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イザヤ23:1-18「顧みられる神」

◎5月14日(水)
●イザヤ23:1-18「顧みられる神」
●要約 (リビングライフより)
ツロに対する警告のみことばです。ツロは麗しく、誇り高い町でしたが、カルデヤによって滅び、民は悲しみ叫びます。ツロは神のさばきによって、70年間暗黒の時を送り、やがて回復しますが、再び国々と淫行を行います。

●御言葉
七十年が終わると、主はティルスを顧みられる。(23:17)

富と繁栄を誇ったティルスは滅ぼされます。

しかし、主はこのティルスをも見捨てず、顧みられ、再び回復します。

しかし、ティルスは、主に立ち帰ろうとせず、再び転落するのです。

主は顧みたもうお方です。

回復の神です。

大切なのは、顧みられた後、どう生きるかです。

どんなに美しい花も、切り花はすぐに枯れます。

しかし、大地が咲かせる花は、麗しく、たとえ枯れても、再び季節が来れば花が咲きます。

主と共に生きる人(大地に根ざして生きる人)は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ



イザヤ22:15-25「僕として生きる」

◎5月13日(火)
●イザヤ22:15-25「僕として生きる」
●要約 (リビングライフより)
国庫を任されていたシェブナは、王族の墓に自分の墓を掘りますが、神のさばきによって官職から負われます。続いてエルヤキムが国庫の鍵を任されますが、堅固な場所に打ち込まれた釘が朽ちるように彼もその座から退きます。

●御言葉
わたしは彼の肩に、ダビデの家の鍵を置く。彼が開けば、閉じる者はなく、彼が閉じれば、開く者はないであろう。(22:22)

神様はエルヤキムを「わが僕」と呼び、ダビデの家の管理者として鍵を渡します。

僕はその家の管理者であって、主人ではありません。

エルヤキムは僕の座から、主人の座に身を置き、思うままに振る舞った結果、主なる神様は彼をダビデの家から追放しました。

人は裸で生まれ、裸で天に帰ります。

あなたは神の僕であり、管理者です。

あなたが持っているものすべては神から預けられたものです。

やがて御国で「よくやった忠実な僕よ」と言って、主に迎えてもらえるように、僕として、この世を生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ


イザヤ22:1-14「今日をどう生きるか」

◎5月12日(月)
●イザヤ22:1-14「今日をどう生きるか」
●要約 (リビングライフより)
幻の谷に関する警告のみことばです。宴会騒ぎをしていたエルサレムは敵軍に包囲されます。神がエラムとキルを用い、エルサレムを打たれます。しかし、イスラエルはそのことを行われた神に目を留めません。

●御言葉
肉を食らい、酒を飲んで言った。「食らえ、飲め、明日は死ぬのだから」(22:13)

もし、明日が人生の終わりだとしたら、今日、あなたはどのように過ごしますか。

ユダの民は快楽に走り、主に立ち帰らず、「お前たちが死ぬまでこの罪は決して赦されることがない」と神に宣言されます。

罪が赦されなければ新しい世界は開かれません。

今日、どう生きるか。

あなたの選択があなたの未来を決めます。

死はピリオドではなくカンマ(通過点)です。

今日、神に立ち帰り、罪赦され、新しい世界が保証され、讃美しつつ最後を迎えられる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ


説教 「感謝せよ」

『感謝せよ』
(詩編139:13−18)
(2008年・5月11日・ベテル清水教会 聖霊降臨祭特別礼拝)

今から100年ほど前、アメリカで一人の女性が最愛の母を亡くしました。
「孝行したいときに親はなし」
「ありがとう」と言いたくても言えない。
彼女はこの現実に直面するのです。
生きている時に、もっと感謝しておけばよかった。

彼女は、他の人たちには、自分と同じような思いをして欲しくない。
伝えられる時に、感謝の思いを伝えて欲しいと願ったのです。

一年後、彼女は母親の一周年の記念日に、お母さんの好きだったカーネーションの花を周りの人々にプレゼントしました。
お母さんに「ありがとう」を伝えよう。

彼女の思いは、周りの人々の心を動かしました。
やがて、母の日を制定しようと言う運動が全米に広がり、八年後に、アメリカ議会は、母の日を制定していったのです。
一人の女性の感謝の心が、世界を動かしたのです。

