Ⅱテモテ4:9-22「主はそばにいる」

◎2008年6月30日(月)
●Ⅱテモテ4:9-22「主はそばにいる」
●要約 (リビングライフより)
パウロはテモテに早く来て欲しいと願い、マルコを伴い、自分の上着と書物思って来るように頼みます。共に働きを始めた多くの人がパウロを去りましたが、主はパウロを強め、獅子の口からも助け出されました。

●御言葉
しかし、わたしを通して福音があまねく宣べ伝えられ、すべての民族がそれを聞くようになるために、主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。そして、わたしは獅子の口から救われました。(4:17)

パウロは誰も助けてくれず、見捨てられたような状況の中にあっても、主がそばにいて、力づけられる経験をしました。

また、死を覚悟する局面に追いつめられながらも、奇跡的な救いを体験しました。

今日も、主があなたのそばにいて、あなたを励まし、力づけ、あらゆる危機から救い出してくださるように。

御名によって祈ります。byバルナバ
スポンサーサイト

Ⅱテモテ4:1-8「御言葉の種まき」

◎2008年6月29日(日)
●Ⅱテモテ4:1-8「御言葉の種まき」
●要約 (リビングライフより)
パウロは最後にみことばを伝えることに力を尽くすように勧めます。人々は空想話ばかりを追い求めますが、伝道者は使命を担わなければなりません。勇敢に最後まで信仰を守った人々には義の栄冠が用意されています。

●御言葉
御言葉を宣べ伝えなさい。折りが良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。(4:2)

御言葉は命の種です。

一粒の種が地に落ちると、30倍、60倍、100倍の実を結ぶという希望があります。

御言葉の種は、今や世界中に蒔かれ、広がり、多くの人々に信仰と希望と愛の実をもたらしました。

御言葉には魂を救う力がある。

その希望を持って、毎朝、御言葉をメールで蒔き続けています。

あなたの人生に御言葉が実を結びますように。

御名によって祝福します。

今日は日曜日です。

共に主を礼拝していきましょう。byバルナバ

Ⅱテモテ3:10-17「聖書」

◎2008年6月28日(土)
●Ⅱテモテ3:10-17「聖書」
●要約 (リビングライフより)
イエス・キリストにあって敬虔に生きようとすれば迫害を受けます。そのときこそ、学んで確信したところにとどまるべきです。聖書は神の霊感にるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益なものです。

●御言葉
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。(3:16)

聖書は神の言葉です。

神の声を毎日、聞くことのできる人は、人生に益をもたらします。

御言葉が人生に益をもたらすためには、教えに従い、戒めを守り、間違いに気づかされたら悔い改め、日々、QTをもって敬虔の訓練を受けることです。

御言葉を人生の土台に据えて生きる人は幸いです。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

Ⅱテモテ3:1-9「心の畑を点検せよ」

◎2008年6月27日(金)
●Ⅱテモテ3:1-9「心の畑を点検せよ」
●要約 (リビングライフより)
終わりの日に人々はお金と快楽をさらに愛し、無秩序で無感覚になります。彼らは敬虔に見えても、力がありません。彼らは愚かな女たちを誘惑し、真理に敵対する知性の腐った信仰の失格者です。

●御言葉
そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。こういう人々を避けなさい。(3:2-5)

パウロは終わりの時代に生じる罪の実を列挙します。

心の畑にはすでにいくつかの罪の花が咲き、実を結んでいます。

罪の花が実を結び、その実が種を落とさないように、畑を管理し、良い実を結ぶ御言葉の種を心に蒔いていきましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Ⅱテモテ2:14-26「神に用いられる器」

◎2008年6月26日(木)
●Ⅱテモテ2:14-26「神に用いられる器」
●要約 (リビングライフより)
パウロは真理のみことばを正しく見分け、恥じることのない働き人となるよう勧めます。また、自らをきよめ、主人にとって有益な器となることと、若さによる情欲を避け、争わず、よく教える者となるよう勧めます。

●御言葉
だから、今述べた諸悪から自分を清める人は、貴いことに用いられる器となり、聖なるもの、主人に役立つもの、あらゆる善い業のために備えられたものとなるのです。(2:21)

器は使えば汚れます。

汚れた器は洗わなければ使えません。

どんなに立派な器であっても、汚れたままでは、使ってもらえません。

用いられるためにはいつも器を清めておく必要があります。

主は御言葉をもって、私たちを清めてくださるお方です。

毎日、お風呂で体を清めるように、毎日、主と向き合って、心を清めていきましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Ⅱテモテ2:1-13「真実なるキリスト」

◎6月25日(水)
●Ⅱテモテ2:1-13「真実なるキリスト」
●要約 (リビングライフより)
テモテはイエス・キリストのりっぱな兵士として、苦難に耐えなければなりません。わたしたちが、神に選ばれた人々のために苦しみを受けるのは、彼らがキリストにあって、救いと栄光にあずかるようになるためです。

●御言葉
次の言葉は真実です。「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。耐え忍ぶなら、キリストと共に支配するようになる。キリストを否むなら、キリストもわたしを否まれる。わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。キリストは御自身を否むことができないからである。」(2:11-13)

救いは、私たちの誠実さによるのではありません。

真実なるキリストによります。

このキリストを否むことなく、信じ受け入れ、十字架と復活に与る洗礼を受け、キリストを思い起こし、神の恵みによって強く生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Ⅱテモテ1:9-18「福音」

◎6月24日(火)
●Ⅱテモテ1:9-18「福音」
●要約 (リビングライフより)
神は御心と恵みによって私たちを救われ、召されました。パウロは福音のために宣教者、使徒、教師として立てられたため、苦難をも恥と思わないと告白します。パウロは聖霊によって任された福音を守るよう勧めます。

●御言葉
キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。(1:10)

2年前、野球のWBCで日本は二次リーグで韓国に敗北。

1勝2敗。

誰もがあきらめかけた時、優勝候補の米国がメキシコに破れたとの知らせが選手に届きました。

息を吹き返した日本は、ここから奇跡の大逆転優勝を起こしたのです。

福音とは、絶望的な状況に届けられた良い知らせです。

キリストは死に勝利し、復活しました。

「たとえ死んでも生きる」。

この福音に生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Ⅱテモテ1:1-8「力と愛と知恵の霊」

◎6月23日(月)
●Ⅱテモテ1:1-8「力と愛と知恵の霊」
●要約 (リビングライフより)
テモテの信仰は祖母ロイスと母ユニケから受け継いだものです。パウロは按手の時に与えられた賜物を再び燃え立たせるように勧めています。それは力と愛と慎みとの霊であり、福音にあって苦難に耐えるためのものです。

●御言葉
神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。(1:7)

パウロは多くの苦難を経験し、臆病になっていたテモテを励まし、もう一度、聖霊に満たされ、霊が燃やされるように励ましを与えます。

神様が与えてくれる霊とは、聖霊です。

人は聖霊に満たされる時、力と愛と知恵が与えられます。

今日、この霊があなたの上に与えられますように。

聖霊に満たされ、力と愛と知恵が与えられ、どんな問題にも勝利していくことができますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

説教 「同行者の使命」

『同行者たちの使命』
(ルカ8:1-3)
(2008年・6月22日・ベテル清水教会 聖日礼拝)

江戸時代のことわざの中に「旅は道連れ世は情け」というのがあります。
一人旅の好きな人もおられるでしょうが、旅には連れがある方が心強いものです。
ある旅行会社が、「誰と旅行に行きたいですか」という質問に対して、
一番多かったのが「家族」だったそうです。
第二番目は、「友達」です。
最も少なかったのは、「会社の同僚」だそうです。

私がサラリーマンをしていた時にも、年に一度、社員旅行がありましたが、今、若い女性たちの間では、社員旅行に行くことを極端に嫌う傾向にあるそうです。

楽しいはずの旅行なのに、嫌な上司と一緒に行きたくないし、宴会の相手をされることがとても苦痛なんだそうですね。

さて、今日のテキストには、イエス様と一緒に旅をする人たちの姿が描かれています。
イエス様の旅は、観光旅行ではありません。
宣教旅行です。
このイエス様の宣教旅行を、多くの婦人たちがサポートしていた、ということが描かれているのです。

