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イザヤ32:9-20「荒れ野が園に変わる」

◎5月31日(土)
●イザヤ32:9-20「荒れ野が園に変わる」
●要約 (リビングライフより)
安逸な人に対する警告のみことばです。神のさばきによってぶどうの収穫がなく、喜びが消え、宮殿は見捨てられた所となります。しかし、神が遂に霊を注いでくださり、公正と義によって平和と安全、祝福が臨みます。

●御言葉
ついに、我々の上に霊が高い天から注がれる。荒れ野は園となり、園は森と見なされる。(32:15)

神の霊が天から注がれる時、荒れ野が園に変わるように、イスラエルは回復します。

神様は回復させてくださる方です。

イエス・キリストは渇いた心に命の水を与え、砂漠のような人生にオアシスを創りだしてくださるくださる方です。

今朝、神の霊である聖霊様を求めて祈りましょう。

あなたの心の渇きが潤されますように。

御名によって祝福します。byバルナバ
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イザヤ32:1-8「王の王キリスト」

◎5月30日(金)
●イザヤ32:1-8「王の王キリスト」
●要約 (リビングライフより)
ひとりの王が現れ、その民を公義によって治めます。彼は嵐の避け所であり、乾いた地に流れる水のようです。また、彼は民に正しい知恵を知識を悟らせます。彼は尊いことを計画し、いつも尊いことを行います。

●御言葉
見よ、正義によって一人の王が統治し、高官たちは、公平をもって支配する。(32:1)


イスラエルは、主の目に悪を行う王が統治する時、国は混乱し、主の目に正しいことを行う王が統治する時、国は平安を保ちます。

支配者の態度が民に影響を与えました。

あなたの人生は誰に支配され、誰の影響を受けていますか。

キリストは王の王であり、真の支配者です。

このお方があなたの心を支配し、あなたの人生がいつも平安に守られますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

イザヤ31:1-9「主はあなたを守る方」

◎5月29日(木)
●イザヤ31:1-9「主はあなたを守る方」
●要約 (リビングライフより)
アッシリヤの威嚇を受けていたユダは、神ではなくエジプトに頼ります。神はこのようなユダを罰せられます。しかし、最後には親鳥が羽を広げてひなを守るように、ユダを守られ、アッシリヤを滅ぼされます。

●御言葉
翼を広げた鳥のように、万軍の主はエルサレムの上にあって守られる。これを守り、助け、かばって救われる。(31:5)

造り主である神様に信頼する者は、親鳥に守られるひなのようなものです。

外敵に襲われた時、親鳥は大きく羽を広げ、敵に立ち向かい、ひなを守り、助け、時には自らの命を犠牲にしてでもひなを守ります。

イエス様はあなたを守り、助けてくださる方。

あなたをかばって自らが十字架にかかることによって、あなたを滅びの世界から救い出してくださった方です。

主を信じ、信頼し、主に守られて日々を過ごせる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ30:27-33「岩なる神」

◎5月28日(水)
●イザヤ30:27-33「岩なる神」
●要約 (リビングライフより)
アッシリアに対するさばきの預言です。神はすさまじい火と嵐のような怒りで国々をさばかれます。神の威厳ある御声にイスラエルは喜びますが、アッシリアはおののき、神はそのトフェテを燃やされます。

●御言葉
あなたたちは祭を祝う夜のように歌い、笛に合わせて進む者のように心楽しみ、主の山に来て、イスラエルの岩なる神にまみえる。(30:29)

神様はイスラエルの人々を苦しめていたアッシリアをさばかれます。

その時、彼らは苦しみから解放され、主の山で礼拝を捧げ、祝宴を開きます。

神様は岩なるお方です。

どんな危機的な状況があなたを襲っても、岩なる主にしがみついておれば、主が動き、祝宴を開かせてくれる時が来ます。

大切なのは、岩なる主に信頼し続けることです。

主とまみえる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ30:15-26「信頼の力」

◎5月27日(火)
●イザヤ30:15-26「信頼の力」
●要約 (リビングライフより)
イスラエルは神に頼らずエジプトに頼ったため、懲らしめを受けますが、神はイスラエルを待たれ、彼らに恵みを注がれます。神はご自分の民を正しい道へと導かれ、彼らの傷を包まれ癒されます。

●御言葉
お前たちは、立ち帰って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある。(30:15)

イスラエルの民は、イザヤの警告に耳を傾けず、エジプトの軍事力に依り頼んだため、国は滅ぼされていきます。

しかし、憐れみ深い神は、イスラエルの残りの者(主に信頼する者)を選び、慰めと回復を与えると約束します。

神様は、主に立ち帰り、主を呼び求め、主に信頼し、身を委ねていく者に救いと力を与え、傷ついた者には慰めを、罪を犯した者には回復を与えます。

問題が起こったとき、あなたの土台(信仰)が問われます。

主に信頼する者は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ29:13-24「回復の時」

◎5月25日(日)
●イザヤ29:13-24「回復の時」
●要約 (リビングライフより)
イスラエルの民は口で神を敬いますが、心はその方から遠く離れていたため、神のさばきをうけるようになります。しかし、神は再び彼らを回復されます。謙遜で貧しい者が喜んで神の教えを受けるようになります。

●御言葉
苦しんでいた人々は再び主にあって喜び祝い、貧しい人々はイスラエルの聖なる方のゆえに喜び躍るる。(29:19)

イスラエルの民の苦しみの根源的な原因は、神との関係の不調和です。

家庭や会社、学校における人間関係の苦しみは、対人関係の不調和から生じます。

今、あなたは誰と調和が必要ですか。

黙想しましょう。

調和(回復)のために必要なのは「愛と赦し」であり、そのためにキリストは十字架にかかられました。

十字架は愛と赦しのシンボルです。

今日は日曜日です。

共に主を礼拝し、まず主から愛と赦しを受けていきましょう。

主の祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ29:1-12「顧みられる神」

◎5月24日(土)
●イザヤ29:1-12「顧みられる神」
●要約 (リビングライフより)
神は自らアリエル、すなわちエルサレムを苦しめられます。しかし、神は再びアリエルを打つ群れを折られ、その計画を水の泡とされます。ユダの民は酔いつぶれて眠っている者であったため、さばきを受けます。

●御言葉
群がる外敵は砂塵のようになり、群がる暴虐の者らは、吹き去られるもみ殻のようになる。そのことは突然、瞬く間に起こる。万軍の主によってお前は顧みられる。(29:5-6)

南ユダがアッシリアの王センナケリブに包囲され、絶体絶命のピンチに陥った時、この預言は現実となりました。

ローマ人を恐れ、一つの家に集まって祈っていた弟子たちの上に、預言どおり、神の霊が注がれ、弟子たちは力を受け、教会が誕生しました。

教会は主に顧みられた人々の集まりです。

主に顧みられる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ28:23-29「主の計らい」

◎5月23日(金)
●イザヤ28:23-29「主の計らい」
●要約 (リビングライフより)
農夫は土地を耕すだけではなく適切な時に様々な種を蒔きます。また、種類に応じて脱穀の方法も異なります。神は各自に適切な方法で教えてくださるため、その知恵は不思議に満ちた素晴らしいものです。

●御言葉
主の計らいは驚くべきもので、大いなることを成し遂げられる。(28:29)