今年、私たちの教会に与えられている御言葉は、
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」。

喜び、祈り、感謝せよ。
これが今年のテーマです。

主を喜び、主に祈り、主に感謝する。
主を喜ぶこと、主に祈ること、主に感謝することは、私たちの力の源です。

今朝は、「感謝」について、主題メッセージをします。

神様が私たちに願っていることは、わたしたちがどんなことにも感謝して生きることです。
今日の説教題は「感謝せよ」です。

今日の第一のメッセージは「母に感謝せよ」です。
今日は、母親に対して感謝を表す日です。

母親に感謝の思いを持っていない人は少ないと思います。
その思いを伝えている人は少ないと思います。

母はどれほど大きな愛を持って、私たちを育ててくれたことでしょう。
母はどれほど大きな犠牲を払ってくれたことでしょう。

私たちは何かをしてもらったら感謝できます。
受けた恵みに対して感謝するのはたやすいことです。

しかし、何もしてくれないのに、感謝することは難しいものですね。
母親の中には、子供を捨てたり、虐待したり、傷つけるケースもあります。
そんな母親であっても、感謝しなさい、というのです。

どんなことにも感謝するときに、私たちの心が変わるのです。
どんな状況でも感謝するときに、私たちの心が変わります。
感謝するときに、私たちの人生が変わり、運命が変わります。

みなさん。母親も人間です。
育て方において失敗したり、罪を犯すこともあります。
しかし、私たちが今、生きているのは、その母親の存在なくしてはありません。
母が存在しなければ、私たちの存在はないのです。
母が生んでくれなければ、私たちは生まれません。

子を産むというのは、陣痛という大きな痛みがあり、一歩間違えれば自分の命を失う危険もある行為なのです。
母が生んでくれなければ、私たちは生まれてこなかったのです。

子供の頃、生き別れた母親を捜す番組がよく放映されています。
ある若いお母さんがテレビで、母親を捜していました。
彼女は、子供の頃に母親が家を出て行って、父親の親戚に預けられて育ちます。
子供の頃は、ずっと母を恨んでいました。
しかし、自分も結婚し、子供が生まれ、そして、離婚。
彼女は、自分が産んだ子と引き離されました。
この経験を通して、自分の母親の気持ちを理解しました。
そして、どんな理由であれ、とにかく、お母さんを見つけて、ひと言伝えたい。
「生んでくれてありがとう」と。

そして、司会者が「お母さん、見つかりましたよ」と言って、カーテンがあがると、そこにはお母さんが立っているんですね。
二人は抱き合いました。
娘は「お母さん。生んでくれてありがという」
その言葉を聞いて、私は涙がこぼれました。
感謝の言葉は感動を呼び起こします。
感謝の言葉は人生を変える力があります。

「生んでくれてありがとう」
この言葉は、この心は、どんな花束よりもまさります。

母の日。私たちは、まず、生んでくれてありがとう。
この心を持って、生みの母に対して、感謝の心を持って接していきましょう。
天に帰られた母親には、祈りの中で感謝を表していきましょう。

第二番目
感謝せよ。二つ目のメッセージは「神に感謝せよ」です。

私たちの存在は、母親の存在なくしてはあり得ません。
しかし、私たちは聖書を通して、一つに真理に気づきます。
それは、母の胎内に私という命を形作られたのは、神様である、ということです。
それが今日のテキストです。
もう一度、詩編139編をお開きください。
139:13 あなたは、わたしの内臓を造り/母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
139:14 わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって/驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか/わたしの魂はよく知っている。
139:15 秘められたところでわたしは造られ/深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
139:16 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている/まだその一日も造られないうちから。
139:17 あなたの御計らいは/わたしにとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。
139:18 数えようとしても、砂の粒より多く/その果てを極めたと思っても/わたしはなお、あなたの中にいる。


ある子供がお母さんに聞きました。
お母さんのお母さんは誰。おばあちゃん。
おばあちゃんのお母さんは? ひいばあちゃん。
ひいばあちゃんのお母さんは? ひいひいばあちゃん。
ひいひいばあちゃんのお母さんは? ひいひいひいばあちゃん。
子供はさらにひいひいひいひいばあちゃんのお母さんは?
お母さんは、ひいひいいながら答えていきます。
そして、最後に、じゃあ一番最初のお母さんは?
マントヒヒと答えたという笑い話であります。