今日から8章に入ります。
8:1 すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった

「すぐその後」とあります。
先週、ファリサイ派のシモンの家で起こった出来事を学びました。
食事の席に、罪深い一人の女性が、イエス様の足下にひれ伏し、涙で足を洗い、髪の毛で拭い、香油を塗り始めたのです。
おそらく、彼女は、ここに来る前にイエス様に出会っていたのでしょう。
彼女は、この席上で「あなたの罪は赦された」と言われたのですが、これは「あなたの罪は赦されている」ということでありまして、
イエス様は、彼女の罪が赦されていることを、みんなの前で宣言されたのです。
罪の赦しの駄目押しです。
彼女は、イエス様の足を洗ったから、罪が赦されたのではありません。
彼女の行為が、彼女を救ったのではありません。
彼女の行為は、赦しから生まれた行為です。
赦されるための行為ではないのです。

彼女は、先に、イエス様に愛され、罪の赦しを受けていたのです。
その愛への応答として、赦されたことの喜びとして、イエス様を愛し、イエス様の足を洗うという行為になったのです。
彼女は、愛されることによって、イエス様に仕える者となったのです。

実は、この罪深い女性は、昔から、マグダラのマリアではないか、と言われています。
古典美術でマグダラのマリアが描かれる時、その手には香油が握られていたり、髪の毛で足を拭う場面が描かれたりしています。

しかし、最近では、この罪深い女とマグダラのマリアが堂一人物であったかは、意見が分かれるところです。
ただ、聖書を見ると、マグダラのマリアのイエス様の深い愛を思うときに、この罪深い女が、マグダラのマリアであった可能性は、十分にあります。

さて、この女性がマグダラのマリアなのかどうかはともかくとして、
彼女が、イエス様と共に旅をしたことは間違いないでしょう。
彼女は、イエス様に出会って、「すぐその後」、イエス様の旅に同行していったのです。
イエス様と共に旅をするメンバーの一員となっていったのです。

「すぐその後」
今日、最初に心に留めたい言葉です。
シモンの家で、イエス様から「罪の赦し」のお墨付きをもらった彼女は、自分の全てを捧げ、イエス様に従ったのです。
イエス様に従うということは、イエス様と共に旅をする人々に仕えるということを意味します。

8:2 悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、
8:3 ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。


ここにイエス様と出会って、悪霊を追い出してもらったり、病気を癒してもらったりした女性たちの姿が描かれています。
名前のある人もない人もいます。
みんなイエス様と一緒に旅をしました。
彼女たちは、自分たちの持ち物を出し合って、一行に仕えたのです。

旅は道連れ世は情け
世は情けというのは、
人情の世界です。助け合う世界です。
この世を生きていくためには、情けが必要です。
助け合って生きることが必要です。

イエス様と共に旅をする人々は、自分の持ち物を出し合って、互いに助け合いながら旅を続けたのです。
同行者の使命。それは主に仕えるように人に仕えるということです。

これは教会のあるべき姿でもあります。
教会には情けが必要です。
助け合う世界が必要です。
お互いが、自分の持っているものを出し合って、互いに助け合いながら生きていくのです。
その中心はイエス様です。

イエス様を中心にした神の家族。
それが教会です。

ルカ4章38節以下をお開きください。
4:38 イエスは会堂を立ち去り、シモンの家にお入りになった。シモンのしゅうとめが高い熱に苦しんでいたので、人々は彼女のことをイエスに頼んだ。
4:39 イエスが枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱は去り、彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした。


このシモンとは、先週のファリサイ派のシモンとは別人です。
シモン・ペトロのことです。
イエス様がペトロの家に行ったとき、ペトロの姑が高熱で苦しんでいました。
このシモンの家に集まった人たちも、一つの家族です。
お互いに助け合う仲間です。
シモンのしゅうとめが苦しんでいるのを見て、彼らはイエス様にお願いするのです。
イエス様は、彼女の枕元に立ち、熱をしかりつけました。
すると、彼女は即座に癒されたのです。
その後のことに注目してください。
彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした。

彼女を癒したのはイエス様です。
しかし、ここでルカは、彼女がイエス様をもてなした、とは記していません。一同をもてなしたと記しているのです。
これはとても大切なポイントです。
イエス様に仕えることは、人々に仕えることなのです。
同行者の使命。それは主に仕えるように、人々に仕えることです。

この「もてなした」という言葉は、「執事の努めをする」「仕える」と訳せる言葉です。
今日の3節にある「奉仕した」という言葉と同じギリシャ語が使われているのです。

もう一箇所、ルカ5章27節をご覧ください。
5:27 その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。
5:28 彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。
5:29 そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。


このレビは、イエス様の12人の弟子の一人のマタイの別名です。
彼は、徴税人でした。
当時、徴税人という仕事は、ユダヤ人から忌み嫌われる職業でした。

彼らは異邦人との接触により、宗教的にも汚れていると見なされ、罪人の一人に数えられたのです。
レビの心は渇いていました。
彼は、自らの身を汚すことによって、多くの財を得ましたが、彼の心はむなしかったのです。

そこへ、噂のイエス様がやってきました。
彼の耳にも、イエス様がメシアかもしれないという噂は届いていたことでしょう。
しかし、自分は罪人であり、人からも神様からも見捨てられたような存在であり、自分とは関係のないと思っていました。

そんな彼に、イエス様が目を留めて、「わたしに従いなさい」と言われたのです。
この時、彼は、何もかも捨てて立ち上がったのです。
これも「すぐその後」の世界です。
彼は、イエス様に出会った後、どうしたでしょうか。

すぐその後、イエス様のために盛大な宴会を催したのです。
この「盛大な」という言葉の意味は、「この上もなく」という意味です。
こんなに盛大な宴会は見たこともないというような、宴会を彼はイエス様のために行ったのです。
さらに、この「宴会」という言葉は、「大振る舞い」という意味があります。
彼は、イエス様に出会うことによって、この上もなく、大盤振る舞いをしていったのです。

彼は誰のために宴会を開いたのでしょうか。
ルカは、「イエス様のために」と記しています。
彼が盛大な宴会を開いたのは、イエス様のためです。
しかし、その宴会に招いたのは、イエス様だけではないのです。
イエス様と一緒にいる人たち、イエス様を必要としている人たちをみんな集めて、宴会を行っているのです。

これがイエス様に仕える者の本当の姿です。
シモンのしゅうとめは、イエス様に出会って、癒された後、そこにいる全ての人をもてなしました。
レビも、イエス様に出会って、弟子とされた後、イエス様のところに来る人々を招いて、もてなしをしました。

二人共、イエス様だけをもてなしたのではありません。
イエス様によって、悪霊を追い出され、病を癒された人たちは、イエス様だけをもてなしたのではありません。
イエス様だけに仕えたのではありません。

イエス様に仕えるとは、イエス様に従う人々に仕えることであり、
わたしたちは、お互いに助け合い、補い合って、この旅を続けていくのです。

教会は、宣教の旅人です。
わたしたちは、イエス様から宣教するために召された群れです。
そのことを忘れてはならない。
先週、そのことを強く示されました。
神の家族として、わたしたちの持っているものを、出し合って、互いに助け合いながら、共に旅を続けていきましょう。
キリストに仕えるように、神の家族に仕えましょう。
キリストに仕えることは、この世の人々に仕えましょう。
それがキリスト共に旅をする者の使命です。
これが今日の第一のメッセージです。

第二番目
もう一度2節、3節をお読みします。
8:2 悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、
8:3 ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた


みなさん。今日、二つ目に注目したい言葉は、2節の「いただいた」という言葉です。
イエス様に仕えた人々は、イエス様から悪霊を追い出していただいた人々です。
病気をいやしていただいた人々です。
マグダラのマリアは、七つの悪霊を追い出していただいた人です。

彼女たちが、イエス様に仕え、人々に仕えることができたのには、理由があるのです。
理由もなく、仕えることは出来ません。
強制的に、仕えさせられたのではありません。
恵みを受けることなしに、仕えることは出来ません。
彼女たちが、自分たちの持ち物を出し合って、一行に奉仕することができたのは、イエス様から多くの恵みを受けたからです。
多く赦された人は、多く愛せるのです。多く仕えられるのです。

みなさん。神様の恵みは、この世の宝とは比べられません。
前回の罪深い女は、娼婦でした。
彼女は、体を売ることによって、多くのお金を得ました。
しかし、お金によっては彼女の心は満たされなかったのです。

また、徴税人のレビは、ザアカイと同じように、お金には困らなかったでしょう。
当時、徴税人は、ある程度裕福な人でなければなれませんでした。
なぜなら、彼らは、お金によって、ローマから徴税人の権利を買っていたからです。
そして、不正を行うことによって、私腹を肥やし、お金には不自由しなかったことでしょう。
しかし、彼もお金によっては彼の心は満たされなかったのです。