今、私の家の前では農家の方が田植えの準備を進め、畑では、夏野菜を栽培しています。

彼らは目的のために、計画どおりに作業をし、収穫の時に備えています。

神様もあなたに対して目的があり、計画があります。

あなたが輝いて生き、愛の実を結び、種を残すこと。

これが神様があなたを造られた目的です。

そのために救い主を遣わしてくださいました。

ここに驚くべき神の計画があります。

脱穀(試練)の時もまた恵みなのです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ28:14-22「人生の礎」

◎5月22日(木)
●イザヤ28:14-22「人生の礎」
●要約 (リビングライフより)
ユダの指導者たちは、死と契約を結んだため、自分たちは滅びないと過信します。しかし、神は彼らの契約を打ち消され、ご自分のみわざをなされます。ですから、イザヤは軽率で高慢な者にならないように警告します。

●御言葉
「わたしは一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊い隅の石だ。信じる者は慌てることはない。(28:16)

イスラエルは強大な軍事力を誇るアッシリアに包囲された時、慌ててエジプトに助けを求めました。

イザヤは、この姿を批判し、今こそ主に立ち帰るべきである、と語りました。

船が錨に固定されるように、家が土台に支えられるように、心を支える錨、土台が必要です。

キリストは堅く据えられた石です。

この方を人生の礎にする人は、慌てることがありません。

神の言葉を土台に生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ28:1-13「憩いの場所」

◎5月21日(水)
●イザヤ28:1-13「憩いの場所」
●要約 (リビングライフより)
神は酔いどれたエフライムの高慢な冠を踏みにじられますが、残りの者には栄光の冠となられます。ユダの指導者たちは強い酒に酔ってふらつき、神のみことばをあざけり、結局は捕虜として引かれていきます。

●御言葉
「これこそが安息である。疲れた者に安息を与えよ。これこそ憩いの場だ」と。しかし、彼らは聞こうとしなかった。(28:12)

イスラエルの民はお酒に憩いを求め、堕落していきました。

疲れた時、あなたはどこに憩いの場所を求めますか。

讃美と感謝を捧げる場所。

そこが憩いの場所になります。

「酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい」(エフェソ5:18-20)。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ27:1-13「時が来れば」

◎5月20日(火)
●イザヤ27:1-13「時が来れば」
●要約 (リビングライフより)
その日に神はご自分に逆らうレビヤタンを殺されます。ぶどう畑を守る者のように、神はご自分の民を脅かす勢力をすべて除かれます。また、散らされた民を呼び集められ、主を礼拝する民とされます。
●御言葉
時が来れば、ヤコブは根をおろし、イスラエルは芽を出し、花を咲かせ、地上をその実りで満たす。(26:12)

根元が切られた木から若枝が出るように、滅ぼされたように見えるイスラエルが再び回復する時が来ることが語られます。

全てのことには「時」があります。

根を下ろす時、芽を出す時、花を咲かせる時、実を結ぶ時があります。

その時を迎えるためには「命」が必要です。

「命」がなければ時はきません。

どんなに苦しくても、生きていてこそ、回復の時は訪れるのです。

キリストは「私は命である」と言われました。

この命は、キリスト(御言葉)につながって生きる時に与えられます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ26:8-21「シャローム」

◎5月19日(月)
●イザヤ26:8-21「シャローム」
●要約 (リビングライフより)
神は義なるさばきを待ち望む民のためにさばかれます。神はご自分の民を見捨てられず、すべてのことを熱心によってなされます。イスラエルはさばきを受け、死んだような者になりますが、神が彼らを再び回復されます。

●御言葉
主よ、平和をわたしたちにお授けください。わたしたちのすべての業を成し遂げてくださるのはあなたです。(26:12)

「平和」はヘブライ語で「シャローム」であり、元の意味は、満月です。

月は太陽の光を受けて輝きます。

月が遮られることなく、太陽の光を受け、満月状態にあることをシャロームというのです。

私たちと神との間に遮るものがなくなった状態。

それが本当の平和です。

キリストは神と人、人と人との間の壁を取り除くために、十字架にかかり、平和を授けてくださいました。

いつも心が満月のように、神の愛で満たされますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

『真の礼拝者』
(ルカ7:1-10)
(2008年・5月18日・ベテル清水教会 聖日礼拝)


一人のお年寄りが川で洗濯をしていました。
そばには小さな女の子がいます。
警察官がやってきて、「失礼ですが、この子はあなたのお孫さんですか」と聞きます。
すると、このお年寄りは「はい、そうです。私の孫です」と答えました。

警察官は、今度は、女の子に尋ねます。
「お嬢ちゃん、この人は、あなたのおばあちゃんですか」
すると、女の子は、「違う」と答えました。

一方は「孫だ」と言い、もう一方は「違う」と言う。
実は、二人とも嘘はついていなのです。
なぜなら、川で洗濯をしていたのは、おじいちゃんだったからです。

私たちは川で洗濯をしていると聞くと、頭の中でおばあちゃんというイメージを持ちます。
そして、そのイメージによって、真実が見えなくなります。

日本には多くの神々が祭られていますし、多くの宗教がありますから、神様に対しても、ある種のイメージを持っています。
このイメージが真実を見えなくさせるのです。

このイメージを払拭するためには、真実の世界に目が開かれる必要があります。
お年寄りが、おじいちゃんであったという事実を告げられてはじめて、真実に目が開かれます。
自分が間違ったイメージを持っていたことを知るのです。

私たちは人に対してどんなイメージを持っているでしょうか。
私たちは自分に対してどんなイメージを抱いているでしょうか。
私たちは神様に対してどんなイメージを持っているでしょうか。

私たちは聖書を通して真実の世界を発見することが出来ます。
神様がどういうお方であり、人間がどういう存在であり、私が何者であるのかを知ることが出来ます。
私たちは神様に造られた存在であり、神様は私たちの造り主です。
私たちは神様に愛された存在であり、神様は私たちを愛しておられます。
イエス・キリストは、この真実を伝えるために、この世に来られたのです。
今朝も、ご一緒に真実の世界を教える神の言葉をご一緒に学んでいきましょう。

もう一度、ルカによる福音書7章をご覧ください。
7:1 イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。

「これらの言葉」というのは、6章20節以下で語られているイエス様の教えであり、イエス様の説教です。

先週、大阪で「教会リバイバルセミナー」が行われ、参加してきました。
テーマは「礼拝の祝福」でした。

礼拝は教会の心臓であり、礼拝が生きると教会が生きる。
そして、説教は礼拝の心臓であり、説教が生きると礼拝が生きる。
私にとって、非常にタイムリーな学びでした。

二日目の朝「説教」についての学びがありまして、
オンヌリ教会のラ・ジュンソク先生は「説教とは、自分の思いや考えや思想を伝えることではなく、神が語られるメッセージを伝えることであり、それは「宣言だ」と言いました。

説教とは、宣言することだ。
自分の考えや思ったことを語るのではなく、神様が語られたことを宣言する。それが説教だ、と。

私は自分の説教をもう一度問い直させられました。

ラ先生は「そうしましょう」とか、「そうしたほうがいいですよ」とか、「私はこう思います」ではなく、「そうしなさい」と、神様が言われたことを宣言する。これが説教だと言われました。

説教が生きると礼拝が生きます。
礼拝が生きると教会が生きます。みなさんが生きます。
みなさんが生きると家庭が生き、社会が生きます。
社会が生きると世界が生きます。
すべての根源は神の言葉である説教にかかっています。
ですから、説教者の責任は重大であり、神の言葉を語る私のために、ぜひ、執り成しお祈りください。