母親に感謝すると共に、先祖に感謝することも大切です。
特に日本人は、先祖を大切にする習慣がありますね。
私たちクリスチャンは、母親に感謝することも、先祖に感謝することも大切なことですが、何よりも一番大切なことは、命の根源への感謝です。
私たちの命を造られたお方への感謝。
この方への感謝を忘れない。

私たちは造り主への感謝を忘れてはならないのです。
私たちの礼拝も、讃美も、献金も、みんな神様への感謝として捧げられるものです。

神様は私たちが生まれる前から私たちのことを知っておられます。
私たちが知らない未来のことも知っています。
だから、私たちは明日のことを思い煩わなくて良いのです。
神様の御手の中にあること。
神様がすべてを益に変えてくださること。
主の山に備えがあることを、信じて、神様に感謝して歩みましょう。

さて、今朝は、クリスマス、イースターと並ぶキリスト教の三大祭りのひとつである「ペンテコステ」(聖霊降臨祭)であります。

今から2000年前、イエス様はこの地上に来られました。
このことを祝うのがクリスマスです。
イエス様は私たちの罪の身代わりとして十字架にかかり、三日目に甦られました。このことを祝うのがイースターです。

その後、天の昇られたイエス様は、弟子たちに「エルサレムから離れず、父なる神様が約束された聖霊を待つように」と命じられました。
そして、五旬節の日、つまりペンテコステの日に、弟子たちが集まって祈っているところに、神の霊である聖霊が降ったのです。

この時、聖霊に満たされた弟子たちは、力を受けました。
弱々しかった弟子たちの姿は一変しました。
彼らは大胆に出て行って神の言葉を語り始めたのです。
彼らは、イエス様が言われていたとおり、エルサレム、ユダヤ、サマリヤからはじまって、地の果てまで福音を伝えていきました。

今は、世界中にこの福音は届けられています。
その原動力は聖霊です。
聖霊の力によって、教会が誕生しました。
みなさん。今朝、私たちは母の日を迎え、ペンテコステを迎えています。
聖霊なる神様は、教会の生みの母です。

みなさん。この教会が生み出されたのも、神様の計画があります。
神様のゆるしがなければ、教会は誕生しません。
私たちが母の胎から生まれたのも、偶然ではありません。
神様を知らないときには、偶然に生まれたとか、できちゃった結婚で、生みたくなかったけど、生まれたのよ、なんて言う言葉を聞いて傷つくこともあるでしょう。
しかし、胎内に形作ってくださる神様を知るならば、私たちが生まれる前から、私たちの人生を計画してくださっている神様を知るならば、
たとえ偶然のように思えた命も、輝くのです。
神様の光を受けて輝くのです。

同じように、私たちの教会もそうです。
神様が私たちの教会を生み出してくださったのです。
そのことを共に感謝しようではありませんか。
今日は、ペンテコステ。
教会の誕生を喜び祝う時です。
私たちの命を生み出してくださった神様に感謝し、
私たちの教会を生み出してくださった神様に感謝し、
私たちの命を生み出す母体となってくれた母親に感謝し、
私たちの霊の命を生み出す母体となってくれた人に感謝していきましょう。

私たちの心が感謝に満ちるとき、私たちの心が変えられ、人生が変えられ、運命が変えられると信じます。
お祈り致します。



イザヤ21:11-17「希望の朝」

◎5月11日(日)
●イザヤ21:11-17「希望の朝」
●要約 (リビングライフより)
エドムに対する警告のみことばです。エドムは破壊され沈黙の地となります。デダンの隊商たちはアッシリアの攻撃を避け、林に宿り、テマの地の住民は避難民を受け入れます。ケダルの残りの勇士の数はわずかとなります。

●御言葉
夜明けは近づいている、しかしまだ夜なのだ。(21:12)

