信じて触っていきましょう。
信仰を持って、主に近づくときに、主は癒しと奇跡に伴って、素晴らしい救いの恵みを与えてくださると信じます。
お祈り致します。


民数記4:34-49「従順」

◎2008年8月10日(日)
●民数記4:34-49「従順」
●要約 (リビングライフより)
天幕で奉仕できる30歳~50歳までのケハテ族は2750人。ゲルション族は2630人、メラリ族は3200人です。したがって、天幕の奉仕と聖なるものを運ぶことに関わることができるレビ人は、すべて8580人です。

●御言葉
この登録は、モーセを通してなされた主の命令によって、モーセとアロンが行った。(4:37,41,45)

民数記に繰り返される言葉は「主の命令によって」という言葉です。

従順は信仰を表現する手段です。

どんなに立派な信仰を持っていても、従順しなければ、その信仰が実を結ぶことはありません。

今日は日曜日です。

礼拝を守ることは、主からの至上命令です。

主の御言葉に従順して生きる人は幸いです。

主の祝福を祈ります。

なお、明日から三日間。御言葉メールはお休みします。byバルナバ

民数記4:17-33「主の声」

◎2008年8月9日(土)
●民数記4:17-33「主の声」
●要約 (リビングライフより)
主は30歳~50歳までのゲルションとメラリ族の男子を数えさせられました。祭司の監督と指示に従い、ゲルション族は幕屋の幕と会見の天幕、そのおおいを運び、メラリ族は幕屋を構成するものとその周辺の用具の運搬を担いました。

●御言葉
主はモーセとアロンに仰せになった。(4:17)

モーセとアロンは、共同体を監督する責任ある立場になりました。

主は彼らに、具体的な指示を与え、彼らはその指示に従って、民を治めていきます。

モーセとアロンが、いつも主の声に従って行動したように、私たちもいつも主の声に従って行動していきましょう。

主は、御言葉を通して語られます。

聖書を毎日読む人は、主の声を聞き分けることができるようになります。

主の祝福を祈ります。byバルナバ

民数記4:1-16「働き」

◎2008年8月8日(金)
●民数記4:1-16「働き」
●要約 (リビングライフより)
主は幕屋で奉仕することのできる30~50歳までのケハテ族のすべての男たちを数えさせられます。ケハテ族は祭司を助け、至聖所を管理する者たちで、契約の箱には絶対に触れてはならず、皮でおおいをし、肩に担いで運びました。

●御言葉
ケハトの子らの仕事は、臨在の幕屋と神聖なものにかかわる。(4:4)

ケハトの子らには、聖なるものにかかわる仕事が与えられました。

どんな小さなものであっても、聖なるものにかかわる働きを軽んじてはいけません。

神様があなたに与えておられる働きは何ですか。

教会での奉仕もそうですが、家庭を守ること、子供を養育することも大切な働きです。

どんな仕事であっても、主から与えられた仕事だと思って、忠実に仕える人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

民数記3:40-51「主のもの」

◎2008年8月7日(木)
●民数記3:40-51「主のもの」
●要約 (リビングライフより)
生まれて1ヶ月以上のイスラエルの男子は2万2273人です。これは、レビ人の男子よりも273人多いものです。主は超過した初子当たりにつき、5シェケルの贖いの代金をアロンとその子らに渡すように命じられました。

●御言葉
レビ人をイスラエルの人々のすべての長子の代わりに、またレビ人の家畜をイスラエルの家畜の代わりに取りなさい。レビ人はわたしのものである。わたしは主である。(3:45)

古代、長子を神に捧げる習慣がありました。

それはすべてが神のものであるという信仰から来ています。

レビ人は、長子の身代わりに捧げられた人々であり、イスラエルの人々は、レビ人を通して、自分たちが主のものであることを自覚しました。

あなたは誰のものですか。

収穫の初物や十分の一を主に捧げることは、わたしとわたしの持っているすべてのものが主のものであることを証する行為です。

生きているのではなく生かされている。

主のものである命、主のものである賜物に感謝し、用いて生きる。

それがクリスチャンです。

今日も祝福がありますように。

御名によって祈ります。byバルナバ

民数記3:21-39「レビ人の役割」

◎2008年8月6日(水)
●民数記3:21-39「レビ人の役割」
●要約 (リビングライフより)
ゲルション、ケハテ、メラリの子孫たちは、それぞれ幕屋の西側、南側、北側で職務を担い、モーセとアロンは東側で職務を担いました。レビ人の一ヶ月以上のすべての男子の数は2万2千人です。