さて、イエス様が語られた「これらの言葉」とは、まさに、イエス様の宣言であり、命令でした。
イエス様は「敵を愛しなさい」と言いました。
「敵を愛した方がいいですよ」ではありません。
「敵を愛する愛する努力をしましょう」でもありません。
「敵を愛しなさい」。これは命令なのです。

また、「悪口を言う者に祝福を祈りなさい」と命じました。
「侮辱する者のために祈りなさい」と命じました。
「求める者には、与えなさい」と命じられたのです。

みなさん。これは言うならば宿題です。
やってもやらなくてもよいのではなく、やらなければならない宿題です。
神の宿題をないがしろにしてはならないのです。
神の宿題をこなしていくときに、神の御業が起こるのです。

みなさん。イエス様の命じられることは、簡単なことではありません。
命令に従うには、決心がいります。努力も要ります。犠牲も伴います。
自然にできることではありません。
躓くことも、挫折することも、失敗をすることもあります。
それでも従い続けることが大切なのです。

主の命令に従う者には、奇跡が起こる。
主の命令に従う者には、神様の不思議な御業を体験する。
まさに、今日のテキストは、そのことを証明する内容であります。

7:2 ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。
7:3 イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。
7:4 長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。
7:5 わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」


ここに百人隊長が登場します。彼はローマ人です。
当時、ユダヤはローマの属国であり、支配を受けていました。
ユダヤ人は、異邦人であるローマ人を忌み嫌っていました。
敵対心を持っていました。

みなさん。イエス様は敵を愛せよ、と言いましたが、このローマ人は、自分たちを軽蔑し、敵対心を持っているユダヤ人たちを愛していたのです。

みなさん。神様は愛であり、愛は神様の本質です。
愛あるところに神様がおられ、神様は愛する人を祝福します。
彼は、ユダヤ人を愛することによって、ユダヤ人からも愛されました。

ちょうど、六千人の命のビザの杉浦さんが、ユダヤ人を愛し、彼らの命を助けたことによって、多くのユダヤ人たちから愛されたように、この百人隊長も、ユダヤ人から愛されていました。
だから、彼の部下が病気になったときに、ユダヤ人の長老たちが彼の為に動いたのです。
彼の愛が、周りの人々を動かしたのです。

なぜ、彼はそれほどユダヤ人に愛されたのでしょうか。
それは、彼がユダヤ人たちのために自費で会堂を建てたからです。
これぞまさしく、慈悲深い人ですね。

ユダヤ人にとって、会堂(シナゴーグ)というのは、礼拝の中心です。
彼らは、礼拝を重んじる民族です。
この百人隊長は、異邦人でありながらも、多額の献金をしたのは、彼もまた、礼拝を重んじたからです。
そこにおいて、ユダヤ人と異邦人の壁が崩れました。
礼拝を通して、百人隊長とユダヤ人の心は一つになっていたのです。

先週のセミナーの初日には、「礼拝の本質」についての学びがありました。
ラ・ジュンソク先生は「人生は神様との関係にかかっている」と言いました。
神様との関係が人生の明暗を分けます。
ちょうど、岩の上に家を建てた人と砂の上に家を建てた人のようなものです。

神様との関係が結ばれている人の人生は、岩の上に家を建てた人のような人生であり、それは祝福です。
一方、神様との関係が損なわれている人の人生は、砂の上に家を建てた人のような人生であり、それは呪いなのです。
神様と共に生きる者は祝福であり、神様と離れて生きる者は呪いである。
これは聖書全体を通して、神様が私たちに伝えるメッセージであり、宣言です。

さて、百人隊長は、ユダヤ人たちのために会堂を建てました。
ユダヤ人たちにとって、会堂は、あってもなくてもよい場所ではなく、なくてはならない場所でした。

そこでは聖書が朗読され、解き明かしがなされ、礼拝が行われました。
イエス様も安息日には、会堂にやってきていましたね。
会堂は、それ以外にも、普段の日にも祈りに来たり、交わったり、そこで教育がなされたり、結婚式なども行われました。
ユダヤ人の生活と会堂は切り離せません。
クリスチャンにとって、教会が必要なのと同じです。

ユダヤ人たちは、散らされて行っても、そこで集まって、みんなでまず会堂を建てて、そこで礼拝を守りました。
彼らの生活は、礼拝なしにはあり得ないのです。

みなさん。ユダヤ人たちほど礼拝を重んじる民族はありません。
アブラハムは、祭壇を築いて、主を礼拝しました。
イサクもヤコブもそうです。
イスラエル民族の先祖は、常にどこにいても、主を礼拝する場所を築いたのです。

イスラエルの民は、荒れ野を旅するときも、幕屋を作って、主を礼拝しました。
約束の地に導かれた後は、神殿を建てて、主を礼拝したのです。
ユダヤ人にとって、礼拝のない生活はあり得なかったのです。

これは私たちクリスチャンも同じです。
クリスチャンにとって、礼拝のない生活はあり得ません。
礼拝を守ることが私たちの祝福だからです。

礼拝は私たちと神様とのライフラインであり、パイプラインです。
礼拝を通して、神様の祝福が流れます。

ユダヤ人たちにとって、礼拝は生活の中心でした。
おそらく百人隊長は、ユダヤ人たちと同じように、生活の中に礼拝が入ってきたのだろうと思うのです。
彼は、礼拝を守ることによって、真実の世界に目が開かれました。
彼の心に感謝が生まれ、その感謝が献金となりました。
そして、会堂のために、彼は多くの捧げ物をしていったのです。

みなさん。礼拝とは何でしょうか。
礼拝とは、神様との出会いです。
礼拝を通して、私たちは神様と関係を結んでいくのです。

なぜ、聖書は偶像礼拝を禁止するのでしょうか。
それは、偶像礼拝が偶像と関係を結ぶことになるからです。
偶像礼拝によって、悪霊と関係を結ぶことになるからです。
ですから、聖書は偶像礼拝をしてはいけない、と言うのです。

さて、今朝の説教題は「まことの礼拝者」です。
今日、登場する百人隊長の姿の中に真の礼拝者の姿があります。
彼は礼拝を重んじる人でした。
彼は神様に近づく人でした。
みなさん。神様は礼拝する者を求めておられます。
この百人隊長の姿こそ、礼拝者の良きモデルです。
彼こそ、まことの礼拝者であり、私たちが目指すべき信仰者の姿です。

みなさん。まことの礼拝者は、神様に近づきます。
神様に近づくならば、神様は近づいてくださる。
これが礼拝です。

彼は、自分の部下が病気になった時、イエス様を求めました。
彼は、自分が異邦人であるので、ユダヤ人の長老にお願いして、イエス様にヘルプを求めたのです。
ここにも彼の謙遜な姿があります。
真の礼拝者とは、謙遜な人です。
謙遜な者には、神様の祝福は注がれます。

神に近づきなさい。そうすれば神が近づいてくださる。
彼がイエス様を求めたとき、イエス様に近づいていきます。
そして、出会いが起こります。
彼は、直接、イエス様に出会っていません。
しかし、イエス様の言葉に出会うことは、イエス様に出会ったことと同じです。

みなさん。私たちも同じです。私たちも地上におられたイエス様に直接会うことはありません。しかし、御言葉を通して、礼拝を通して、イエス様に出会うことができます。
イエス様は求める者に出会ってくださるお方です。

7:6 そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。
7:7 ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。
7:8 わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」
7:9 イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」