マグダラのマリアの名前は、伝説によると、彼女もお金持ちであったと言われています。
しかし、その美貌と富のゆえに、快楽に溺れてしまいました。
聖書は、彼女が七つの悪霊に苦しめられていたというのです。
七というのは、完全数です。
彼女の人生は完全に悪霊に支配されてしまっていたのです。

さらに、3節には、ヘロデの家令クザの妻ヨハナの名前があります。

彼女は、この世的に見れば、立派な肩書きを持ち、名誉ある女性でした。
ヘロデというのは、当時のユダヤの国を治めていた王様です。
ヘロデ王は、莫大な個人的な資産を持っていました。
ヨハナの夫は、このヘロデの資産を管理する役目を負っていたのです。

おそらく、彼女もお金には不自由しなかったでしょう。
名誉もありました。
しかし、お金があっても、名誉があっても、満たされない心を持っていたのです。

彼らがイエス様と共に行動したのは、イエス様から、この世では得られない恵みを受けたからです。
お金では買うことの出来ない恵みを受けたのです。

神様から与えられた恵みが大きければ大きいほど、仕えることができるのです。
神様から多く愛された人ほど、多く仕えることができるのです。

私のこの短いテキストの中に、神の国を見ます。
教会のあるべき姿を見ます。
わたしたちの教会が目指すべき姿があります。

わたしたちは、イエス様と一緒に旅をする仲間です。
そこには、いろんなタイプの人がいます。
12人のお弟子さんたちは、みんな個性があります。
しかし、イエス様に従うことにおいて、一つになったのです。

今日の箇所を読みますと、イエス様と弟子たちが旅を続けられたのは、この女性たちのお陰であることがわかります。

創世記2章18節
2:18 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
2:19 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。
2:20 人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。


旅は道連れ世は情け
神様は、アダムの人生を共に歩む道連れが必要だと思って、家畜や鳥や獣を、アダムのところに持ってきますが、どの生き物をもってしても、彼の助け手とはなりませんでした。

猫の手も借りたいという人がいますが、猫の手が助けになったという話は聞いたことがありません。

2:21 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。
2:22 そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、
2:23 人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」


みなさん。神様は、男のあばら骨を取って、女を造り上げました。
どうして男を造らなかったのでしょう。

みなさん。同じでないところに意味があるのです。
女だからこそ、男の足りない部分を補うことが出来るのです。
同じ者を造ったら、助けにならないのです。

みなさん。イエス様と一緒に旅をする人たちの中には、12弟子がいました。
彼らはみんな違いがあります。
違っているから、助け合い、補い合うことができたのです。
女性たちも違います。
マグダラのマリアのように、娼婦のような生き方をした人もいれば、ヘロデの家の家令をしていた人もいるのです。
違いがある人たちが、それぞれ自分の持っている者を持って、助け合って、旅を続けたのです。

これが教会の姿です。
わたしたちの教会も、みんな個性があります。
違いがあっていいのです。
共通しているところは、イエス様と一緒に旅をしているということです。
イエス様がこの旅の真ん中にいるのです。

大切なことは、わたしたちがイエス様から何をしてもらったかを忘れないことです。
そして、何よりも大切なことは、イエス様が旅の道連れであるということです。
わたしたちの人生は、イエス様と共に旅をする人生です。

ジョン・ウェスレーが臨終を迎えたときに、彼の弟子が聞いたそうです。
「人生において最もよいことは何ですか」
すると、ウェスレーは「神ともにいますことである」と答えたそうです。

このお弟子さんは、もう一つ尋ねました。
人生において、「第二番目に良いことはなんですか」
すると、「神ともにいますことである」
そして、第3番目も同じように答えて、天に召されていったそうです。

主が共にいてくださる。
これにまさる恵みはありません。
主と共に旅ができる。
これにまさる恵みはありません。
わたしたちは違いがあります。足りないところだらけです。
お互いに補い合いながら、主がわたしたちに仕えてくださったように、互いに仕え合う者となりましょう。
お祈り致します。

Ⅰテモテ6:11-21「神に望みを置く」

◎6月22日(日)
●Ⅰテモテ6:11-21「神に望みを置く」
●要約 (リビングライフより)
パウロは義と敬虔と信仰と愛と忍耐と柔和を追い求め、信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠の命を得るよう勧めます。また、イエス・キリストが現れる時まで、命令を守り、富に望みを置かないように勧めます。

●御言葉
この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。(6:17)

死は富める人にも貧しい人にも平等に訪れます。

どんなに多くの富を得ても、死の問題は解決できません。

イエス様は、死の問題を十字架で解決し、信じる者に永遠の命を用意されました。

不確かな富にではなく、永遠の富を与えたもう神に望みを置き、この世を楽しみ、来るべき世を待ち望みましょう。

今日は日曜日です。共に主を礼拝していきましょう。

今日も祝福がありますように。

Ⅰテモテ6:1-10「金銭の誘惑」

◎6月21日(土)
●Ⅰテモテ6:1-10「金銭の誘惑」
●要約 (リビングライフより)
誰でも違った教理を教え、みことばと敬虔に関する教えに従わないなら、争いと誹謗と悪い考えが生じます。満足は経験にとって大きな益であり、お金を愛することはすべての悪の根です。

●御言葉
金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。金銭の欲は、すべての悪の根です。(6:9-10)

お金は人の奴隷であって、人はお金の主人です。

イエス様は「神と富とに兼ね仕えることができない」と言いました。

お金を主人とするならば、お金があなたの人生をコントロールします。

神様を主人とするならば、神様があなたの人生をコントロールするのです。

人生は飛行機で旅をするようなものです。

あなたはパイロットであり、神様は管制官です。

御言葉は管制官の声です。

御言葉に導かれ、神の国に導かれる人は幸いです。

御名によって祝福します。byバルナバ

Ⅰテモテ5:17-25「偏見」

◎6月20日(金)
●Ⅰテモテ5:17-25「偏見」
●要約 (リビングライフより)
しっかりと指導にあたっている長老を尊敬し、特に、みことあを教えることに労している長老を尊敬しなければなりません。パウロは自分が命じたことをテモテが偏見なく守り、健康にも気を配るように願います。

●御言葉
神とキリスト・イエスと選ばれた天使たちとの前で、厳かに命じる。偏見を持たずこれらの指示に従いなさい。何事をするにも、えこひいきはなりません。(5:21)

「偏見」と訳された言葉は、「前もって判断する」という意味です。

偏見を持っていると、正しい判断ができません。

先入観、色眼鏡がえこひいきの温床です。

えこひいきが嫉妬を生み、嫉妬が争いを生みます。

ヤコブはヨセフをえこひいきしたため、他の兄弟の嫉妬を買いました。

色眼鏡を外し、何事も裸眼で見ることができますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

●Ⅰテモテ5:1-16「恩を忘れず」

◎6月19日(木)
●Ⅰテモテ5:1-16「恩を忘れず」
●要約 (リビングライフより)
パウロは年寄りとやもめに対する姿勢について勧めます。やもめの名簿に載せるのは60歳を越えたやもめです。若いやもめは結婚し、子供を産み、家庭を治め、反対者にそしる機会を与えないようにすべきです。

●御言葉
やもめに子や孫がいるならば、これらの者に、まず自分の家族を大切にし、親に恩返しをすることを学ばせるべきです。それは神に喜ばれることだからです。(5:4)

家族を大切にし、恩を忘れず、恩返しをして生きること。

これが神様の御心です。

恩とは、恵みと慈しみであり、子は親から多くの恩を受けており、返すべき恩があります。

同様に、人は神様に対しても多くの恵みを受けており、返すべき恩があるのです。

親が喜び、神様が喜ぶ恩返しは、感謝です。

親に対しても、神様に対しても、いつも感謝を忘れず、恩返しする者となりましょう。

御名によって祝福します。byバルナバ

Ⅰテモテ4:6-16「信心を鍛える」

◎6月18日(水)
●Ⅰテモテ4:6-16「信心を鍛える」
●要約 (リビングライフより)
敬虔の訓練はこの世と天国での永遠の命を約束します。パウロは若いテモテに、ことばと敬虔と愛とと信仰と純潔において、信じる人々の手本となり、聖書の教えに専念するよう勧めます。

●御言葉
体の訓練も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです。(4:8)