富み栄えた国が滅ぼされます。

絶望の中にも希望の朝は近づいています。

神に立ち帰らなければ希望の朝は来ません。

神が近づいておられるのに、近づこうとしない人がいます。

目を覚まし、神に近づくとき、希望の朝が来ます。

「神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます」(ヤコブ4:8)。

今日はペンテコステです。

聖霊なる神様を歓迎し、礼拝を通して神に近づき、新しい朝を迎えましょう。

今日も祝福がありますように。byバルナバ


イザヤ21:1-6「呻きが終わる日」

◎5月10日(土)
●イザヤ21:1-6「呻きが終わる日」
●要約 (リビングライフより)
バビロンは南風のつむじ風のように突然敵軍の攻撃を受けます。そして、エラムとメディアによって包囲され、略奪に遭います。バビロンの首長たちは戦いに備えず宴会に夢中になるあまり、滅びに至ります。
●御言葉
わたしは呻きをすべて終わらせる。(21:2)

神様はイスラエルの呻きの原因であるバビロンを滅ぼされます。

その日が来れば、神様はすべての呻きを終わらせ、解放と喜びを与えてくれます。

その日は、キリストを信じる者には救いの時ですが、信じない者にとっては裁きの時です。

その日は来ます。

その日に来る前に、偶像から離れ、主に立ち帰る人、主に立ち帰らせる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ


イザヤ20:1-6「御言葉を行う」

◎5月9日(金)
●イザヤ20:1-6「御言葉を行う」
●要約 (リビングライフより)
神はイザヤに腰の荒布を解き、はきものを脱ぐように言われます。イザヤが3年間、裸になり、はだしで歩いたのは、アッシリアの捕虜となるエジプトとクシュの姿の前兆でした。エジプトとクシュに頼るなら、ユダは恥を見ます。

●御言葉
主はアモツの子イザヤを通して命じられた。「腰から粗布を取り去り、足から履き物を脱いで歩け。」彼はそのとおりにして、裸、はだしで歩き回った。(20:2)

裸は奴隷の姿です。

イザヤはユダの民に「主に頼らず、エジプトに頼るなば、あなたたちは奴隷になる」と、言葉だけではなく、三年間、自らの姿を通して伝え続けました。

イエス様は神の愛を語るだけではなく、3年間、自らの姿を通して伝えました。

愛を語ることは簡単ですが態度で示すことは難しいものです。

主の言葉に従い、御言葉が生き方の中に反映される人は、人生が繁栄します。

主の祝福を祈ります。

今日も祝福がありますように。byバルナバ


イザヤ19:16-25「祭壇を建てる」

◎5月8日(木)
●イザヤ19:16-25「祭壇を建てる」

●要約 (リビングライフより)
エジプトの人々はさばかれる神の手を意識し、恐れに陥ります。しかし、その日、エジプトの地に神に誓う町が起こり、神のために祭壇と柱が立てられます。エジプト、アッシリア、イスラエルのすべてが全地で祝福されます。


●御言葉
その日には、エジプトの地の中心に、主のために祭壇が建てられ、その境には主のために柱が立てられる。(19:19)

神の裁きを受けたエジプトの地に、祭壇が建てられ、主に立ち帰り、主を礼拝する者たちが現れます。

主は彼らの祈りを聞き、救助者を遣わし、彼らにいやしと救いと祝福をもたらします。

エジプトは私たちの姿を象徴しています。

その日は必ず訪れます。

その日が癒しと救いと祝福の日となりますように。

主のために祭壇を築き、礼拝する者は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

リビングライフ

イザヤ19:1-15「命の水」

◎5月7日(水)
●イザヤ19:1-15「命の水」
●要約 (リビングライフより)
エジプトに対する警告の御言葉です。エジプトの偶像が神の前で震え、エジプトの人々は互いに相争います。容赦のない王が彼らを支配し、ナイル川が干上がり、エジプトの機織り人や首長たちは愚か者となります。

●御言葉
海の水は涸れ、川の流れは尽きて干上がる。(19:5)

エジプト人にとって、ナイル川は命の源流であり、この川が干上がると、生活は脅かされ、命の危機を迎えます。

生活に水源が必要なように、あなたの心にも命の水が必要です。

心が渇くとき、精神的な危機、霊的な危機を迎えるからです。

御言葉は命の水です。

「わたしが与える水を飲むものは決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ4:14)

今日も祝福がありますように。byバルナバ


イザヤ17:13-18:7「叱咤される神」

◎5月6日(火)
●イザヤ17:13-18:7「叱咤される神」
●要約 (リビングライフより)
異邦の国々は騒ぎ立てますが、神は彼らをちりのように吹き飛ばされます。クシュの死者と軍隊がエルサレムに来ます。神はすぐに懲らしめられませんが、結局彼らは主への貢ぎ物と共に別の使いをエルサレムに送ります。