まことの礼拝者は、黙想する人です。
彼は、長老たちがイエス様のところに行っている間に、黙想したのです。
自分は異邦人であり、とてもイエス様を迎え入れるような存在ではない。

ただ、ひと言、あの方が言ってくださったら、きっと僕は助かるに違いない。
それだけの力を持っておられるお方だ。

彼は、イエス様の姿を黙想し、そして、それを適用します。
実践したのです。

友達を遣いにやって、「ひと言おっしゃってください」と、主の言葉を求めたのです。
彼は、主の言葉には力があり、その言葉に従うときに、奇跡が起こると信じたのです。

みなさん。これが真の礼拝者の姿です。
真の礼拝者は、イエス様の姿を黙想する人です。
イエス様がどんなお方であるかを黙想する人です。

そして、彼は、ただひと言あれば、大丈夫だという確信が与えられたのです。

彼は、自分が部下に命じれば、部下は言うことを聞く。
それは私に権威があるからだ。
イエス様は権威を持っておられる。
そのお方が命じられることを行おう。
そうすれば何かが起こる。
そう信じたのです。
これがイエス様をして、「これほどの信仰を見たことがない」と驚かせた信仰です。

みなさん。これがまことの礼拝者の信仰です。
主に近づき、主の言葉を求め、主の言葉を黙想し、主が命じられた言葉を実践する。
その時に、神様の御業が起こったのです。

7:10 使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。

先週のセミナーの中で、こんな話を聞きました。
オンヌリ教会には、父の学校というのがあります。
「父が生きると家庭が生きる」をスローガンにした学びであり、今、世界的に注目され、多くの父親がこの学校に参加することにより、家庭が回復しています。

一人の中年の男性が参加したそうです。
実は、父の学校では宿題がでます。奥さんに手紙を書いたり、娘と二人でデートしたり、奥さんにハグをしたり、という。
彼は戸惑いました。
奥さんを抱きしめるように。これは宿題であり、いわば命令です。
実は、彼は一度も奥さんをそのように抱きしめたことがなかったそうです。
夕食を準備している奥さんを、後ろからガバッと抱きしめたそうです。
すると、奥さんはびっくりして固まってしまいました。
どうしたの、突然、と聞かれれて、「いや、これ宿題」と答えました。

宿題なのに、奥さんは何か嬉しそうだったそうです。
そして、その夜、再び奥さんをハグしました。
その時、彼は「これは宿題ではない」と言ったそうです。
その瞬間、奥さんの目から涙がボロボロとこぼれ落ちたそうです。
そこから家庭に回復が起こったそうです。

みなさん。最初は宿題でも良いのです
神様の命令は宿題です。
神様の宣言は、みんな宿題です。
喜んでできないこともあります。
しかし、主が言われるので、主のひと言を聞いて、勇気を持って実践するときに、神様の御業が起こるのです。

みなさんが、主のひと言を聞いて、それを実践し、神様の御業を体験することができるように、イエス様の御名によって祝福します。
お祈り致します。


イザヤ26:1-7「主に信頼せよ」

◎5月18日(日)
●イザヤ26:1-7「主に信頼せよ」
●要約 (リビングライフより)
その日に、神は救いを城壁と塁とする堅固な町を備えられます。信仰を守る義なる国はその町に至ります。神は志の堅固な者には平安を与えられ、高慢な者を徹底して低くされます。

●御言葉
どこまでも主に信頼せよ。主こそはとこしえの岩。(26:4)

あなたは何を頼りに生きていますか。

「どこまでも」とは、「永遠に」ということです。

永遠に信頼することのできるお方は、主だけです。

主は堅固な岩です。

主に頼る者を最後まで守り抜いてくださいます。

「お前たちは、立ち帰って/静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」(イザヤ30:15)。

今日は日曜日です。

とこしえの岩である主を礼拝しましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ25:1-12「主は救い主」

◎5月17日(土)
●イザヤ25:1-12「主は救い主」
●要約 (リビングライフより)
神はご自分の民を横暴な国々から守られ、風や暑さを避ける陰となられます。神はシオンの山で万民のための救いの宴会を開かれます。その日に、神の救いを待ち望んでいた者は楽しみ喜びます。

●御言葉
その日には、人は言う。見よ、この方こそわたしたちの神。わたしたちは待ち望んでいた。この方がわたしたちを救ってくださる。この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。その救いを祝って喜び躍ろう。(25:9)

神様は、ご自分を頼る者の砦となり、避け所となり、陰となられます。

その日が来ると、死は永久に滅ぼされ、すべての涙が拭われます。

主を待ち望む人にとって、終末は救いの日であり、天国を体験する時です。

主は救い主です。

主を信じ、主を待ち望む人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ24:14-23「地の基は震え動く」

◎5月16日(金)
●イザヤ24:14-23「地の基は震え動く」
●要約 (リビングライフより)
さばきの時にむしろ主の威厳を讃美し、その御名をあがめる群れが起こります。しかし、罪人は神のさばきから逃れることはできません。その日に神は、天の大軍を罰せられ、シオンにおいて治められます。

●御言葉
地は裂け、甚だしく裂け、地は砕け、甚だしく砕け、地は揺れ、甚だしく揺れる。(24:19)

地の基が揺り動かされる時、建物の耐震性が明暗を分けます。

人生の嵐が起こったとき、帰り着く港を持っている人、

人生の洪水が押し寄せて来たとき、岩の上に家を建てた人、

人生の基が揺り動かされる時、キリストという心の鉄筋によって、支えられる人は幸いです。

今日もあなたの人生の土台をキリストが支えてくださるように。

御名によって祝福します。byバルナバ

イザヤ24:1-13「秩序の崩壊」

◎5月15日(木)
●イザヤ24:1-13「秩序の崩壊」
●要約 (リビングライフより)
全世界への警告のみことばです。神のさばきによって全地は完全に荒廃します。その理由は律法を犯し、永遠の契約を破ったからです。その日に地は衰え、すべての喜びが終わります。

●御言葉
見よ、主は地を裸にして、荒廃させ、地面の面をゆがめて住民を散らされる。(24:1)

神の世界審判が語られます。

終末には秩序の崩壊が起こります。

今、世界を見渡すと自然界、社会、家庭の秩序が荒廃し、終末が近いことを悟ります。

キリストは散らされた民の中から、残りの民を集めます。

残りの民とは、神との秩序を保つ人々です。

あなたは神との秩序が保たれていますか。

神との秩序は、礼拝を通して保たれます。

礼拝とは、神への讃美と感謝です。

主を見上げて生きる人は、たとえ嵐に遭遇しても、守られます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ23:1-18「顧みられる神」

◎5月14日(水)
●イザヤ23:1-18「顧みられる神」
●要約 (リビングライフより)
ツロに対する警告のみことばです。ツロは麗しく、誇り高い町でしたが、カルデヤによって滅び、民は悲しみ叫びます。ツロは神のさばきによって、70年間暗黒の時を送り、やがて回復しますが、再び国々と淫行を行います。

●御言葉
七十年が終わると、主はティルスを顧みられる。(23:17)

富と繁栄を誇ったティルスは滅ぼされます。

しかし、主はこのティルスをも見捨てず、顧みられ、再び回復します。

しかし、ティルスは、主に立ち帰ろうとせず、再び転落するのです。

主は顧みたもうお方です。

回復の神です。

大切なのは、顧みられた後、どう生きるかです。

どんなに美しい花も、切り花はすぐに枯れます。

しかし、大地が咲かせる花は、麗しく、たとえ枯れても、再び季節が来れば花が咲きます。

主と共に生きる人(大地に根ざして生きる人)は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ22:15-25「僕として生きる」