パウロは、テモテに「信心のために自分を鍛えなさい」と言いました。

肉体を鍛えるためには、運動が欠かせません。

信心を鍛えるためには、QTが必要です。

毎日、聖書を読み、黙想し、御言葉を生活に適用していくときに、信心は鍛えられていくのです。

寝たきりになり、体を動かせなくなると体力が衰えていくように、クリスチャンが聖書を読まなくなると信心が衰えます。

毎日、聖書を読み、信心を強化し、来るべき世への確信をもって、人生を歩める人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Ⅰテモテ3:14-4:5「very good」

◎6月17日(火)
●Ⅰテモテ3:14-4:5「very good」
●要約 (リビングライフより)
ある人たちは信仰から離れ、惑わす霊と悪霊の教えに心を奪われ、結婚を禁じたり、食物を断たせたりします。しかし、神が造られたすべてのものは良い物で、みことばと祈りによって聖められます。

●御言葉
神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。(4:4)

神様は天地万物の創造を終えられた時、「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創世記1:31)と記されています。

神様が造られたものは、すべて極めて良いものです。

あなたも神様によって造られた存在です。

神様の目にはあなたは高価で尊い存在です。

神様に与えられた人生を感謝して受け入れるならば、何一つ無駄なものはなくなります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Ⅰテモテ3:1-13「品格」

◎6月16日(月)
●Ⅰテモテ3:1-13「品格」
●要約 (リビングライフより)
監督は責められるところがなく、慎み深く、品位があり、家庭をよく治め、教会の外の人々からも評判がよくなければなりません。執事は不正な利益をむさぼらず、きよい良心をもって信仰の奥義を保つ人です。

●御言葉
自分の家庭をよく治め、常に品位を保って子どもたちを従順な者に育てている人でなければなりません。(3:4)

最近、品格という言葉がよく使われます。

パウロは教会の指導者たちの品格について語ります。

教会の指導者は信徒のモデルであり、大人は子どものモデルです。

子どもは親の言葉ではなく、後ろ姿を見て育ちます。

品格のモデルはイエス様です。

いつもイエス様の後ろ姿を見て、人間の品格を回復し、良きモデルとなりますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

説教 「苦しみでなくなる世界」

『苦しみでなくなる世界』
(ルカ7:36-50)
(2008年・6月8日・ベテル清水教会 聖日礼拝)

世界で一番大きな教会は韓国にあるヨイド純福音教会です。
先日、この教会を創立したチョーヨンギ先生の引退式が行われ、韓国のオリンピック競技場に12万人の信徒が集まったそうです。

チョー先生は、その引退式の中で「人生は終わることのない障害物競走。障害物をどけてくださいと祈らず、障害物に負けない勇気をください、と祈りなさい」というメッセージをされたそうです。

人生を障害物競走に例えました。
障害物競走のゴールは天国です。
生きている限り、障害物レースは続くのです。
障害物がなくなることはないのです。
ですから、障害物がなくなることを願うのではなく、障害物を乗り越える力、勇気をください、と言われたわけです。

カトリックのシスターの渡辺和子さんは、ある本の中で「苦しみ【が】なくなるようにではなく、苦しみ【で】なくなるように」という言い方をしています。
生きている限り苦しいことはあります。
苦しみは生きていることの証拠なのです。

人生には、消すことのできない苦しみというものがあります。
渡辺さんは、たとえ苦しみがなくならなかったとしても、苦しみでなくなることはある、と言われるのです。

苦しみがなくなる世界ではなく、苦しみ「で」なくなる世界。
その世界にイエス様はわたしたちを招いてくださるのです。
そして、やがてわたしたちは、苦しみがなくなる世界へと招かれます。
それが天国です。

さて、ルカによる福音書の学びを続けておりますが、まさにここに登場する女性は、まさに苦しみの世界に生きてきた女性です。

彼女は自らの犯した罪のゆえに、大きな苦しみを背負いました。
しかし、イエス様と出会ったことによって、悲しみの涙を流す者から、喜びの涙、感謝の涙を流す者に変えられたのです。
彼女から苦しみがなくなったわけではないでしょう。
しかし、彼女は苦しみが苦しみでなくなる経験をしていったのです。

もう一度聖書をご覧ください。
7:36 さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。

あるファリサイ派の人が、イエス様を食事にお招きしました。
ユダヤ社会におきまして、一緒に食事をするということは、親密な関係を意味します。
普通、食事に招く場合、その人に対して、尊敬、あるいは感謝の思いがなければ招きません。
ですから、このファリサイ人は、イエス様に対して、尊敬、あるいは感謝の思いを持っていたようです。

イエス様がファリサイ人の家で食事をしたというのは、少し意外に思えます。
なぜなら、わたしたちは、ファリサイ人といえば、みんながイエス様に敵対しているかのような印象があるからです。

しかし、みんながみんなそうではなかったようです。
秘かにイエス様のことを尊敬し、感謝している人もいたようです。
ヨハネ3章に出て来るニコデモさんもその一人ですね。

さて、イエス様は、この後、彼に向かって「シモン」と呼びかけています。
名を呼ぶということもまた、彼がイエス様と親しい関係にあったことを表していますね。

イエス様はご自分に近づいて来る人を決して拒まれません。
たとえ、彼がどのグループに所属しているかどうかは関係ありません。
たとえ、自分に敵対しているグループにいても問題はないのです。
実際、イエス様の12人の弟子たちは、いろんな背景を持った人たちでえす。
イエス様はその人のバックグランドで判断することはありません。
イエス様の判断基準は、その人が求めているか否かです。

しかし、わたしたちはどうでしょうか。
わたしたちは、すぐに人を色分けする傾向があります。
外見やバックグランドから人を判断してしまうことがあります。
プロテスタントの教会の中には、リベラル、福音派、ペンテコステ派と、大きく三つのグループに色分けされることがあります。
また、わたしたちは教派・教団というところからその教会を見たり、牧師を見たり、信徒を見たりする傾向が少なからずあるのです。
人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。(一サムエル16:7)

神様は、心を見られます。
天国にはカトリックとプロテスタントの区別もありませんし、教派の区別も、信仰の立場の違いもありません。
どのグループに所属している人であろうとも、イエスを主と告白し、信じる人は、みな神の家族なのです。

CGNTVには、教団・教派の異なる多くの先生方がメッセージをされているのですが、この番組を通して、神の国の豊かさを感じることができます。

みなさん。イエス・キリストを救い主と信じ、主との親しい関係にある人は、みな同じ食卓に招かれているのです。
そこには人種の差別がありません。身分の格差もありません。
勝ち組も負け組もありません。
みんな一つの家族として、主の食卓に与るのです。

さて、この食事の席に、一人の罪深い女性が紛れ込んできました。
7:37 この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、
7:38 後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。


原文のギリシャ語を見ますと、37節の冒頭に、「イドゥ」という言葉があります。これは英語では、behold 「見よ」「注目せよ」という意味です。
ルカは、「この女に目を留めなさい」と読者に訴えるのです。

みなさん。この食事の席は、まさに神の国の象徴です。
神の国には、このような人も招かれているということを忘れてはならない、ということです。

えっ、この人が、と思う人が、一緒にいる。それが神の国です。
この人は勘弁して、というような人が一緒にいる。それが神の国です。
天国に行っても、この人と一緒なら、地獄の方がマシだ、という人がいますが、それは地獄の本当の恐ろしさを知らない人の言う言葉です。

こんな話があります。
ある人が夢を見ました。
それは、地獄にいる人が、ツアーを組んで天国を見に行った夢です。
天国の入り口に着いた時に、その門のそばで、子どもたちと仲良く遊んでいる人がいました。

良く見ると、あの幼子たちを虐殺したヘロデ王でした。
その光景を見て、人々は一斉に、神様に文句を言いました。
なぜ、あんな奴が天国にいるのか。赦せない。
こんな世界は天国ではない、そう言って、バスの運転手に言って、地獄に戻ろうとします。

すると、一人の男性が、涙を流して、主を讃美するのです。
ここは本当に天国だ。あのヘロデをも赦し、天国に導くなんて、何と神様は憐れみ深いお方だ」。

すると、バスの乗客は、一斉に、彼に襲いかかり、「なんて奴だ。お前はバスから降りろ」と言って、バスから降ろされ、彼は天国に残り、他の人々は地獄に帰っていったという夢です。

みなさん。ヘロデが天国にいるのかどうかは分かりませんよ。
ただ、神様の憐れみは、わたしたちには計り知れないということです。
わたしたちの考えている以上に、神様の憐れみは大きいのです。