●御言葉
国々は、多くの水が騒ぐように騒ぎ立つ。だが、主が叱咤されると彼らは遠くへ逃げる。(17:13)

エルサレムが敵の大軍に包囲され、窮地に追い込まれた時、主は一夜にしてこの大軍を散らされました。

弟子たちが湖の上で暴風に見舞われた時、イエス様は風を叱り、海は一瞬にしてなぎに変わりました。

主が叱咤されると敵は逃げ去り、問題は解決します。

「夕べには、見よ、破滅が遅い、夜の明ける前に消え失せる」(14節)。

主は必ずあなたを守られます。

今日も祝福がありますように。byバルナバ


イザヤ17:1-11 「あなたの造り主」

◎5月5日(月)
●イザヤ17:1-11 「あなたの造り主」
●要約 (リビングライフより)
ダマスコは廃墟となり、アロエルの町々は捨てられ、アラムの民も滅びます。その日、ヤコブの栄光は衰え、残りの者はごくわずかになります。彼らが救いの神を忘れ、偶像を拝んだからです。

●御言葉
その日には、人は造り主を仰ぎ、その目をイスラエルの聖なる方に注ぐ。(17:7)

生みの母は世界で一人であるように、あなたを造られたお方もただ一人です。

母と生き別れた人が自分を生んでくれた母親を捜そうとするように、人は自分の造り主を求めています。

母を知っている人、母を見つけた人は、他人の中に母を捜しません。

同じように自分の造り主を知った人は、他の神々や偶像を求め、拝むことはしなくなるのです。

あなたは造り主と出会いましたか。

この方を仰いで(礼拝して)生きる人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

説教 「砂の下に隠れている岩」

『砂の下に隠れている岩』
(ルカ6章46−49)
(2008年・5月4日・ベテル清水教会 聖日礼拝)

イソップ物語に三匹の子豚の話があります。

三匹の子豚の兄弟が自分たちの家を建てました。
長男は、わらで、次男は、木の枝で家を建てます。
二人とも、手軽な材料を用いて、豚だけにトントン拍子で簡単に家を建てていきます。
一方、三男は、時間をかけて、れんが作りの家を造ります。

そこへオオカミがやって来て、三匹の子豚はとんだ災難に見舞われます。
最初、オオカミは、長男を襲いました。
長男の豚は、わらの家に逃げるのですが、オオカミがその家をふーっと一息すると、家はぶっとんでしまいます。
長男は、豚だけにとん走して、次男の木の家に逃げ込みます。
しかし、この木の家も、オオカミが一吹きすると、吹っ飛ばされてしまいます。
家を失った二匹の子豚は、弟のれんがの家に逃げ込みます。

そこへオオカミがやってきて、同じように、ふーっと一息するのですが、その家はビクともしません。
結局、煙突から忍び込もうとしたオオカミが、煮えたぎる鍋の中に落ちて、食べられてしまうという、話ですね。

今日のテキストに記されているイエス様のたとえは、この三匹の子豚の物語に似ています。
おそらく、この物語の背景には、今日のイエス様のたとえ話があるのだろうと思います。

今朝は、有名なこのたとえ話をご一緒に学びたいと思います。
もう一度、ルカによる福音書6章をお開きください。

6:46 「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。

韓国の教会に行きますと、みんなで一斉に祈る時に、最初に「主よ、主よ、主よ」と三回、叫んで祈るということが良く行われます。

「主よ、主よ」と呼びながら、というのは、祈りながらということです。
私たちは韓国人のように「主よ、主よ」と叫んで祈ることは、あまりないかもしれませんが、祈りの中で「主よ、主よ」と言って、主に呼びかけて祈ることは多いと思います。

私たちが「主よ」と言って、祈りの中で、主の名を呼ぶ時には、ほとんどの場合が、「主よ、祝福してください。助けてください。守ってください。こうしてください。ああしてください、というような願望の祈りです。

イエス様は、主に祈り求める者に対して、こう言われたのです。
6:46 「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。

あなたたちは私を求めながらも、私が言うことを聞こうとしない。
私が言うことを守ろうとしない、ということです。
それは、まるで病気の治療を求めて、病院に行きながらも、医者の言うことを聞かない患者のようなものです。
要求はするけど、責任を果さない。
権利は主張するけど、義務は果たそうとしない。
そういうことがないでしょうか。