◎5月13日(火)
●イザヤ22:15-25「僕として生きる」
●要約 (リビングライフより)
国庫を任されていたシェブナは、王族の墓に自分の墓を掘りますが、神のさばきによって官職から負われます。続いてエルヤキムが国庫の鍵を任されますが、堅固な場所に打ち込まれた釘が朽ちるように彼もその座から退きます。

●御言葉
わたしは彼の肩に、ダビデの家の鍵を置く。彼が開けば、閉じる者はなく、彼が閉じれば、開く者はないであろう。(22:22)

神様はエルヤキムを「わが僕」と呼び、ダビデの家の管理者として鍵を渡します。

僕はその家の管理者であって、主人ではありません。

エルヤキムは僕の座から、主人の座に身を置き、思うままに振る舞った結果、主なる神様は彼をダビデの家から追放しました。

人は裸で生まれ、裸で天に帰ります。

あなたは神の僕であり、管理者です。

あなたが持っているものすべては神から預けられたものです。

やがて御国で「よくやった忠実な僕よ」と言って、主に迎えてもらえるように、僕として、この世を生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ22:1-14「今日をどう生きるか」

◎5月12日(月)
●イザヤ22:1-14「今日をどう生きるか」
●要約 (リビングライフより)
幻の谷に関する警告のみことばです。宴会騒ぎをしていたエルサレムは敵軍に包囲されます。神がエラムとキルを用い、エルサレムを打たれます。しかし、イスラエルはそのことを行われた神に目を留めません。

●御言葉
肉を食らい、酒を飲んで言った。「食らえ、飲め、明日は死ぬのだから」(22:13)

もし、明日が人生の終わりだとしたら、今日、あなたはどのように過ごしますか。

ユダの民は快楽に走り、主に立ち帰らず、「お前たちが死ぬまでこの罪は決して赦されることがない」と神に宣言されます。

罪が赦されなければ新しい世界は開かれません。

今日、どう生きるか。

あなたの選択があなたの未来を決めます。

死はピリオドではなくカンマ(通過点)です。

今日、神に立ち帰り、罪赦され、新しい世界が保証され、讃美しつつ最後を迎えられる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

説教 「感謝せよ」

『感謝せよ』
(詩編139:13-18)
(2008年・5月11日・ベテル清水教会 聖霊降臨祭特別礼拝)

今から100年ほど前、アメリカで一人の女性が最愛の母を亡くしました。
「孝行したいときに親はなし」
「ありがとう」と言いたくても言えない。
彼女はこの現実に直面するのです。
生きている時に、もっと感謝しておけばよかった。

彼女は、他の人たちには、自分と同じような思いをして欲しくない。
伝えられる時に、感謝の思いを伝えて欲しいと願ったのです。

一年後、彼女は母親の一周年の記念日に、お母さんの好きだったカーネーションの花を周りの人々にプレゼントしました。
お母さんに「ありがとう」を伝えよう。

彼女の思いは、周りの人々の心を動かしました。
やがて、母の日を制定しようと言う運動が全米に広がり、八年後に、アメリカ議会は、母の日を制定していったのです。
一人の女性の感謝の心が、世界を動かしたのです。

今年、私たちの教会に与えられている御言葉は、
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」。

喜び、祈り、感謝せよ。
これが今年のテーマです。

主を喜び、主に祈り、主に感謝する。
主を喜ぶこと、主に祈ること、主に感謝することは、私たちの力の源です。

今朝は、「感謝」について、主題メッセージをします。

神様が私たちに願っていることは、わたしたちがどんなことにも感謝して生きることです。
今日の説教題は「感謝せよ」です。

今日の第一のメッセージは「母に感謝せよ」です。
今日は、母親に対して感謝を表す日です。

母親に感謝の思いを持っていない人は少ないと思います。
その思いを伝えている人は少ないと思います。

母はどれほど大きな愛を持って、私たちを育ててくれたことでしょう。
母はどれほど大きな犠牲を払ってくれたことでしょう。

私たちは何かをしてもらったら感謝できます。
受けた恵みに対して感謝するのはたやすいことです。

しかし、何もしてくれないのに、感謝することは難しいものですね。
母親の中には、子供を捨てたり、虐待したり、傷つけるケースもあります。
そんな母親であっても、感謝しなさい、というのです。

どんなことにも感謝するときに、私たちの心が変わるのです。
どんな状況でも感謝するときに、私たちの心が変わります。
感謝するときに、私たちの人生が変わり、運命が変わります。

みなさん。母親も人間です。
育て方において失敗したり、罪を犯すこともあります。
しかし、私たちが今、生きているのは、その母親の存在なくしてはありません。
母が存在しなければ、私たちの存在はないのです。
母が生んでくれなければ、私たちは生まれません。

子を産むというのは、陣痛という大きな痛みがあり、一歩間違えれば自分の命を失う危険もある行為なのです。
母が生んでくれなければ、私たちは生まれてこなかったのです。

子供の頃、生き別れた母親を捜す番組がよく放映されています。
ある若いお母さんがテレビで、母親を捜していました。
彼女は、子供の頃に母親が家を出て行って、父親の親戚に預けられて育ちます。
子供の頃は、ずっと母を恨んでいました。
しかし、自分も結婚し、子供が生まれ、そして、離婚。
彼女は、自分が産んだ子と引き離されました。
この経験を通して、自分の母親の気持ちを理解しました。
そして、どんな理由であれ、とにかく、お母さんを見つけて、ひと言伝えたい。
「生んでくれてありがとう」と。

そして、司会者が「お母さん、見つかりましたよ」と言って、カーテンがあがると、そこにはお母さんが立っているんですね。
二人は抱き合いました。
娘は「お母さん。生んでくれてありがという」
その言葉を聞いて、私は涙がこぼれました。
感謝の言葉は感動を呼び起こします。
感謝の言葉は人生を変える力があります。

「生んでくれてありがとう」
この言葉は、この心は、どんな花束よりもまさります。

母の日。私たちは、まず、生んでくれてありがとう。
この心を持って、生みの母に対して、感謝の心を持って接していきましょう。
天に帰られた母親には、祈りの中で感謝を表していきましょう。

第二番目
感謝せよ。二つ目のメッセージは「神に感謝せよ」です。

私たちの存在は、母親の存在なくしてはあり得ません。
しかし、私たちは聖書を通して、一つに真理に気づきます。
それは、母の胎内に私という命を形作られたのは、神様である、ということです。
それが今日のテキストです。
もう一度、詩編139編をお開きください。
139:13 あなたは、わたしの内臓を造り/母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
139:14 わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって/驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか/わたしの魂はよく知っている。
139:15 秘められたところでわたしは造られ/深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
139:16 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている/まだその一日も造られないうちから。
139:17 あなたの御計らいは/わたしにとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。
139:18 数えようとしても、砂の粒より多く/その果てを極めたと思っても/わたしはなお、あなたの中にいる。


ある子供がお母さんに聞きました。
お母さんのお母さんは誰。おばあちゃん。
おばあちゃんのお母さんは? ひいばあちゃん。
ひいばあちゃんのお母さんは? ひいひいばあちゃん。
ひいひいばあちゃんのお母さんは? ひいひいひいばあちゃん。
子供はさらにひいひいひいひいばあちゃんのお母さんは?
お母さんは、ひいひいいながら答えていきます。
そして、最後に、じゃあ一番最初のお母さんは?
マントヒヒと答えたという笑い話であります。