●御言葉
モーセとアロンが主の命令によって、氏族ごとに登録した生後一ヶ月以上のレビ人の男子の総数は二万二千であった。(3:39)

他の部族に比べるとレビ族の数は極めて少数でした。

生後間もない男子を数に入れても、他の部族には及びません。

しかし、少数派であるレビ族に、聖所を守るという重大な任務が与えられました。

日本でクリスチャンは少数です。

しかし、その役割は非常に大きいのです。

生まれたばかりのクリスチャンも、神様は即戦力として、用いられるお方です。

良き証し人となりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

民数記3:1-20「仕える者となれ」

◎2008年8月5日(火)
●民数記3:1-20「仕える者となれ」
●要約 (リビングライフより)
アロンの4人の息子たちは油注がれ、祭司として聖別されます。その中でナダブとアビブは主に異なった火をささげたことで死にました。レビ人はイスラエルの民の初子として、幕屋の前で祭司と民のための任務を果たします。

●御言葉
レビ族を前に進ませ、祭司アロンの前に立たせ、彼に仕えさせなさい。(3:6)

神様はレビ人を「わたしのものである」(12節)と言いました。

神様がレビ族が選んだのは、仕えさせるためでした。

神様の選びには使命があります。

特権の裏には常に使命が伴うのです。

クリスチャンは「キリストのもの」という意味です。

クリスチャンは神の子としての特権が与えられました。

神の子には「仕える者となる」という使命があるのです。

仕えることに使命を持ち、仕えることを喜びとできますように。

御名によって祝福します。

「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい」(エフェソ5:21)byバルナバ

民数記2:1-34「臨在の幕屋」

◎2008年8月4日(月)
●民数記2:1-34「臨在の幕屋」
●要約 (リビングライフより)
イスラエルの民は幕屋を中心に宿営しました。東にはユダ、イッサカル、ゼブルン族が、南にはルベン、シメオン、ガド族が、西にはエフライム、マナセ、ベニヤミン族が、北にはダン、アシェル、ナフタリ族が宿営しました。

●御言葉
イスラエルの人々は、それぞれ家系の印を描いた旗を掲げて宿営する。臨在の幕屋の周りに、距離を置いて宿営する。(2:2)

臨在の幕屋とは、神が臨在し、言葉を発せられる聖なる場所です。

イスラエルの各部族は臨在の幕屋を中心に、東西南北に宿営しながら、約束の地を目指しました。

神の言葉が彼らの生活の中心にあったのです。

あなたは生活の中心に神の言葉を置いていますか。

御言葉に人生を導かれる人は幸いです。

「あなたの御言葉は、わたしの道の光。わたしの歩みを照らす灯」(詩編199:105)。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

説教 「主の力に触れる」

『主の力に触れる』
(ルカ8:40-48)
(2008年・8月3日・ベテル清水教会 聖日礼拝)

最近では、どこの銀行でもATMの機械が複数台ある時には、一列に並ぶようになっていますね。
誰が考えたのか分かりませんが、昔は、レジのように、それぞれの機械の前で並んでいました。
「ありがとうございました」という音声の後に、「いっらっしゃいませ」という声が聞こて、一人の人が何回も使ったりすると、ガクッときますね。

最近、スーパーのレジでも、新しいレジを開けるときには、定員さんが「一番前の方からどうぞ」という風に、並んでいる順番を大切にするケースがあり、それはとてもいいことですね。

しかし、聖書の世界では、「先の者が後になり、後の者が先になり」と言うような理不尽なことが起こることがあります。

たとえば、ぶどう園の労働者の譬えでは、朝早くから働いた人と、夕方から一時間だけ働いた人が同じ賃金をもらうという話があります。
この時、ぶどう園の主人は、最後に来た人から、順番に賃金を払っています。
後の者が先になり、先の者が後回しにされるようなことがあるのです。
今日と来週、取り上げます長血の女の癒しとヤイロの娘の癒しの奇跡もまた、先に求めた者が後になり、後から求めた者が先になっているのです。

会堂長のヤイロは、イエス様が町に入ってきたときに、真っ先にイエス様のところに近づき、ひれ伏して、イエス様にお願いしました。
彼の娘が死にかかっていたからです。
イエス様。急いできてください。娘が死にかかっています。
その知らせを聞いて、イエス様が娘の所に向かう途中に、割り込むかのようにして、長血の女がイエス様に近づいてきて、イエス様に触れたのです。