さて、この「罪深い女」というのは、娼婦のことでありまして、「不道徳な女」という意味です。
おそらく、彼女は、誰もが娼婦と分かるような身なりをしていたのでしょう。

彼女は泣きながらイエス様の足を涙でぬらし、髪の毛で、イエス様の足を拭ったのです。
そして、イエス様の足に香油を塗ったのです。

この物語と似た話が、マタイ、ルカ、ヨハネに出てきますが、ナルドの香油を塗ったベタニヤのマリアとは、別の物語です。
7:39 イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。

彼女が、涙を流し、香油を注いでいる姿を見て、ファリサイ派の人は心に思いました。
「何という大きな愛なんだろう。涙を流し、自分の髪の毛で足を拭うなんて、とても私にはできない」。そう思ったのではありません。

「なんて事だ。こんな汚れた女に、足を洗わせるなんて。
イエス様には、この女がどんな人なのか知らないんだろうか。
預言者なのに、そんなことも見通せないなんて。

彼は、口には出して言ったわけではありません。
心の中でそう思ったのです。
皮肉なことに、彼は「イエス様の目は節穴か」と思っている、自分の心をイエス様に見抜かれたわけです。

7:40 そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。

「あなたにいいたいことがある」

みなさん。聖書には、神様がわたしたちに言いたいことがたくさん書かれています。
「あなたに言いたことがある」
シモンは、イエス様にそう言われた時、「先生、おっしゃってください」と答えました。

わたしたちもこのシモンのような態度が必要です。
シモンのように、「神様、言いたいことがあるなら、どうぞ、おっしゃってください」と言って、神様が何を言おうとしているのかを聞かなければなりませんん。
このシモンは、ファリサイ人でありながら、他のファリサイ人とは異なりました。
イエス様は他のファリサイ人たちと論争する時も、彼らの思いを見抜いて、たとえ話を語りました。

その時、彼らは、これは自分たちへの当てつけだと思って、悔い改めるどころか、より反発し、イエス様に対して殺意をもつにまで至ります。
みなさん。御言葉に対する反応には二つあります。
従うか。反発するかです。
今日の物語では、イエス様の話を聞いて、シモンは反論していません。
口答えをしていません。
彼は、イエス様の話を聞いて、納得したのです。

もし、そうでなかったなら、この話が聖書に記されることはなかったでしょう。
みなさん。シモンが心の中で思ったことは、シモンしか知りません。
また、イエス様はシモンに向かって語られました。
他の人が、二人のやりとりをメモに取っていたのではないのです。
シモンは、自分が直接聞いた話を、証したのです。
シモンが証をしたからこそ、この話が伝わったのです。

彼は自分の家にイエス様を招いた時の出来事を、みんなに証ししました。
その証が、この福音書を書いたルカの耳にも達したのです。

みなさん。わたしたちも他のファリサイ人のように、聞く耳のない者になるのではなく、シモンのように、聞く耳のあるものになりましょう。
「イエス様、何を言いたいのか、どうぞ、おっしゃってください」と言って、主が語られる言葉に、耳を傾け、従う者となりましょう。

7:41 イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。
7:42 二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」


一デナリオンは、一日の労働賃金です。
たとえば日当が1万円だとしましょう。
すると、ここで500万円の借金をチャラにしてもらった人と、50万円の借金をチャラにしてもらった人とでは、どちらの方がより多く愛するか、どちらが多く感謝するかという問題になります。
借金がなくなったということでは同じです。
しかし、その借金のローン額が多い人であればあるほど、それを肩代わりしてくれた人への愛や感謝は大きくなるというのです。

7:43 シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。

みなさん。わたしたちは神様に対して、罪という名の借金を抱えています。
これはわたしたちの持っているものをすべて差し出しても、返すことのできない莫大な借金です。
死を持って償うしかないほどの借金でありますし、たとえ自分が死んだとしても、天国が保証されるわけではありませんから、神様に対する罪の借金は、私の死を持ってしても支払いきれない借金なのです。

しかし、神様はイエス・キリストの十字架の贖いによって、この罪という名の莫大な借金を帳消しにしてくれた。これが福音です。

みなさん。神様の目から見れば、シモンとこの罪の女。
どちらも同じ罪人です。罪深い女であり、罪深い男なのです。

シモンの目から見れば、あの女よりは、自分はマシだと思うかもしれません。
実際、シモンはそう思っていました。
私はこの罪深い女とは違う。彼女のような罪は犯していない。
そう思っていたことでしょう。
しかし、神様の目から見れば、どちらの罪も同じなのです。

イエス様は、自分の罪の借金の大きさに気づいた人ほど、神様のことを多く愛せる、と言われているのです。

みなさん。犯した罪が大きい人ほど、神様を多く愛するのではありません。
彼女の罪が、シモンの罪よりも大きいので、神様を多く愛したというのではないのです。

もしそうだとするならば、わたしたちは神様を多く愛するために、もっともっと大きな罪を犯したほうがいいことになります。
パウロはそうではない、と言っています。

罪を多く犯した人ほど、神様を多く愛せるのではありませんが、
多く罪を犯した人ほど、神様に多くゆるされているという実感を持てるのです。
自分の罪深さを知った人ほど、神様の赦しの大きさを実感できるのです。

アメージングレースの作者ジョン・ニュートンは、奴隷船の船長でした。
ある日、船でアフリカからイギリスに帰る途中、嵐に遭遇します。
彼は、嵐の中で開いた聖書を通して、イエス様を信じて回心するのです。
彼は、九死に一生を得て、牧師になります。
彼が、亡くなる前、自分の人生を振り返り、こう語ります。
「私の記憶はほとんど薄れた。しかし二つのことだけは、はっきり覚えている。その一つは、私が途方もなく大きな罪人であったということ。そしてもう一つは、キリストは途方もなく大きな救い主であるということ。」

彼は、途方もない借金を赦された喜びを持って、アメージングレースを歌ったのです。
赦された喜びが大きい人ほど、神様を深く愛せるのです。

7:44 そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。
7:45 あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。
7:46 あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。
7:47 だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」


ここを読みますと、まるでイエス様が、シモンがしてくれなかったことに、不満を言っているように聞こえます。
イエス様がそんなことを言うはずはありません。
イエス様はシモンに何を言いたかったのでしょうか。

一ペトロ4章8節
「愛は多くの罪を覆う」とあります。
彼女は、イエス様に愛され、多くの罪が覆われました。
多くの罪を覆われた人は、同じように人の罪を覆う人になるのです。
愛は多くの罪を覆う
これはリビングバイブルでは「愛は多くの欠点を補う」と訳されています。人の足らざるところを補う。これが愛です。

イエス様は、彼女の行為の中に愛を見たのです。
あなたは食事の準備と接待で忙しくて、わたしの足が汚れていても、気づかなかっただろう。
しかし、彼女は、あなたができなかったことを、私にしてくれたんだ。
教会とは、まさに補い合う世界です。
彼女は、まさ神の国にふさわしい人に変えられていたのです。
イエス様はシモンに言うのです。
彼女は、もはや罪深い女ではない。
罪赦された、わたしたちの仲間なんだ。
多く罪赦された彼女は、多く愛せる人になっているではないか。

そして、イエス様は、彼女に宣言します。
7:48 そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。
7:49 同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。
7:50 イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた


イエス様は、みんなの前で、改めて宣言します。
「あなたの罪は赦された」
「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」
彼女にとって、この言葉は、どんなに嬉しい言葉だったでしょう。

苦しみが苦しみでなるなる言葉です。
彼女は娼婦としていきてきました。
その過去を消すことは出来ません。
この過去の罪から生じる苦しみがなくなることはないでしょう。
しかし、彼女は、イエス様から「赦しの宣言」を受けることによって、苦しみが苦しみでなくなる世界を知ったのです。

イエス様は「あなたがたは世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)と言われました。
この世には苦しみがあります。
イエス様は、わたしたちを「苦しみの世界」から「苦しみでなくなる世界」へ救い出してくださいました。
どんなマイナスも必ずプラスになります。
全てのことが益に変えられる世界。それが苦しみでなくなる世界です。
悪が善に変えられる世界。それが苦しみでなくなる世界です。

やがて、わたしたちには、苦しみでなくなる世界から、苦しみがなくなる世界。つまり、天国が保証されているのです。
「あなたの罪は赦された」
「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」
わたしたちは多く赦されて、この世界が与えられたのです。
ですから、多く愛する者となり、互いに補い合う者となりましょう。
お祈り致します。

Ⅰテモテ2:1-15「神の願い」

◎6月15日(日)
●Ⅰテモテ2:1-15「神の願い」
●要約 (リビングライフより)
パウロはすべての人のために祈りますが、特に王と高い地位にある人々のために祈るように勧めます。男は怒り、争うのではなく、きよい手をあげて祈り、女は良い行いを飾りとし、従順に学び、神を敬わなければなりません。