母親に感謝すると共に、先祖に感謝することも大切です。
特に日本人は、先祖を大切にする習慣がありますね。
私たちクリスチャンは、母親に感謝することも、先祖に感謝することも大切なことですが、何よりも一番大切なことは、命の根源への感謝です。
私たちの命を造られたお方への感謝。
この方への感謝を忘れない。

私たちは造り主への感謝を忘れてはならないのです。
私たちの礼拝も、讃美も、献金も、みんな神様への感謝として捧げられるものです。

神様は私たちが生まれる前から私たちのことを知っておられます。
私たちが知らない未来のことも知っています。
だから、私たちは明日のことを思い煩わなくて良いのです。
神様の御手の中にあること。
神様がすべてを益に変えてくださること。
主の山に備えがあることを、信じて、神様に感謝して歩みましょう。

さて、今朝は、クリスマス、イースターと並ぶキリスト教の三大祭りのひとつである「ペンテコステ」(聖霊降臨祭)であります。

今から2000年前、イエス様はこの地上に来られました。
このことを祝うのがクリスマスです。
イエス様は私たちの罪の身代わりとして十字架にかかり、三日目に甦られました。このことを祝うのがイースターです。

その後、天の昇られたイエス様は、弟子たちに「エルサレムから離れず、父なる神様が約束された聖霊を待つように」と命じられました。
そして、五旬節の日、つまりペンテコステの日に、弟子たちが集まって祈っているところに、神の霊である聖霊が降ったのです。

この時、聖霊に満たされた弟子たちは、力を受けました。
弱々しかった弟子たちの姿は一変しました。
彼らは大胆に出て行って神の言葉を語り始めたのです。
彼らは、イエス様が言われていたとおり、エルサレム、ユダヤ、サマリヤからはじまって、地の果てまで福音を伝えていきました。

今は、世界中にこの福音は届けられています。
その原動力は聖霊です。
聖霊の力によって、教会が誕生しました。
みなさん。今朝、私たちは母の日を迎え、ペンテコステを迎えています。
聖霊なる神様は、教会の生みの母です。

みなさん。この教会が生み出されたのも、神様の計画があります。
神様のゆるしがなければ、教会は誕生しません。
私たちが母の胎から生まれたのも、偶然ではありません。
神様を知らないときには、偶然に生まれたとか、できちゃった結婚で、生みたくなかったけど、生まれたのよ、なんて言う言葉を聞いて傷つくこともあるでしょう。
しかし、胎内に形作ってくださる神様を知るならば、私たちが生まれる前から、私たちの人生を計画してくださっている神様を知るならば、
たとえ偶然のように思えた命も、輝くのです。
神様の光を受けて輝くのです。

同じように、私たちの教会もそうです。
神様が私たちの教会を生み出してくださったのです。
そのことを共に感謝しようではありませんか。
今日は、ペンテコステ。
教会の誕生を喜び祝う時です。
私たちの命を生み出してくださった神様に感謝し、
私たちの教会を生み出してくださった神様に感謝し、
私たちの命を生み出す母体となってくれた母親に感謝し、
私たちの霊の命を生み出す母体となってくれた人に感謝していきましょう。

私たちの心が感謝に満ちるとき、私たちの心が変えられ、人生が変えられ、運命が変えられると信じます。
お祈り致します。

イザヤ21:11-17「希望の朝」

◎5月11日(日)
●イザヤ21:11-17「希望の朝」
●要約 (リビングライフより)
エドムに対する警告のみことばです。エドムは破壊され沈黙の地となります。デダンの隊商たちはアッシリアの攻撃を避け、林に宿り、テマの地の住民は避難民を受け入れます。ケダルの残りの勇士の数はわずかとなります。

●御言葉
夜明けは近づいている、しかしまだ夜なのだ。(21:12)

富み栄えた国が滅ぼされます。

絶望の中にも希望の朝は近づいています。

神に立ち帰らなければ希望の朝は来ません。

神が近づいておられるのに、近づこうとしない人がいます。

目を覚まし、神に近づくとき、希望の朝が来ます。

「神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます」(ヤコブ4:8)。

今日はペンテコステです。

聖霊なる神様を歓迎し、礼拝を通して神に近づき、新しい朝を迎えましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ21:1-6「呻きが終わる日」

◎5月10日(土)
●イザヤ21:1-6「呻きが終わる日」
●要約 (リビングライフより)
バビロンは南風のつむじ風のように突然敵軍の攻撃を受けます。そして、エラムとメディアによって包囲され、略奪に遭います。バビロンの首長たちは戦いに備えず宴会に夢中になるあまり、滅びに至ります。
●御言葉
わたしは呻きをすべて終わらせる。(21:2)

神様はイスラエルの呻きの原因であるバビロンを滅ぼされます。

その日が来れば、神様はすべての呻きを終わらせ、解放と喜びを与えてくれます。

その日は、キリストを信じる者には救いの時ですが、信じない者にとっては裁きの時です。

その日は来ます。

その日に来る前に、偶像から離れ、主に立ち帰る人、主に立ち帰らせる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ20:1-6「御言葉を行う」

◎5月9日(金)
●イザヤ20:1-6「御言葉を行う」
●要約 (リビングライフより)
神はイザヤに腰の荒布を解き、はきものを脱ぐように言われます。イザヤが3年間、裸になり、はだしで歩いたのは、アッシリアの捕虜となるエジプトとクシュの姿の前兆でした。エジプトとクシュに頼るなら、ユダは恥を見ます。

●御言葉
主はアモツの子イザヤを通して命じられた。「腰から粗布を取り去り、足から履き物を脱いで歩け。」彼はそのとおりにして、裸、はだしで歩き回った。(20:2)

裸は奴隷の姿です。

イザヤはユダの民に「主に頼らず、エジプトに頼るなば、あなたたちは奴隷になる」と、言葉だけではなく、三年間、自らの姿を通して伝え続けました。

イエス様は神の愛を語るだけではなく、3年間、自らの姿を通して伝えました。

愛を語ることは簡単ですが態度で示すことは難しいものです。

主の言葉に従い、御言葉が生き方の中に反映される人は、人生が繁栄します。

主の祝福を祈ります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ19:16-25「祭壇を建てる」

◎5月8日(木)
●イザヤ19:16-25「祭壇を建てる」

●要約 (リビングライフより)
エジプトの人々はさばかれる神の手を意識し、恐れに陥ります。しかし、その日、エジプトの地に神に誓う町が起こり、神のために祭壇と柱が立てられます。エジプト、アッシリア、イスラエルのすべてが全地で祝福されます。


●御言葉
その日には、エジプトの地の中心に、主のために祭壇が建てられ、その境には主のために柱が立てられる。(19:19)

神の裁きを受けたエジプトの地に、祭壇が建てられ、主に立ち帰り、主を礼拝する者たちが現れます。

主は彼らの祈りを聞き、救助者を遣わし、彼らにいやしと救いと祝福をもたらします。

エジプトは私たちの姿を象徴しています。

その日は必ず訪れます。

その日が癒しと救いと祝福の日となりますように。

主のために祭壇を築き、礼拝する者は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

リビングライフ

イザヤ19:1-15「命の水」

◎5月7日(水)
●イザヤ19:1-15「命の水」
●要約 (リビングライフより)
エジプトに対する警告の御言葉です。エジプトの偶像が神の前で震え、エジプトの人々は互いに相争います。容赦のない王が彼らを支配し、ナイル川が干上がり、エジプトの機織り人や首長たちは愚か者となります。