イエス様は、弟子たちに対して、私たちに対して、「あなたたちはそうであってはならない」と言われるのです。

私の元に来ることは大切です。
私の声を聞くことも大切です。
しかし、それだけではダメだ。
私の言葉に従う者になりなさい、と教えるのです。
そうすれば、あなたはどんなに大きな試練が襲っても、耐え抜くことができる、と教えているのです。

6:47 わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。
6:48 それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。
6:49 しかし、聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。」


今から40年前、私が小学校に入学する前後のことですが、母に連れられて、大阪の四条畷にある教会の教会学校に通っていました。
ちょうど優輝君ぐらいの時ですね。

その頃、こんな歌を良く歌っていました。
おろかな人が 家を建てた 砂の上に 家を建てた
おろかな人が 家を建てた 雨がふってきた
雨が降り 水が増し、雨が降り 水が増し、雨が降り 水が増し
その家はぺっちゃんこ!

賢い人が 家を建てた 岩の上に 家を建てた
賢い人が 家を建てた 雨が降ってきた
雨が降り 水が増し、雨が降り 水が増し、雨が降り 水が増し
その家は大丈夫!

この歌を知っている人はおられますか?

三匹の子豚の物語では、家を建てる時の材料が問題となりました。
わらを使っても、木の枝を使っても、家は建てられます。
もし、オオカミが来なければ、その材料で建てても問題はなかったでしょう。
しかし、オオカミが来たならば、わらの家、木の枝の家では、持ちこたえることはできなかったのです。

私たちは生きていくために必要なものは、衣・食・住だと言われます。
この三つがあれば、最低限の暮らしはできます。

「ホームレス中学生」という本がベストセラーになりましたが、
このお笑い芸人は、中学生の時、父親から突然「解散」と言われて、家を失いました。
家を失う、住むところを失うということは、大変なことです。

家というのは、とても大切な空間です。
家は、食事の場であり、団らんの場です。
家は、睡眠の場であり、ホッとくつろげる場所です。
その場所を失うということは、大変なことです。

数年前、マンションの耐震偽装問題が世間を騒がせました。
耐震強度というのは、専門家にしか分かりません。
その後、調査の結果、次々と偽装マンションが発覚し、完成したばかりのマンションまでもが、再建築を余儀なくされるというケースもありました。

背に腹は代えられません。
わらの家も木の枝の家も、オオカミが来なければ問題はないでしょう。
偽装されたマンションも、地震が起こらなければ、問題はないでしょう。
しかし、地震が起こらないという保証はないのです。
特に、最近では大きな地震が頻発しており、もし、そこに住み続ければ、いつも不安を抱えつつ生活しなければなりません。

外見を見ると、全く問題のないようなマンションです。
しかし、それは砂上の楼閣。砂の上に家を建てた家のようなものですから、嵐が来る前に、取り壊されていったのです。

以前、外国で大きなマンションが倒壊しました。
この時、倒壊したビルの柱のコンクリートの中からドラム缶などの廃材が見つかって問題となりました。
建築コストを抑えるために、業者の手抜き工事が、マンションが倒壊したことによって発覚したのです。

家は、土台が重要です。
屋台骨がしっかりとしていないと、オオカミがやって来たときに、問題が襲ってきたときに、洪水が押し寄せてきたときに、耐えられないのです。

今日のたとえは、マタイにも出てきます。
マタイでは、岩の上に土台を置いて家を建てた人を、賢い人。
土台なしで地面の上に家を建てた人を、愚かな人と呼んでいます。

賢い人は、家の上に家を建てた人です。
岩を土台とする人は、賢い人です。
愚かな人は、地面の上に土台なしに家を建てたとあります。
地面の上とは、マタイでは砂の上となっています。
砂の上に家を建てる人は、愚かな人だというのです。

今日の説教題は「砂の下に隠れている岩」です。
土台となる岩は、砂の下に隠れているのです。
岩は砂の下に隠れて見えないのです。
砂の下を深く掘らなければ、岩に達しないのです。

賢い人とは、砂の下に隠れている岩を知っている人です。
そして、砂の下に隠れている岩を土台とする人です。
愚かな人とは、砂の下に隠れている岩を知らない人です。
深く掘らないで砂の上に家を建てる人。
それが愚かな人です。