●御言葉
神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。(2:4)

神様の願いは、全ての人が救われ、真理を知ることです。

そのために御子を遣わし、十字架に付け、救いの道を準備されたのです。

パウロはこの道を証し、全ての人が救われるようにと祈り、テモテにもまず祈ることを勧めます。

あなたは救われていますか。

あなたが救われたのはあなたのために祈ってくれた人がいたからです。

祈りなくして救いはありません。

あなたは毎日、誰のために祈っていますか。

今日は日曜日です。

救い主なるイエス様に礼拝を捧げていきましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Ⅰテモテ1:12-20「罪人を救うため」

◎6月14日(土)
●Ⅰテモテ1:12-20「罪人を救うため」
●要約 (リビングライフより)
パウロは自ら罪人のかしらであると告白します。神は永遠の命を得るための手本とするために、パウロに対して寛容を示されたのです。パウロはテモテに、信仰と正しい良心を保って戦うように勧めます。

●御言葉
「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」と言う言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者である。(1:15)

罪を犯さない人は人はいません。

人は罪を犯すから罪人なのではなく、罪人だから罪を犯すのです。

その罪人を救うためにイエス様は来られました。

医者が必要なのは病人です。

病人が医者を拒否したら治療ができないように、罪人が救い主を拒否したら救いが得られません。

キリストは一生涯、あなたの罪を赦し続けてくださるお方です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

●Ⅰテモテ1:1-11「律法と福音」

◎6月13日(金)
●Ⅰテモテ1:1-11「律法と福音」
●要約 (リビングライフより)
パウロはテモテをエペソにとどまらせます。違った教えを説き、空想話や系図に心を奪われている偽教師たちを戒めるためでした。律法は正しく用いれば良いものとなり、罪を悟らせる道具となります。

●御言葉
わたしたちは、律法は正しく用いるならば良いものであることを知っています。(1:8)

律法は罪を悟らす道具です。

この道具は使い方を間違えると凶器に変わります。

ファリサイ人たちは、律法によって、自分を義とし、人を裁きました。

律法は人の罪を指摘し、糾弾するための道具ではなく、自らの罪を悟らせ、悔い改めに導くための道具なのです。

人は律法によってではなく、キリストの福音によって義とされるのです。

律法によって罪を悟り、福音によって赦しを受ける。

これが救いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ39:1-8「主の言葉はありがたい」

◎6月12日(木)
●イザヤ39:1-8「主の言葉はありがたい」
●要約 (リビングライフより)
ヒゼキヤの癒しを祝うためにバビロンの王が使者を遣わします。ヒゼキヤはその使者たちに国の宝物倉と武器庫をすべて見せます。イザヤはヒゼキヤの軽率な行動を責め、神のさばきを宣告します。

●御言葉
ヒゼキヤはイザヤに、「あなたの告げる主の言葉はありがたいものです」と答えた。彼は、自分の在世中は平和と安定が続くと思っていた(39:8)

ヒゼキヤにとって、主の言葉はありがたいものでした。

主の言葉が告げられることによって、彼は自らの過ちに気づき、悔い改めます。

ヒゼキヤは、主の言葉を聞くことによって、主に立ち帰り、主の守りと祝福を経験するのです。

彼は自分の在世中、間違った道を歩む時にも、主が御言葉によって警笛を鳴らし、正しい方向に導いてくださると信じていたのです。

主の言葉はありがたい。

主の声に導かれて生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ38:9-22「命のある限り」

◎6月11日(水)
●イザヤ38:9-22「命のある限り」
●要約 (リビングライフより)
病で死にかかっていたヒゼキヤを神が生かされます。イザヤはひとかたまりの干しいちじく傷に塗りつければ治ると告げます。ヒゼキヤは自分を救われた神に感謝し、主の宮で神をほめ歌うと誓います。

●御言葉
主よ、あなたはわたしを救ってくださった。わたしたちは命のあるかぎり主の神殿でわたしの音楽を共に奏でるでしょう。(38:20)

ヒゼキヤは重い病気になり、死の宣告を受けました。

主は涙をもって祈るヒゼキヤの祈りを聞き、15年間、寿命が延びます。

主によって生かされている喜びを知った人は、命のある限り、主に感謝と讃美を捧げていきます。

クリスチャンにとって、救いのしるしである洗礼は、死と復活の先取りであり、生きる人生から、生かされる人生の転換点です。

今日からでも遅くはありません。

残された命を、主から与えられた命だと自覚し、感謝して歩みましょう。

主の祝福を祈ります。byバルナバ

イザヤ37:30-38:8「約束のしるし」

◎6月10日(火)
●イザヤ37:30-38:8「約束のしるし」
●要約 (リビングライフより)
神はエルサレムの町を救うと語られ、主の使いを送り、一夜にしてアッシリアの兵士18万5千人を殺されます。その後、病によって死に直面したヒゼキヤは、神の前で泣き叫び、寿命を15年加えられます。

●御言葉
ここに主によって与えられるしるしがあります。それによって、主は約束なさったことを実現されることが分かります。(38:7)

国の危機と、命を危機を迎えていたヒゼキヤは、涙を流しながら主に祈ります。

主は彼の祈りを聞き、彼の寿命を15年延ばし、国をも救い出すと約束し、その約束のしるしを彼に見せました。

神様の約束は必ず実現します。

聖書は神の約束の宝庫であり、わたしたちに与えられたしるしはキリストです。

神様が与えてくれたしるしを信じ、約束の実現を待ち望む人は幸いです。

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

イザヤ37:14-29「御前で祈る」

◎6月9日(月)
●イザヤ37:14-29「御前で祈る」
●要約 (リビングライフより)
センナケリブの手紙を受け取ったヒゼキヤは再び主の宮に入ります。彼はセンナケリブのことばを神が聞かれ、その手から救ってくださるように求めます。神はイザヤを通してあっ尻の滅亡を告げられます。

●御言葉
主の前で祈った。(37:15)

苦境に立たされた時、ヒゼキヤは主の神殿に上り、主の前で祈ります。

すると主は祈りに答え、勝利の約束が語られます。

祈る時には、主の前で祈ること、主の前で祈っていること意識することが大切です。

主を求め、主に向かうとき、主は御前におられます。

いつも主が目の前にいるかのようにイメージしながら祈りましょう。

祈りは目の前の主との対話です。

「わたしたちを造られた方/主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう。主はわたしたちの神、わたしたちは主の民/主に養われる群れ、御手の内にある羊」(詩編95:6-7)

今日も祝福を祈ります。byバルナバ

説教 「ヨハネのように生きる」

『ヨハネのように生きる』
(ルカ7:18-35)
(2008年・6月8日・ベテル清水教会 聖日礼拝)

今、田植えのシーズンでありまして、この辺り一帯の田んぼには水がはられ、稲が植えられています。
夜になると、カエルの大合唱が聞こえるようになりました。
昼間は、牛の鳴き声、夜はカエルの声を聞いているのですが、
このカエルは、いったい、田んぼができるまでどこに隠れていたんだろうかと思いますね。

みんなリズム良くゲロゲロゲロゲロと鳴いているのですが、途中、ピタッと息を合わせたように、鳴きやむこともあります。
中には、フライングするカエルもいたり、種類の違うカエルが、合いの手を入れるように鳴いたりして、とてもユニークです。

子どもの頃、「カエルが鳴くから帰ろう」といいましたが、
なぜ、カエルが鳴くと帰らなければならないのでしょうか。
私はカエルは暗くなると鳴き始めるからかと思っていましたが、
実際は、カエルが鳴き始めると、雨が降るので急いで家に帰ろう、ということらしいですね。

バプテスマのヨハネを、カエルに例えるのは失礼なのですが、カエルが田んぼに現れて、鳴き始めるように、ヨハネは荒れ野に現れて、叫び始めました。
「悔い改めよ。天の国は近づいた」。
悔い改めよ、とは、神に立ち帰れ、ということです。
神の家に帰れと言うことです。

ヨハネは旧約最後の預言者と言われますが、彼は神のさばきの雨が降る前に、神の家に帰れ、と言って叫んだのです。

人々は、荒れ野でこの声を聞いたのです。
カエルが鳴くから帰ろうではありませんが、ヨハネが叫ぶから帰ろう、と言って、彼らはヨルダン川にいるヨハネのところに来て、洗礼を受けて神に立ち帰っていったのです。
ヨハネの使命。それは人々を神に立ち帰らせることでした。
ヨハネの使命。それは人々にキリストを紹介することでした。