●御言葉
海の水は涸れ、川の流れは尽きて干上がる。(19:5)

エジプト人にとって、ナイル川は命の源流であり、この川が干上がると、生活は脅かされ、命の危機を迎えます。

生活に水源が必要なように、あなたの心にも命の水が必要です。

心が渇くとき、精神的な危機、霊的な危機を迎えるからです。

御言葉は命の水です。

「わたしが与える水を飲むものは決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ4:14)

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ17:13-18:7「叱咤される神」

◎5月6日(火)
●イザヤ17:13-18:7「叱咤される神」
●要約 (リビングライフより)
異邦の国々は騒ぎ立てますが、神は彼らをちりのように吹き飛ばされます。クシュの死者と軍隊がエルサレムに来ます。神はすぐに懲らしめられませんが、結局彼らは主への貢ぎ物と共に別の使いをエルサレムに送ります。

●御言葉
国々は、多くの水が騒ぐように騒ぎ立つ。だが、主が叱咤されると彼らは遠くへ逃げる。(17:13)

エルサレムが敵の大軍に包囲され、窮地に追い込まれた時、主は一夜にしてこの大軍を散らされました。

弟子たちが湖の上で暴風に見舞われた時、イエス様は風を叱り、海は一瞬にしてなぎに変わりました。

主が叱咤されると敵は逃げ去り、問題は解決します。

「夕べには、見よ、破滅が遅い、夜の明ける前に消え失せる」(14節)。

主は必ずあなたを守られます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ17:1-11 「あなたの造り主」

◎5月5日(月)
●イザヤ17:1-11 「あなたの造り主」
●要約 (リビングライフより)
ダマスコは廃墟となり、アロエルの町々は捨てられ、アラムの民も滅びます。その日、ヤコブの栄光は衰え、残りの者はごくわずかになります。彼らが救いの神を忘れ、偶像を拝んだからです。

●御言葉
その日には、人は造り主を仰ぎ、その目をイスラエルの聖なる方に注ぐ。(17:7)

生みの母は世界で一人であるように、あなたを造られたお方もただ一人です。

母と生き別れた人が自分を生んでくれた母親を捜そうとするように、人は自分の造り主を求めています。

母を知っている人、母を見つけた人は、他人の中に母を捜しません。

同じように自分の造り主を知った人は、他の神々や偶像を求め、拝むことはしなくなるのです。

あなたは造り主と出会いましたか。

この方を仰いで(礼拝して)生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

説教 「砂の下に隠れている岩」

『砂の下に隠れている岩』
(ルカ6章46-49)
(2008年・5月4日・ベテル清水教会 聖日礼拝)

イソップ物語に三匹の子豚の話があります。

三匹の子豚の兄弟が自分たちの家を建てました。
長男は、わらで、次男は、木の枝で家を建てます。
二人とも、手軽な材料を用いて、豚だけにトントン拍子で簡単に家を建てていきます。
一方、三男は、時間をかけて、れんが作りの家を造ります。

そこへオオカミがやって来て、三匹の子豚はとんだ災難に見舞われます。
最初、オオカミは、長男を襲いました。
長男の豚は、わらの家に逃げるのですが、オオカミがその家をふーっと一息すると、家はぶっとんでしまいます。
長男は、豚だけにとん走して、次男の木の家に逃げ込みます。
しかし、この木の家も、オオカミが一吹きすると、吹っ飛ばされてしまいます。
家を失った二匹の子豚は、弟のれんがの家に逃げ込みます。

そこへオオカミがやってきて、同じように、ふーっと一息するのですが、その家はビクともしません。
結局、煙突から忍び込もうとしたオオカミが、煮えたぎる鍋の中に落ちて、食べられてしまうという、話ですね。

今日のテキストに記されているイエス様のたとえは、この三匹の子豚の物語に似ています。
おそらく、この物語の背景には、今日のイエス様のたとえ話があるのだろうと思います。

今朝は、有名なこのたとえ話をご一緒に学びたいと思います。
もう一度、ルカによる福音書6章をお開きください。

6:46 「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。

韓国の教会に行きますと、みんなで一斉に祈る時に、最初に「主よ、主よ、主よ」と三回、叫んで祈るということが良く行われます。

「主よ、主よ」と呼びながら、というのは、祈りながらということです。
私たちは韓国人のように「主よ、主よ」と叫んで祈ることは、あまりないかもしれませんが、祈りの中で「主よ、主よ」と言って、主に呼びかけて祈ることは多いと思います。

私たちが「主よ」と言って、祈りの中で、主の名を呼ぶ時には、ほとんどの場合が、「主よ、祝福してください。助けてください。守ってください。こうしてください。ああしてください、というような願望の祈りです。

イエス様は、主に祈り求める者に対して、こう言われたのです。
6:46 「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。

あなたたちは私を求めながらも、私が言うことを聞こうとしない。
私が言うことを守ろうとしない、ということです。
それは、まるで病気の治療を求めて、病院に行きながらも、医者の言うことを聞かない患者のようなものです。
要求はするけど、責任を果さない。
権利は主張するけど、義務は果たそうとしない。
そういうことがないでしょうか。

イエス様は、弟子たちに対して、私たちに対して、「あなたたちはそうであってはならない」と言われるのです。

私の元に来ることは大切です。
私の声を聞くことも大切です。
しかし、それだけではダメだ。
私の言葉に従う者になりなさい、と教えるのです。
そうすれば、あなたはどんなに大きな試練が襲っても、耐え抜くことができる、と教えているのです。

6:47 わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。
6:48 それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。
6:49 しかし、聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。」


今から40年前、私が小学校に入学する前後のことですが、母に連れられて、大阪の四条畷にある教会の教会学校に通っていました。
ちょうど優輝君ぐらいの時ですね。

その頃、こんな歌を良く歌っていました。
おろかな人が 家を建てた 砂の上に 家を建てた
おろかな人が 家を建てた 雨がふってきた
雨が降り 水が増し、雨が降り 水が増し、雨が降り 水が増し
その家はぺっちゃんこ!

賢い人が 家を建てた 岩の上に 家を建てた
賢い人が 家を建てた 雨が降ってきた
雨が降り 水が増し、雨が降り 水が増し、雨が降り 水が増し
その家は大丈夫!

この歌を知っている人はおられますか?