パレスチナ地方では、夏には川の水がなくなります。
すると、乾いた砂地がたくさん出てきます。

家を建てるとき、みんなこの砂地の上に家を建てるのです。
賢い人は、その砂地の下にある岩盤に到達するほどに掘り下げて、土台を築きます。
そうすれば、洪水が襲ってきても、家は流されないのです。

しかし、愚かな人は、岩盤まで掘り下げることなく、土台なしに家を建てるのです。
それは、三匹の子豚のわらの家、木の枝のような家です。
オオカミが来なければ、壊されることはありませんでした。
しかし、オオカミが来たときに、洪水が襲ってきたときに、砂の上に家を建てた人は、流されてしまうのです。


みなさん。表面的には、みんな砂の上に家が建っているのです。
深く掘り下げて、岩を土台としているかどうかは、外側からは区別がつきません。
それは、偽装問題で強度不足のマンションとそうでないマンションとでは、見分けがつかないのと同じです。
外側から見ても分からないのです。
見えない部分を調べなければ、わからないのです。

しかし、やがてその見えない部分が問われる時が来ます。
土台が問われる時が来ます。
冬になり、雨が降り、川の水かさが増し、川が氾濫し、家が水に浸かります。
その時に、深く掘り下げずに、土台を築かなかった家は、流されてしまうのです。

みなさん。大切なことは、見えている部分ではありません。
見えない部分です。
砂の下に隠れている岩を土台としているかどうか。
それが問われるのです。

イエス様は、御言葉を聞いて、行う人が、砂の下に隠れている岩を土台にしている人だ、と言われるのです。

みなさん。御言葉を行うというのは、岩の部分です。
岩の部分は、見えない部分です。
木で言えば、根の部分です。
根が大地に下ろしているかどうかは、実は外側からは判断が難しいのです。

昨年、義理の兄が来て、家の前の木を切り倒してくれました。
切り落とした木は、加茂子姉のご主人がみんな燃やしてくれたのですが、切り株は、燃やさずにおいていて、腰掛けのようにしています。

外から見ると、根がある切り株のように見えます。
しかし、実際は、一つを除いて、みんな根がありません。
手で押すと簡単に倒れてしまいます。
根のある切り株は、いくら手で押しても、動じません。
大地にしっかりと根を下ろしているからです。

みなさん。私たちの信仰は、どちらの切り株でしょうか。
外側から見ても、それは分からないのです。
「主よ、主よ」と言って祈っていても、根がなければ、土台がなければ、嵐がやって来たときに、倒れてしまうのです。

みなさん。問題や試練は、私たちが何を土台としているかを明らかにしてくれます。
信仰とは、砂の下に隠れている岩を発見することです。
その岩とは、イエス・キリストです。
イエス・キリストは、砂の下に隠されている岩です。
人の目には岩は見えません。
しかし、私たちがこのお方を土台として生きるならば、嵐が襲ってきたときに、土台のあるなしが明らかになるのです。

私はこの譬えを通して、いつも教えられることがあります。
それは、賢い人も、愚かな人も、同じように洪水を体験しているということです。
岩の上に家を建てた人には、洪水は来なかったと言うのではありません。
イエス様の言葉を聞いて、行う人は、洪水に遭わないということが言われているのではないのです。

たとえ洪水にあっても、岩を土台としている人は、耐え抜くことができるということが言われているのです。

イエス様の一番弟子は使徒ペトロです。
彼の名前は、元々は「シモン」でした。
シモンとは、風に揺れる葦という意味です。
まさに、シモンは砂の上に建てられたような人物でした。

問題があればすぐに倒れてしまう弱さを持つ人でした。
私たちもシモンと同じです。
みんな砂の上に立っているのです。

しかし、ペトロはイエス様に出会って、「ペトロ」と名付けられました。
ペトロとは「岩」という意味です。
彼は、砂の下に隠れている岩を発見したのです。
彼を支える岩を発見したのです。

この岩なるイエス様が弱いシモンを支えるのです。
この岩なるイエス様が弱い私たちを支えるのです。

ダビデは詩篇の中で、神様を「岩なる神」と呼んでおります。
イエス・キリストは、砂の下に隠された岩です。
このお方を土台として、このお方に深く根を下ろして歩みましょう。
御言葉を聞くだけではなく、黙想し、実践する者となりましょう。
そして、御言葉によって支えられる人生を歩みましょう。
お祈り致します。