ヤイロにすれば、急いでいるのに。時間がないのに。割り込まれて、イエス様の歩みをストップさせられて、このヤイローと思ったかどうか分かりませんが、イライラしたことでしょう。ハラハラしたことでしょう。イエス様。早くしてください、と気がせったことでしょう。
しかし、主は立ち止まって、「誰かが私に触れた」と言って、弟子たちに触れた人を捜させるのです。
そんなことどうでもいいじゃないですか。
しかし、イエス様にとっては、どうでもよくなかったのです。
この女性を、ただ癒すだけではなく、救う必要があったからです。
イエス様は肉体よりも、心。心よりも、霊を救おうとされるのです。
肉体が癒されるだけで終わるのではなく、魂の救いにまで至らせる必要があったからです。
彼女に救いの確信を与える必要があったからです。

とにかく、ヤイロは待たされるのです。

あのラザロが病気だという知らせを聞いた時もそうでした。
イエス様は、その知らせを聞いて、すぐにはベタニヤの村には行かれませんでした。
聖書は、二日間同じ場所に滞在した、と記しています。

神様のタイミングと。私たちのタイミングは異なります。
先の者は後になる世界があるのです。
私たちは、自分の時を願いつつも、神様の時に自分をゆだねていくことも大切なのです。
先に求めた者が後になり、後から求めた者が先になる。
信仰生活の中でも、そういうことが起こるのです。
後から救われた人の家族が救われる。
神様、どうして私の家族は救われないんでしょうか。

後から来た人が先に祝福に与る。
これは耐えられないことです。
しかし、先に救われた人にも、祝福の時は訪れる。
そのことを来週のテキストから学ぶことができます。
さて、40節からご覧ください。
8:40 イエスが帰って来られると、群衆は喜んで迎えた。人々は皆、イエスを待っていたからである。

先週、「力の祈りの真髄」というタイトルでお話をしました。
力の祈りとは、聖霊に満たされた祈りのことです。
私たちの内側におられる聖霊様が、私の霊の座から溢れ流れ出て、心と体とを満たしていく状態を、聖霊に満たされた状態といいます。
聖霊に覆われた状態。聖霊に包まれた状態。
その状態の中で、御言葉が発せられるときに、御業が起こります。
聖霊の力が働いて、癒しが起こるのです
聖霊に満たされた状態とは、エンジンをかけている状態のようなものです。
ギアを入れて、アクセルを踏むと、車が動き始めるように、私たちも聖霊に満たされた状態にあるならば、神様の働きを体験できるのです。
ですから、パウロは「いつも聖霊に満たされなさい」と言いましたが、それは、いつも霊的エンジンをかけていなさい、ということです。

私たちは、いつも霊的エンジンをかけているためには、油を給油することと共に、油が流れてくるパイプが、つまっていれば、取り去らなければならない、ということを、先週、学んだわけです。

今日の説教題は、「主の力に触れる」です。

長血の女は、イエス様に触れることによって、イエス様の力に触れたのです。
そのイエス様から流れてくる力が、医者も治せなかった彼女の肉体を癒したのです。

みなさん。私たちも長血の女のように、このイエス様の力に触れたいですね。

イエス様の力に触れる秘訣。
その第一は、主に希望を置くということです。
主に希望を置いて、主を求めるのです。
主に希望を置く。別の言葉で言えば「待ち望む」ことです。
主の約束を信じて待ち望むことです。
主の約束を握りしめて、主の来られるのを待つのです。

今日のテキストを見るときに、群衆はイエス様が町に帰ってくるのを待っていました。
彼らは待ち望んでいたので、イエス様が帰ってきたときには、喜んで迎え入れたのです。

たとえば、子供に今日は仕事の帰りにケーキを買ってくるから。
そう言うと、子供はお父さんの帰りを楽しみに待つでしょう。
「ただいま」というと、「お帰り」と言って、喜んで走って来るかもしれません。約束のもの。ケーキを楽しみにしているからです。
ケーキがないと、喜んで迎えられない、というのは、寂しいですね。

群衆は、イエス様の帰りを待っていました。
イエス様が帰ってきたという知らせを聞いて、彼らは喜んでイエス様を迎えたのです。
イエス様の力に触れるためには、待ち望む心が必要です。

ルカは、イエス様を待っていた大勢の人々の中から、二人の人物にスポットを当てます。
会堂長のヤイロと長血を患った女性です。
二人とも、イエス様がこの町に来られるのを待っていました。
主が訪れてくださる時を待っていました。
主に触れるためには、主の御業を体験するためには、主を待つ心が大切なのです。
8:41 そこへ、ヤイロという人が来た。この人は会堂長であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと願った。
8:42 十二歳ぐらいの一人娘がいたが、死にかけていたのである。イエスがそこに行かれる途中、群衆が周りに押し寄せて来た。


ヤイロは、主の足もとにひれ伏しました。
これは礼拝の姿勢です。そして、主を求めるのです。
主は求める者の声を聞いてくださるお方です。

娘が死に瀕している。普通なら、娘の側を離れずにずっと側に付き添っていたいものでしょう。
しかし、ヤイロは、主にすがりついたのです。
主以外に、娘を救ってくれるお方はいない。
そう信じて、イエス様に近づいていったのです。
主に近づきなさい。そうすれば主は近づいてくださるのです。
このヤイロの物語の続きは、来週、取り上げます。
今日は、その途中での出来事です。
8:43 ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた。

彼女は、ヤイロとは違い、正面からイエス様に近づくことはできませんでした。
彼女は12年間。血が止まらないという女性特有の病気に悩まされ、苦しんできたのです。
こうした血の病気は、ユダヤ社会では、汚れていると考えられていました。
ですから、彼女は肉体的にも、精神的にも、霊的にも、12年もの間、苦しみ続けてきたのです。
12というのは完全数です。
これ以上の苦しみはないという世界を彼女は生きてきたのです。

彼女は、何とか良くなりたいと願って、自分の全財産をつぎ込んで、お医者さんに通いました。
しかし、当時の医学の力では、どうすることもできなかったのです。

そんな中で、彼女はイエス様の噂を聞きました。
信仰は聞くことからはじまります。
誰かが彼女にイエス様ことを証したのでしょう。

イエス様は私たちが待ち望んでいるメシアかもしれない。
このお方は、多くの人の病を癒しておられる。
実際、その癒しの業を見た人たちからも証を聞いたのかもしれません。
彼女は、イエス様なら、私の病気を癒して下さるかもしれない。
彼女の中に小さな信仰が芽生えたのです。

しかし、彼女の病気は、当時は不浄であり、汚れた身でした。
聖なる方に触れることなどできない。
彼女は考えました。
そうだ、後ろから行って、せめてイエス様の衣に触れさえすれば、癒されるかもしれない、そういう思いが与えられたのです。

マルコの5章28節を読みますと、
5:28 「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。
とあります。


彼女の心に、「せめて、イエス様の服にでも触れさえすれば癒してもらえる」という信仰が芽生えたのです。

力を引き出す祈り。
二つ目の秘訣は、信仰です。
主の衣にでも触れたら癒される。
彼女の中に、小さな信仰が芽生えたのです。

彼女は、こっそりと、イエス様の背後に近づいて、衣の裾に触れました。
彼女は、自分の内側に芽生えた小さな信仰によって、一歩を踏み出しました。
イエス様は、からし種のような小さな信仰であっても、この山に向かって、海に入れ、と命じたら、入るとおっしゃいました。
彼女は、小さな小さなからし種のような小さな信仰を働かせました。
そして、イエス様に近づいていって、イエス様に触れたのです。
その時です。
イエス様から力が流れてきたのです。
8:44 この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった。マルコを見ますと、「すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた」と記されています。

彼女は自分の体に起きた変化に気づきました。
彼女は、イエス様の衣に触れることによって、癒しを受けたのです。

みなさん。癒される人は多くいますが、聖書は癒しよりももっと大切な世界を教えます。
それは、救いの世界です。
癒しの世界を体験した彼女は、救いの世界へと招かれるのです。

彼女が救われるためには、自分が主の力によって癒されたことを公に告白する必要がありました。
主の力が働いたのは、彼女が主を証する者となるためでした。

イエス様は言います。
8:45 イエスは、「わたしに触れたのはだれか」と言われた。人々は皆、自分ではないと答えたので、ペトロが、「先生、群衆があなたを取り巻いて、押し合っているのです」と言った。

イエス様の周りには、大勢の群衆がいました。
ペトロは言います。
「イエス様、冗談じゃありませんよ。こんなに大勢の群衆がひしめき合っているのに、わかるわけがありませんよ」
おそらくヤイロも、そんなことはどうでもいいから、早く娘のところに行ってください、と思ったでしょうね。

8:46 しかし、イエスは、「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」と言われた。

彼女は、このイエス様の言葉を聞いて、ドキッとしたでしょう。
自分の中にイエス様の力が入ってきたのを、彼女も感じていたからです。
主の力に触れた人は、もはや黙っていることができません。
彼女は、口を開いて告白します。

8:47 女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。


少し前、隠されたもので、露わにならないものはない、という箇所を学びました。
まさに、主の恵みは、隠されたままでは終わらないのです。
神様の恵みは、隠しきれないのです。
彼女は、自分の身に起こった出来事を、みんなの前で証ししました。
すると、イエス様は彼女に言ったのです。

8:48 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」
彼女は、癒されると同時に、救いをも経験したのです。
みなさん。私たちは癒されても、また病気になることがあります。
しかし、救いは違います。
救われても、また滅びるようなものではありません。

イエス様の十字架の救いは完璧です。
救いの網は決して破れません。

彼女は、救いの網の中にしっかりと入れられたのです。
彼女は、希望と信仰によって、癒しの力を体験しました。
そして、告白によって、救いの力をも体験していったのです。

私たちはイエス・キリストを信じ、告白することによって、救いの力を体験しました。
イエス様は、救い主であると同時に、癒し主です。
癒しの御業をも、もっともっと体験していきたいと願います。

主から力が流れてくるときに、癒しが起こります。
まとめます。
癒しの力を体験するためには、
第一に、主を求めることです。求め続けることです。
主に期待すること。主の前にひれ伏して求めることです。
主に触れさせすれば、癒されると信じて待つことです。

第二に、主は癒し主である、と信じて、主の衣に触れることです。
主の前にひれ伏して、主の衣に触れていきましょう。

主の衣に触れる時に、癒しが起こる。
イエス様は、救い主であり、癒し主です。
私たちは、救い世界と共に、癒しの世界をも体験していきましょう。
生きた神を体験する教会。
ベテルチャーチが、そのような教会となるようにと祈ります。
お祈りします。

民数記1:47-54「レビ人」

◎2008年8月3日(日)
●民数記1:47-54「レビ人」
●要約 (リビングライフより)
レビ人は人口調査から除外され、戦いに出る代わりに契約の箱が保管されている幕屋を守ります。レビ人は幕屋の周りに宿営し、幕屋とそのすべての用具を管理、運搬し、民が幕屋に近づけないようにする任務が与えられました。

●御言葉
レビ人は掟の幕屋の周囲に宿営し、怒りがイスラエルの人々の共同体に臨まないように、掟の幕屋の警護の任に当たらねばならない。(1:53)

レビ人は他の部族とは異なり、兵役を免除されました。

レビ人は、礼拝のために仕える特別な使命と責任がありました。

礼拝にはレビ人の存在が欠かせません。

レビ人は、神に仕え、他の部族のために執り成し祈る人です。

クリスチャンは、みんなレビ人としての使命と責任があります。

神に仕え、礼拝に仕え、人に仕える。

今日は日曜日です。

主の豊かな祝福がありますように。byバルナバ

民数記1:20-46「子孫の祝福」

◎2008年8月2日(土)
●民数記1:20-46「子孫の祝福」
●要約 (リビングライフより)
モーセとアロン、そして各部族のかしらとして立てられた12人は、氏族と父祖の家の家系に従って、戦いに出ることができる20歳以上の男たちを数えます。人口調査の結果、それらの男たちは60万3550人です。

●御言葉
登録された者の数は六十万三千五百五十人であった。(1:46)

神様はアブラハムを選び、こう約束しました。

「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる。」と。

その約束どおり、アブラハムからイサク、ヤコブ、そしてヤコブの十二人の息子たちの子孫は増え広がっていきました。

あなたの子孫の名が天の人口調査において、数えられますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

民数記1:1-19「神の選び」

◎2008年8月1日(金)
●民数記1:1-19「神の選び」
●要約 (リビングライフより)
イスラエルの民がエジプトを出てから一年が過ぎたとき、主はモーセに20歳以上の男たちを数えて軍隊を組むようにと命じられました。そして、このために各部族から部族の長を一人ずつ選び、モーセとアロンの助け手とされます。

●御言葉
あなたたちに協力すべき人々の名は次のとおりである。ルベン族では、・・・(1:5)

神様はモーセに人口登録を実施し、各部族から一人ずつ助け手となる人材を集め、部隊を組むように命じました。

神様はモーセの助け手となる人の名をあげていきます。

神様に名を覚えられている人、選ばれている人は幸いです。

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」(ヨハネ15:16)。

今日も祝福がありますように。byバルナバ
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