三匹の子豚の物語では、家を建てる時の材料が問題となりました。
わらを使っても、木の枝を使っても、家は建てられます。
もし、オオカミが来なければ、その材料で建てても問題はなかったでしょう。
しかし、オオカミが来たならば、わらの家、木の枝の家では、持ちこたえることはできなかったのです。

私たちは生きていくために必要なものは、衣・食・住だと言われます。
この三つがあれば、最低限の暮らしはできます。

「ホームレス中学生」という本がベストセラーになりましたが、
このお笑い芸人は、中学生の時、父親から突然「解散」と言われて、家を失いました。
家を失う、住むところを失うということは、大変なことです。

家というのは、とても大切な空間です。
家は、食事の場であり、団らんの場です。
家は、睡眠の場であり、ホッとくつろげる場所です。
その場所を失うということは、大変なことです。

数年前、マンションの耐震偽装問題が世間を騒がせました。
耐震強度というのは、専門家にしか分かりません。
その後、調査の結果、次々と偽装マンションが発覚し、完成したばかりのマンションまでもが、再建築を余儀なくされるというケースもありました。

背に腹は代えられません。
わらの家も木の枝の家も、オオカミが来なければ問題はないでしょう。
偽装されたマンションも、地震が起こらなければ、問題はないでしょう。
しかし、地震が起こらないという保証はないのです。
特に、最近では大きな地震が頻発しており、もし、そこに住み続ければ、いつも不安を抱えつつ生活しなければなりません。

外見を見ると、全く問題のないようなマンションです。
しかし、それは砂上の楼閣。砂の上に家を建てた家のようなものですから、嵐が来る前に、取り壊されていったのです。

以前、外国で大きなマンションが倒壊しました。
この時、倒壊したビルの柱のコンクリートの中からドラム缶などの廃材が見つかって問題となりました。
建築コストを抑えるために、業者の手抜き工事が、マンションが倒壊したことによって発覚したのです。

家は、土台が重要です。
屋台骨がしっかりとしていないと、オオカミがやって来たときに、問題が襲ってきたときに、洪水が押し寄せてきたときに、耐えられないのです。

今日のたとえは、マタイにも出てきます。
マタイでは、岩の上に土台を置いて家を建てた人を、賢い人。
土台なしで地面の上に家を建てた人を、愚かな人と呼んでいます。

賢い人は、家の上に家を建てた人です。
岩を土台とする人は、賢い人です。
愚かな人は、地面の上に土台なしに家を建てたとあります。
地面の上とは、マタイでは砂の上となっています。
砂の上に家を建てる人は、愚かな人だというのです。

今日の説教題は「砂の下に隠れている岩」です。
土台となる岩は、砂の下に隠れているのです。
岩は砂の下に隠れて見えないのです。
砂の下を深く掘らなければ、岩に達しないのです。

賢い人とは、砂の下に隠れている岩を知っている人です。
そして、砂の下に隠れている岩を土台とする人です。
愚かな人とは、砂の下に隠れている岩を知らない人です。
深く掘らないで砂の上に家を建てる人。
それが愚かな人です。

パレスチナ地方では、夏には川の水がなくなります。
すると、乾いた砂地がたくさん出てきます。

家を建てるとき、みんなこの砂地の上に家を建てるのです。
賢い人は、その砂地の下にある岩盤に到達するほどに掘り下げて、土台を築きます。
そうすれば、洪水が襲ってきても、家は流されないのです。

しかし、愚かな人は、岩盤まで掘り下げることなく、土台なしに家を建てるのです。
それは、三匹の子豚のわらの家、木の枝のような家です。
オオカミが来なければ、壊されることはありませんでした。
しかし、オオカミが来たときに、洪水が襲ってきたときに、砂の上に家を建てた人は、流されてしまうのです。


みなさん。表面的には、みんな砂の上に家が建っているのです。
深く掘り下げて、岩を土台としているかどうかは、外側からは区別がつきません。
それは、偽装問題で強度不足のマンションとそうでないマンションとでは、見分けがつかないのと同じです。
外側から見ても分からないのです。
見えない部分を調べなければ、わからないのです。

しかし、やがてその見えない部分が問われる時が来ます。
土台が問われる時が来ます。
冬になり、雨が降り、川の水かさが増し、川が氾濫し、家が水に浸かります。
その時に、深く掘り下げずに、土台を築かなかった家は、流されてしまうのです。

みなさん。大切なことは、見えている部分ではありません。
見えない部分です。
砂の下に隠れている岩を土台としているかどうか。
それが問われるのです。

イエス様は、御言葉を聞いて、行う人が、砂の下に隠れている岩を土台にしている人だ、と言われるのです。

みなさん。御言葉を行うというのは、岩の部分です。
岩の部分は、見えない部分です。
木で言えば、根の部分です。
根が大地に下ろしているかどうかは、実は外側からは判断が難しいのです。

昨年、義理の兄が来て、家の前の木を切り倒してくれました。
切り落とした木は、加茂子姉のご主人がみんな燃やしてくれたのですが、切り株は、燃やさずにおいていて、腰掛けのようにしています。

外から見ると、根がある切り株のように見えます。
しかし、実際は、一つを除いて、みんな根がありません。
手で押すと簡単に倒れてしまいます。
根のある切り株は、いくら手で押しても、動じません。
大地にしっかりと根を下ろしているからです。

みなさん。私たちの信仰は、どちらの切り株でしょうか。
外側から見ても、それは分からないのです。
「主よ、主よ」と言って祈っていても、根がなければ、土台がなければ、嵐がやって来たときに、倒れてしまうのです。

みなさん。問題や試練は、私たちが何を土台としているかを明らかにしてくれます。
信仰とは、砂の下に隠れている岩を発見することです。
その岩とは、イエス・キリストです。
イエス・キリストは、砂の下に隠されている岩です。
人の目には岩は見えません。
しかし、私たちがこのお方を土台として生きるならば、嵐が襲ってきたときに、土台のあるなしが明らかになるのです。

私はこの譬えを通して、いつも教えられることがあります。
それは、賢い人も、愚かな人も、同じように洪水を体験しているということです。
岩の上に家を建てた人には、洪水は来なかったと言うのではありません。
イエス様の言葉を聞いて、行う人は、洪水に遭わないということが言われているのではないのです。

たとえ洪水にあっても、岩を土台としている人は、耐え抜くことができるということが言われているのです。

イエス様の一番弟子は使徒ペトロです。
彼の名前は、元々は「シモン」でした。
シモンとは、風に揺れる葦という意味です。
まさに、シモンは砂の上に建てられたような人物でした。

問題があればすぐに倒れてしまう弱さを持つ人でした。
私たちもシモンと同じです。
みんな砂の上に立っているのです。

しかし、ペトロはイエス様に出会って、「ペトロ」と名付けられました。
ペトロとは「岩」という意味です。
彼は、砂の下に隠れている岩を発見したのです。
彼を支える岩を発見したのです。

この岩なるイエス様が弱いシモンを支えるのです。
この岩なるイエス様が弱い私たちを支えるのです。

ダビデは詩篇の中で、神様を「岩なる神」と呼んでおります。
イエス・キリストは、砂の下に隠された岩です。
このお方を土台として、このお方に深く根を下ろして歩みましょう。
御言葉を聞くだけではなく、黙想し、実践する者となりましょう。
そして、御言葉によって支えられる人生を歩みましょう。
お祈り致します。


イザヤ16:1-14 「覆ってくださる方」

◎5月4日(日)
●イザヤ16:1-14 「覆ってくださる方」
●要約 (リビングライフより)
モアブはユダの王に服従し、子羊を貢ぎ物とするようになります。そして、滅ぼす者から逃げる人々を守らなければなりません。しかし、已然として高慢なモアブは3年以内にアッシリアの手に滅びます。

●御言葉
真昼にも夜のような陰となって、追われた者を隠し、さまよう者を覆ってください。(16:3)

罪を犯した女性が大勢の人々の前に引き出されていました。

その時、イエス様は彼女の陰となり、彼女の罪を覆い、赦しを与えました。

愛は多くの罪を覆います。

十字架はあなたを覆う陰です。

「主はあなたを見守る方、あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。昼、太陽はあなたを打つことがなく、夜、月もあなたを撃つことがない。(詩編121:4-6)。

今日は日曜日です。共に主を礼拝しましょう。byバルナバ
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