イザヤ16:1-14 「覆ってくださる方」

◎5月4日(日)
●イザヤ16:1-14 「覆ってくださる方」
●要約 (リビングライフより)
モアブはユダの王に服従し、子羊を貢ぎ物とするようになります。そして、滅ぼす者から逃げる人々を守らなければなりません。しかし、已然として高慢なモアブは3年以内にアッシリアの手に滅びます。

●御言葉
真昼にも夜のような陰となって、追われた者を隠し、さまよう者を覆ってください。(16:3)

罪を犯した女性が大勢の人々の前に引き出されていました。

その時、イエス様は彼女の陰となり、彼女の罪を覆い、赦しを与えました。

愛は多くの罪を覆います。

十字架はあなたを覆う陰です。

「主はあなたを見守る方、あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。昼、太陽はあなたを打つことがなく、夜、月もあなたを撃つことがない。(詩編121:4−6)。

今日は日曜日です。共に主を礼拝しましょう。byバルナバ


イザヤ15:1-9 「神の叫び」

◎5月3日(土)
●イザヤ15:1-9 「神の叫び」
●要約 (リビングライフより)
モアブに対する警告のみことばです。モアブの主要な砦は一夜にして滅び、荒廃します。モアブが破滅したとき、民は泣き叫び、その声は四方にまで響きます。川の水は干上がり、草も枯れ、ディモンの水は血で満ちます。

●御言葉
わが心は、モアブのために叫ぶ。(15:5)

今日の箇所にはモアブの叫びと神の叫びがあります。

モアブの叫びとは、滅び行く者の叫びであり、神の叫びとは、滅び行く者に対する叫びです。

イエス様は十字架の上で叫ばれました。

この叫びは、わたしたちのための神の叫びであり、私たちの叫びでもあります。

キリストは、本来、私たちが叫ぶべきモアブの叫び(滅び行く者の叫び)を、私たちの罪を背負うことによって、身代わりに叫んでくださったのです。

ここに救いの道があります。

神の愛の叫びを受け入れ、モアブの叫びを取り除かれた人は幸いです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

イザヤ14:18-32 「計画」

◎5月2日(金)
●イザヤ14:18-32 「計画」
●今日のみことばの要約 (リビングライフより)
バビロンの王と王国は完全に滅び、その子孫は断たれます。そしてユダのくびきであり、重荷であったアッシリアが除かれます。また、多くのペリシテの子孫は飢饉によって死に、残りの民は敵の剣に倒れます。

●御言葉
万軍の主は誓って言われる。「わたしが計ることは必ず成り、わたしが定めることは必ず実現する。(14:24)

神様の計画は必ず実現します。

神様は私たちの人生に計画を持っておられ、心に思いを起こさせ、その思いを実現に至らせるために、一歩一歩を備えてくださるのです。

主の備えを信じ、御心に従って歩む人は幸いです。

「人の歩む道は主の御目の前にある。その道を主はすべて計っておられる」(箴言5:21)

「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる」(箴言16:9)

「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」(箴言19:21)。

今日も祝福がありますように。byバルナバ


イザヤ14:1-17 「回復と平安と勝利」

◎5月1日(木)
●イザヤ14:1-17 「回復と平安と勝利」
●今日のみことばの要約 (リビングライフより)
神はイスラエルをあわれみ、帰還させてくださいます。また、国々の民を打ち、しいたげたバビロンを除き、全地に平和をもたらされます。明けの明星であったバビロンは、高慢の果てに穴の底にまで落とされます。

●御言葉
主が、あなたに負わせられた苦痛と悩みと厳しい労役から、あなたを解き放たれる日が来る。(14:3)

神様の憐れみは、イスラエルの民に「回復」と「平安」と「勝利」をもたらしました。

イエス・キリストの憐れみ(十字架)は、あなたの人生に回復と平安と勝利をもたらします。

キリストの憐れみ(十字架)を信じる人は、神との関係、自己との関係、他者との関係が回復され、心に平安が与えられ、どんな問題にも勝利することができるのです。

神様の憐れみを受け入れた人は幸いです。byバルナバ