これはクリスチャンの使命でもあります。
クリスチャンの使命。それは人々を神に立ち帰らせることです。
クリスチャンの使命。それは人々にキリストを紹介することです。
ヨハネのようにキリストを紹介して生きる。
これがわたしたちクリスチャンの使命です。

さて、ルカによる福音書の学びを続けておりますが、
先週「ヨハネの確信と躓き」というテーマで御言葉を学びました。
今日はその続きの箇所です。
7:24 ヨハネの使いが去ってから、イエスは群衆に向かってヨハネについて話し始められた。「あなたがたは何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。
7:25 では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。華やかな衣を着て、ぜいたくに暮らす人なら宮殿にいる。
7:26 では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ、言っておく。預言者以上の者である。


ヨハネの使いが帰った後、イエス様は群衆に向かって、ヨハネについて話されました。

ヨハネは「来るべきお方はあなたでしょうか」と尋ねたのですが、
この質問は、少なからず群衆に動揺を与えました。

群衆はみな、ヨハネを預言者だと認め、尊敬していました。
彼らは、ヨハネの教えに従って、神に立ち帰り、ヨハネから洗礼を受けた人も大勢いたからです。

ヨハネがイエス様のことを、本当にこの人はメシアなのか」という疑問を持ったように、
群衆もヨハネのことを、「本当にこの人は預言者なのか」という疑問を持ったようです。

その時、イエス様ははっきりと言われました。
ヨハネは、預言者以上の者である、と
7:27 『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの前に道を準備させよう』/と書いてあるのは、この人のことだ。

この言葉は、旧約聖書のマラキ書の引用です。
イエス様は御言葉を通して確認します。
御言葉を通して確信を与えるのです。

マラキ書3章をお開きください。
3:1 見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は/突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者/見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。

イエス様は、ヨハネがマラキ書に預言されていた使者である、と御言葉を持って宣言されたのです。

今日の説教のテーマは「ヨハネのように生きる」です。
ヨハネは、自分の使命に生きた人です。
ヨハネは、自分の使命に対する確信をもっていました。
確信がなければ使命を果たすことはできません。

使命という字は、命を使うと書きますが、
彼は、神様のために自分の命を使いました。
自分の命は、神様から与えられたものであることを自覚していたのです。

おそらく、彼は子どもの頃から、両親に自分が生まれた時のことを聞かされていたことでしょう。
彼の母親は不妊の女でした。
彼が生まれたのは奇跡です。
神様がエリサベトの胎を開いて、ヨハネを生まれさせたのです。
そして、その時に特別な使命が与えられていることを、おそらく彼は幼い頃から聞かされていたことでしょう。
彼は、自分の使命を自覚していたのです。

みなさん。わたしたちの命は、神様から与えられた命です。
わたしたちが生きているのは偶然の産物ではありません。
神様が計画を持ってこの世に生かしてくださっているのです。

神様の計画は、一人一人異なります。
神様が与えられる使命も、一人一人違います。
神様が与えてくださっている環境や賜物は、みんな違います。
一人一人の使命は、みんな違うでしょう。

しかし、わたしたちクリスチャンには共通の使命があります。
それは、ヨハネのように生きることです。
ヨハネのように、キリストを紹介することです。

ヨハネは、荒れ野で叫びました。
「悔い改めよ。天の国は近づいた」
この時、多くのユダヤ人たちは、ヨハネの教えを聞き、悔い改め、ヨハネからバプテスマを受けました。
ヨハネは、彼らに、「もうすぐメシアが来る」と告げます。
ヨハネの使命は、キリストを紹介することなのです。
ヨハネは、ヨルダン川でイエス様に洗礼を授けました。
その時、イエス様の上に聖霊が鳩のように降ってくるのを見ました。
実は、彼は、神様から、聖霊が鳩のように降るのを見たら、その人が来たるべき方だ、という声を聞いていたのです。
ですから、その光景を見たので、彼はイエス様が来たるべき方だという確信を持ったのです。

ヨハネはこの体験によって、確信が与えられました。
これはいうならば聖霊体験です。
人は聖霊を体験するときに、大胆に証をするようになります。

みなさん。あのペンテコステの時に、弟子たちの上に聖霊が降りました。彼らも聖霊に満たされることによって、大胆にキリストの証人となりました。
聖霊によって確信を得たのです。
人は確信を持つと、大胆に証しすることができます。

確信を持つことは、何事においても大切です。
セールスマンは商品に確信を持っていないと売れません。

昔、私はお菓子のセールスマンでした。
スーパーを廻っては、お菓子の担当者と相談して、特売商品を決めて、納入するのが私の仕事でした。

結構、いろんな菓子メーカーから新商品や特売にして欲しい商品のサンプルをもらうんですね。
そして、それを試食して、これは売れそうだなと思う商品があると、親しくさせてもらっている店で、試験的に特売を組んでもらって、様子を見ます。
そして、その店でヒットすると、だいたい他の店でもよく売れるんですね。

これは売れる。
そう確信すると、セールスするときも力が入りますね。
絶対大丈夫。もし、残ったら返品で引き上げても良いから。
売れるという確信があるから、相手にも伝わるんですね。

ヨハネの確信はヨハネの弟子にも伝わりました。
ある時、ヨハネは自分の弟子と歩いていました。
そこにイエス様が通りかかったんです。
ヨハネはイエス様を指さし「見よ、神の小羊」と言って大胆に証しました。
この証を聞いて、ヨハネの弟子であったアンデレは、イエス様に従い、イエス様の12弟子の一人になりました。

アンデレを救ったのは、ヨハネの証でした。
ヨハネの証がアンデレを救い。
アンデレの証がペトロを救うのです。
そして、このペトロによって多くの人々が救われます。
ペンテコステの時、ペトロが聖霊に満たされ、大胆に証をしたときに、一日に3000人の人が救われたのです。

ヨハネのように生きる。
それはキリストを紹介して生きることです。

さて、ヨハネはヘロデの結婚を非難したために牢獄に入れられました。
彼は、この後、殉教の死を遂げるのでありますが、彼は牢の中から二人の弟子を遣わして、イエス様に尋ねたのです。

「来るべきお方は、あなたでしょうか。それとも他を待たなければならないのでしょうか」
みなさん。ヨハネがこの質問をしたとき、ヨハネは牢の中にいました。
ひょっとしたらヨハネは自らの終わりを覚悟していたのではないかと思うのです。
もし、イエス様が来たるべきお方であるならば、もう自分の使命は果たし終えたのです。悔いはありません。

しかし、もし、イエス様が来たるべきお方でないならば、彼は自分の使命を果たし切れなかったことになります。
悔いが残るでしょう。

彼はイエス様に確かめたのです。
「来るべきお方は、あなたでしょうか」
ここで彼は自分が確信を持って証して来たことが、間違っていなかったかどうかを確かめようとしたのです。
彼は、確信が欲しかったのです。
自分が証してきたことが間違いではなかった。
その確信を求めて、イエス様に近づいたのです。
イエス様は、聖書の言葉とご自分のしていることを報告させることによって、ヨハネの確信を回復されたのです。
みなさん。ヨハネは自分の確信と向き合ったのです。
彼は確信の根拠を、イエス様に求めました。
イエス様は、ご自分の働きと御言葉をもって、彼に確信の根拠を与えたのです。

わたしたちも自分の確信と向き合うことも必要です。
わたしたちの救いの根拠はどこになるのか。
私たちの救いの根拠は、イエス様の働きと御言葉です。

ヨハネのように生きる。
わたしたちもヨハネのように、確信を求めてイエス様に近づき、
確信を持って、イエス様を証しする者となりましょう。

ヨハネのように生きる。
第二番目は「神の正しさを認める者となる」ことです。

7:28 言っておくが、およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」
7:29 民衆は皆ヨハネの教えを聞き、徴税人さえもその洗礼を受け、神の正しさを認めた。
7:30 しかし、ファリサイ派の人々や律法の専門家たちは、彼から洗礼を受けないで、自分に対する神の御心を拒んだ。

ここに二種類の人々が登場します。
ヨハネの教えを聞き、洗礼を受けた人と受けなかった人です。

民衆はみなヨハネの教えを聞き、徴税人たちも洗礼を受けました。
しかし、ファリサイ派の人々や律法の専門家たちは、ヨハネから洗礼を受けませんでした。
なぜ、彼らは受けなかったのでしょうか。
受けないことは、神の御心を拒むことだ、とルカは記しています。

ヨハネのように生きる。
ヨハネは神の正しさを認めました。
神の正しさを認めるとはどういうことでしょうか。

7:31 「では、今の時代の人たちは何にたとえたらよいか。彼らは何に似ているか。
7:32 広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/泣いてくれなかった。』
7:33 洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、
7:34 人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。
7:35 しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。」


なぜ、笛を吹いても躍らないのでしょうか。
なぜ、葬式の歌を歌っても、泣かないのでしょうか。
それは、躍りたくないからです。
泣きたくないからです。

自分がしたくないからです。
ファリサイ派の人々や律法学者たちは、ヨハネの教えを聞きながらも、洗礼を受けませんでした。
なぜでしょうか。
それは受けたくないからです。
なぜ、受けたくなかったのでしょうか。
それは、受ける必要がないと思っていたからです。
自分は正しい人間であり、洗礼を受けれるのは、罪人だ。
彼らは自分の正しさを優先し、神の正しさを認めなったのです。

つまり、これは非常に高慢な態度です。
彼らのプライドがそうさせたのでしょう。

みなさん。ヨハネは謙遜な人でした。
わたしたちはヨハネのように生きるべきです。
彼は、女から生まれた者の中で最も偉大な人であると言われました。
イエス様からお墨付きをもらうほどの人物です。

しかし、彼は、イエス様に対しては、靴のひもを解く値打ちもないと言いました。
彼は謙遜な人でした。

神様の正しさを認めるということは、謙遜になるというこです。
洗礼は謙遜にならなければ受けれません。

列王記にはナアマン将軍の話があります。
彼は重い皮膚病に苦しんでいました。
そこにイスラエルからの一人の少女がいました。
この少女はナアマンの妻の召使いをしていました。
彼女はナアマン将軍の奥さんに言います。
「ご主人様がサマリヤの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病はいやしてもらえるでしょうに」

彼は、エリシャの所に行きますが、エリシャはナアマン将軍に「ヨルダン川に行って、七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります」と言います。

これを聞いたナアマン将軍は怒りました。
彼は、てっきりエリシャが出てきて、祈ってくれると思ったのです。
彼は、自分の考えどおりにならなかったことに怒って、帰ろうとします。

その時、一人の家来に説得されて、ナアマン将軍は、ヨルダン川に七度身を浸します。
すると、彼の病気は癒されたのです。
ナアマン将軍が、エリシャの言葉に謙遜に従ったときに奇跡は起こったのです。

イエス様は「知恵の正しさは、それに従う者によって証明される」と言いました。

この知恵の正しさとは、神に従う者の正しさです。
ナアマン将軍は、最初は、自分の考えの正しさを優先しました。
もし、自分の正しさに固執し、国に帰っていれば、癒しを経験することはありませんでした。
しかし、彼は家来の言葉を聞いて、エリシャの言うとおりに従いました。
その結果、癒しを経験していったのです。

ヨハネのように生きる。
わたしたちもヨハネのように、キリストを紹介する者となりましょう。
わたしたちもヨハネのように、自分の正しさではなく、神の正しさに従う者となりましょう。
高慢になって、自分の知恵に従うのではなく、謙遜になって、神の知恵に従う者となりましょう。
お祈り致します。



イザヤ37:1-13「Save Our Souls」

◎6月8日(日)
●イザヤ37:1-13「Save Our Souls」
●要約 (リビングライフより)
ラブ・シャケのことばを聞いたヒゼキヤは粗布をまとって主の宮に入ります。彼はイザヤに祈りを頼み、イザヤは神の答えを伝えます。それは高慢なアッシリア王がうわさを聞いて引き揚げ、自国で死ぬというものです。

●御言葉
ヒゼキヤはこれを聞くと衣を裂き、粗布を身にまとって主の神殿に行った。(37:1)

アッシリアに包囲され、窮地に立った時、ヒゼキヤは、衣を裂き、粗布をまとって主の神殿に向かいました。

あなたの魂、あなたの人生という名の船が沈みそうになった時、どこに助けを求めますか。

SOSはSave Our Souls(我々の魂を救い給え)、あるいはSave Our Ship(我々の船を救い給え)という意味です。

ヒゼキヤは主にSOSを発信し、主は霊を送り、ヒゼキヤを救われます。

キリストはあなたの人生の救い主です。

今日は日曜日。

共にこの救い主に礼拝を捧げましょう。byバルナバ

イザヤ36:13-22「沈黙」

◎6月7日(土)
●●要約 (リビングライフより)
ラブ・シャケはユダのことばでユダの民にアッシリアの王のことばを伝えます。それはアッシリアの前に無力なヒゼキヤにも主にも頼るなというものです。ヒゼキヤはユダの民に対しラブ・シャケに何も答えるなと命じます。

●御言葉
しかし彼らは、答えてはならないと王に戒められていたので、押し黙ってひと言も答えなかった。(36:1)

イスラエルの民は、アッシリアの王の屈辱的な言葉を聞き、心騒ぎました。

しかし、ヒゼキヤ王から沈黙するように命じられたので、何も答えませんでした。

口を閉ざし、沈黙し、神に向かう。ここに勝利の秘訣があります。

「わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている」(詩編62:6)。

今日も祝福がありますように。

byバルナバ

イザヤ36:1-12「誰に頼るのか」

◎6月6日(金)
●イザヤ36:1-12「誰に頼るのか」
●要約 (リビングライフより)
ヒゼキヤ王の時代にアッシリヤが攻め上り、ユダの堅固な町々をすべて奪い去ります。セナケリブはラブシャケを送り、ユダがいたんだ葦のようなエジプトや主に頼ることは愚かなことだとあざけります。

●御言葉
なぜ、こんな頼りないものに頼っているのか。(36:4)

ヒゼキヤはアッシリアに対抗するために、預言者イザヤの警告を無視して、エジプトに依り頼み、さらなる窮地に追い込まれます。

この後、ヒゼキヤは本当に頼るべきお方は主であることを身を持って体験していきます。

ピンチはチャンスに変わります。

本当に頼るべき方を発見するならば、神の奇跡を体験することができるのです。

ピンチの時、あなたは誰を頼りとしていますか。

主に信頼する人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ35:1-10「神が来られる」

◎6月5日(木)
●イザヤ35:1-10「神が来られる」
●要約 (リビングライフより)
その日に荒れ野と砂漠に喜びと楽しみが満たされ、神の栄光を見ます。目の見えない者の目と耳の聞こえない者の耳が開かれ、口のきけない者が歌います。神が救われた民は、喜び歌い、シオンに帰ってきます。

●御言葉
雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を、敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神が来て、あなたたちを救われる。(35:4)

「悪魔は壁を作ることができても、天井を作ることはできない」。

四方八方が塞がれても、天は塞がれていません。

救い主は天から下って来ます。

救い主イエス様は人々に癒しと解放の喜びをもたらします。

主に贖われ、神のもとに帰ってくる人々を、喜びと楽しみが迎え入れ、嘆きと悲しみは逃げ去っていくのです。

神は来て、あなたを救われます。

この御言葉があなたの人生に実現しますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

イザヤ34:8-17「聖書を読め」

◎6月4日(水)
●イザヤ34:8-17「聖書を読め」
●要約 (リビングライフより)
神はシオンのためにエドムに報復されます。そこは荒廃し、宮殿と要塞は獣のすみかとなります。イザヤが「主の書物」を詳しく読めと言ったように、エドムに関する預言はすべて成就します。

●御言葉
主の書に尋ね求め、読んでみよ。これらのものに、ひとつもかけるものはない。(34:16)

パソコンなど電化製品には必ず取扱説明書が入ってます。

聖書は人間の取扱説明書です。

マニュアルで対処できないトラブルには、メーカーに修理を依頼します。

人間のメーカーは誰でしょうか。

天地万物を創られた神様です。

イエス様は人間の保証書となられました。

自らの命と引き換えに、永遠の保証料を支払ってくださったのです。

あなたはこの保証書を持っていますか。

この保証書はキリストを救い主と信じる者すべてに与えられるのです。

神様はどんなに傷つき、失敗した人であっても、必ず修理し、回復させてくださるお方です。

今日も祝福がありますように。byバルナバ
プロフィール

バルナバ

Author:バルナバ
バルナバ牧師の部屋へようこそ!

カテゴリー

無料カウンター 現在の閲覧者数:
無料カウンター
最近の記事
リンク
月別アーカイブ
カレンダー
05 | 2008/06 | 07
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -